「企業経営現象を説明する手段としての新制度派経済学アプローチ・進化の経済学アプローチの実用性と限界について」
2004年度立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR) 共同研究会経費補助
 
新制度派経済学アプロ―チによる企業経営  研究会
 
■メンバー
  研究代表者 秋野 晶二  経済学部・経営学科・助教授 経営学 経営管理論  商学修士
  研究会メンバー 坂本 義和  経済学部・会計ファイナンス学科・助手(学内) 経営戦略論  修士 (商学)
    鹿生 治行  経済学研究科・経営学専攻・博士課程4年(学内) 労働経済学・労務管理論  修士(経営学)
    山中 伸彦  尚美学園大学・総合政策学部・専任講師 経営学 組織論 修士(経営学)
 
■研究会の目的
   近年,経営学の分野において新制度派経済学アプローチによる研究が盛んになってきている。元来,新制度派経済学は,新古典派経済学による企業理論の限界を補完するものとして登場し,経済学的観点からの企業行動,経営行動を説明する学問領域である。近年注目が集まってきている理由としては,第1に経済学をベースにした厳密な理論体系による高度な説明力を有している点があげられる。第2に近年これも注目を集めている企業経営現象である企業間関係における新たな形態としての「モジュール化」現象との関連性を有している点があげられる。すなわち新制度派経済学アプローチは,企業経営現象に対して,厳密な理論を背景とした説明力を有し,かつ,いまだ十分な説明がなされていない新たな現象である「モジュール化」現象についても,何らかの説明を行う可能性を有しているというものである。すなわち企業経営現象を説明する理論としては,非常に将来性がある研究分野であると言える。
 しかしながらこの新制度派経済学アプローチ並びにそれに包含される場合もある進化の経済学アプローチについては,十分な研究が進められていない。上記の様に説明能力を有し,また新たな現象も説明できる可能性を有している理論であっても,十分な検討がなされておらず,まだまだ新しい分野である。それゆえ現段階において,これらアプローチの展開を把握し,その限界を理解することは,今後の新制度派経済学研究,ひいては経営学研究において有益であると考えられる。
 
   本共同研究会で対象としている新制度は経済学のアプローチは、多様な視点、アプローチから今日研究が進められており、それゆえ、これを理解するには、学外の研究者をも含めて,より広範な観点からの研究が不可欠である。また理論体系の把握においても,また特に企業経営現象の分析においても,異質な知的交流が可能となり創発性を可能にするである。さらに本共同研究会では,今後、可能な限りディープサーベイやインタビュー調査といった実際の企業への調査研究を行いたいと考えている。それゆえ過去においてディープサーベイやインタビュー調査を経験している学外研究者が会に参加することは産業界との連携をスムーズにすると考えられる。以上の点から、本研究会では、学外研究者をメンバーに加えることとした。この観点から、同じ目的を有し、またメンバーにおいて異なった資格・テーマを持つ研究者が参加し、より深い理解を図るものとする。  
     
■研究計画と今後の予定
   当面は理論体系の把握に努め、関連領域の研究書,既発表論文のサーベイを行う。この際,新制度派経済学を中心に、その関連領域である内外の経営学、経済学、産業組織論をはじめ、技術論・工学の各分野での本研究会に関連のあるものの収集、整理を行う。また実証文献についても視野を広げ,それぞれの専門分野で、内外の新聞・雑誌記事等の文献をはじめ、社史・有価証券報告書・アニュアルレポート・統計データ・調査報告書、さらには企業の内部資料・聞き取り資料などの収集、整理も行う。  
   次年度以降については,立教大学奨励助成金や科研費への助成申請を考えている。次年度以降は,理論体系の把握よりも,実際の企業経営の把握と理論の有効性を確かめるための調査研究に重点を置く予定であり,それゆえインタビュー調査,ディープサーベイといった企業調査,アンケート調査による大量観察調査を増やすことを考えている。そして本研究会が行う文献調査および企業・工場訪問調査の成果は、可能な限りデジタル化した上で随時整理し、データベースを作成したいと考えている。上記の文献調査については、企業別・製品別・活動分野別に大別して収集した上で文献リストを作成して整理し、必要に応じて文献解題を作成して、可能な限りデジタル化・データベース化する。企業・工場訪問調査については、訪問前の予備調査の成果や訪問企業・工場で得られた各種資料も含めて、企業別に報告書を作成した上で、これも可能な限りデジタル化して整理する。  
   なおこうして作られたデータベースは随時インターネット上にアップロードして、研究代表者と研究分担者の間での情報の共有化を図る一方、可能な範囲での一般的な公開を視野に入れている。また組織自体についても今後,更なるメンバーを確保することで,多様な視点からの企業経営研究を充実させたいと考えている。  
 
■研究活動報告
第1回 2004年5月27日(木) 谷口和弘「制度研究の近年的発展 ―制度主義から比較制度分析へ―」『三田商学研究』第44巻第6号(2002年2月)(文責:坂本)
 
第2回 2004年6月24日(木) 「組織の経済理論としての取引コスト理論」ノート 菊澤研宗著『日米独組織の経済分析』第3章 (文責:岡田)  
2004年6月24日(木) 「組織の経済理論としてのエージェンシー理論」ノート 菊澤研宗著『日米独組織の経済分析』第4章 (文責:鹿生)  
第3回 2004年7月22日(木) Herbert A. Simon 'The Architecture of Complexity' ノート (文責:秋野)  
第4回 2004年11月11日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第1章ノート (文責:秋野)  
  第5回 2004年11月25日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第2章ノート (文責:鹿生)  
  第6回 2004年11月25日(木) R.Gibbons 'Taking Coase Seriously' ノート (文責:山中)  
  第7回 2004年12月2日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第3章ノート (文責:坂本)  
  第8回 2004年12月16日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第4章ノート (文責:鹿生)  
  第9回 2004年12月16日(木) 企業の進化論的研究のレビュー(文責:坂本)  
  第10回 2005年1月20日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第5章ノート (文責:秋野)  
  第11回 2005年1月27日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第7・8章ノート (文責:坂本)  
  第12回 2005年2月2日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第7・8章ノート (文責:坂本)  
  第13回 2005年2月24日(木) O.E.ウィリアムソン(浅沼萬里・岩崎晃訳)『市場と企業組織』第10章ノート (文責:秋野)  
  第14回 2005年3月16日(水) 研究経過報告および今後の活動について  
         
■活動成果
   新制度派経済学に対する理解を深め、また各専門分野における問題領域、そしてその問題点・限界を検討するために、共同研究会のメンバーを中心に、5月以降、合計14回にわたる共同研究会を開催した。
 本共同研究会は、二つの方向から進められた。第一は、各専門分野(生産管理、経営戦略、経営組織、労務管理)にそって、関連する文献を研究会で報告し検討を行った。第二は、9月以降、新制度派経済学の基本文献であるO.E.ウィリアムソンの『市場と企業組織』を基礎に、それ以外の基本文献をも参考にしながら、輪読し、検討を行った。これらの二つの方向からの共同研究会を通じて、各専門分野における新制度派経済学の位置とその問題領域、さらにその問題点についてより深く理解することができた。また研究会では、今後の研究方向をも念頭に置いて、取り上げられた報告と関連させて、各分野の具体的な事例、今後テーマとなりうるような研究課題についても話し合った。
 以上の共同研究会を通して得られた成果は、各専門分野に対応させてまとめると以下の通りである。
 まず生産あるいは生産管理分野については、近年、産業における垂直統合から垂直分業ないしは水平分業への転換が見られるようになり、これらの現象を取引コストから説明しようという試みがなされるようになってきている。たとえば、内外製決定問題やオプション理論を援用しながら、近年のIT化の進展や製品のモジュール化が、取引コストを引き下げ、企業の境界が変化して、垂直分業が進展し、アウトソーシングが発生するとの議論が見られる。この垂直分業に関連する議論については、理論的には技術的分離可能性の問題と資産特殊性の問題を基礎とするものである。このような新制度学派の研究にあって、問題と考えられる点は、第一に市場の部品価格は企業内での生産コストを常に下回るという前提である。しかし、そうした前提のためには、生産との関連で言えば、ある製品の生産に関して競合する企業間においてその部品生産が全て標準化されていることが条件となる。したがって、今日、とりわけ、製品だけではなく、さまざまな局面において差別化が組み込まれている生産活動においては、この前提を今一度再考する必要があろう。第二に、取引コストの議論においては、生産に関連する費用の問題が事実上、取引コストに集約されてしまい、本来の生産コストの位置が明確でない傾向がある。実際の内外製決定においては、取引コストも考慮されるとはいえ、あくまでも生産コストと並んでであって、その点、生産に関わるコストの中での取引コストの位置が明確ではない点が問題であろう。とりわけ、より多くの利益獲得を目指す活動のなかでスループットを最大化させようとする生産活動とその結果による企業内分業や社会的分業の動態を説明しきれないものと考える。第三に、今日、ITやモジュール製品の普及により、取引コストが下がり、またオプション理論を援用して、多くのサプライヤからの供給を受けることの優位性が強調され、垂直分業やアウトソーシングの優位性が論じられているが、そのいずれにあっても、多数のサプライヤの存在が前提とされていなければならない。しかしながらこのサプライヤがいかにして存在しているのかという事実については、新制度派の議論においては十分に説明されていないのであり、この点に関しては、経路依存の問題、制度補完性の問題、産業史分野における検討が今後必要となってくるものと考える。
 次に経営戦略論の領域では、近年、企業の戦略的行動を議論するにとどまらず、その戦略がいかに生み出されるかについても議論を展開している。その議論において中心となるものは、戦略を生み出す企業組織の問題である。ここに主として組織を考察対象とする新制度派経済学の領域との関係が生じる。新制度派経済学、特に今年度着目した取引コスト論でも企業組織の問題が扱われている。その中心的な議論である企業の境界問題は、企業の戦略的行動としての統合あるいは分解の意思決定の問題に関わるものである。特に近年、企業は、技術的な向上を目的として企業間で事業間の統合や戦略的な提携を結ぶ動き、また戦略的に特定事業部門をアウトソースする動きを顕著に行なっているが、取引コスト論はこれらの企業行動の説明に対して多くの示唆を与える面がある。また近年の経営戦略論では、進化論やそれをベースにした進化の経済学の影響を受けた議論の展開もなされている。例えば、企業の強みを議論する際に、それを生み出す要因の1つとして企業が保有している風土、文化が問題とされ、それは過去の行動から規定されるある種の遺伝子的なものとしてとらえられる。進化論には主にダーウィン主義とラマルクがあるとされ、環境決定的なものと主体的活動の余地を残すものとして対比される。企業の主体性を重視し、特に学習という行為を重視する経営戦略論の領域においては、ラマルク主義的な見解を好む傾向があると言われている。しかしながら今年度は進化論、進化の経済学に対する検討が不十分であり、これらについては今後の課題とする必要がある。以上のような新制度派経済学には、第一に機会主義を前提とする取引コスト上昇による内部化という議論では、イノベーティブな展開を生み出すような提携や統合というより積極的な統合の根拠を十分に捉えきれないと考えられる。第二に、この企業の境界問題はあくまで戦略的行動の結果であるが、ここでもその前提にあるのは機会主義を前提とした取引コストの判断であり、近年の経営戦略論が問題としている戦略をいかに生み出し、組織メンバーをいかに動かすかの問題とは大きくかけ離れている。この意味で取引コスト論は、組織の問題を扱うと言っても組織メンバーのモチベーションといったマイクロマイクロのレベルまでは扱ってはおらず、経営戦略論が問題としている組織運営の議論には適応不十分の可能性がある。
 経営組織論の研究領域においては、新制度派経済学は、一般的には、取引コスト論、プリンシパル‐エージェント理論、プロパティ・ライツ理論といったアプローチによる各理論的研究及びそれぞれのアプローチを包含する「組織の経済学」に関する理論的研究が進められてきている。さらに経験的研究の領域では、コーポレート・ガバナンスをめぐる組織改革や制度設計、法制度改正など企業組織を取り巻くさまざまな規制や制度のデザインとコントロールに関する研究が行われており、政策的含意を有する研究成果が提出されている。またグローバル化が進む今日にあって、地球規模で市場競争がより激しさを増している一方で、共同研究開発や技術提携などの戦略的提携、資本提携、M&Aといった企業間の協調的行動が戦略的に重要性を増している。こうした組織間の提携、合併、買収といった組織間関係の分析は、組織の経済学がその説明力を発揮している領域であり、研究成果が実践的にも活用されうる問題領域であるといえるだろう。このような新制度派経済学は、これまでの歴史的研究や官僚制理論のような構造論的研究、コンティンジェンシー理論、組織行動論的研究といった既存の組織研究に対して、モデル化を志向する形式的、理論的研究を通じて、さまざまな制度や組織を「効率性」というより一般的概念によって説明することで、制度及び組織研究のなかに経済学的分析を導入した。他方、限定合理性と機会主義という人間の行動原理を基礎に、新制度派経済学は、既存の経済学や組織研究の理論的枠組みからは非効率的ないし特殊な例外として理解されるような制度や組織が、なぜ実際に存在し維持されるのかを、より一般的な経済学的枠組みから説明し、比較制度研究や比較組織論的研究の途を開いたといえるだろう。新制度派経済学は今日の組織研究において、その説明力や政策的含意という点で極めて有力な研究アプローチになっている。しかしそこに問題点が見られないわけではない。第一に、新制度派経済学は、制度や組織がどのようにして発生したのか、また制度変化や組織変化がどのような社会的ダイナミズムに起因しているのかを十分に説明できていない。すなわち、現存する制度や組織がそのようなかたちで存在するのは、限定合理的で機会主義的に行動する諸個人にとって、そうした制度や組織デザインが「効率的」であるからであるという説明に終始してしまう。第二に、新制度派経済学では、制度や組織を効率性という概念を軸として説明するものであり、それゆえ制度や組織デザインに伴うさまざまなコストが問題となるが、そうしたコストの測定や評価について必ずしも明確ではない。 第三に、機会主義的に行動する人間が、戦略的に自己利益を追求するとしても、その自由裁量や戦略的に活用できる機会には大きな差が存在する。経営者が行使できる自由裁量と、一従業員が行使できる自由裁量の余地は同じではないだろう。人間の機会主義的行動や自由裁量の余地は、その人間の置かれた社会経済的状況によって変化するとすれば、制度や組織のあり方やその変化に関して、市場や社会状況といった歴史的・社会経済的な要因を考慮しなくてはならない。
 労務管理論の分野では、新制度派経済学のアプローチのなかでも、エージェンシー理論が応用されている。この理論では、プリンシパル労務管理とエージェントの利害の不一致がもたらす問題を、株主と経営者、あるいは経営者と従業員との関係から言及している。プリンシパルとエージェント間にある利害の相違を抑制するために、プリンシパルはエージェントに対してインセンティブを与える。人事労務分野からみて、エージェンシー理論の課題は2点あるといえる。第一に、インセンティブの与え方が限定されていることである。エージェンシー理論では、金銭的なインセンティブや業績的なインセンティブを与えることに焦点が当てられてきたといえる。しかし、インセンティブはこれだけに限定されるのではなく、昇進・昇格や解雇など、多様であると思われる。このため、プリンシパルがエージェントに与えるインセンティブそれ自体を解明する必要がある。第二に、外在的な指摘であるが、従業員間にあるリスクの選好の相違をどのように調整して、人事制度をつくりあげているのかには、言及していないことである。エージェンシー理論では、リスク選好(リスク回避的・リスク中立的・リスク愛好的)によって、選択される行動に相違が見られるとする。このため、プリンシパルがエージェントに対してインセンティブを与えるときには、エージェントのリスク選好を考慮する必要がある。この時、エージェントである従業員のあいだでも、リスクへの選好には相違があろう。ここから、人事制度が確立する過程で、プリンシパルとエージェント、ならびに、エージェント間で、どのような調整がとられているのかを明らかにする必要がある。この点が不明であるならば、何がエージェントへのインセンティブとなるかは、明らかにできないと思われる。
 以上のような新制度派の各分野における問題領域およびその問題点を踏まえつつ、企業経営に関してより具体的でかつ総合的な視点から本研究会は研究を今後も続けていきたい。