現代の青少年と社会教育

子どもたちと生涯学習

  田中治彦      

原題「成人するまでの生涯学習」

香川正弘・宮坂広作編『生涯学習の創造』ミネルヴァ書房,1994年所収


もくじ

第1節 生涯学習と青少年期

第2節 子どもの変容と学校外教育

第3節 子ども集団と少年少女団体

第4節 子どもの地域環境づくり

第5節 青年期と地域社会

注・参考文献


 

第1節 生涯学習と青少年期

  産業革命以来の近代社会にあっては、子どもは学校において学ぶ存在であり、学校において知識と技術を修了したものが成人として社会に出ていくということが基本であった。ところが生涯教育の理念はこの通念を打ち破り、技術革新と高齢化社会を迎えた現代にあっては成人もまた学習する存在であるという新しい学習観を打ちだした。生涯学習論において青少年期の学習は生涯にわたる学習の初期という以上の位置付けがなされている。

 1965年にポール・ラングランにより提唱された生涯教育論は2つの統合をめざすものであった。一つは人々がその誕生から高齢に至るまで生涯にわたって「いつでも」学習することができる教育体制を考えるべきあるという「垂直統合」であり、もう一つは学校教育と社会における教育機能(広義の社会教育)とを統合して人々が「どこでも」学べるようにするという「水平統合」である。青少年期の教育についてもこの二つの統合の考え方が影響している。

 

飽和状態の学校教育

 まず水平統合であるが、この考え方は青少年の健全な発達を保障するためには従来の学校教育には限界があり、学校と社会教育との有効な連携が必要という立場に立っている。これは私たち自身の生育過程を振り返れば容易に理解できるであろう。私たちが成長してきたのは親の養護と学校での教育以外にもさまざまな影響を受けてのことである。野球やサッカーは誰に教えてもらったのか、お人形ごっこで母や父の役割を学んだのはどこであったか、塀の上を歩いたり川で泳ぐことを教えたのは誰か、友だちとけんかすることの無意味さとつまらなさはどこで感じたのか。これらは学校よりも地域社会の中でより多くを習得したことであろう。

 日本は明治以来近代化の要として学校教育を重視してきた。あらゆる教育機能を学校に取りこむことで西欧に追いつこうとした。もともと明治時代に「読み・書き・そろばん」を教えることからスタートした小学校は、1960年代には運動会・学芸会・遠足といった学校行事、クラブ・部活動、さらに休暇中のプール指導に林間学校、果ては身体検査や給食指導といった保健や福祉に関することまで背負うことになった。この結果が教師の多忙を招き、肝心の教科指導すら十分に行なえないという事態を現出させた。

 生涯教育の理念を受け、もう一度学校の役割を見直し社会教育や家庭教育との有機的な連携を図っていこうというのが1974年に社会教育審議会が建議した「在学青少年の社会教育」の中にある「学・社連携」の考え方である。また日本社会教育学会では青少年期における社会教育の在り方を検討するために「学校外教育」に関する研究を1973年から数年間にわたって実施している。これらの議論と実践上の課題については後に詳しくみよう。

 

「学び方を学ぶ」

 一方、生涯学習理念のもう一つの柱である「垂直統合」の考え方も青少年期の教育と学習に大きな影響を与えている。学習が青少年期だけでなく生涯にわたって行われるということになれば、学校教育は完成教育でなければならないという従来の前提が崩れることになる。既に現在では社会に出てから必要となるであろう知識の量は膨大かつ多様であり、学校教育においてすべてを教え込もうとする実質陶冶の考え方は実際には不可能となっている。あまりに知識の総量が増えすぎたために9年間の義務教育年限では教えきれないし、将来出てくるであろう新しい知識、技術に至っては教えようがないからである。これに対して、学校教育は子どもらが将来新しい事態に出会ってもそれに対処できるように最小限必要な知識(ミニマム・エッセンシャルズ)を与え、「学び方を学ぶ(learn how to learn)」場所にするいうように発想の転換を図らざるをえなくなる。言い換えるならば形式陶冶の考え方である。

 生涯教育の理念の影響を受けて日本の学校教育において転換がなされたのが、1977年の学習指導要領の改訂である。学習指導要領が法的拘束力をもつようになった1958年の改訂以来、技術立国と高度経済成長をめざす国策にのっとり「基礎教科の充実」「理数科の振興」という名目で改訂の度ごとに内容が増加し高度化した。その結果、学習内容がわからない生徒が徐々に増加していき、1960年代後半には「詰め込み主義」「落ちこぼし教育」の批判を受けるに至る。1977年の改訂に至って初めて授業時間総量の削減がおこなわれ、「ゆとりの時間」が設けられることになった。内容的にも「教育内容の精選(基礎・基本の重視)」「小・中・高一貫のカリキュラム」という方針のもとに重複をなくし、必要最小限のこと(ミニマム・エッセンシャルズ)を教えようという姿勢に転換する。教育内容における基礎的・基本的内容の重視ということが強調されるようになる。

 

自己教育力の育成

 1977年の指導要領では教育の目標として自ら考え、主体的に判断し行動する力を育てることへ質的な転換を図るとされていたが、これを進めて「自己教育力」の育成が打ちだされるようになったのが1983年11月に発表された中央教育審議会教育内容等小委員会の「審議経過報告」においてであった。そこでは「自己教育力とは、主体的に学ぶ意志、態度、能力などをいう」とされ、さらに自己教育力とは学習への意欲であり、学習の仕方の習得であり、生き方の問題にかかわるものであると述べられている。特に中等教育の段階では、自己を生涯にわたって教育し続ける意志を形成することが求められている、と説明される。ここでは、生涯学習の基礎的能力として自己教育力の育成が位置付けられている。

 「自己教育力」の育成と教育内容における「基礎・基本」の重視は80年代から現在に至るまで教育界のはやり言葉となった。ところが、これらの用語が頻繁に使われる割には、その意味するところは必ずしも明確ではない(参考、佐藤三郎『生涯学習時代の学校教育』)。また、これらの用語が生涯学習と結びつけて語られることは少ないし、現場レベルでは生涯学習についてはほとんど意識されていないのが現状である。

 

第2節 子どもの変容と学校外教育

 

都市化と子どもたち

 生涯教育の理念が学校教育に与えた影響としては学習内容・方法よりは学校教育と社会教育の連携というアイディアの方が大きかった。社会教育審議会は1974年に「在学青少年の社会教育(建議)」を発表した。ここでは家庭・学校・社会のそれぞれの固有の教育機能を明確にして連携を図るということが示された。いわゆる「学・社連携」の考え方である。日本社会教育学会では1973年の研究大会で「学校外教育」という分野を課題研究として取り上げ、数年間の議論を経たのちに1978年にその成果が学会年報『地域の子どもと学校外教育』としてまとめられた。(1)

 70年代前半に青少年期の学校教育と社会教育の在り方について問題提起された背景には先に述べたように生涯学習論の「水平統合」の考え方が影響している。と同時に学校教育と社会教育の水平統合を真剣に議論しなければならない社会的背景があった。それは一つは1960年代を通じて引き起こされた子どもの教育環境、地域環境の悪化である。高度成長期に急速に進んだ都市化の波は、都市部を中心に子どもの遊び場を奪い、交通事故を増加させ、公害を蔓延させた。物理的な環境だけでなく、高校・大学進学率の急上昇により受験戦争が進み、学校のカリキュラムは過密化し、塾通いが盛んになった。テレビとマンガの登場は子どもの文化を一変させた。地域の異年齢集団は次第に姿を消していった。地域社会の結び付きは薄くなり、伝統的な地域社会がもっていた教育機能は低下していった。子どもとそれをとりまく環境の急激な変化にあって、子どもの健全な発達を保障するために学校教育も社会教育も何らかの対応を行なう必要に迫られていたのである。

 学校教育と社会教育の関り方を再考させたもう一つの要因は教職員の労働条件の問題である。先に述べたように1960年代後半には学校のカリキュラムの過密化はピークに達し、授業以外にも学校は多くの仕事を抱えていた。日本教職員組合は1970年の大会決定「教職員の労働時間と賃金のあり方」の中で、学校週5日制の実現を打ちだすとともに、教員の職務を本来の授業に限定して、他の課外クラブ、林間学校、プール指導などを社会教育に移行するように求めた。学校五日制については長く実現に至らず、ようやく1992年9月になって月1日に限り土曜日を休みにすることが実施された。

 

学校五日制

 子どもの健全な発達の保障と教職員の労働条件の改善という2つの要素は本来別のものであり別個に議論されるべきであるが、学校五日制をめぐる今日の議論のなかでも混在して議論を複雑かつ不明朗なものにしている。今回部分的に導入された学校五日制は、もともと「日本人は働きすぎ」という国際的な批判の中で公務員の4週6休の実現のために実施されたものである。ところが学校五日制の導入については保護者の側(すなわちほとんどの国民)に慎重な意見が多かったために別の理由で説明する必要性があった。そのため「子どもを地域に返す」「家庭での触れあいを増やす」「子どもの生活にゆとりを取り戻す」「休日を増やして子どもの自主性を養う」などの意味付けがなされた。すなわち経過からみて子どもの発達を保障するために学校五日制が実施されたのではなく、学校五日制を導入するために「子どものため」という理由付けがなされたのである。

 そのため、学校教育と社会教育をめぐる論点も、学校がない土曜日の「受け皿」をどうするかという矮小化された議論になってしまった。そこで、もう一度学校教育と社会教育の関係を考えるために1970年代に行なわれた論議を振り返ってみたい。

 

学校教育と社会教育の再編

 1970年代の学校教育と社会教育の再編論ないしは連携論は、理論的には学校教育の限界論、社会教育の本質論、生涯教育論における再編論などを含みながら、実践的には学校教育と社会教育の境界領域が取り上げられていた。(2) その境界領域には現在の学校教育に属するものとして、課外クラブ、修学旅行と夏期行事、学校開放などがあり、広義の社会教育に属するものとして、児童館、学童保育、少年自然の家、地域子ども組織、塾とおけいこごと、ボランティア活動などがある。歴史的な経緯も実践のレベルも違う様々な領域がとにもかくにも統一的に論じられたのは始めてのことであった。

 これらの議論に共通するのは、学校教育がその機能の一部を社会教育に移管するにしても、現実には社会教育の側にそれに対応する十分な施設も指導者もいないという現状認識である。この先が議論の分かれるところであった。それは、社会教育において青少年に対する施策を充実する際にこれを公的、制度的に施設や専門指導者を配置して対応するのか、それとも自発性、民間性という社会教育の特徴を生かしてボランティアおよびボランティア団体によって対応するのかという点である。

 ところが、1980年代を通じて行政改革が実施されたため、青少年教育および青少年福祉の分野で施設面では若干の進展があっても専門指導者の配置という点では地域的にはむしろ後退していった。ボランティア指導者についても地域の連帯感は農村部においてすら低下し、新たに指導者を得難い状況にある。民間の青少年団体も全体的に見てその会員数および組織率を低下させているのが現状である。もちろん進展を見せている分野もある。例えば校庭を含む学校の施設開放、少年自然の家など社会教育施設の学校による利用、そして青少年の社会参加事業である。

 学校外の青少年教育を充実させるためには、公的施設も民間団体もともに必要である。その要となる指導者の問題でも専門職員とボランティアとの協働のないところでは発展は望み難い。その具体的な施策のあり方を点検する前に、まず現在の子どもをめぐる環境と子ども自身の変化について見ておこう。

 

第3節 子ども集団と少年少女団体

 

遊びの室内化

 学校教育と社会教育の再編論議を起こさせた直接の原因は1960年代の子どもをめぐる環境の悪化であり子ども自身の変化であった。都市化と交通戦争による遊び場の減少、受験戦争と塾の隆盛による遊び時間、遊び仲間の喪失、テレビ・マンガなどマスコミの影響により、子ども文化全体が急速に変化していった。特に遊び集団としてはそれまで幼児から中学生までが一緒に遊ぶ「タテ集団」がであったのが、年齢が近く人数も少ない「ヨコ集団」化する現象が見られた。また遊びの中身も次第に室内遊びが増えてきた。この現象は都市部に始まり1970年代には農村部にも浸透していった。児童心理学では徒党を組んで山野を駆けめぐる子ども集団の特徴をとらえて児童期を「ギャング・エイジ」と名付けていた。しかし、ここへきてこの用語も死語となりつつある。

 タテ集団の崩壊という現象が全国津々浦々で定着した頃、子ども文化に決定的な影響を与える事件が起きた。それは1985年のファミコン・ソフト「スーパーマリオブラザーズ」のヒットである。その後「ドラゴン・クエスト」シリーズの発売は新聞の社会面を賑わすほどの現象となり、テレビ・ゲーム、パソコン・ゲームは子どもの生活に深く入りこんだ。ファミコンがかくも子どもの生活に入り込んだ理由は、もちろんそのソフトの面白さということがあるが、それ以上に小人数、短時間、室内でできるという特徴が1980年代の子どものライフスタイルにマッチしていたことである。ファミコン現象は子どもの遊びをますます室内化させていった。

 80年代を通じて日本の家屋はその狭さにもかかわらず屋外に比べれば快適な空間となっていた。エアコンで室温は四季を問わず一定に保たれ、テレビ、ファミコン、オーディオ、雑誌、電話によっていくらでも楽しむ道具がある、手伝うべき家事も少なく、けんかする兄弟も少い。おやつや飲みものも手の届く範囲にある。「子どもは風の子」というのはまさに神話であり、子どもでも大人でも快適な生活の方に適応するということが証明されたのである。

 

子どもの成人病

 子どもたちが室内でより時間を過ごすようになったのはひとつの現象である。問題はそのことがどのような結果を引き起こすかということである。まず予想されるのは体力や運動能力の低下である。文部省が毎年行なっている「体力運動能力調査」の結果を見る限り、年によって多少の増減はあるが子どもたちの体力と運動能力が下がっているという兆候はない。ただし細かく見てみると身体の柔軟性(からだが硬い)に問題があり、背筋力も伸び悩んでいる。

 気になるのは、小学校の養護教員が指摘する「からだのおかしさ」である。1984年の調査ではからだのおかしさワースト・テンの上位には次のような項目が入っている。@アレルギー、A背中がぐにゃぐにゃ、Bすぐ「疲れた」という、C朝からあくび、D腹痛、頭痛、Eボールが目にあたる。背筋や腰の病気が増えているのは急速な体位の向上にたいして背骨や腰の骨と筋肉の成長が追いつかないからと思われる。転んでも手が出なかったり、ボールを眼球に当てたりという反射神経の鈍さが指摘されるが、これは運動不足、外遊びの不足が原因のひとつであろう。貧血、疲れやすい、だるさ、頭痛など自律神経系のゆがみについても、食生活のアンバランス、夜型の生活、勉学のストレスに加えてやはり運動不足が指摘できよう。高校生になって見られる高血圧、心臓病、胃かいようなどの成人病的疾患は明らかにストレス、過食、運動不足の産物である。

 

人間関係の狭さ

 身体の異常も大きな問題だが、それ以上に子どもの社会性、人間関係の変化が気になる。1987年に筆者らが岡山県で実施した『家庭と地域の教育力に関する調査』では、調査日に遊んだ子どもは全体(2校の小学5年生計351人)の45.4%で、さらに遊び友だちの人数が4人以下(自分も含めて)と回答したのが遊んだ子どもの内の実に75.0%を占めていた。さらにNHKが行なった別の調査(1974年)では、小学校6年生で「性質の似ている友だちが多い」が49.3%、「自分と同じくらい勉強ができる友だちが多い」が66.7%となっており、友人関係が同質化していることを示している。(3)

 子どもの出生数自体が減少し、兄弟姉妹の数も少なくなった。家の中での葛藤が減り、友だち関係も小人数化し、さらには異年齢集団も崩壊しつつある。このため、年齢の違った者どおしが一緒に活動する少年少女活動に期待が寄せられた。図1は過去30数年間の全国レベルの少年少女団体の会員数の推移である。1968年から80年にかけて各団体は著しく会員数を伸ばしていることがわかる。

 ところが、1980年から92年にかけては青少年赤十字とスポーツ少年団を除いて会員数は停滞ないしは減少に転じている。1980年代の児童数の減少という要因はあるものの、少年少女団体のこの停滞にはそれ以上の質的な問題を含んでいる。そこで団体活動の現状と課題を知るために子ども会、スポーツ少年団、ボーイスカウトの3団体について調べてみよう。

 

地域子ども会

 子ども会の会員数が何人であるのかはその全国組織である全国子ども会連合会でも把握していない。把握できるのはその共済組織である子ども会安全会の加入者のみである。このことは子ども会の性格の一面を現している。子ども会は伝統的地域社会に残っていた子ども組や小学校の校外組織を基盤としており、そのため地域網羅性を色濃く残している。同一地域(学区)のある年齢層が自動的に会員となるので、会員であるはずの子ども自身も子ども会に対する帰属意識が薄いのが現状である。

 子ども会が抱える最大の課題はその指導性にある。多くの場合その指導者は1年交替であり、子どもたちの保護者がこれに当たっている。従って、活動の内容も行事が中心であり毎年変化に乏しい。指導の方法も大人がお膳立てして、子どもはそのプログラムの乗るだけの「お客様」であり、子どもの主体性の向上を期待することは難しい。発展している子ども会の内実を調べてみると、中心的な指導者が一定していて長期間にわたって指導に当たっているケースである。意欲をもった指導者が長期にわたって活動できるような体制に作り変えない限り、今後も子ども会は大きな発展は望めないであろう。

 

スポーツ少年団 

 スポーツ少年団は東京オリンピックの誘致をきっかけに少年スポーツの裾野を広げるべく1962年に発足した。スポーツ少年団の出発に当たっては将来のオリンピック選手を育てるべきか、より多くの少年にスポーツを楽しんでもらうことを目的とするかについて議論があったが、最終的には後者で出発した。もともとは少年期、青年期、成人期とつづく「国民スポーツ運動」として構想されたが、中学校・高校の部活動との関係がありスポーツに最も適している青年層を組織することができずに、その団員の中心層は小学生高学年に落ち着く。

 当初の目的からして季節に応じたスポーツを楽しむ「複合種目」の団体こそ組織されるべきであったが、年々その数は減り現在ではほとんどのスポーツ少年団が野球、剣道、バレーボールなどの単一種目を行なう。スポーツ少年団は他の青少年団体が苦戦した1980年代にもその会員数を増やし100万人を超えている。一部には試合の勝ち負けにこだわるあまり、勝利をめざした厳しい訓練の弊害(レギュラー中心の練習、スポーツ障害など)が指摘される。またこのためスポーツ嫌いをなくすどころか好きであったものもスポーツから離れていくといった現象が見られる。

 スポーツ少年団の最大の問題点は、子どもたちの自主性という点にある。練習や試合そしてスポーツの種目の選択においてどこまで子どもたちは主体的に関っているのか、という疑問である。少年野球において大人である監督がサインを出し、子どもがバントをする、という現象に子どもの主体性は見られない。スポーツは本来が大人の発想であり、子どもにとって必要なのは「遊び」である。かつての子どもたちが行なっていた草野球はスポーツではなく遊びであった。なぜなら草野球ではルールは自由であり、勝ち負けにこだわらなかった。ベースを3角にしたり、小さい子どもには三振をとらないこともできた、チームの力の差が歴然としている場合には選手を組み分けていた。今の少年スポーツにはこうした遊びの要素が欠如してしまって、大人の論理に振り回されている感がある。遊びが必要な少年期には遊びとしてのスポーツがふさわしいという原点に立ち返って、スポーツを子どもの手に取り戻すことこそがスポーツ少年団の発展の道といえよう。

 

ボーイスカウト

 ボーイスカウトは日本で最も古い組織的な少年団体である。その起源は1913(大正2)年の東京少年団にまでさかのぼれることができる。戦後は女子を組織するガールスカウトとともに現在の名称で再発足した。1956年にはわずか32,107人の会員であったのが、年平均1万人以上の会員増を続け1983年には331,985人というピークを迎える。しかし、その後会員数は減少に転じ1993年現在255,312人となっている。

 ボーイスカウトが80年代中盤から会員減に転じたというのは日本の少年少女団体を考える上で象徴的である。ボーイスカウトは昭和初期には「国際主義的、貴族趣味的、自由主義的」であるなどとして右翼と軍部から批判を浴び、戦後は逆に制服や訓練が軍国的であるとして左からの批判を浴びた。このような外部の声にもかかわらず、ボーイスカウトが戦後会員数を伸ばしていったのは指導者の努力もさることながら、子どもたち自身がスカウトの方法を支持したからに他ならない。子どもたちはボーイスカウトの制服にあこがれ、キャンプ・ファイヤーに感激した。しかし、現在では子どもたちは制服に魅力を感ぜず、キャンプ自体も珍しくはなくなった。今ではキャンプは学校や塾でも行なっているからである。

 ボーイスカウトの方法論は基本的にはその創始者であるベーデン・パウエルの著による『スカウティング・フォア・ボーイズ』(1908年初版)によっている。会員数の減少を食い止めるためにボーイスカウト日本連盟では制服のデザインの変更などの改革を進めている。ボーイスカウトが発展するか否かは、『スカウティング・フォア・ボーイズ』の原則を維持しながらどこまで現在の子どもたちの状況に適応した新しいプログラムと組織を創造できるかであろう。

 以上の3団体を調べて気付くことは、子どもたちのニーズを大人がどう捉え、子どもたちの主体性のもとにプログラムを展開できるかどうかがその組織の発展を左右するということである。1970年代に学社連携が叫ばれ青少年の社会教育が強調されるようになってから、日本の少年少女団体は子どもたちの主体性を基にした「少年少女による団体」ではなく、大人が子どもに何かをしてあげる「少年少女のための団体」へと性格を変化させてきた。「健全育成団体」という用語が頻繁に使われるようになったことがこの変化を現わしている。80年代の会員数の減少は「健全育成」される子どもの側からの静かな拒否反応とはいえまいか。

 

第4節 子どもの地域環境づくり

 

「受け皿」論議を超えて

  学校五日制の論議の中では子どもが学校に来ない土曜日の午前中をどうするか、地域での「受け皿」があるのかという点が主要な論点であった。しかし、前にも述べたようにこの議論は建設的ではない。「受け皿」論議を超えて、子どもたちが地域で育っていくためには人的、物的にどのような地域環境を創造していくべきかという方向で議論を進めなければならない。表1は子どもを対象とした施設の一覧である。ここで考えねばならないのは地域(日常生活圏)に青少年のための遊び、文化、教育施設をどのように作っていくかということである。少年自然の家、青年の家、子ども科学館、児童会館などの広域施設ももちろん重要であるが、最も重視されるべきは子どもの生活圏における遊びと文化の施設である。

 地域の子ども施設と環境を考えるうえで考慮すべきことが3点ある。第1は、子どもの生活圏は子どもの発達段階によって違うことである。幼児、小学校低学年、小学校高学年、中学校、高校と年齢が高くなるにつれ行動範囲も拡大し、興味関心も多様化するので、それに従って地域の遊び施設、教育文化施設を考慮しなければならない。第2は、子どもたちが日常的に遊ぶことができる遊び場をその生活圏内に配置するとともに、子どもたちの遊びや文化活動を促進する専門職員を備えた施設を整備する必要があることである。前者は児童遊園、児童公園、団地内の遊び場などであり、後者は現在のところ児童館がこれに相当する。第3は、地域環境全体を子どもの視点で見直すことである。かつて子どもたちが遊んでいた雑木林、原っぱ、河原、空き地、路地は急速に失われているか利用不可能な状態になっている。地域の中にそのような空間があれば、積極的に保存し利用できるようにしたい。地域に自然空間が全くないところでは児童公園などを積極的に作っていかねばならない。

 子どもたちが地域の中で生き生きと暮らせる空間を創りだすのは地域にいる大人立ちの役割である。以下、児童公園・児童遊園および児童館の現状と課題を見たうえで、地域の人々が子どものための地域づくりにどのように参加していけるかを考えよう。

 

児童公園・児童遊園

 子どもの施設のなかで児童公園と児童遊園は私たちが日常的に目にすることができる施設である。児童公園[注:その後名称が街区公園に改められた]は建設省の管轄にあり1989年現在全国で46,912か所あり、児童遊園は厚生省の管轄で1990年現在全国に4,150か所ある。この他、近隣公園、総合公園などの中に設けられた児童の遊び場があり、また地方自治体独自で民有地などを借り上げて設置した遊び場もある。児童公園・児童遊園についてはまずその絶対的な面積が少ないということが指摘できる。欧米の都市公園と比べるまでもなく、都市計画法に定められた基準面積もまだ達成していない。幼児にとっては大きな道路を横切らずに半径250メートル以内に遊び場があることが望ましいし、小学生であればボール遊びができる広さが必要である。都市部では地価が高く用地確保が困難な状況にあるが、都市部であればあるほどそのニーズは大きいので遊び場の確保は最優先で考えるべきである。

 次に質の問題であるが児童公園(遊園)を回って気付くことがいくつかある。まず、その遊具が画一的であることである。多くの児童遊園は空き地にぶらんこ、すべりだい、砂場の3点セットが置いてあるというものである。単にワンパターンであるというだけでなく、その形状や色まで似通っていて魅力に乏しい。第二に、幼児や小学校低学年のために設けられている児童遊園はしかたないとしても、児童公園でも中・高学年の小学生にとっては狭すぎかつ禁止事項が多いということである。ボール遊びを禁じられては中・高学年の子どもは遊びに来ないであろう。最後に、農村部に児童公園が少ないことである。農村部は農地の開発、自動車の増加により都会以上に子どもの遊び環境が悪化しつつある。大人たちはのびのびと山野で遊んだ経験があるだけにそのことに気付かないでいることが多い。

 せっかくの遊具も子どもが利用してないのでは宝のもちぐされである。子どもたちがどのような遊具を喜ぶのか、どのような公園を望んでいるのかを知る必要がある。子どもの遊びが発展するするような遊具や公園のデザインがもとめられる。例えば、平坦な土地よりも小山やシンボル的な遊具で高低がある方が子どもの遊びを触発するし、新しい遊びが発展する。同じ遊具では子どもは飽きてしまうので、5〜10年に一度は公園を見直しモデルチェンジさせるという視点が大切である。公園は固定的なものではなく、変化し進化すべきものである。公園を子どもと大人とが一緒になって点検し創造的で楽しいものにしていきたい。

 

児童館

 児童館は児童福祉法(1947年公布)第40条に規定される児童厚生施設のひとつである。1963年に児童館の建設、運営に国庫補助が開始されるようになってから児童館の数は増加した。63年に202館であった児童館は、70年に1,600館、81年に3,000館となり、1993年現在3,935館が全国に存在している。とりわけ、美濃部都政時代に東京都では多くの児童館が建設され563館を数えている(1993年現在)。ただし児童館の目的や機能は多様であり、東京のように都市環境の悪化に伴う児童の健全育成施設として建設されたところもあれば、保育園や幼稚園に代わる施設として期待されたり、学童保育を専らの役割とするところ、同和対策事業の一環で設置されたものなどがある。

 児童館は基本的には遊戯室、軽スポーツ室、図書室などを備えており、大型のものになるとこの他劇場、屋内プール、科学資料室などを付設している。児童館には児童厚生員と呼ばれる専門職員を配置することになっている。子どもたちの日常生活圏にある施設で専門職員を具えた施設としては児童館は欠かせない施設である。問題は行政改革で肝心の専門職員を削減、廃止してしまうケースや、専門でない一般職の公務員がこれに当たるケースがあることである。

 専門職のいない児童館は「屋根付きの児童公園」ともいうべきもので、児童公園と同じ問題を抱える。すなわち開設された当初はもの珍しさもあって子どもが集まるが、すぐに飽きられてしまいそのうち足が遠のく。専門職員が努力している児童館では、行事などを通して子どもたちの利用が増え、常時子どもが遊びに来るようになる。子どものニーズに応じて遊具を代えたり、行事を新しく企画したり、児童館のデザインを変更することも可能となる。子どもたちの変化に対応して児童館もまた変化し進化しなければならない。

 

地域環境を点検しよう

 子どもの遊び施設として児童公園・遊園と児童館を取り上げたが、子どもたちは実際には地域のさまざまな場所で遊んでいる。子どもの遊び環境を考えるためにはこれら中核的な施設だけでなく、路地や空地を含めて子どもが遊べる空間全体を見直す必要がある。原っぱや雑木林がほぼ永続的に確保される地域であれば児童公園をあえて増設する必要はないであろうし、高層の住宅団地であれば団地の敷地内に子どものための空間を用意する必要がある。そこで学校五日制時代を迎えて、地域の子どもの遊び環境を豊かにするために子どものため地域環境の点検運動を提唱したい。ここでは小学校区を想定し、PTA、子ども会、地域のボランティアたちが1年間でできることを想定している。住民参加による子ども遊び環境調査には次のような方法がある。(4)

@ 地域の子ども施設の調査

 児童公園(遊園)、児童館、図書館、学校の校庭など今存在する子どものたちの施設を回り、それがどのように使われているかを点検する。職員がいる場合は職員にも聞き取りを行なう。調査項目は、利用している子どもの数・年齢・性別、遊びの種類、遊具とその利用のしかた、など。調査は平日の放課後と休日(午前と午後)に行い、できれば同じ場所に日を換えて2度訪問する。調査の結果をまとめた上で、これらの施設が今後より利用されるためにはどうしたらよいかを考える(子どもを交えて考えるのが望ましい)。

A 子どもの地域環境調査

 対象の小学校区をくまなく回り、子どもたちがどのような場所で遊んでいるかを調査する。あそび場の大きさ、構造、あそび人数、年齢、あそびの名称、方法、道具も記録する。できればその場所をスケッチし写真にとる。これらを上記の子ども施設とともに地図(1500分の1〜2500分の1)に記入していく。実際に子どもが遊んでいなくても子どもの遊び場として適当と思われる空間、今後に残したい場所なども記録する。

B 子どもの生活調査

 実際に子どもたちに遊びの場所や時間を聞く方法である。小学校区の子どもたちから小学校3〜6年を選び各学年男女20名に対して生活時間と遊びの調査を行なう。聞き取りの項目は、@普段遊ぶ場所、遊ぶ仲間(年齢、人数、性別)、遊びの内容、A調査日の前日(前々日)の放課後の生活時間、遊んだ場所、遊んだ仲間(年齢、人数、性別)、B行ってはいけない場所、禁止されている遊び、等である。調査の後地図に子どもたちが遊んでいる場所を記入する。

C 子どもに関る団体・行事調査

 子どもが参加できる団体や行事を調査する。子ども会、スポーツ団体、ボーイスカウトなどの少年少女団体、及び児童館、図書館、公民館などで実施している子どものための映画、演劇、お祭りなどをリストアップする。@とともに行なうと効果的である。

 

提言と行動を

 以上の調査により子どもの生活実態と地域環境がつかめるはずである。これらすべてを一度に行なうことは難しいのでできるところから手をつける。調査の過程で子どもの地域環境をどうしていくべきかを議論したい。その結果次のような行動が可能になろう。

 @ 既存の児童公園、児童遊園の改造。いかにしたらより子どもたちのニーズに会った公園づくりができるか、閑古鳥が鳴いている公園はどうしたら子どもが来るようになるかを考え、行政に提案する。

 A 新しい公園、遊び場作りの運動。必要な地域に児童公園・遊園を新設するよう行政に要望する。冒険遊び場など新しいタイプの公園を作る。

 B 児童館などの児童施設の新設、充実運動。児童館の建設を行政に要望していく。専門職員のいない児童館に職員を配置するよう要望する。

 C 地域の遊び空間を保存するよう提言する。児童公園・遊園だけでなく、雑木林、河川敷、原っぱなど残すべき子どものための空間(それはとりもなおさず地域住民全体の空間となる)を確定して保存のための行動を起こす。

 D 子どもが参加できる団体、行事の一覧表をつくり配布する。従来の地域行事をいかにはたら魅力あるものにできるかを考える。子どもの遊びに関る団体、人材のネットワークを作る。このネットワークは@〜Cの活動を行なう上で必ず役にたつ。

 これらの行動をおこすためのノウハウや活動事例については『ハンドブック・子どものための地域づくり』や『キッズプレース』などの本が参考になる。実際にこれらのことを行なっている地域団体は全国に数多く存在しており、IPA日本支部やプレイスクール協会はそれらの団体・人材のネットワークを行なっている。

 

第5節 青年期と地域社会

 

青年期をめぐる問題

 これまで主として児童期に焦点を当ててきたが、少し上の年齢層について考えてみよう。12〜18才の年齢層はそのほとんどが中学、高校に在学している。中学校は義務教育であり全員就学が建前であるし、高校への進学率は94〜5%で安定している。実際には中学校では不登校が大きな問題となっており、高校に進学しても退学したり登校しないケースは無視できぬ程大きい。日本の中・高校に特徴的なのは、受験を控えて学業の面で学校のプレッシャーが強いだけでなく、クラブ・部活動を通して文化・スポーツ・余暇活動の面でも学校に大きく依存しているということである。地域には彼らの居場所が全くなく、地域のたむろしていること自体が「非行の温床」という目で見られる。その結果、学業や学校生活になじめないものはどこにも行き場がないということになる。

 中・高校生を引きつけている地域施設の事例が全くないわけではない。東京・墨田区にある桜橋コミュニティセンターの利用者の2割強は中高生である。中学生たちはコミュニティクラブに登録し、学校の帰りや塾の合間などに来て友人や職員としゃべっている。月一回の定例会、センターでの1泊の合宿や体験学習キャンプに人気がある。高校生活動の目玉は防音設備を整えている音楽室である。50を超えるバンドが登録し毎日のように練習に来ている。年3回センターでコンサートを開く。京都市が設置したユース・サービスセンターでも防音の音楽室が地域の青年グループに利用されていて、ほとんど空いていることがないという。

 東京・豊島区の東京小中学生センターではその名のとおり中学生の利用を促進している。やはり日常的に中学生がロビーなどを利用している。特にオーディオ・ビデオルームに人気があり、中学生らがヘッドホンで音楽を聞いたり、ビデオを見ている。このように中学生や高校生のニーズに合った設備、備品があり、かつ専門職員の適切な関りがあるところには中・高校生も集まってくる。児童館同様専門職員の努力は欠かせない。

 

ユースセンター

 ここで青年期に対する支援という点では一日の長があるイギリスでは1960年以降民間団体と政府との協力によりユースサービス施策が進んだ。英国で12〜18才の年齢的に最も難しい時期の青少年事業が進んだ背景には、16才の義務教育年限を終えると学校をも親許をも離れる青年が多いこと、歴史的にYMCAなどの青少年団体活動が盛んであること、失業、麻薬など青年問題が日本よりも深刻であることなどの理由による。

 ユースサービス施策の中心はユースセンターである。日本の青年館、青年の家、勤労青少年ホームなどがこれに相当する。ユースセンターは中学校区に一つ程度建てられ、談話コーナー、ホール、軽スポーツ室、喫茶コーナー等を備えている。一人以上の常勤ユースリーダーと複数の非常勤ないしはボランティアのリーダーが青少年のケアをしている。

 日本の中学校、高校生たちはどこにいるのであろうか。青少年の健全育成の会議などに出ると、青少年の溜り場マップを渡されることがある。学校の前、コンビニストアや自動販売機コーナー、スーパーの屋上、公園の片隅、高層アパートの中庭等々。彼らがそれらの場所に集まるのはそれなりの理由がある。これらの場所に青少年が集るので地域で監視せよというわけだが、それではそこから追いだされた彼らは一体どこへ行けばよいのだろうか。地域の中で中高校生がたまれる場−ユースセンター、ユースコーナー、ユーススペースをむしろ積極的に作り、青年の話し相手、相談相手になれるリーダーたちを養成して配置していくべきではなかろうか。普段から青年たちに関るリーダーの存在により、学校に行くことができない中高校生、すなわち不登校という現象や一時期問題になった無職少年の問題にも有効な手だてが打ちだされると思われる。

 

青少年の遊ぶ権利

 1979年に国連で採択された「子どもの権利条約」の第31条に次のような条文がある。「締約国は、児童が休息し、余暇をもつ権利、年齢に適した遊び及び娯楽活動を行う権利並びに文化的生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。」続いて第2項で締約国は児童のこれらの権利を尊重し促進し、適切かつ平等な機会を提供すべきことが唄われている。子どもの基本的な権利のひとつとして遊ぶ権利を認めた点で画期的なものである。しかし子どもの権利は大人がそれを代弁しない限り、無視されたり後回しにされてしまう。子どもの小さな声に耳を傾けこれを保障するのが大人たちの責任である。

 「子どもは遊びの天才である」といわれている。このことをもって何も大人が子どもの遊びを保障する必要はない、という主張がまかりとおってきた。しかしエジソンでも毎日残業に追われ自分の部屋もないほど狭い家に住んでいたならば、電球や電話を発明することはできなかったろう。今の子どもたちはその天才ぶりを発揮するための時間も空間も失いつつある。遊びを発明するのは子ども自身であっても、そのための空間と時間を護るのは大人の責任である。幼児期、児童期、青年期をとおして青少年が地域においてゆとりをもって生活できる空間を私たちはどう創造していけるか真剣に考えねばならない。


注と参考文献

[注] 

(1) 酒匂一雄編『地域の子どもと学校外教育』東洋館出版社、1976年。

(2) 学校教育と社会教育の再編について議論しているのは以下の書物である。小川利夫、土井洋一編『教育と福祉の論理』一粒社、1978年。坂本昇一、湯上二郎編『学校と地域の青少年指導』教育開発研究所、1978年。永井憲一編『学校教育と社会教育の結合』頚草書房、1979年、吉田昇編『学校外教育』亜紀書房、1979年。酒匂一雄編、前掲書。 

(3) 『地域の教育力に関する実態調査』岡山県教育庁社会教育課、1978年。及びNHK世論調査部編『いま、小学生の世界は−続・日本の子どもたち』日本放送出版協会、1985年。

(4) @〜Bの調査については仙田満『こどものあそび環境』(筑摩書房)303〜308頁を参考にした。ホームページ・住民参加による子ども遊び環境調査を参照されたい。

 

[参考文献]

(1) 佐藤三郎『生涯学習時代の学校教育−共通の基礎・基本とは何か』東信堂、1991。

(2) 吉田昇編『学校外教育論』亜紀書房、1979年。

(3) 仙田満『こどものあそび環境』筑摩書房、1974年。仙田満『子どもとあそび』岩波書店、1992年。

(4) 山本清洋編『大都市のこどもたち』日本評論社、1992年。

(5) 増山均『子ども研究と社会教育』青木書店、1989年。

(6)『みんなで公園いきいき』財団法人公園緑地管理財団(03-3431-4865)、1987年。

(7) 日本住宅会議・関東会議編『キッズプレース』萌文社、1990年。

(8) あしたの日本を創る協会編『ハンドブック子どものための地域づくり』晶文社、1989年。

(9) 小笠原浩方編『君もプレイリーダー!』一光社、1988年。

(10) 田中治彦『学校外教育論[補訂版]』学陽書房、1991年。


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