2014年度立教大学英米文学会
「歴史と文学――歴史小説についての一考察」
佐々木 徹先生(京都大学教授)略歴>>
  日時:2014年12月20日(土)
  場所:立教大学池袋キャンパス 太刀川記念館3階 多目的ホール
  時間:16:30~18:00
  当日その他プログラム:
        
【研究発表】










【講演】
13:10~13:50 熊谷 めぐみ
(本学大学院博士課程後期課程在学)
SakiのThe Chronicles of Clovisにおける田舎と都会の表象
14:00~14:40 朝倉 さやか
(本学大学院博士課程後期課程在学)
Robert Frostにおける男らしさと女性たち――New Hampshireを中心に
14:50~15:30 小笠原 清香
(本学大学院博士課程後期課程在学)
強意副詞の脱語彙化と再語彙化:強意から迅速への展開
15:40~16:20 山本 洋平
(明治大学専任講師)
不透明な眼球――「バートルビー」と不服従の詩学
 

 今年度の立教英米文学会では、京都大学教授で、日本英文学会会長でもいらっしゃる佐々木徹先生による、「歴史と文学――歴史小説についての一考察」と題されたご講演が行われました。歴史小説の定義は何か。何年遡ったら歴史小説と認定されるのか。歴史小説はいまやキャノンには入らないB級小説と化したのか。歴史小説において事実と虚構の境目を気にする必要はあるのか。このような、非常に興味深く、しかし立ち向かうには思わず怯んでしまうような難解な問いに対して、先生は、ヒラリー・マンテルの『ウルフ・ホール』とゴア・ヴィダルの『リンカーン』の二つの歴史小説を例にとり、さらに数々の引用を用いられながら、鋭いご考察にユーモアを交えてお話しされました。
 歴史小説において、先生が重要視されたのは、フォームの美しさ、中でも、歴史小説の作者や、伝記作者、またそれらの作品の批評家が、思わず用いてしまう、あるいは見出してしまう、ポエティック・ロジック、詩的論理の存在です。歴史小説においては、歴史的事実とは別に、小説家はその対象にポエティック・ロジックを作用させてなんらかのフォームを作り出したいという欲求が働くのではないか、と先生は読み解かれ、特にヴィダルの『リンカーン』では、リンカーンの人生に見られるフォームをうまく生かしていると、独特の「韻を踏む」という表現を多用されながら、お話しになりました。
 歴史小説と歴史との関係は、映画などのアダプテーションと原作の関係に似ているというご指摘は非常に興味深く、またご講演を通じて、先生が「脱線」とおっしゃったお話やご指摘の数々は、その一つ一つが刺激的で鋭い示唆に満ち、聴衆を圧倒しました。
 ミューズの話で始まり、ミューズの話で終わるご講演は、フォームの美しさを求めると先生がおっしゃる通り、始めと終わりで韻を踏んでいましたが、同時に、冒頭で現在の文学批評に対しておっしゃった、「批評の傾向を見ても、文学作品の言葉を味わうというよりも、作品を歴史化する、作品を取り囲む様々な言説の中に置く、というような作業がもっぱら行われている。これは嘆かわしい事態だと僕には思えます」というご指摘と、最後に引用された小説からの「自分が今まで管理してきた歴史という部門が、所詮は文学に及ばぬとの認識を彼女は得た」という一文は、韻を踏み、文学研究に携わるすべての人にとって、特に研究を志す学生にとっては、非常に含蓄のあるお言葉であり、各々が試行錯誤して考えなければならない問題だと感じました。大いなる示唆と美しいフォームに彩られたご講演は、このようにして幕を閉じられました。
2015/02/27
英米文学専攻後期課程2年 熊谷 めぐみ

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