2016年度立教大学英米文学会

文学研究と文章─アメリカ的表現を追って

亀井俊介先生
亀井 俊介先生 略歴>>
 
 
 日時:2016年12月17日(土)
  場所:立教大学池袋キャンパス 12号館 第一、第二会議室
  時間:14:30~18:00

        
研究発表




講演

14:40~15:20 熊谷 めぐみ
(本学大学院博士課程後期課程在学)
ディケンズ後期作品にみるヴィクトリア朝ロンドンとツーリズム
15:30~16:10 岡本 広毅
(立命館大学文学部准教授)
“dark phantoms in the wind” ─J.R.R.トールキンの研究業績に見る<フィロロジー>と<文学研究>の諸相
16:20~17:50 亀井俊介
(東京大学名誉教授、岐阜女子大学教授)
文学研究と文章─アメリカ的表現を追って

 今年度の立教英米文学会では亀井俊介先生に「文学研究と文章――アメリカ的表現を追って」というお題目でご講演いただきました。先生は、現在の文学の衰退に対する危惧からご講演をはじめられて、衰退を食い止めるひとつの手立てとして、文学作品を読むにあたってごく自然ともいえること、文章を楽しみ味わうことをあげられ、ご講演を通して、愛読ともいうべき文章の精読が開く文学研究の可能性をご提示くださいました。文学の由来である「文章博学」。これに回帰しようと説かれたのです。
 日本文学において、近代文学の創成期である明治時代初頭に数々の文学者が時代に即した文章を創り出すべく苦心してきたように、アメリカにおいても、アメリカンルネサンス期の作家たちは、アメリカ的な「情」の表現を追求しました。アメリカ的表現とその追求者として亀井先生が例示されたのは、Harriet Beecher StoweのUncle Tom’s CabinやJames Russel Lowell、Charles Farrar Browne(Artimas Ward)などの、いまでは文学的評価の高くない作家や作品です。彼らはそれぞれvernacularを編み出し駆使して、アメリカ的な「情」の通う生き生きとした文章を見事に創り上げています。
 Lowellが「知」ばかりが先立つのではなく「知」と「情」とが融合したときはじめて至上の文学が完成するとうたっているのと響きあうように、Mark Twainが自伝のなかで自身の作品が読み継がれるのも“preach”するだけでなく“humor”を織り交ぜたからだと述べていることをご指摘されて、先生はご講演を終えられました
 創り出したvernacularがauthenticでないという理由で批判され、もはや顧みられることの少なくなった文学者たちの文章は、しかし、同じ理由で19世紀当時においては人気を博し支持されていたはずです。そうした彼らの文章を楽しみ味わおうとされる亀井先生の試みは、文章を通じて、19世紀の人びとと彼らの「情」、さらには「情」の生み出す時代の雰囲気に直接触れ汲み取ろうとする「知」的な試みであるといえます。それはLowellやTwainなどの文学者たちが作品で目指した「知」と「情」の融合にほかなりません。「情」の通った文学研究は「知」と「情」とが融合した文学と同じようにおもしろい。先生がお示しになろうとされたこのことは、ご講演のはじめに先生が教えてくださった、文学と文章とがかつては同義であったということに通じます。そして、文学/文章が先生と19世紀の人びとをつなぐように、現代の私たちをもつなぐ。それこそが「文章博学」であり、先生が文学研究の生き残る道と見定めていらっしゃるものなのだと思います。

2017/02/16
英米文学専攻後期課程5年 倉田麻里 

BACK