■立教女学院は、2012年に135年を迎えます。
今、立教女学院で学ぶとはどのような意味をもっているのでしょうか。
創立者であるC・ウイリアムズ主教は、聖公会の宣教師として来日し、日本の若者への期待と希望を胸に、ゆるぎない信仰によって立教女学校を設立したのです。その後も今日にいたるまで、戦争や震災など、数多くの試練がありましたが、学院につらなる人たちの思いと信仰に支えられてつねに、新しい時代を切り開いてきました。このことこそが、キリスト教の精神につながるものと考えています。
立教女学院では、キリスト教の愛と奉仕の精神を建学の理念として、自己実現とともに、他者や社会に仕え、人間形成を図ることを大切に守り続けてきました。様々な状況に即応し、自ら判断できる知的な能力と感性の陶冶ということを各学校では教育の中核に置いています。このことは具体的な授業などを通してばかりでなく、教育的な環境としても保たれているのです。
学院での一日は、礼拝から始まります。気づかないで通り過ぎてしまうような片隅にも四季折々の花が顔をのぞかせているキャンパスのたたずまいや、足を踏み入れるだけで粛然とした時間の流れを感じる聖マーガレット礼拝堂そして荘厳なパイプオルガンの調べなど・・・長い歴史に育まれた空間からも、私たちは大いなるものの存在を感じる時を共有してきました。
昨年3月に起きた東日本大震災以降、生きていることそのものが奇跡のように感じることが多々ありました。「豊かさ」の定義がくずれ、目標の持ちにくい時代であるともいわれています。そしてこのような時であるからこそ、小さく有限の存在である私たちひとりひとりの生き方が問われ、Be there (共にあること)が求められています。
まず、生きていることの喜びを精一杯受け止めて生きることが、私たちに課せられた使命のように感じます。自らに与えられたタラントに気づくこと、いのちを大切に、他者の喜びや悲しみに謙虚に耳をかたむけること、新しい日本の社会をつくる次世代の人たちに、伝えていきたいと思っています。
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