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日本教育史のすすめ

前田一男

 

  なぜ日本教育史だったのか

  教育史といっても,日本だけでなく西洋もあれば東洋もあり,研究する側の問題意識の持ち ようによって,日本といっても古代からはじまって近現代に至るまで専攻領域は多種多様にあります。いやその前に、教育哲学、教育心理学、教育行政学、教育 社会学、社会教育学といった学問領域もたくさんあります。そのようななかで,ぼくがなぜ日本教育史の,それも以下に紹介するような,ある時期の教育を中心 に研究するようになったのか,改めて振り返ってみました。

 それはどうも3年生のゼミの選択が分岐点で あったように思います。

 2年生の終わり頃,3年生になったらどのゼミに入ろ うか迷いました。上田薫先生のゼミにしろ,浜田陽太郎先生のゼミにしろ,あるいは室俊司先生のゼミにしろ,どれも魅力的なゼミに思えたからです。今のみな さんには聞き覚えのない先生方の名前になってしまったかも知れませんが、それぞれの先生方は、素晴らしい先生方だったのです。3年生になるというのは,その先 生方にゼミという場で直接一緒に学ぶことができる機会です。ですからそれまでの学年と違った緊張感がありました。それだけに『履修要項』に載っている演習 の説明だけでは,どのゼミを選んでよいかわからないということで,自分たちが作っていた同人誌『文J春秋』の特別企画に「演習に向かって」という特集を企 画し,先生方に来年度のゼミの内容や運営方法などを,できるだけ詳しく書いていただきました。つい6,7年前までは履修要項の講義内容 は、せいぜい34行の説明しかなかったのです(この冊子『教育春秋』のルーツです)。

 そのなかで,次の一文がぼくを 強く刺激しました。それは「戦時下の教育」というテーマを掲げた寺崎昌男先生の演習でした。「かって小学生だった私を,またちょうど君達の父上や母上をま きこんだ,あの戦時下の教育とは何だったか,ということを,少し腰をすえて洗い直してみようと思う。2年くらいはそのテーマを継続するかも知れない。戦時下の教育理念は何だったか,教師や子 どもたちは何を考えていたのか,教育制度はどう変わったか,大学はどう変わったか,教科書は? 問題は無限にある。なるべく資料をよみ合い『はたして戦時 中,日本人は愚昧であったのか』という問題を考えてゆきたいのである。『戦争』と『人間』と『教育』との深くおぞましい関係を追及したい,というのが私の 願いである」(『文J春秋』14号所収 1977年1月)という内容でした。

 戦争というある種異常な時代に 生きた人間が,子どもも大人も,男性も女性も,教師も親も,いったいどのようなことを価値あることと考えていたのか,そのなかで教育という営みの実際は,学校で教室でどのようなものであったのか,そのことは今日からいか に評価できるのか。批判されるべき「深くおぞましい関係」という非教育的なありようのなかに,逆説的にあるべき教育の姿が見えるのではないか,そのような 気持ちで演習を選択したように思います。ここに「私」という名前で登場されている恩師の寺崎先生は、ご自分の受けた教育を対象化し研究してみなければ,近 代日本の教育史の何たるかはわからない,もっといえばご自分の受けてきた教育をご自身の眼でつきつめたい,そのような並々なる意欲をもっていらっしゃった ように思います。

 この説明に刺激を受けたのはた しかなのですが,それはあくまで戦争の時代に生きた人間や教育についての関心であって,それがそのまま教育史研究を決意したことにはなりませんでした。し かしそれが,卒業論文で,戦時下の教育理念を確立したと評価される文部大臣の諮問機関,教学刷新評議会(1935年設置)に取り組み,そ の結果もう少し勉強してみたくなり,大学院の修士論文で,国民精神文化研究所(現在の国立教育政策研究所の前身)を具体的な研究対象にすえました。さらに この時期の教育実践にも関心を広げることになり,博士論文予備論文では,大正自由教育・皇国民錬成教育・戦後民主教育と3つの時期にそれぞれオピニオン・ リーダーであった千葉県のひとりの教師(鈴木源輔)とある学校(東金国民学校)の足跡をあとづけ,そこに内在する日本の教育や教師の問題性を検討しようと しました。このようなことから,だんだんと教育史の領域の深みにはまっていき,研究を続けるようになっていった,というのが正直なところです。

 たまたま関心のあるテーマとそ れを指導してくださる先生に恵まれ,非常に狭い領域から出発したぼくですから,学生諸君には日本教育史が面白いからぜひとも勉強してくださいと勧める自信 はまったくありません。また,よい教師になるためにはどうしても教育史を学んでおかなければならないということもないでしょう。もしぼくの事例に参考にな る点があるとすれば,教育哲学,教育社会学,教育心理学,あるいは社会教育といった専門領域を最初に選ぶのではなく,自分の課題意識なり問題関心なりが勉 強の出発点になっていた,ということだけかも知れません。

 

  「戦時下の教育」ということ

 教育史学会の時,発表者である ぼくは,フロアから「なぜあなたはこの課題を発表なさったのですか」という素朴な,しかし本質的な質問を受けました。大学院生の世間知らずとでも言うので しょうか,「この課題がとても面白かったからです」という答えをしてしまい,周囲の顰蹙をかったことがあります。このような答えは学会では答えとして認め られません。面白いから発表をしているのは当然であって,その面白さの中味を説明しなければならなかったのです。具体的に言えば,先行研究とのかかわりで 今回の研究発表が,従来の解釈をどのように批判し,いかなる新しい知見を提起するものであるのか,あるいは従来研究されていなかった分野にどんな地平を開 拓しようとしているのかといった内容を,はっきりと答弁すべきであったのです。「面白いから」という答え方は,ほとんど答えになっていませんでした。この ような学会発表での失態を経験しながら,ぼくが対象としようとしている戦時下の教育が,学界でも本格的に研究が進められなければならない領域だということ が徐々にわかってきました。

 やや専門的な話になるのです が,日本教育史は,この戦時下をはさんだ両時期について,つまり大正自由教育の時代と戦後教育改革期の時代とについて,一定の蓄積をもっています。大正自 由教育と総称して呼ばれる時代は,ぼくのもうひとりの恩師,中野光先生が大きな業績を残された領域です。明治以降,「近代学校」の定着とともに硬い定型化 に陥った教授実践を,児童の個性や自発性を尊重する子ども中心主義の考え方に立って,おもに教育方法のレベルでさまざまに改造が加えられた時代です。一 方,戦後改革期の教育は,戦争に加担した超国家主義教育の反省に立って,民主的な教育的価値が教育基本法に具現され,学校体系も戦前の複線型から教育の機 会が保障される単線型の六・三・三制へと変わり,社会科という新しい教科が生まれ,地域に根ざすカリキュラム運動が研究者と現場教師との共同によってつく り出された時代でした。これらの時代を研究の対象とすることは,教育史研究の意義のひとつが歴史のなか教育的な価値を確認するという「正」の遺産の発掘と 継承とに重きを置いてなされてきたという事情によっている,といってよいでしょう。

 しかし,その間に位置する1930年代以降敗戦までの教育 については,生活綴方教育や天皇制公教育に抵抗した教育に意識的に焦点があてられてきたものの(これも「正」の遺産発掘と継承の視点から研究されていたも のですが),研究に空白のある状態が続いていました。空白であったことにはいろいろな事情が考えられるのですが,まずは反省が先に立って時間的にも歴史対 象とはなりきれていませんでした。しかしここ20年くらいの間に,この時期の研究も本格的に意識されるようになってきました。明治以降の 近代日本の教育がたどってきたひとつの総決算が,この時期に集約されているとすれば,その総決算の内実を明らかにしなければ,近代日本教育史の全体像が描 かれないのではないか,と考えられるようになったのです。このように考える研究者が次第に増えてきて,ここ10数年で,植民地教育にも関心 が広がり,戦時下の教育については,相当に研究が進められるようになってきました。

 さらに最近になって、戦時期を めぐって、いろいろと歴史論争が繰り広げられています。

 注目を浴びたのは,「従軍慰安 婦」「南京大虐殺」あるいは日本の植民地支配の問題を自国の歴史を貶める「自虐史観」だと批判した自由主義史観が1990年代後半から登場してき たことでしょう。新しい歴史教科書をつくる会を結成して,健 康なナショナリズム」を主張し,日本人が受け継ぐべき文化と伝統や日本人としての誇りを観点にして教科書を作りました。2001年には,扶桑社版のこの 教科書の採択をマスコミが大きく報道したことは記憶に新しいところです。

 あるいは,戦前と戦後を連続的 にみようとする新たな見方をとる立場もあらわれてきました。現代社会の特質は、従来の階級社会ではなくシステム社会から導き出せるものである,そのシステ ム社会の出発はいつ頃かといえば1940年代の総力戦体制(大政翼賛運動や国民学校)においてであって,具体的には雇用形態(労 資協調・年功序列制・終身雇用制)や教育形態(中央集権的官僚主義と効率主義・画一的平等主義と集団主義)の「日本型システム」は戦後社会にも連続してい くのであり,理念のレベルだけで戦前と戦後を区別してしまっては,現代社会の特質が見通せないのではないかという考え方です。

 自由主義史観は慎重なそしてよ ほどの批判的な吟味が必要です。またシステム社会論も,21世紀に入って,従来の雇用形態や教育形態は根底から揺さぶられ始めています。さらにこの ような捉え方をしてしまうと,戦争を心と体に深く刻んだ人々の生きざまが,歴史のなかに埋もれ、意識的にせよ無意識的にせよ、忘却され隠蔽されてしまうの です。

 たとえば、戦争中ではあっても 親とともに過ごしていた家庭に、国家が突如介入してきて、次の戦力を確保するために子どもだけを強制的により安全な地域に追いやった学童疎開は、自由主義 史観からは子どもの命を守ったこのうえないヒューマニズムの「物語」となるでしょうし,システム社会論のなかでは学童疎開は位置づきません。

 疎開での日々を空腹と寂寥感に 襲われて過ごしていた世代の人々、疎開に行っている間に親や兄弟姉妹が空襲で亡くなり、突如として天涯孤独の孤児にされてしまい,戦災孤児として,筆舌に 尽くしがたい苦難の戦後を生き抜かなければならなかった人々,あるいは空襲で片目や片足を失う,全身ケロイド状態になるといったひどい傷害を負ったにもか かわらず,何の国家保障もなく,むしろそれがゆえに偏見と差別の戦後を生き続けなければならなかった戦災傷害者の人々。最近,このような方々とご一緒する 機会が増え,その方々が必死に伝え残そうとしていらっしゃるメッセージに接するたびに,「戦前」に何があったのか,「戦争」の何を記憶していかなければな らないのか,「戦後」という時代がそのことにどう向き合ってきたのかを、改めて考えさせられることになりました。そのような人々(といってもかなりの老齢 になってこられました)は、マイノリティの市民であって、政治的な勢力もつくれなければ、マスコミの目にとまることも少ないのです。しかし、その小さな声 のなかに、国民国家にとっての、また人間社会にとっての、見過ごしてはならない大切な問題があると確信するようになりました。世の中の経済繁栄の喧噪にか き消されそうになりながら、また福祉社会のなかにあっても自分たちには光が当てられないなかで,やっと口をついて出てくる切々たる静かな言葉のなかに、真 実の重さが直感できるのです。その直感は、今この時代に生きている自分という存在を、歴史に連なる回路に自然とつなげてくれる不思議な力を持っています。

 人間の歴史は,誤解を恐れずに いえば,弱い人間たちの織りなす誤謬の歴史です。その誤謬の誤謬たる所以を明らかにしていくこと,この時期の教育史に即していえば,「正」の遺産として引 き継ぐべき自由教育の時代が,なぜ戦争の時代の教育へと展開していかざるを得なかったのか,そしてそれはどのような課題を戦後に残しているのか、この問題 こそが解き明かされなければなりません。われわれの人生においても,成功した経験よりは,失敗や挫折の方により多くを学んで今の自分がある,と考える方が 自然なように,「負」の遺産を「負」の遺産として受け止め継承していくこと,ここにも教育史研究の意義が認められるべきでしょう。これらの問題がぼくの当 面の研究課題であり、もう少しこだわって考えていこうと思っています。

 この戦争にまつわるテーマを反 映した授業という点では,むしろ文学部共通科目と近代教育史の講義科目とのなかで扱ってきました。ゼミでは,どちらかといえば戦後の高度経済成長期,ある いは教育改革や教師の歴史を中心にしてきましたが,将来時期を見て再びこのテーマに「里帰り」できればと思っています。

 

  「方法」としての教育史

 これまでは,個別の狭い領域を 述べてきましたが なぜ教育史を学ぶのか,といった,もっと 一般的な問いかけがされることでしょう。

 教育史の目的については,ある 人は,教育的な価値がどのように自覚され,いかに発展させられてきたのかを歴史のなかに確認し跡づけていくことだとしました。ある人は,その時代,その時 期の学校体系に代表される教育がどのような構造で成り立っているのかを明らかにすることだとしました。また,ある人は,偉大な教育(思想)家の足跡を追う ことで,その人物の改革への努力や教育精神の把握を継承することが大切な仕事だと考えました。さらに,歴史のなかに人間形成の論理を批判的に検討していく ことが教育史の目的なのだという人もいます。また最近では,教育的な価値の問題をいったん離れて,大人と子ども,教師と子どもといった関係史を歴史にたど ることで,近代という時代のなかで子どもや学校に付与された意味を再検討しようという見方もされるようになってきました。(「子ども」という概念は近代の 産物であり,それを収容する学校は監獄と同じルーツを持っており,近代社会の学校は,軍隊・工場・病院と同じ機能を果たしてきたのだ,という解釈です。)

 このように考えると,歴史を学 ぶということは,過去の事実を覚えるということよりも,歴史的に考えるという見方や態度を養っていくことだといえるでしょう。人は,今生きている時代は, そのなかにはまっていると,なかなか見えにくいものです。自分たちがどのような時代に生きているのか,感覚的にはわかっていそうで,そのじつ深刻になって いる問題がどこから来てどこに向かおうとしているのかを問うてみると,なかなかその処方菱は見えてきません。その時代に生きているだけでは見えてこない問 題構造の脈絡を過去にさかのぼって浮き上がらせ,関連づけて意識化すること,それが歴史的に考えるということの意味でしょう。そこで新たな発見に巡りあう と、物事の見え方、捉え方が変わり、新しい自分になったような錯覚に陥ります。歴史を学ぶことの楽しさです。

 そのように歴史的に考えるたる めには,そのための「方法」が必要となってきます。「方法」とは何なのか。それは,何を問題にするかという問題意識を,どう料理していくのか,まな板に のった食べたい魚(問題意識)を,どんな包丁(方法)でさばくのか,という例に似ているかも知れません。それぞれの魚にあったさばき方があるはずで,その ためにどんな包丁を使うのか,ということです。たとえば,不登校や自閉症児への対応という,すぐれて今日的な問題を歴史的な方法で解こうとしても,解決へ のタイムリーな見通しが浮き上がってくるとは思われません。やはり臨床心理学や教育相談の分野からのアプローチが有効でしょう。一方,教師の持っている 「教師らしさ」といった身体化された文化が,今の子どもたちに受け入れられなくなっているとすれば,その教師文化・教員文化の歴史をたどっていくことは, 学級(授業)崩壊といった今日的な問題を解釈するうえでひとつの有効な方法となるでしょう(この問題は,教師の力量形成の研究とかかわって,ぼくのもうひ とつの研究課題です)。

 「方法」とは,歴史に限ったことではありませんが,ぼく流にいえば,自分自身の独断と偏 見とをそいでいく科学的手続き,とでもいえるでしょうか。観念で物を言うのではなく,あくまでも実証された事実が求められます。歴史を学ぶ厳しさです。歴 史で重視される「方法」は,歴史的根拠となる事実(資料)の収集です。ただ事実を収集したからといって歴史が構成されるわけではありませんから,史実の取 捨選択が必要となります。取捨選択には,先ほど述べたような史観や立場の問題が含まれています。自分の解釈に有利な史実だけを集めても歴史になりません し,かといって少ない史実で物を言うことには慎重でなければなりません。

 ですから,できるだけたくさん の史実を集めようとするのですが,そのことが考証のためにのみ史実を収集するといった自己目的化した態度となってしまうことがあります。気づいてみると, 最初の問題意識からはずれ,何のために調べているのか分からなくなっているのです。これは教育を歴史的に考えるという態度とは相容れないでしょう。調べる こと,資料を集めることは実に楽しいのですが,逆にそこに歴史を学ぶ危うさがあるのです。そのような危うさがあるとはいえ,いやそのような危うさがあるか らこそ,史実を構成することになる史資料の発掘と収集,その整理と資料集の編集とは,地味なのですがとても大切な仕事だと自覚しています。

 教育そのものへの認識や洞察を 深めることと,そのための歴史的根拠となる資料の収集とがつなげられないかぎり,「方法」としての教育史は成り立ちません。歴史のなかにみずみずしい感性 をもった「問いかけ」をもって飛び込み,そのなかで豊かな想像力を駆使して,当時の教師や子ども,官僚や学者と存分に議論する,まずはそこから出発するの でしょう。その想像力を伴った作業からできあがってくる教育の歴史のシナリオは、なかなかに刺激的です。

 

4 おわりに

 入門風の上手な概説を述べられ ればよかったのですが,堅苦しい話が過ぎました。これを読んで逆にやめておこうと思った学生諸君の方が多かったかも知れません。教育学は実践の学だし、あ えて歴史に学ばなくてもよいのだと、はなから考えている人も多いに違いありません。そもそも多くの読者がいなかったなかで、ここまで読み進めてくれた学生 諸君には感謝しなければなりません。

 ただ、歴史研究は,はまりま す。ある授業で試みていることですが,小学校であれ,中学校であれ,高校であれ,自分の母校の歴史を調べてもらいます。関心を持って学生も多くいるところ をみれば,その作業のなかで培われてくる歴史認識が,母校の歴史を通して社会と学校と自分自身とを繋いでいってくれるからなのではないだろうかと考えてい ます。それは,飛躍するかもしれませんが,どこかアイデンティティ形成に繋がる側面を持っているのでしょう。情報化社会のなかで,「私」を窓口にする歴史 情報とその連鎖とは,過去から現在へと橋渡しをしてくれる社会認識と自己確認のための情報でもあるのです。

 しかし,学生諸君にはまずもっ て,教育というものを柔軟にとらえ,人間というものを深くしなやかに理解する力を蓄えていってほしいと願っています。そして自分の抱えている「面白い」問 題が,歴史的に考えることで一層みえてくるのではないかと思ったら,一度訪ねてみて下さい。できる限りお手伝いできることを楽しみにしています。そのよう な共同作業が、ぼくが次回「日本教育史のすすめ」を改訂する時の、このうえない財産になっていくと思うからです。