本と映画の話

はじめに

  私は趣味や特技と呼べそうなものが何ひとつありません。スポーツや自動車やアルコールや賭け事など、世の男性が好きそうなものにも昔からいっさい関心がなく、ネコたちにおなかや背中に乗られながら、寝転がって本を読んでいられれば満足です。外出は嫌いですし、人と会って話をするというのも、どちらかというと苦手です。
  読書の習慣は、中学3年生のときに岩波文庫の★1つのもの(当時50円でした)を買い集めるころからついたような気がします。高校時代以来濫読していますが、もう年間で100冊を越えることはなくなったものの、100冊近くは読んでいます。

と、書いてから10年近く経ちました。いまや私の読書量は年に50冊が限度となり、アカデミックな本からはすっかり遠ざかっていてお恥ずかしいかぎりです。でもまあ10年ひと区切りということで、本ではなくて映画の総括をすることにしました。(この項は2010年1月記)


10年目の洋画総括

私の過去55年の生涯における洋画ベスト15は以下のとおりです。(順位はなく、製作年代順に並べてあります。)
1.オーソン・ウェルズ、「市民ケーン」、1941
2.フェデリコ・フェリーニ、「道」、1954
3.サタジット・レイ、「大地のうた」、1955
4.ジャン・リュク=ゴダール、「軽蔑」、1963
5.ジャック・ドミー、「シェルブールの雨傘」、1964
6.ノーマン・ジュイスン、「ジーザズ・クライスト・スーパースター」、1973
7.ブライアン・デ・パルマ、「ファントム・オブ・パラダイス」、1974
8.エルマンノ・オルミ、「木靴の木」、1978
9.ウディ・アレン、「マンハッタン」、1979
10.ヴィクトル・エリセ、「エル・スール」、1982
11.ジム・ジャームッシュ、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、1984
12.ラッセ・ハルストレム、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」、1985
13.フィリップ・カウフマン、「存在の耐えられない軽さ」、1988
14.テオ・アンゲロプロス、「永遠と一日」、1998
15.スティーヴン・ダルドリー、「めぐりあう時間たち」、2002

と、書いたところで今このページの下までスクロールして、イシュトバーン・サボー、「メフィスト」、1981を抜かしたことに気づきました。しばらく見返していなかったせいですが、また見たらきっと入れたくなることでしょう。でもそうしたら、どれを落とせばいいのか悩みそうです。

2015年の「わが読書」

1.江戸川乱歩、『黒蜥蜴』、創元推理文庫、1993年
以前ご紹介した三島由紀夫の同名戯曲の原作です。そちらとの比較ももちろん楽しめますし、この文庫本には1932年から翌年にかけて雑誌に連載された当時の挿絵がそのまま掲載されていて、何重にも楽しめる一巻です。

2.久生十蘭、『魔都』、現代教養文庫、1976年
この異色の作家の代表作をやっと読みました。一気呵成に読みはしたものの、ゾッとする感じは、同じ作家の短編群のいくつかのほうが強いですね。絶筆の『肌色の月』(中公文庫、1975年)は、次に挙げた大岡昇平による推理小説と通ずるものがあり、映像化もされているようなので、そちらも観てみたいものです。

3.大岡昇平、『歌と死と空』、中公文庫、1974年
本年上映された塚本晋也監督・主演の「野火」に感銘を受けました。作家は復員後、『武蔵野夫人』のような風俗小説のみならず、本作のごとき推理小説にも手を染めていたのですね。この長編が傑作かどうかということより、大岡昇平という稀有な精神の振幅を思いました。といっても面白いのはもちろんで、女性歌謡曲歌手の自殺をめぐって、昭和30年代のその業界の内幕を覗き見したような気分です。

4.唐十郎、『二都物語・鉄仮面』、新潮社、1973年
新宿梁山泊による花園神社での「二都物語」公演を見て、本棚から取り出しました。1969年の『少女仮面』から1977年の『蛇姫様』あたりまでの唐の戯曲群は、比類を見ない高峰として演劇界に聳えていますね。梁山泊の水嶋カンナはいい女優さんになりました。

5.吉田ルイ子、『吉田ルイ子のアメリカ』、講談社文庫、1986年
名著『ハーレムの熱い日々』(講談社文庫、1979年)から10年後の続編レポートです。冒頭の日本人ジャーナリストとの対談は退屈ですが、半ば過ぎに収められたジャズ・ドラマーのマックス・ローチとの対談など読みごたえがありました。
 
6.岡上淑子、『はるかな旅』、河出書房新社、2015年
このシュルレアリストは、恵比寿の写真美術館で作品を観てから気になっていましたが、ついに作品集が刊行されました。フォト・コラージュに関心のある人は絶対手に取るべきでしょう。文章も尋常ではなく、これはもう唐十郎を先取りしています。夢を抉るは錆た指、/月を裂こうと夜に挑むのですか/星が震えています。/お嬢さん

7.ウラジミール・ナボコフ(若島正訳)、『ロリータ』、新潮文庫、2006年
この新訳を大江健三郎が帯で絶賛していたので読みましたが、大久保康雄の旧訳が好きな人も多いようですね。ストーリィはあえて記すまでもないでしょうが、ロシア人作家だったナボコフが、米国亡命ののちに英語でこれだけの作品を残したことは本当にすごいと思います。それに比べると、老いてからの亡命だったソルジェニツィンは気の毒でしたね。

8.アルベルト・モラヴィア(大久保昭男訳)、『金曜日の別荘』、文藝春秋、1992年
B.B.主演でゴダールが映画化している『軽蔑』や、ベルトルッチが映画化している『孤独な青年』(原題は『順応主義者』で、映画の邦題は「暗殺の森」)を私はこよなく愛していますが、モラヴィア晩年のこの短編集を手に取ったのは、ある驚くべきエピソードを知ったからです。モラヴィアの最初の妻は、エルサ・モランテというちょっと新感覚派とでも呼びたくなるような独特の優れた作家(代表作は『アンダルシアの肩かけ』、河出書房新社、2009年)でした。そのエルサが、ある時期なんとルキノ・ヴィスコンティと愛し合っていて、やがてモラヴィアと別れていたのです。この短編集の表題作は、そのヴィスコンティと妻との情事を題材として描かれていて、かなりびっくりです。

9. アデライダ・ガルシア=モラレス(野谷文昭・熊倉靖子訳)、『エル・スール』、インスクリプト、2009年
ヴィクトル・エリセによる名作映画の原作で、当時のエリセ夫人の手に成る中編小説です。いやー、映画とは趣向がだいぶ違っていて、主人公の娘は終始父親を冷静に見つめていますし、何より映画は原作の前半部分のみの映像化なのでした。

10.スティーヴン・ジェイ・グールド(浦本昌紀・寺田鴻訳)、『ダーウィン以来』、ハヤカワ文庫、1995年
これだけ内容が豊かで読みやすい一般向けの科学入門書は稀有だと思います。

2014年の「わが読書」

1.三島由紀夫、『春の雪』、新潮文庫、1977年
私が高校の修学旅行中に自決したこの作家は、爾来何となく敬遠していたのですが、やっと『豊穣の海』4部作を通読しました。巻を追うごとに背後の唯識思想が鼻につくようで、それもあって青春小説としても読めるこの第一巻がいちばん純粋に楽しめました。

2.福永武彦、『死の島』(上・下)、新潮文庫、1976年
『忘却の河』(新潮文庫、1969年)にも惹かれましたが、広島の原爆被曝をひとつのモチーフとして、極めて方法論的に書き下ろされたこの畢生の大作に心を動かされました。複数の結末が用意されているところも、私には興味深かったです。

3.中井英夫、『人外境通信』ならびに『悪魔の骨牌』、ともに、講談社文庫、2010年
「じんがいきょう」とも「にんがいきょう」とも読むらしいこの言葉を私は知りませんでしたが、小栗虫太郎の作品名にもあるのですね。前者は、私の通った小学校のすぐ近くに今もある有名な精神病院が舞台になっています。昔、本当に火事があったようで、小学生時代には毎年薔薇の見学に行き、大学1年のときに当時の院長に取材に行ったこともあったので、切実なリアリティを感じながら読みました。

4.島尾敏雄、『死の棘』、新潮文庫、1981年
作家の不倫の代償は、ふたりの子どもたちまで苦しめ追いつめて、あまりに大き過ぎたといえるでしょう。まさに私小説の極北です。本作とは逆に不倫相手が綴った愛の軌跡も、山口果林、『安部公房とわたし』(講談社、2013年)、それから、大塚英子、『「暗室」のなかで』(河出文庫、1997年)とたまたま続けて読みました。後者の吉行淳之介がらみでは、法的な妻が書いたもの、事実上の妻(宮城まり子)が書いたもの、『暗室』の中で最初のほうに登場するもうひとりの愛人が書いたもの、と各種あります。

5.伊東聖子、『新宿物語』、三一新書、1982年
かつての新宿で、作家たちその他もろもろの百鬼が夜行していた時代のドキュメンタリーです。著者はスナックのママとして、彼ら文化人を愛し、愛されていました。名は伏されていますが、中井英夫と思しき御仁の姿など大変興味深かったです。
 
6.澤本徳美、『写真の語り部たち』、ぺりかん社、2001年
日本の写真研究者は、この著者の学生であった飯沢耕太郎以後やっと増えてきたようです。それでも、教室で学生と読みたいと思うものは多くはなく、本書は稀有な良書だと思います。

7.橋口譲二、『ベルリン物語』(上・下)、情報センター出版、1985年
2014年はベルリンの壁が倒されて四半世紀目の年でしたが、橋口さんの本作は、続編の『新・ベルリン物語』も合わせて、壁がなくなることなど夢見ることすらしなかった1981年から、崩壊後の1990年までの10年間にわたる貴重なドキュメンタリーです。写真集『自由』(角川書店、1998年)をも参照することで、「フィクサー」と呼ばれるヘロイン中毒者たちやパンクたちに対する著者の眼差しの深さがいっそう知られることでしょう。

8.カール・フォン・ヴァイツゼッカー(小杉・新垣訳)、『自由の条件とは何か 1989〜1990』、ミネルヴァ書房、2012年
橋口さんの仕事を考えるうえで最も示唆的な本でした。ヴァイツゼッカー一族には、ほかに高名な精神病理学者もいれば、大統領もいますね。著者は理論物理学者から哲学者になった人で、私はカントで卒業論文を書いたときにもお世話になりました。

9. アルジャノン・ブラックウッド(南條竹則訳)、『秘書綺譚』、光文社文庫、2012年
私はアニミズムの感覚がけっこう好きで、この作家に惹かれるのもそのせいだろうと思います。萩原朔太郎の『猫町』が、この作家の「古の妖術」から想を得ていることはよく知られていますね。

10.ミラン・クンデラ(吉永良成訳)、『可笑しい愛』、集英社文庫、2003年
クンデラの多くの作品で、私は一行目からぐいぐい引き込まれてしまいます。チェコ出身の作家が、追放されてパリでフランス語で書いても、まったくチェコ語の作品群に遜色ないというのは凄いことではないでしょうか。世界の戦後作家のなかではガルシア・マルケスに次ぐ位置にあると思いますが、いつノーベル賞を貰えるのでしょうねえ。

2013年の「わが読書」

1.ジュリアン・グリーン、『今ひとつの眠り』、角川文庫、1957年
英国と仏国ふたりのグリーンはともにカトリック作家ですが、後者のグリーンは両親が米国南部出身のフランス移住者で、その南部の血に惹かれるのかもしれません。佐分純一という慶応で仏語を教えていた著者の、『ジュリアン・グリーン』(慶應通信、1964年)という本がなんと新本で買えたのですが、地道にこつこつ研究していた人なのでしょうね。

2.佐々木基一、『私のチェーホフ』、講談社、1990年
埴谷雄高、平野謙、山室静らと戦後『近代文学』を創刊した評論家で、石川淳論はこの人のものがベストです。ちなみに山室静は北欧文学の紹介者として超人的な仕事を残し、私がヤコブセンを知ることができたのはこの人のおかげです。さてこのチェーホフ論ですが、平凡な議論も散見するものの、実際に数々の舞台に接して比較した上での戯曲論には納得させられるところも多かったです。

3.駒尺喜美、『漱石という人』、思想の科学社、1987年
以前この著者の高村光太郎論を読んで面白いと思いましたが、漱石論はさらに興味深いものがありました。鏡子悪妻論はあまたありますが、漱石が先駆的なフェミニストであったと考えると、確かに鏡子の日常も納得がいくような気がします。これを読んで『明暗』も久しぶりに読み返しました。

4.高橋昌一郎、『小林秀雄の哲学』、朝日新書、2013年
高橋さんが小林秀雄の愛読者だったとは思いもかけませんでした。小林の「哲学」が称揚されるよりは、その論理の飛躍ないし破綻が明快に指摘されているわけですが、それでも著者の小林への愛が伝わってきます。

5.田宮虎彦、『さまざまな愛のかたち』、暮しの手帖社、1985年
著者の思いが深い海外の小説や戯曲の中の愛を考察したエッセイです。カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』、サマセット・モームの『人間の絆』、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』など私にとって忘れられない作品が取り上げられていて、一気呵成に読了しました。

6.尾崎俊介、『S先生のこと』、新宿書房、2013年
2013年度の日本エッセイスト・クラブ賞受賞作で、エッセイスト・クラブ事務局の方から頂戴しました。明治大学で永年米文学を講じていた学者の厳しい半生を、その弟子といってよい現在中堅の米文学者が描き出したものです。私が教えを受けたのもS先生のような1920年代生まれの世代が中心でした。「学者」という言葉がふさわしかったのは、1930年代前半生まれの世代までだったと思います。

7.八木澤高明、『ネパールに生きる』、新泉社、2004年
2013年度の1年次演習でネパール人コミュニティのインタビューをしたのですが、事前学習のために読んだところ、大変得るところの大きな良書でした。著者は写真家ですが、ひょんなことから現地でネパール人女性と結婚したそうな。同じ著者による『黄金町マリア』(ミリオン出版、2006年)も好著でした。

8.北川登園、『寺山修司入門』、春日文庫、2009年
同じ著者の『職業・寺山修司』を改題して文庫化したものです。唐十郎には朝日新聞に扇田昭彦という比類ない理解者がいましたが、寺山には読売新聞にこの人がいたのですね。2013年度から日本の1960年代文化論を講義し始めたのですが、寺山についてのわかりやすい手ほどきを与えてくれるのはこの本だと思います。

9. 葛井欣士郎、『遺言』、河出書房新社、2008年
日本に限らず1960年代の文化を牽引したのはアンダーグラウンド文化でした。それは邦画ではATG(アート・シアター・ギルド)という組織の形で開花したわけですが、ATG作品群の興行の中心となったのが「アートシアター新宿文化」という映画館で、著者はその辣腕支配人として名を馳せていました。同じ著者による以前の著書に『アートシアター新宿文化―消えた劇場』(創隆社、1984年)がありますが、口述筆記による本書のほうが鬼気迫るものがあります。ATGに務めていた多賀祥介、『ATG編集後記』(平凡社、1995年)という本もありますが、葛井と多賀の資質はほとんど正反対に見えながら、二人とも三島由紀夫に可愛がられていたようであるところは共通しています。なお、日大芸術学部の学位論文を書籍化した、牛田あや美、『ATG映画+新宿』(D文学研究会、2007年)という研究書もあります。

10.保坂正康、『三島由紀夫と楯の会事件』、角川文庫、2001年
1960年代を考えるとき、1970年11月の三島由紀夫自決事件を外すことはできません。そう気がついて、三島自身の著書その他をまとめて読みました。本書は三島事件を真正面からとても誠実に理解しようとした良書です。ところで三島は、1960年代の最もシンボリックな大衆誌『平凡パンチ』の月刊版、『pocketパンチoh!』に連載を寄せていました。そしてその本体の週刊版のほうで気を吐いていたのが野坂昭如でしたが、野坂には『赫奕(かくやく)たる逆光』(文春文庫、1991年)という三島論があります。意外と身近なところにいたまったく異質の小説家が三島をどう見たのか…、なかなか興味津々の内容です。話は違いますが、野坂の『心中弁天島』(新潮文庫、1975年)も、その表題作を増村保造が映画化した「遊び」を、ラピュタ阿佐谷で観て面白かったので読みました。

2012年の「わが読書」

1.夏目漱石、『道草』、旺文社文庫、1967年
何年かにいちど、この作品と最初に出会った版で読み返し続けています。漱石のものでいちばん好きな、読むたびに発見のある座右の日本近代小説です。

2.室生犀星、『我が愛する詩人の伝記』、中公文庫、1997年
やはり、高村光太郎・智恵子の章がいちばん驚かされます。この詩人の日本語は独特ですね。

3.中井英夫、『虚無への供物』、講談社文庫、1974年
日本の三大奇想小説のひとつであるとともに、ミステリー小説の投票があるたび、必ずベスト3に指を折られる名作です。この作家の短篇集、『黒鳥の囁き』、大和書房、1974年も素晴らしい。三大奇想小説のあとふたつのうち、夢野久作の『ドグラ・マグラ』は若い頃読んでいますが、残ったひとつ、小栗虫太郎、『黒死館殺人事件』、河出文庫、2007年も読んでみました。

4.岩淵達治、『シュニッツラー』、清水書院、1994年
近現代ドイツ戯曲研究の泰斗であった著者も亡くなられてしまいましたね。清水書院のこのシリーズはよくないものも多いですが、本書は掛け値なしに稀有のシュニッツラー研究です。ブレヒト研究で高名であった著者らしく、耽美主義のひとことで片付けられがちなシュニッツラー作品の社会性を説いてやみません。

5.常盤とよ子、『危険な毒花』、三笠書房、1957年
日本の女性写真家草分けによる、かつての横浜赤線地帯のフォト・ルポルタージュとエッセイです。ずっと欲しかったのがやっと手に入りました。一読感無量。

6.石川文洋、『戦場カメラマン』、朝日文庫、1980年
2003年に「キャパ、ベトナム、9.11」と題したシンポジウムでお招きして以来、心に懸かっていた石川文洋さんについてやっとまとめることができました。肩の荷が下りました。

7.生井英考、『ジャングルクルーズにうってつけの日』、ちくま学芸文庫、1993年
著者は2003年のシンポジウムでシンポジストのおひとりとして他大学からお招きしたのですが、先年同僚になってしまいました。「米国にとってのベトナム戦争」を知るためには必ず読まねばならない文献です。同じ著者による、『負けた戦争の記憶』、三省堂、2006年も良書でした。

8.柳澤桂子、『いのちと放射能』、ちくま文庫、2007年
気鋭の生命科学者が、その後30年に及ぶ難病との闘いのさなかに執筆した小著です。やさしく書かれていますが、きちんと理解するには相応の努力が必要と思われ、2013年の演習クラスのテキストにすることにしました。

9. 北村雄一、『ダーウィン種の起源を読む』、化学同人、2009年
かんでふくめるように丁寧に説明されていて、良質の科学書を味わった気分になりました。

10.長谷川明、『写真を見る眼』、青弓社、1985年
第一級の写真集を輩出した朝日ソノラマの編集者の手に成る、同時代の写真家たちとその作品の優れた解説書。本書のほか、渡辺勉、『現代の写真と写真家』、朝日ソノラマ、1975年(この本の堀内誠一による装丁はとてもよいと思います)、それから、小堺昭三、『カメラマンたちの昭和史』、平凡社、1983年、というふたつのインタビュー書は面白かったです。

最後に友人の著書を1点。
11. 矢嶋直規、『ヒュームの一般的観点』、勁草書房、2012年
良心的な学術書のお手本と思いました。


2011年の「わが読書」

1. NHK「東海村臨海事故」取材班、『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』、新潮文庫、2006年
1999年9月に起こった茨城県東海村事故後の迫真の医療ドキュメント。原発容認派には必読の書ではないでしょうか。

2.砂田利一・長岡亮介・野家啓一、『数学者の哲学+哲学者の数学』、東京図書、2011年
哲学陣営の選手は必ずしも「数学の哲学」の専門家ではありませんが、ときにいい発言をしていますね。数学と哲学は古いだけでなく、根本的に個人作業であるところが似ているとか。最終章の鼎談は、東日本大震災と原発事故を受けて行われました。

3.村山俊夫、『アン・ソンギ―韓国「国民俳優」の肖像』、岩波書店、2011年
昨年出版された書籍の中でも掛け値なしに素晴らしい本で、私はうっかりアマゾンのレビューにデビューしてしまったほどです。それどころか、「ホワイトバッジ」(1992年)しか観ていなかったこの名優の、「風吹くよき日」(1980年)を観に行って、あろうことか著者のトーク・ショーにまで参加してしまいましたよ。

4.橋口譲二、『俺たち、どこにもいられない』、草思社、1980年
橋口さんには昨年度の写真家3名をお招きしてのリレー講義(他の2名は島尾伸三さんと野村佐紀子さん)のトップ・バッターをお願いしました。1970年代の独・英・米・日の若者たちの行き場のない焦燥感がすべてのショットに立ち込めています。

5.『牛腸茂雄作品集成』、共同通信社、2004年
3年前に「牛腸茂雄とR.D.レイン」という拙論を書きましたが、そのときこの写真集の存在を知っていたら内容は変わっていたかもしれません。牛腸の作品のみならず、併載されている数編の論考が貴重です。

6.辺見庸、『私とマリオ・ジャコメッリ』、日本放送出版協会、2009年
20世紀の写真家の中でも極めつけの異才について、その生い立ちと内面に深く潜行して描き出した意欲作です。著者にも強い関心をもちました。

7.川上未映子、『すべて真夜中の恋人たち』、講談社、2011年
最近の作家も知っておこうと手にとったら、あっという間に読んでしまいました。文章力のある人ですね。

8.宇野千代・中里恒子、『往復書簡』、講談社文芸文庫、2008年
いつぞや中里恒子の作品に感動して、このページにも書いたことがありました。1974年から75年にかけての書簡集ですが、当時70代半ばの宇野千代の行動力にはビックリ!

9. 『宮城まり子が選ぶ 吉行淳之介短篇集』、ポプラ社、2007年
どれもこれも秀逸ですが、特に「寝台の舟」に感心して、40年前に一読した『砂の上の植物群』を再読してしまいました。が、そちらはやはりピンと来ませんでしたねえ。

10.橋口幸子、『珈琲とエクレアと詩人』、港の人、 2011年
「荒地」の詩人・北村太郎にまつわるほのぼのしたエッセイかと思ったら、大ちがい!凄過ぎました。すぐに、ねじめ正一、『荒地の恋』、文春文庫、2010年 も読みました。


2010年の「わが読書」

1.内藤正敏、『修験道の精神宇宙』、青弓社、1991年
  ――――、『日本のミイラ信仰』、法蔵館、1999年
内藤正敏さんと石川直樹さんをお招きして、2010年11月19日にシンポジウムを開催しました。出羽三山で山伏修行まで実践された内藤さんの写真は鬼気迫りますが、それらの作品を理解するためにも、ぜひとも著作をひもどく必要があります。まったく未知の世界が、わかりやすい文章によって眼前に開けること請け合いですよ。後者の著作は、1974年に世に出た処女作の改訂増補決定版です。

2.佐藤忠男、『君は時代劇映画を見たか』、じゃこめてい出版、1977年
チャンバラ映画は、誰しも認めざるを得ない大傑作を別として、いまひとつきちんと取り上げられていないような気がします。でもこの本は例外、私の愛する雷サマについての記述も、「華岡青州の妻」まで含めて必要十分であります。

3.千葉豹一郎、『スクリーンを横切った猫たち』、ワイズ出版、2002年
この本は大した期待もなしにネット購入したのですが、オモシロイ!ネコへの愛と理解のみならず、映画作品自体についての知識に端倪すべからざるものがあります。

4.角田房子、『甘粕大尉』、筑摩文庫、2005年
戦前戦中の異様奇怪な足跡を、その後のさまざまな著者によるさまざまな著作のうちにくっきりと残している軍人に、甘粕正彦と辻正信がいますね。二人とも唐十郎の読者にはおなじみですが、特に甘粕大尉というのはどういう人物だったのだろうとずっと思っていました。本書を読んでの結論は、インターナショナルな視野というものを徹底的に欠いていた男というものです。甘粕によって殺害された、大杉栄と伊藤野枝を描いた、吉田喜重の「エロス+虐殺」も今年初めて観ましたが、邦画の傑作といってよいでしょう。ベルナルト・ベルトルッチの「ラスト・エンペラー」では、甘粕を坂本龍一が演じて話題になりました。

5.瀬戸正人、『トオイと正人』、朝日新聞社、1998年
著者を2010年度の写真家3人によるリレー講義にお招きしました。残留日本兵の父(辻正信との遭遇シーンがあります)とベトナム人の母との間にタイで生まれた写真家の半生記。瀬戸さんは私と同年ですが、背景を成すベトナム戦争の影が切実です。

6.辻邦生、『辻邦生が見た20世紀末』、信濃毎日新聞社、2000年
20代の頃からこの作家は読んだほうがいいのだろうなあと思いながらも、同じ「クニオ」名の小川国夫とともに未読の作家でした(水村美苗との往復書簡集のようなものは読みました)。世界に対してまっすぐに向き合う視線を、今や稀なる貴重なものに感じました。教授として学習院に移る前は、R大の助教授だったのですね。

7.アルトゥール・シュニッツラー、『情婦殺し』、新潮文庫、1953年
偏愛する世紀末オーストリア作家の短篇集ですが、訳者が山本有三ということでまったく翻訳臭さを感じさせない素晴らしい日本語です。「盲のジェロニモとその兄」にいちばん感動しました。シュニッツラーはほかに、『カサノヴァの帰還』(筑摩文庫、2007年)も読みましたが、いやー、懐の深さにビックリです。こちらは以前、アラン・ドロン主演で映画化されてましたね(「カサノヴァ最後の恋」)。

8.川端康成、『掌の小説』、新潮文庫、1971年
この掌篇小説集に含まれている「雨傘」という作品は、若い頃に読んで鮮烈な印象を持ちました。2、3頁の作品でかくも心が揺さぶられたのは、「雨傘」以外ではメリメの「トレドの真珠」くらいです。収録作が映画化されて話題になっていたので再読してみました。

9. フランク・ホーヴァット、『写真の真実』、トレヴィル、1994年
2010年も押し詰まった頃に読んだ写真家による写真家のインタビュー集。ヒル、クーパー、『写真術―21人の巨匠』(晶文社、1988年)という本もあり、こちらも亡くなる直前のユージン・スミスのインタビューなどがあって大変興味深いです。しかし、本書のほうは現役で活躍中の写真家が、親交のある写真家も含めて互いに意見をぶつけあうという体の、とってもスリリングな良書です。特に、ヘルムート・ニュートン、ロベルト・ドアノーとの対談は、写真好きにはこたえられないでしょう。

10.三浦雅弘、『ことばの迷宮』、北樹出版、 2010年
R大新座校地での講義のテキストにしましたが、絶賛のアラシであったことはいうまでもありません。


2009年の「わが読書」

1.斎藤憐、『幻の劇場 アーニー・パイル』、新潮社、1986年
元オンシアター自由劇場の座付作者で、かの名作「上海バンスキング」は皆さまご存じのことでしょう。「アーニー・パイル劇場」とは、日比谷の宝塚劇場が終戦後に連合軍GHQに接収されて改名された劇場です。名前は、太平洋の戦線で米兵士たちに慕われた戦場カメラマンからとられたそうな。09年に読んだ本で、文句なしにいちばん面白かったです。

2.三島由紀夫、『黒蜥蜴』、牧羊社、1969年
江戸川乱歩の原作を三島が戯曲化し、舞台は美輪明宏主演でロングランを続けていますね。深作欣二の映画化作品も楽しいです。この本は三島の自装が洒落ているのでつい求めてしまいました。

3.森瑤子、『傷』、角川文庫、2001年
夏に気が向いて、この作家のものを何冊かまとめて読みました。本作をはじめとする初期作品群はけっこう好みでした。

4.シュニッツレル(森林太郎訳)、『恋愛三昧』、岩波文庫、1936年
頽廃きわまる世紀末の維納で、医業を営みながら耽美小説を書きつづけた私のもっとも好きな作家の一篇を森鴎外が訳したものです。スタンリー・キューブリックの遺作、「アイズ・ワイド・シャット」の原作者ですね。

5.カーソン・マッカラーズ(河野一郎訳)、『心は孤独な狩人』、新潮文庫、1972年
20代のときに読んで心から感動した長編です。新潮文庫だからいつでも手に入るだろうと手放したら、いつしかまったく見かけなくなってしまいました。昨年、「日本の古本屋」サイトに3000円で出たので買い戻したのでした。

6.スーザン・ソンタグ(近藤耕人訳)、『写真論』、晶文社、1979年
20世紀のアメリカ写真史を知るうえで必読というにとどまらず、写真に本格的な関心を寄せる人々は絶対に読まなくてはいけません。ただ、翻訳は読みにくいでーす。原書もあわせて買いましょう。

7.藤原新也、『渋谷』、東京書籍、2006年
この写真家は、人間の根幹にある土着的・土俗的なものに関心があるのだと思います。そのような本質は、インドのヒンズー教徒も渋谷の少女も変わらないのかもしれません。

8.橋口譲二、『それぞれの時』、新潮文庫、1993年
副題は「都市で暮らす一人の部屋」で、原本は1989年に草思社から刊行されました。世界の荒れる若者たちを撮り続けた作品で知られる写真家のインタビューと写真で構成され、当時の東京で一人暮らしする若者へのインタビューがとても魅力的です。この写真家の『動物園』という写真集もお薦めですよ。

9. 石川直樹、『最後の冒険家』、集英社、2008年
昨年写真のリレー講義をお願いして、学生たちを魅了し尽くした石川さんの2008年度開高健ノンフィクション大賞受賞作。石川さんの熱気球における師の悲劇的な最期を追った労作で、一気呵成に読ませます。

10.益田昭吾、『病原体から見た人間』、ちくま新書、 2007年
ソンタグは社会学部の院の演習テキストでしたが、こちらは新座の学部の院の演習テキストです。病原微生物学者による大変ユニークな人間論で、随所に現れる卓抜な発想に心地よい驚きを味わうことができました。ひょんなことから著者とEメールで意見を交換するようになりました。


2008年の「わが読書」

1.マルグリット・デュラス、『北の愛人』、河出文庫、1996年
デュラスは『愛人 ラマン』のジャン=ジャック・アノーによる映画化に大きな不満を抱いて、またまたこのシナリオのような物語を執筆したのだそうです。私はアノーの映画もけっこう好きですが、でも確かに、最後にデュラス(に扮した役者)の後姿など見せるのは俗っぽいなあと思いました。『北の愛人』、もちろん素晴らしいです。私はつくづくデュラスが好きです。

2.中井英夫、『人形たちの夜』、講談社文庫、1979年
夢野久作と小栗虫太郎、そしてこの中井英夫の代表的長編小説を日本のミステリー小説の三大奇書というそうです。その1冊である『虚無への供物』が手に入らないうちに、こちらの連作短篇集が見つかったので読んでみました。すべての短篇に感心したとは言えませんが、そのいくつかには小さからぬ感興を覚えました。この著者はインテリゲンチャーですね。

3.稲葉真弓、『エンドレス・ワルツ』、河出文庫、1997年
それぞれ強烈な最期を遂げた鈴木いづみ、阿部薫という異能のカップルの日々を追った伝記小説。単行本が92年に出たときにはずいぶん話題になりましたね。阿部薫のサックスは聴いてみたいとも思うのですが、「フリージャズ」はずっと昔、セシル・テイラーの「ピアノ・ソロ」で躓いてしまったのでした。

4.鷺沢萠、『君はこの国を好きか』、新潮文庫、2000年
上智大学在学中に少女小説で売れっ子になりながら、やがて創作の主題をみずからの在日韓国人としてのアイデンティティ探求へと展開し、その道程の半ばで自殺してしまったのは本当に痛ましいことでした。このいたって読みやすい中篇小説の背後には何か大きなものが隠されています。

5.長嶺ヤス子、『炎のように火のように』、文春文庫、1985年
このフラメンコの天才は、土方巽と並んで私が見たくて見れなかった舞踏家です。この本からは、スペインやジプシーについてもいろいろ初めて知ることが多かったです。その後はネコの守護女神となって奮闘していると聞きましたが…。関口照生(竹下景子の夫ですね)による写真集、『火のLatido』も素晴らしいです。

6.吉田ルイ子、『自分をさがして旅に生きてます』、講談社文庫、1983年
タイトルがヒドイのでしばらくほったらかしておいたのですが、ふと目にとまって読み始めたらめっぽうオモシロかったのでした。60〜70年代のアメリカを知りたかったら、『ハーレムの熱い日々』に続いて本書を読むべきでしょう。本書は在庫僅少のようですが、著者のサイトから直接注文するとサイン入りの本が買えるようですよ。それにしても、今の著者は今のアメリカをどう思っているのでしょうね。関係ないですが、ルックスがいかにもネコっぽいと思っていたら、何年か前に『私はネコロジスト』(中公文庫)が出たのでした。

7.西井一夫、『なぜ未だプロヴォークか』、青弓社、1996年
先年物故したカメラ雑誌編集者、写真評論家の力作です。森山大道や中平卓馬についての章は、私のような後続世代にはやや力が入りすぎの観がありますが、牛腸茂雄や荒木経惟についての章は大変頷くところが多かったです。ところで私は本書を図書館で借りて読み、ぜひ手元に欲しいと調べてみたら、とんでもないプレミアム古書価がついているのでした。

8.永沢光雄、『AV女優』、文春文庫、および、『風俗の人たち』、ちくま文庫、ともに1999年
一読、ジーンとくる切ない二巻です。この著者のアルコール中毒はどうなったのでしょう?

9. 柳美里、『窓のある書店から』、ハルキ文庫、1999年
とても共感した本の紹介書です。この作家の文章はとてもきれいだと思います。たまたま彼女の実生活を描いた『命』の映画化作品を見ましたが、同伴者の東由多加を演じた豊川悦司の演技には感動しました。

10.立花隆、『解読・地獄の黙示録』、文春文庫、 2004年
小説作品とその映画化を比較する講義を数年前からしているのですが、今や少し懐かしい感のあるこの著者のこの小著はとても面白くてタメになりました。もちろん講義に大いに利用させてもらいました。



2007年の「わが読書」

1.森嶋通夫、『血にコクリコの花咲けば』、朝日文庫、2007年
永年ロンドン大学教授を務めて先年物故された著名な経済学者の自伝第一部。この著者によるイギリス紹介などは若い頃から愛読していました。少年時代から終戦直後までを描いたこの巻のみからも、著者の強烈な自我がにじみでています。書名は著者が学んだ旧制浪速高校の校歌の一節だそうです。

2.田中未知、『寺山修司と生きて』、新書館、2007年
「時には母のない子のように」などのヒット曲の作曲家であると同時に、それらに歌詞をつけた寺山修司のある時期から臨終までのパートナーによる待ち望まれた一巻。衝撃的でした。寺山の先妻、九条今日子による『回想・寺山修司』(デーリー東北新聞社、2005年)と読み比べるのもいいかも。真実は2冊の本の間のどこかにあるのでしょう。

3.ジョージ・プリンプトン、『トルーマン・カポーティ』(上・下)、新潮文庫、2006年
カポーティはいちばん好きなアメリカ人作家です。2006年に話題となった伝記映画を観たい観たいと思いながら2007年には果たせませんでした。本書は編年体でつづられたカポーティの一生にわたる行状録。アメリカ上流社会の勉強にもなるでしょう。

4.四谷シモン、『人形作家』、講談社現代新書、2002年
状況劇場創生期の伝説的女形役者から日本を代表する人形作家へと転身を遂げた才人の半生記。唐十郎の素顔にも驚かされました。

5.大竹昭子、『眼の狩人』、新潮社、1994年
副題は「戦後写真家たちが描いた軌跡」。あー、こういう本を私も書きたかったです。東松照明から篠山紀信まで、14名のわが国の代表的写真家にインタビューして書き下ろした素晴らしい写真家論。中平卓馬と深瀬昌久の章は繰り返し読みました。

6.アルベルト・モラヴィア、『軽蔑』、角川文庫、1970年
モラヴィアは、いわゆる戦後実存主義作家と呼ばれる人たちの中で白眉の存在だと思います。ゴダールによる本作の映画化も必見!ほかに『孤独な青年』(原題は『順応主義者』)のベルトルッチによる映画化もいいですよ。そちらの邦題は「暗殺の森」です。

7.ジェイ・S.ジェイコブズ、『トム・ウェイツ―俺に酔うなよ!』、DHC、2001年
私は20代までは「ボブ・ディラン命」でしたが、30代以降はもう慢性重度のトム・ウェイツ中毒です。

8.藤井保憲、『時間とは何だろうか』、岩波書店、1989年
ほおっておいたのを救出して読んだらとてもわかりやすくてよい本でした。「質量」や「ローレンツ変換」といった基本的なことが丁寧に解説されています。

9. 高橋昌一郎、『哲学ディベート』、NHKブックス、2007年
畏友・高橋さんの新著で、副題は「<倫理>を<論理>する」。代理出産や売春や死刑といった現実の難問を鮮やかにさばいてくれます。三浦俊彦氏による類書が数年前に先行しましたが、両方読むべきです。

10.古尾谷登志江、『最期のキス』、講談社、 2004年
著者のかつての芸名は「鹿沼えり」で、古尾谷雅人とそろってデビューしたある作品を観て以来、私はこの夫婦のファンでした。ですから古尾谷雅人の自殺には本当に吃驚してしまいました。この本は素晴らしいです。著者の知性に敬意を覚えました。



2006年の「わが読書」

1.ジェイムズ・ジョイス(高松・永川・丸谷共訳)、『ユリシーズ』、河出書房新社、1964年
やっと読み通しました。うーん、学部生時代にカントの『純粋理性批判』を読み終えた(もちろん邦訳で)ときみたいな読後感かも。丸谷才一はじめ訳者の労には畏敬の念を禁じ得ません。でもジョイスその人の自伝的背景を知ると、この作品の清濁併せ呑むスケールの大きさにはいっそう言葉が出なくなってしまいます。やはり不世出の大作家なのだと思います。

2.グレアム・グリーン(田中西二郎訳)、『おとなしいアメリカ人』、ハヤカワepi文庫、2004年
これは文句なしにとびきり面白い小説であります。ベトナム戦争の当事国がフランスからアメリカに移ろうとする1950年代半ばのインドシナ情勢を背景に、イギリス-ベトナム-アメリカの愛の三角形がミステリアスな影を投じます。先年、マイケル・ケイン主演で映画化されました(邦題は「愛の落日」、なかなかいい題ですね)が、そちらも必見の傑作です。私はそれで、マイケル・ケインの大ファンになりました。

3.アントン・チェーホフ(神西清訳)、『桜の園・三人姉妹』、新潮文庫、1967年
チェーホフは私がいちばん好きな作家ですが、その戯曲では若い頃は『かもめ』がいちばん好きでした。でも今は『三人姉妹』に惹かれます。もっとジジイになると、『桜の園』がイチバンじゃ、などと言うようになるのでしょうか?

4.ル=グゥイン(清水真砂子訳)、『アースシーの風』、岩波書店、2006年
『ゲド戦記』の第5巻です。ふつうこういうシリーズものは、巻を追って面白くなるということはむしろ珍しいと思いますが、この巻は文句なく傑作です。ゲドはファンタジー作品の人物造型として出色ですが、そのゲドが年老いてほとんど登場しないにもかかわらず読まされるのですから、ル=グゥインの筆力はすごいと思います。

5.Raymond Carver, Short Cuts. Harvill Press, 1995.
同題の映画化作品を監督したRobert Altmanが、カーヴァー死後に編集した傑作短篇集です。昨年物故したアルトマンはM☆A☆S☆Hで有名ですが、この作品集でいちばんおかしかった‘They're Not Your Husband’の中の、思いきりヘンな亭主を、なんとトム・ウェイツが演じているということなので、何としても見ないわけにはいきません。

6.松本清張、『或る「小倉日記」伝』、新潮文庫、1965年
作者が芥川賞を受賞した表題作をはじめとする初期短篇集です。日本が貧しかった時代に、骨身を削るようにして生き、そして死んでいった人々に思いを馳せないわけにはいきません。

7.寺山修司・森山大道、『ああ、荒野』、PARCO出版、2005年
寺山の処女小説に、森山の60年代新宿写真をコラボレイトして再刊したというナミダの出るような企画です。小説のページ数と写真のページ数がまったく同じなのが嬉しいですねー。テラヤマの競馬熱というのはよくわかりませんが、ボクシングというか、ボクサー熱というのはわかるような気がしてきます。

8.新保満、『悲しきブーメラン』、未来社、1988年
日本人の文化人類学者として初めて本格的にオーストラリアン・アボリジニの人々およびその世界にわけいってリサーチした好著の復刊です。アボリジニの人々の未来は決して楽観できませんが、著者の視線の温もりは、読者にとっては救いかもしれません。

9. 小倉磐夫、『国産カメラ開発物語』、朝日文庫、2001年
『アサヒカメラ』誌上の「ニューフェース診断室」で永年健筆をふるった工学者の遺稿集です。カメラ・メーカーは戦時の光学兵器開発を飛躍のバネにすることはよく知られていて、その事情は同じ著者の『カメラと戦争』(朝日文庫)に詳しいです。それにしても、カメラ技術者たちにはなぜかくも魅力的な人々が多いのでしょう。

10.Mary Tiles, Philosophy of Set Theory. Dover, 2004.
本書の初版は1989年にBasil Blackwellから出ていて、今を去る10年ほど前、数学科名誉教授の村田全氏のお宅で目にして以来、訳したいものだと思っていました。読み進むうえでいちばん助けられたのは、田中尚夫、『選択公理と数学・増補版』、遊星社、1989年、です。今や古典の、ポール・ハルモス(富川滋訳)、『素朴集合論』、ミネルヴァ書房、1975年、も有用でした。基本的なことを学ぶには、細井勉、『集合・論理』、共立出版、1982年、がフレンドリーな気がします。



2005年の「わが読書」

1. デイヴィド・ブルア、『ウィトゲンシュタイン:知識の社会理論』、勁草書房、1988年
ややこしそうな章を院生たちと読みました。ウィトゲンシュタインの人生やパーソナリティについては少し読んでいましたが、後期哲学の実体についてはこの本で初めて少しわかったような気がします。

2. スティーブン・ピンカー、『言語を生みだす本能』(上・下)、NHKブックス、1995年
著者はチョムスキー門下の俊秀でありながら、人間の言語獲得の説明にダーウィン流の自然選択説を大胆に採用して師と袂を分かちました。筆致のジャーナリスティックな才能はたいへんなもので、大冊も一気に読ませます。

3. 服部裕幸、『言語哲学入門』、勁草書房、2003年
慶応の大出スクールでいちばん活躍されている先輩の手に成る好著。著者もお書きのとおり、この分野でかくもコンパクトな入門書は本邦初と言えます。

4. 高橋昌一郎、『科学哲学のすすめ』、丸善、2002年
日本人著者による言語哲学の入門書は3.がベストですし、科学哲学の入門書は本書が他の追随を許しません。読みやすさと、細部の正確さをあわせもつ類書は皆無です。04、05年に、team teaching科目の「ことばの迷宮」でご一緒できて幸せでした。

5.G.K.チェスタトン、『奇商クラブ』、創元推理文庫、1977年
英国人は変で偏屈、というイメージを固めるのに貢献した作家は、このチェスタトンと6.のウォーではないでしょうか。どの短篇もほんとにヘンですが、最後に収められた「騙りの樹」には唸らされました。

6. イーヴリン・ウォー、『ポール・ペニフェザーの冒険』、福武文庫、1991年
ウォーに心酔している人々にこれまで数人出くわしたことがあります。TV映画化された『ブライヅヘッドふたたび』のソフトが蔦や新宿店にあることを教えてくれた2002年英文科入学の小西直也氏もそのひとりでした。本書は、原タイトルに近い『大転落』という邦題で岩波文庫版もありますが、そちらは吉田健一の訳文の下手な模倣が鼻につきます。

7. ルキノ・ヴィスコンティ、『地獄に堕ちた勇者ども』、新書館、1981年
若い頃、何も知らずに映画を観てしまったことを痛烈に悔やみました。レームの突撃隊をヒトラーの親衛隊が惨殺・撲滅する1934年6月の「長いナイフの夜」を背景に、ワイマール共和国の富豪一族の運命を骨太に描いた名シナリオであります。

8. マルグリット・デュラス、『静かな生活』、講談社文庫、1971年
…さしあたって私は、同じ程度に、そのことについて確信を持つだろう。時間は古く、将来も古いだろう。しかし、そのとき私は知らなかったのだが、時間は光り輝いていたのだ。私は自分のからだについても、人生についても出し惜しみをしていた娘だった。そしていまこそ、時間は古くなったのである。一度、忘却の能力を失うと、一つの確実な人生を決定的に欠くことになる。多分幼年期から抜けでるというのがそれなのだろう。(122頁)

9. 小川洋子、『ホテル・アイリス』、幻冬社文庫、1998年
『博士の愛した数式』の文庫版もベストセラーになりましたね。この作家は、人間の記憶、そして、愛の二重の喪失、という主題を追っているのではないでしょうか。

10.赤瀬川原平、『ベトナム低空飛行』、ビジネス社、1996年
昨年目にした写真集でいちばん惹かれました。この作家ならではの視線で掬い取られたベトナムの人と街の姿は、私の認識を少し変えてくれたような気がします。印刷がとてもキレイです。


2004年の「わが読書」

1.ノーム・チョムスキー、『生成文法の企て』、岩波書店、2003年
79年から近年まで数度にわたって行われたチョムスキーのインタヴュー集です。過去にも彼のインタヴューは邦訳・刊行されたことが一度ならずあります。が、本書は断然面白い!チョムスキーの考え方を知るのにいちばんよいのではないでしょうか。加えて、過去の多くの翻訳とはうってかわってとても読みやすいです。もっと早くこの手の翻訳が欲しかったですね。

2.中山康雄、『時間論の構築』、勁草書房、2003年
日本人の手に成る近年の哲学書としては出色です。第1部の歴史的検討は比類なく明快で、第2部の自説展開は大いに説得力があります。

3.田中澄江、『近松門左衛門という人』、日本放送出版協会、1984年
著名な脚本家による近松入門。私は高校生のとき、ヴェルレーヌの「いっしょに死のうよ、ねえあなた/いひひひ、それも悪くない」という一節を読んでからこの方、「心中」や「情死」がアタマから離れません。近松は古今東西の戯曲作家でいちばん好きかもしれず、先年の入試問題にも近松論を出題してしまいました。本書は平明な中にも著者の透徹した思索が脈打つ好著です。

4.酒井邦嘉、『言語の脳科学』、中公新書、2002年
チョムスキーの生成文法の考え方を脳科学の立場から検証しようとする試みの現状報告です。著者のクールな知性とホットな感性がひしひしと感じられます。

5.鶴見俊輔、『夢野久作−迷宮の住人』、リブロポート、1989年
立教の中だけかもしれませんが、江戸川乱歩が静かなブームのような。乱歩が時間つぶしにもってこいなのは否定しませんが、でも作家としては夢野久作のほうがずっとスケールが大きいですよね。例によってこの著者による視線の暖かな評伝に、あらためて夢野久作を再発見しました。久作の父親に当たる杉山茂丸は、頭山満の玄洋社と切り離せない明治期右翼の親玉でした。当たり前ですが、今の右翼とは全然違いますね。

6.荒木陽子、『愛情旅行』、マガジンハウス、1989年
天才アラーキーに若くして先立った愛妻の素敵な旅行記。この妻があったからあの夫があるのですね。夫の天才たるゆえんも窺われますが、病魔に襲われ一時退院したときに書かれた「あとがき」は、やはり涙なしには読めません。

7.中薗英助、『拉致』、新潮文庫、2002年
私が予備校生だった1973年に、白昼の東京でKCIAによって引き起こされた金大中誘拐事件の迫真のドキュメント。凡百の小説より遥かに面白く、遥かに感動的です。年末に1日で読んでしまいました。

8.本橋信義、『情報時代の論理』、日本評論社、1992年
就職して初めて学生さんたちと1年というか、4月から12月までで、最初から最後まで読み通した記念すべきテキストであります。誤植が多いのが惜しい!

9.田中優子、『樋口一葉 「いやだ!」と云ふ』、集英社新書、2004年
新五千円札の主について知るのに時宜を得た良書です。小さいながら素晴らしく内容豊かで、特に『にごりえ』の分析は圧巻!一葉の古文を読むのがメンドウに思われる向きには、朗読CDも発売されていますよ。

10.ねこまゼミ一期生、『Mind's Eye−Vol.1』、個人書店、2004年
これはステキ、ブリリアントなねこまゼミ一期生の傑作写真集ですよ。ご覧になりたい方はご一報あれ。http://retirement.jp/bookwatching/00079bw.html に紹介記事もありますよ。


2003年の「わが読書」

1.A.S.バイアット、『マティス・ストーリィズ』、集英社、1995年
『碾臼』で知られるマーガレット・ドラブルの実姉による短篇集で、マティスの3枚の絵が物語の発端を与えます。特に第3話は秀逸!!大学人は必読です。バイアットは玄人受けする作風で、文学作品としては、ドラブルに優る評価を得ているようです。ちょうど2003年春には、代表作の‘Possession’の映画化作品がロードショー上映されましたね。その邦題は「抱擁」でした。

2.エドモンズ、エーディナウ、『ウィトゲンシュタインの火掻き棒』、筑摩書房、2003年
原題を直訳すると上のとおりなのですが、邦訳書のタイトルは長すぎて覚えていません。何にせよ、ウィトゲンシュタインとポパーとの確執を、ふたりの生い立ち、当時の深刻な歴史情勢にさかのぼって究明しようとした書です。哲学書というよりは、歴史書?タイトルは、ポパーの講演に激怒したウィトゲンシュタインが、レクチャー・ルームにあった火掻き棒を振り上げてポパーを威嚇したとかしないとかいったエピソードに由来します。

3.マイケル・カミンガム、『めぐりあう時間たち』、集英社、2003年
言わずと知れた超ド級の傑作映画の原作であります。ピュリッツアー賞を受賞しましたね。

4.村上龍、『POST:ポップアートのある部屋』、講談社、1986年
実は村上龍は好きなのです。『限りなく透明に近いブルー』も、雑誌『群像』に発表されたものを読んでいます。共感しましたよ。それでこの本ですが、楽しい!!のひとことです。

5.李青若、『在日韓国人三世の胸のうち』、草思社、1997年
何を隠そう、われらのエミリンコさんの快著です!!!日本エッセイスト・クラブ賞の最終選考まで残った名文は、ほんとうに読みやすい!むろん苦しいことも数々あったおうちのご様子ですが、楽しいこともいろいろ書かれていて読後は爽快。韓国の伝統行事のややこしさには目を丸くしましたが、外から見れば日本も同じなのかもしれませんね。拙サイトBBSのエミリンコ・ファンは今すぐ読むべし。

6.内田ユキオ、『ライカとモノクロの日々』、えい(漢字は「木」偏に「世」)文庫、2003年
去年読んだカメラ関係の本では、いちばん心に沁みました。満載された写真がとってもよくて、私もこの本でライカのズミクロン50/2を買う決心をしたのです。

7.吉田ルイ子、『ハーレムの熱い日々』、講談社文庫、1979年
吉田ルイ子さんは、大石芳野さんと並んで、私が尊敬する女性写真家です。60年代から70年代前半にかけてのアメリカを理解するうえでの必読書ではないでしょうか。私の大のヒイキ、若き日の弘田三枝子が、コルトレーンと写っている写真があるのも泣けます。

8.アーシュラ・ル=グウィン、『影との戦い』、岩波同時代ライブラリー、1992年
年末に生まれて初めて触れた『ゲド戦記』3部作プラス1は、昨年の読書で最大の衝撃でした。どこかに書きましたが、私は『ナルニア国ものがたり』や『指輪物語』(英国で行われた大規模な愛読者調査で、めでたくNo.1だったそうですね。3位が『自負と偏見』だったそうで、やはりレベル高いです)などの名だたるファンタジーの幸福な読者ではありませんでした。『ムーミン』の一種異様な短篇群が唯一の例外と言えるくらいです。ところが、この米国の女性作家の暗い暗いファンタジーに出会い、もうタマシイも奪われていまやゾンビと化しております。ひたすら暗いのみならず、第2部の『こわれた腕環』の残酷な描写など、とうていお子様向けとは思えません。私が決して好きではないユングの影響は明らかですが、そんなことは忘れて引き込まれます。

9.ロバート・キャパ、『ちょっとピンボケ』、文春文庫、1979年
恵比寿の写真美術館で上映された‘CAPA IN LOVE & WAR’もよかったですね。キャパの親友ふたりによるこの訳書の日本語にも、なぜか引かれるものを感じました。

10.藤本英夫、『銀のしずく降る降る』、新潮社、1973年
私がいちばん好きな岩波文庫、あるいは、私がいちばん好きな日本語、というと、知里幸恵訳編、『アイヌ神謡集』です。19歳で亡くなった天才少女の生涯を追ったこの労作を私は長らく紛失していたのですが、昨年ついに救出して読みとおすことができました。立教に着任した年の夏休みには、聖公会のバチェラーという牧師が深く関与したということも聞き及んだので、知里幸恵の故郷の旭川に行き、ついでに学会発表もしました。あれから13年間、学会発表、ぜんぜんしてません。


2002年の「わが読書」

1. アラステア・レイ、『量子論』、岩波書店、1987年
副題は「幻想か実在か」。量子論の解説本は山とありますが、量子力学の観測の問題に関心がある向きには本書はおすすめ!予備的な説明が丁寧ですし、ポイントはいとわずに再度書いてくれています。著者はコペンハーゲン解釈と多世界説の二者択一ではなくて、イリア・プリゴジーヌによる第三の説に肩入れしています。

2. カール・ポパー、『フレームワークの神話』、未来社、1998年
歴史哲学についての章もありますが、基本的に科学論の書です。私はこの前期にはじめて大学院の授業をもち、「数学におけるモデル論と科学的モデルの関係」(ふつうは無関係とされていますが)みたいなことを考えています。その関係上、本書の第8章、「モデル、道具、真理」はたいへん有益でした。でも、ポパーって不思議ですよね。晩年、精神が曇ってしまったのは仕方ないけれど、パーソナリティについて毀誉褒貶が相半ばしているし、その哲学についても、賛美する人と無視する人とがはっきり別れている気がします。超有名だけれど、海外でも日本でも、どこかメイン・ストリームから外れているんですよね。やはりこの前期に、現代文化学科で、『開かれた社会とその敵』の一部分を読みましたが、やっぱりすごい人なのでは、と私には思われました。

3. ジュリアン・グリーン、『他者』、人文書院、1979年
このカトリック作家の『アドリエンヌ・ムジュラ』(古い文庫本では、『閉ざされた庭』という訳題でした)という長篇は、若い頃に読んだ小説のうちで最も衝撃的なもののひとつでした。『他者』はカトリシズムを真正面から描いた作品です。文学部の前期講義では、ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』や、グレアム・グリーンの『情事の終り』を題材にして、カトリシズムを考えたのですが、どれがいちばんリアリティがあるのかは迷うにしても、いちばん切実なのは『他者』かも。内容と関係ないですが、私はこの人文書院のジュリアン・グリーン全集の装丁はとても素敵だと思います。

4. レイモンド・カーヴァー、『ぼくが電話をかけている場所』・『夜になると鮭は…』・『レイモンド・カーヴァー傑作選』、中公文庫、1986・1988・1997年
きっかけは糸井重里の「本読む馬鹿が私は好きよ」というサイトでとりあげられているのを目にしたこと(そこに、村上春樹は翻訳がいちばんいい、と書き込んでいる人もいて、本人はどんな思いでしょうね)。以前最初の2点+単行本の『ささやかだけれど、役にたつこと』を読んだときに、この人は現代アメリカのチェーホフだな、と思いましたが、今回初めて読んだ『傑作選』の中に、チェーホフの臨終の場面を描いたものが入っていて、やはり私淑していたみたいです。カーヴァーは詩もいいと思います。

5. ブレンダ・マドクス、『ノーラ』、集英社文庫、2001年
本学名誉教授の平山城児氏が教えてくれた1冊。副題は「ジェイムズ・ジョイスの妻となった女」で、この映画化作品、「ノーラ・ジョイス 或る小説家の妻」が去年渋谷でロードショー上映されていたんですね、知りませんでした。内容は、いやー、はげしいです。

6. メイ・サートン、『回復まで』、みすず書房、2002年
同じ出版社から何冊も邦訳が出ている、高名なレズビアン作家の60代後半の日記。何が起こるのでもない淡々とした日常の描写が続くのですが、頁を繰るのも惜しいほど感動的なうえ、カヴァー・ジャケットの写真も秀逸!

7. 堀辰雄、『菜穂子』、旺文社文庫、1968年
何がどうということもないような気もするのですが、何となく心に残りました。戦前の荻窪駅のたたずまいなども興味深く読みました。同じ昔の旺文社文庫で、川端康成の『山の音』も読みましたが、あれは「好色老人日記」ですね。

8. 太田雄三、『喪失からの出発』、岩波書店、2001年
米国の大学で教鞭をとっている歴史家の著した神谷美恵子の評伝。神谷美恵子の生のみならず、著者の抑制した筆致にも心を打たれました。

9. 山崎正和、『世阿弥』、新潮文庫、1974年
世阿弥は千利休以上にミステリアスですね。私はこのふたり以後は、大森荘蔵が登場するまで、日本の哲学者ないし思想家で、興味のもてる人はいません。山崎正和という人は、何を考えているのか今ひとつよくわかりませんが、才人だと思います。海外の戯曲(シナリオ?)では、マルグリット・デュラス、『インディア・ソング』(河出文庫、1997年)に強力に引きつけられました。書けるものなら、小説より戯曲が書きたいです。

10. 石川文洋、『写真は心で撮ろう』、岩波ジュニア新書、1999年
はたちになるかならぬかでベトナムに渡り、日本の戦場写真家の草分けとなった人は、温厚でつつましやかな素顔の持ち主でした。掲載された写真は涙なしに見ることができず、付された短いキャプションの説得力に打たれます。ほかに写真関係では、三島靖、『木村伊兵衛と土門拳』(平凡社、1995年)が印象に残りました。月刊『朝日カメラ』の中堅編集者の手に成るこの本は、ちょっと気合いが入りすぎていてときどき肩がこりますが、正真正銘の力作です。報道写真家(木村伊兵衛もそのように自己規定していました)の栄光と罪とを深く考えさせられます


2001年の「わが読書」

空前の読書スランプに見舞われて50冊くらいしか読んでいませんが、ムリして10点挙げてみると、

1. シモーヌ・ヴェーユ、『ロンドン論集とさいごの手紙』、勁草書房、1969年
巻頭論文の「人格と聖なるもの」は、「人格」、「権利」、「民主主義」といった手垢のついた思想史的概念の再考を迫ります。富原眞弓氏の『ヴェーユ』(清水書院、1992年)は、駄作・凡作の少なくない入門書シリーズの「センチュリー・ブックス」の中では、出色ともいえる良心的な本でした。同じ著者には、青土社から近年刊行された、『シモーヌ・ヴェーユ−力の寓話』という著作もありますが、そちらは未見。クロード・ダルヴィ、『シモーヌ・ヴェーユ−その劇的生涯』(春秋社、1991年)は、ヴェーユの生涯を戯曲化したものですが、巻末に収められた、兄アンドレ・ヴェーユのインタヴューや、ヴァレリィ、ボーヴォワールら、同時代人の証言にも興味を引かれます。

2. メアリ・ラヴィン、『砂の城』、みすず書房、1975年。同じく、『ベッカー家の妻たち』みすず書房、1977年
ともにアイルランドの女性作家の中・短篇集。前者では「幸福」、後者では「泡ふき虫」、という短篇にとても感心しました。

3. J.M.クッツェー、『恥辱』、早川書房、2000年
すでに名のある英国人作家ですが、初めて読みました。身につまされます、ははは。

4. 中里恒子、『中納言秀家夫人の生涯』、講談社文庫、1980年
作者は1910年(明治42年)生れの、女性最初の芥川賞受賞者です。たぶん80年代に亡くなったと思います。この長編は、雑誌連載時は「閉ざされた海」と題されていましたが、二度目に単行本化されるときに上の題名に変更されました。関が原で石田三成方についた宇喜多秀家は、敗戦の後、刑罰史上最初の八丈島流刑者とされ、加賀の前田家から嫁した妻、豪(たけ)姫とは、それぞれ30代、20代の若さで、永遠に生別します。そして妻は50代で加賀の地に、夫は80代で絶島に果てるのですが、宇喜多家はその後の子孫も、世が明治に革まるまで220年にわたり本州への帰還を許されませんでした。壮絶な実話にもとづくこの淡々とした作品には、これまで私が読んだどのような小説とも異なる感銘を呼び覚まされました。同じ作者の短篇集、『歌枕』(講談社文芸文庫、2000年)もよかったです。

5.富岡多恵子、『近松浄瑠璃私考』、筑摩書房、1979年
著者は篠田正浩のATG作品、「心中天網島」の脚本を共同執筆しただけあって、本書に所収の「みちゆき勝手解釈」はたいそう読みごたえがありました。女性の詩人たちには、魅力的なエッセイストが多数いますが、この人ほど創作以外の本格的な著述も読ませる人はそういないのでは。少し以前に岩波(?)から刊行された、『中勘助の恋』も力作でした。

6.『神谷美恵子−浦口真左往復書簡集』、みすず書房、1985年
20世紀において、日本人の良心を代表したような人の、その無二の親友の生き方が心に響きました。

7.杉山平一、『映画芸術への招待』、講談社現代新書、1975年
音楽、美術、写真、演劇などは、観たり聴いたりすることがアルファでもあればオメガでもあろう、という意識から、それらについての本をついなかなか手に取りませんが、映画についてもしかり、でありました。でも、この小さな本を読んで、やはり何でも基本的なことは知っておくにこしたことはないなー、と思ったことでした。

8.米沢富美子、『二人で紡いだ物語』、出窓社、2000年
予定どおり、感動し、励まされました。

9.佐藤徹郎、『科学から哲学へ』、春秋社、2000年
今の私には、このような大らかでゆったりした論考はとうてい書けない、と脱帽しました。

10.入不二基義、『相対主義の極北』、春秋社、2001年
今の私には、このような周到で緻密な論考はとうてい書けない、と脱帽しました。


2000年の「わが読書」

  20世紀最後の年に読んだ80冊余りのうち、特に印象に残ったのは次の本たちです。
1.藤原正彦、『心は孤独な数学者』、新潮社、1995年
著者は新田次郎と藤原ていを両親にもつ、お茶の水女子大の著名な数学者。『若き数学者のアメリカ』や『遥かなるケンブリッジ』など、たいてい新潮文庫に入るこの人のエッセイは、これまで全点(おつれあいと訳した『月の魔力』まで)読んでいたのですが、本書は間違いなく最高傑作です。第2章のアイルランドのハミルトンも面白かったですが、インドの天才ラマルジャンを描いた最終章は圧巻でした。タイトルはおそらくカーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』という、読んだら胸が苦しくなるような小説からとっているのでしょう。

2.米沢富美子、『心が空を駆ける』、新日本出版社、2000年
著者は物性論(アモルファス)の第一人者で、この間まで日本物理学会の会長をしておいで でした。われながら単純だとも思いますが、この人のエッセイにはつい励まされてしまいます。
亡き夫の追想記かと思いますが、話題の『二人で紡いだ物語』(出窓社)も読もうと思っています。

3.鶴見俊輔、『柳宗悦』、平凡社、1976年
昨年夏にはじめて駒場の日本民藝館を訪ねました。展示にも建物にも感動して、「民藝」運動の柳宗悦とはいったいどういう人だったのだろうと思っていたら、古本屋でこの本を見つけました。私にとって鶴見俊輔は、日本の存命の「思想家」のうちでは、加藤周一に次いで重要な人です。この本を読んで、岩波文庫に入っている柳宗悦の自著も何点か買いました。その中では『民藝紀行』(1986年)が読みやすかったです。

4.鈴木孝夫、『人にはどれだけの物が必要か』、中公文庫、1999年
私が慶応に在学していた頃、20か国語以上操れる慶応人のひとりとして、この高名な言語学者のお名前を聞いていました(当時存命だった井筒俊彦氏は、90か国語できるとのウワサでした。ウソでしょ?)。その同一人物は、30年以上も徹底的リサイクル生活をしている御仁だったのですねえ。いやー、おどろきました。私もさっそく真似をすることにして、今やティシュー・ペイパー、トイレット・ペイパー、レシート以外のすべての紙を捨てずにリサイクルさせています。粗大ゴミ集めも始めて、はやくも本箱2つを見つけて使っています。なお、氏は本書に先立って、『ことばの人間学』(新潮文庫、1981年)に、環境問題についての年来の持説を展開しておいででした。

5.小山慶太、『漱石とあたたかな科学』、講談社学術文庫、1998年
この著者は今年になって初めて読み、けっこうファンになりました。そこで、『漱石が見た物理学』(中公新書、1991年)、『書斎のワンダーランド』(丸善ライブラリー、1992年)と続けて読んだわけですが、中公新書が現代物理学史の勉強になるのに対して、本書はどんどん読み進んでしまいながらも深い余韻を残します。私もかねがね、漱石を理解するにはその科学者的資質をきちんと視野に入れるべきだと思っていました。『文学論』なども、19世紀終わりの「数学の危機」と呼ばれる状況が、漱石の念頭にあって初めて構想されえたのではないでしょうか。

6.唐木順三、『<科学者の社会的責任>についての覚え書き』、筑摩書房、1980年
20代のとき、唐木順三の『近代日本文学』(アテネ文庫)を読んで、その透徹した文学史観に感心しました。京大の哲学出身ですが、日本の中世文学についての深い造詣を背景に幅広い評論活動にたずさわり、そしてこの現代科学者批判を遺著として残しました。本書も話題になったことは覚えていましたが、講義のために手にした、村上陽一郎、『科学者とは何か』(新潮社、1994年)のイントロダクションに使われているのが印象的だったので初めて読みました。今日のわが国の科学哲学界を代表する京都大学の内井惣七氏は、本書をご自分のサイトで軽く一蹴しておいでです。確かにやや感情的ですし、誤解も散見します。なぜ朝永振一郎と比べて湯川秀樹が批判されねばならないのかも十分説得的ではないような気がします。しかし本書の論点、というか唐木氏のものごとの感じ方というものを簡単に斥けてよいものかどうか、正直にいって私にはよくわからず、読後感は軽くはありませんでした。2年前から担当している「科学技術の明と暗」という講義で使えたら使ってみたいと考えています。

7.弥永昌吉、『数学者の20世紀』、岩波書店、2000年
この1906年生まれの数学者は、今なお学習院でセミナーを続けているそうです。1908年生まれの現役の哲学者、ハーヴァードのクワインもびっくりすることでしょう。本書には数学の話も、フランスの戯曲の紹介も入っていて盛りだくさんですが、数年前に物故した親友、アンドレ・ヴェイユが、京都賞受賞で来日したとき著者に告げた別れの言葉、‘Next time perhaps in another world.’には思わず涙が出ました。妹シモーヌ・ヴェイユも短く壮絶な生涯でしたが、天才数学者の兄アンドレも、死刑を宣告されたりなどして、まさに「事実は小説より奇なり」を地で行ったような人生だったのですね。シュプリンガーから何年か前に出た『ヴェイユ自伝』はめっぽう面白かったです。

8.小刈米硯、『鏡像としての現実』、而立書房、1987年
この著者の名前は、学部学生のときに受講した「演劇論」で、『葡萄と稲−ギリシア悲劇と能の文化史』(白水社、1977年)という著書が参考文献として指示されていたので知ってはいましたが、1980年に夭折されていたのですね。没後出版の本書は1970年代の劇評集ですが、大変尖鋭な中にも温かみが感じられて、おそらく扇田昭彦氏と並ぶ人だったのだろうな、と思いました。演劇関係では、鈴木忠志・中村雄二郎の対談、『劇的言語』(白水社、1977年)も面白かったです。中村雄二郎は例によっていばっていますが、これだけ噛み合ったテンションの高い対談はそうないのでは。

9.宮本常一、『忘れられた日本人』、岩波文庫、1984年
立教の社会学部OBの作家、内海隆一郎氏のエッセイに触発されて読み、大きな感銘を覚えました。「常民研究所」などという名称は聞いていたのですが、柳田國男が定住農耕民としての日本民族に照明を当てたのに対し、宮本常一は特に中国地方や九州島嶼部のあたりを移動する漁民や牧畜民に照明を当てたようです。内海氏も感動したという「土佐源氏」の章をはじめ、どの章も心に響きます。たまたま私は2001年度には、環境問題を扱う授業やプロジェクトに(外圧により)関わるはめになってしまったのですが、たとえば自然との接し方ひとつとってみても、本書の示唆するところは大きいのではないでしょうか。

10.海老坂武、『戦後思想の模索』、みすず書房、1981年
この本は12月30日に見つけて大晦日に読んでしまいました。副題は「森有正、加藤周一を読む」となっていて、一言でいえば、ふたりの戦後知識人のフランス体験がもつ思想的意味を、著者自身のそれと比較対照しながら吟味検討するという本です。真摯に森有正にあい対している年配の方々がおいでなのは私も見知っていて、その理由は何となくわかりました。が、だからといって森有正を読み直そうとまでは思いませんでした。むかし『ドストエフスキイ覚書』は面白かったし、『内村鑑三』もふーんと思いましたが、『デカルトとパスカル』は読み通せませんでした。それに対して加藤周一論ははるかに引きつけられて、『羊の歌』を再読しようと思っています。著者のスタイルが森有正よりずっと加藤周一に近いせいもあってか、加藤の「政治的進歩主義、文化的保守主義」に対する批判も読みごたえがあります。私はこの著者は『シングル・ライフ』(今はたぶん中公文庫に入っています)で好きになりました。むろんいま読み返したら、現今のフェミニズムやジェンダー論の水準からは「古い」面もあるでしょうが、何といっても20年くらい前にこれだけ考えていた男性はまれだったと思います。

番外 トーベ・ヤンソン(富原眞弓訳)、『彫刻家の娘』、講談社、1991年       
私は「児童文学」の幸福な読み手ではありませんでした。ある頃までずいぶん話題になっていたC.S.ルイスの『ナルニア国ものがたり』なども初めて接したのが20代で、素直に感動するにはちょっとすれからしになっていました。ムーミントロールなどというのもぜんぜん縁がなくて、カバの一種かな?くらいの認識でした。それが数年前にある古書市で、全7巻の『トーベ・ヤンソン全集』(これは現行の全8巻から成る『ムーミン童話全集』ではありません!装丁も比べ物にならないくらいいい)を2千円で当てて(しかもそれでくれた抽選券で千円当たり、岩波文庫全5巻の『寺田寅彦随筆集』をもらってきました)、少なくともひとつの児童文学(?)の幸せな読者となりました。なかでも『ムーミン谷の仲間たち』に入っている、「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」と「しずかなのがすきなヘムレンさん」の2編にはいたく感動して、寝床であかず読んでいます。それにしても特に前者など子供が読んでわかるとは到底思えません。
それで本書ですが、これはヤンソンさんの幼年時代の記憶を幼児の視点から記述した回想記です。特に後半は、とてもへんな父親の行状を中心にしていて、まさに巻措く能わず一気に読み通す、といった感じです。以前この本は重訳版が出ていたそうで、本書は初めてのスウェーデン語からの直接訳です。訳者は私と同年の上智出身の方で、聖心女子大の哲学科に勤務されているようです。確か、シモーヌ・ヴェイユの『ギリシャの泉』などを訳されていたと思います。

友人・知人の本、3点プラス1

村田全、『数学と哲学の間』、玉川大学出版部、1998年
弥永昌吉氏に捧げられている本書は、私にとって(目方だけでなく)ずっしり重い書物です。レーヴェンハイム・スコーレムの定理についての断章は、まさに目からウロコの落ちる思いでしたし、日本の科学史界の期待を一身に荷いながら若くして亡くなられた、旧制中学の後輩でもある広重徹氏との交友録などほろりとしました。

実松克義、『マヤ文明−聖なる時間の書』、現代書林、2000年
これはびっくり仰天、驚異の書で、読み始めたら止まりません。実松さんのリサーチによって訂正を迫られることになったマヤの聖典『ポポル・ヴフ』は、中公文庫に入っていて、ジャケットに三島由紀夫が推薦文を書いています。

妙木浩之、『フロイト入門』、ちくま新書、2000年
10年近くもふたりで勉強会をしていた、ただいま売れ線上にあるマブダチの精神分析学者の本。数年前に九州の医大に赴任してしまったことは小生にとって打撃でした。本書は近年のフロイト研究最前線の成果をとても要領よくまとめていて、とくに最後に載せられている図表はたいへん明快で理解に役立ちます。ただ、惜しむらくは、やはり忙しいなかを急がされたせいでしょうねえ、やや筆(キイ・タッチ?)の乱れが目につきます。

八木雄二、『中世哲学入門』、平凡社新書、2000年
敬愛する八木博士の新著、ですが、すみません、まだ読んでいませーん。立教大学キリスト教学科のみなさん、2001年度の博士による「古代中世哲学史」講義の教科書ですから、今すぐ本屋さんに走って、熟読しましょうね。


1999年の「わが読書」

1.宮田恭子、『ウルフの部屋』、みすず書房、1992年
日本人の文学研究者による研究書でかくも感銘を受けた本はかつてありませんでした。

2.アラン・ウッド(碧海純一訳)、『バートランド・ラッセル―情熱の懐疑家』、木鐸社、1978年
以前はみすず書房から出ていたのですが、たまたま買いそびれていました。ラッセルは私にとって、その哲学の内容のみならず、人物像にも引かれる哲学者です。

3.C.P.スノー(松井巻之助訳)、『二つの文化と科学革命』、みすず書房、1999年
大変有名な本であることは知っていましたが、復刊されて初めて読みました。「二つの文化」とは、いわゆる文型と理系のことで、スノーのいう「科学革命」とは、原子レベル以下の微粒子の性質が工業的に応用可能となった1920年代から30年代の状況を指しています。40年前の本ですが、今なお読むに値する、というより、今ますます読まれるべきものと思いました。

4.高木仁三郎、『市民科学者として生きる』、岩波新書、1999年
感動したので授業の課題図書にしました。

5.渡辺慧、『生命と自由』、岩波新書、1980年
20年前に出た当時買って、そのままにしていたのをやっと読みました。物理や化学の部分は私には難しかったのですが、非常に重要な論点が提示されているのはわかりました。著者は立教の理学部創設時における錚々たる物理学科教授陣のひとり(ほかに武谷三男氏や町田茂氏がいました)で、先年物故されて「みすず山荘」を立教に遺贈されました。

6.森嶋通夫、『なぜ日本人は没落するか』、岩波書店、1999年
心ある日本人必読の書かも。

7.川尻信夫、『<集合>の話』、講談社現代新書、1972年
買いそびれていたのを早稲田で見つけて読み、とてもためになりました。立教ご出身の著者のことは数学科名誉教授の村田全氏からもお聞きしましたが、村田氏同様、文学方面の教養も豊かなことを感じさせられました。

8.ミラン・クンデラ(菅野昭正訳)、『不滅』、集英社文庫、1999年
『冗談』や『存在の耐えられない軽さ』のごとく切実な政治状況を背景にしたものではありませんが、やはり引き込まれました。『ほんとうの私』も面白かったです。

9.三浦俊彦、『可能世界の哲学』、NHKブックス、1997年
この人は知られた作家ですが、ある大学の英米文学科に所属する美学者でもあれば、最近は環境音楽の本も出しておいでのようです。この小さな哲学書はすごいです。でも、初心者はなかなか最後まで読み通せないのでは。

10.志村ふくみ、『色を奏でる』、ちくま文庫、1998年
京都の高名な草木染めの大家による、きれいな写真も多数収められた魅力的な本。しみじみしました。


 1999年に少しまとめて読んだ著者は、加藤周一氏とマーガレット・ドラブルです。私は世に言う「思想家」の著書は読みませんが、加藤氏だけは例外で、記事なども見つけたら必ず読みます。ドラブルは仕事がらみで3冊読み、相応に楽しみました。同じ仕事がらみでは、『コンラッド自伝』(鳥影社)が興味深く読めました。

終わりに知人・友人の本を3点。
竹内薫『ペンローズのねじれた四次元』(講談社ブルーバックス)
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)
蒲原聖可『ベジタリアンの健康学』(丸善ライブラリー)
竹内さんの本は私には難解で(脳の)ためになり、高橋さんの本はわかりやすくてやはりためになりました。このおふたりは、本来難しいことを、まずはイメージとして直観的に読者になじんでもらおうとする点で手法が共通しているように感じました。高橋さんには「英語」で立教の非常勤をお願いしていましたが、今度は「哲学」でお願いしたいものです。蒲原さんの本は、まさに時宜を得た本です。同じヴェジタリアンとして励まされました。医師として私の出身校にお勤めでしたが、最近おやめになったようです。


影響を受けた本

私は歴史や社会科学方面は不得意ですが、それらを除くといろいろ読むほうかもしれません。それでも、これまで読んでずっしり心に響いたのは、若いころの文学書だったように思います。ホフマン『悪魔の美酒』、ドストエフスキー『白痴』、ヤコブセン『ニイルス・リイネ』、ジュリアン・グリーン『アドリエンヌ・ムジュラ』、カポーティ『遠い声 遠い部屋』や、チェーホフとヴァージニア・ウルフの作品はどれからも強い感銘を受けました。存命の作家では(あるいはグリーンは100歳くらいで存命かも)、マルケス、クンデラ、そしてカズオ・イシグロがすごいと思います。イシグロを出したついでに、好きな日本人作家も挙げておけば、夏目漱石、内田百閨A坂口安吾、石川淳、大江健三郎といったところです。小説に劣らず詩も好きですが、それはまた別の機会に書きます。


最後に映画について少しだけ

医学校に通っていたころは映画館で年間50本ほど見ていた時期もありましたが、今はめっきり本数が減りました。これまでにいちばん感涙を絞られた10本を挙げてみるとこんな感じです。

1.オーソン・ウェルズ「市民ケーン」
2.サタジット・レイ「大地のうた」、同じく「遠い雷鳴」
3.イシュトバーン・サボー「メフィスト」
4.エルマンノ・オルミ「木靴の樹」
5.ヴィクトル・エリセ「ミツバチのささやき」、同じく「エル・スール」
6.ラッセ・ハルストレム「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」
7.シンシア・スコット「森の中の淑女たち」
8.篠田正浩「心中天網島」

邦画が1本しか入っておらず、また、黒沢明や小津安二郎は特に好きでもないのですが、それでも、私の邦画への愛情にはなみなみならぬものがあります。文芸座や並木座や大井武蔵野館が次々に閉館したときには、茫然自失の思いでした。そして、私が高校生のときに若くして亡くなった市川雷蔵ほど思い入れの強い役者もほかにありません。「忍びの者」を初めて見たのは、折りたたみ椅子がぱらぱら置かれていた新宿の「アンダーグラウンド蠍座」でした。「アンダーグラウンド」という言葉には今でも弱いのですが、淺川マキ(さすがに聴かなくなりましたが、LPを全部もっています)や唐十郎には多分はかりしれない影響を受けています。毎日予備校に行くつもりが、つい映画館に入ってしまうので、大学にはなかなか入れませんでした。大井武蔵野館に見に行った片岡千恵蔵の「多羅尾伴内」シリーズは、ヴィデオで集めています。

 本や映画について考えると必ず言いたくなるのは、TVが世の中にたれながした害毒です。私は20歳以降、イギリスにいた1年を除くと、事実上TVを見ていないほど、TVを嫌悪しています。(イギリスで本場の新聞に接して、日本の新聞のレヴェルの低さも思い知らされました。新聞のほうも帰国後購読をやめてしまいました。)よい本もよい映画も、人がそれに触れる機会をTVが駆逐してしまったのですね。