愛機10選−M42スクリューマウントの世界
1960年代から70年代にかけて、コニカ、ニコン、キャノン、ミノルタ以外の主要国産カメラメイカーは、自社の一眼レフカメラのボディに対して、ドイツのプラクチカが先鞭をつけたねじ込み式のマウントを採用していました。プラクチカ・マウント(Pマウント)、あるいは、その口径からM42マウント(たぶん'M'は'mount'の'M'なんでしょうけど)などと呼ばれています。それは世界的に普及して、ユニヴァーサル・マウントと言ってよい地位を、かなりの期間にわたって保持していました。
ところが70年代も後半になると、一眼レフカメラの自動露出化(AE化)が急速に進み、ねじ込み式のマウントでは、レンズとボディの間での電気信号のやりとりに不利なことなどから、一気にマウントはバヨネット(はめ込み)化されて行きました。それによって、Pマウントではさまざまに楽しめたメイカー間のレンズとボディの互換性は、急激に失われることになりました。
私のカメラ・コレクションは、1960年から79年までの国産品、という期間限定(および地域限定)スタイルですので、いきおいこのスクリューマウント一眼レフに目が向きました。それらが、写真機の電子化によって駆逐されることになった機械式(メカニカル)カメラであることは言うまでもありません。そして、電子化は自動露出のために進められたのですから、それらが手動露出(マニュアル)のカメラであることも当然です。また、自動化はフィルム巻き上げにも及び、その後のカメラはモーター・ドライヴの装着により大きく重くならざるを得ませんでした。せめて、ことさらな重量アップを抑えるためにと推進されたのが、ボディ材料の、金属からエンジニアリング・プラスティックへの移行でした。つまり、「カメラは金属製」があたりまえだったのは、プラクチカ・マウントのカメラまでなのです。したがって、M42マウントのカメラ・ボディは、メタル、マニュアル、メカニカルといういわゆる3Mカメラの最後の砦でした。それだけでもコレクターを惹きつけるのに十分だと思いますが、駄目押しのように決定的だったのは、そのものたちが、なぜかボディ・デザインが美しく、なぜかレンズの写りに味があることでした。
1.ヤシカペンタJ3(1962)
センスのいいシンプルなデザインで、角の丸みが何とも言えません。ヤシカは昭和30年代初めに、「日本カメラ」(「日本光学」ではありません)を吸収して、「ニッカ33」というカメラを実質的には何も変えずに、名前だけ「ヤシカYE」と改称して発売します。「ニッカ33」は、当時横行していたライカの模倣モデルの中でも最も精巧なものでした。ヤシカペンタJシリーズのデザインは、このニッカによるライカ模倣技術の遺産なのではないかと思います。
2.リコーシングレックスTLS(1967)
これを入手したときに付いてきたリケノン・レンズはお払い箱にしてしまいましたが、このボディは堅牢そのもので、ヤシノン・レンズやセコール・レンズを付けて愛用しています。取り扱いにあんまり神経を払わずに、使い回せるカメラというのはいいものです。
3.ヤシカペンタJ7(1968)
ペンタJ3はシャッター速度が最速500分の1秒ですが、これは1000分の1秒まで切れます。まあ、最新の高級AF一眼レフは12000分の1秒だったりするので、1000分の1秒も、2000分の1秒もモノの数ではないですが。でもいいんです。
4.オリンパスFTL(1972)
オリンパスの一眼レフというと、ペンFシリーズとOMシリーズですが、知る人ぞ知る、OM1と同じ年に、この唯一のスクリューマウント・ボディが発売されていたんですねえ。おそらく主に海外輸出向けに開発されたのでしょう。製品としての完成度には疑問がもたれているようですが、付いてきた純正の瑞光レンズは、ペンFやOMの瑞光レンズより味があるような気がします。ちなみに私はこのモデルを、口惜しかったけれどプレミアム価格で購入しました。
5.フジカST801(1972)
フジは1970年のフジカST701をもって、国産主要メイカーとしてはいちばん遅れて一眼レフ市場に参入しました。そのST701は、当時の一眼レフボディとしては、世界最小最軽量(550g前後)をうたっていましたが、72年にオリンパスOM1(510g、発売当時はM1という名称でした)に、OM1も76年にはアサヒペンタックスMX(495g)に、記録を塗り替えられてしまいます。STシリーズ第2弾の801は、701のコンパクトさはそのままに、世界で初めて露出をファインダー内でLED表示したうえ、国産M42マウントの機種として(たぶん)唯一、最高速2000分の1秒のシャッター速度をもつスグレモノであります。
6.アサヒペンタックスSPU(1974)
Pマウントはむろん「プラクチカ」・マウントの省略なのですが、「ペンタックス」・マウントの省略と言ってもいいではないか、と思えるくらい、M42マウントの導入に、旭光学が果たした役割は大きいものでした。何と言っても、ペンタックスのタクマー・レンズの流通量は他のレンズを圧倒していて、そのおかげで素敵なレンズ群が廉価で買えるわけです。SPシリーズのボディ・デザインは、国産Pマウントカメラ中、屈指のものだと思います。いちばんいいかも。
7.マミヤDSX1000B(1974)
8.マミヤMSX500(1974)
1000とか500とかいうのは、シャッター最高速度(逆数秒)ですが、DSX1000のブラック・ボディはちょっと珍品かも。M42マウント・レンズは、ペンタックス・タクマーも、ヤシノンも、EBCフジノンもみんな素晴らしく、どれもツァイスに似て柔らかい描写がたまりません。なかでも私は、ヤシノンと並んでマミヤのセコールが好きなのですが、周知のヤシノンのみならず、セコールも富岡光学の製品だとも聞きます。主に報道写真家たちに評価されているニコンやキャノンは、精密で硬い表現をするようで、むしろ白黒に向いているような気がします。
9.フジカST605U(1978)
フジカSTシリーズ最後のモデルで、シリーズ中、最小最軽量の可愛いボディです。私の手のサイズにはいちばんぴったりで、こよなく愛するあまり3台も買ってしまって、人にも勧めて買わせてしまいました。
10.ペトリFT1000(197?)
これはいちばん最近入手した、うれしい、うれしい一台。ペトリは、もともとは栗林写真工業という20世紀初めに創業された古参メイカーですが、創業者がクリスチャンで、イエスの12使徒のひとり、「ペトロ」の与格(「ペトロに」という意味ですね)を製品名にしました。カメラを庶民の手に、という使命感のようなものをもっていたらしくて、品質を落とさずに廉価なカメラを作っていました。ところが1978年に倒産、実は私が狙っていたのは、その前年に発売されたペトリ最後のモデル、MF1でした。そのわずか450gしかないPマウント・ボディ最小最軽量のレコード・ホルダーを、私はまだ目にしたことがありません。ところが、このFT1000というのは、その存在さえ知らなかったさらに上を行くレアものなのです。恵比寿の老舗、大沢カメラのサイトで見つけて、実際に手にとったら、もう絶品。ずっしりと頼もしくて、ロゴにも風格があります。ホット・シューなので、たぶん1972年から77年の間に、おそらく海外輸出向けに作られたのではないでしょうか。スロー・ガヴァナーが不調だったのですが、委託品だったのに大沢カメラのご主人が修理に出してくれて、しかもその費用は請求されませんでした。