理学部長 花井 亮学部長に就任する前のことだが、理系の大学教員の知り合いから「理学部だから教員養成系でしょう」と言われた。理系の大学教員でもそう言うのだから、そう考える世間の人は多いのかもしれない。しかし、立教大学理学部は明らかに違うし、最近では、実態は理工学部ではないかと思われるほど、工学的要素が増えている。そこで、関係高校の説明会や学部紹介動画では、「理学と工学って、行ったり来たりなんだ。立教大学理学部でも応用的なことはできる。他大の工学や農学に行かずに、うちに来い」ということを主張している。思い返すと、理学部に工学的要素が増え始めたのは、理学部50周年のころのように思う。あのときは大変だった。施設の整備と教学条件の変更をセットで受け入れたのである。先輩方の苦渋の決断である。その結果、2001年に13号館が建ち、4号館もリノベーションされ、文科省の大型補助金を何度も受けて、研究・教育の高度化が実現できた。(2002年に化学科生命理学コースを生命理学科にしたのもその一環であった。)工学的要素が増えた(増やせた)のには施設と設備の充実もあったのだと思う。現在、再び、理学部の建築計画が進んでいる。ミッチェル館敷地に研究棟が建って、数学科と生命理学科が引っ越す。13号館から生命理学科が出た後には物理学科と化学科が入り、4号館に残る研究室はリノベーションされる。「高度化よ、再び」である。高度な研究・教育をやるなら、その質に応えられる、やる気のある学生に来て欲しい。そうでなければ、立教の建学の精神である「真理の探究」ができなくなる。組織は生き残りのために変わらなければならない。理学部という業態で優秀な学生に来てもらえないなら、業態を変えるしかない。物理学者の高橋秀俊先生は「真理とは役に立つということだ」と言った。「役に立つ」ことが「真理」なのである。去年、学部長に就任したばかりで右も左も分からないのに、初回の部長会から環境学部の話が出て面食らった。2026年には環境をテーマにした文理融合の学部ができるのである。理学部は立教大学では「唯一の理系学部」というステイタスだったのに、半分は理系の学部が、しかも、池袋キャンパスにできるという。研究や教育の中身がオーバーラップして、受験生のとりあいになるのではないかと、心配になるのは当然であろう。困りきって教授会に向かったら、意外にも「そりゃ、いいことだ」という「目から鱗」な意見を聞かされた。それでも、部長会であれこれ発言したり、教授会で意見されたりで、苦労している。理学部としては「棲み分けと協働」という方針であり、環境学部の計画の具体化を待っている状況である。このキャッチフレーズのとおり、「ウインウイン」に出来ることを願っている。環境学部の設置の影響を受けて変わりそうなのは、理学部共通教育である。これは理学部50周年のときにはなかった。13号館に立派な学生実験室ができたので、実験系3学科は物理学・化学・生物学の実験を必修でやることにしたのが、学部共通教育の発想のハシリかもしれない。(近年になって、なし崩し的にやめてしまったが。)2005年に豊島区と連携してサイエンスコミュニケーショ01理学部長挨拶理学部100周年に向かって
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