発 掘 調 査 の 背 景
エン・ゲヴ発掘調査団の発掘はテル・アヴィヴ大学のコハヴィ教授 Prof. Moshe Kochavi (写真左) による「The Land of Geshur Project (ゲシュル・プロジェクト)」の枠組みの中で行われている。1960年代に本調査団の母体となっている発掘調査団 (団長:故 大畠清 東京大学名誉教授) がシャロン平野北部の遺跡テル・ゼロール Tel Zeror を発掘して以来のコハヴィ教授との交流から、鉄器時代にこの地域の中心だったと考えられるエン・ゲヴ遺跡の発掘が提案された。コハヴィ教授の調査計画は初期青銅器時代から鉄器時代を中心にゴラン高原とガリラヤ湖東岸の文化を総体的に調査しようとするもので、エン・ゲヴの他に、テル・ハダル Tel Hadar、テル・ソレグ、ロジェム・ヒリ Rogem Hiri、レヴィヤ Leviah といった遺跡がアメリカやフィンランドのグループの協力の下に発掘されている。
このうち、テル・ハダルとテル・ソレグは時代的にも距離的にもエン・ゲヴに近く、各遺跡相互の関係についても調査の関心は向けられる (写真:コハヴィ教授と第一〜三次調査団々長の金関恕教授)。なお、「ゲシュル」という地名は、ダビデ王の長子アブサロムが抗争を逃れ、母方の実家であるゲシュルに亡命したという旧約聖書の記述 (サムエル記下13章37-38節) などで知られるガリラヤ湖東岸とゴラン高原の一部を含む豪族の領土を指すものと考えられている。
エン・ゲヴは1961年にヘブライ大学のB・マザール Benjamin Mazar を中心とするイスラエル人のグループによって初めて発掘された。その時の調査は二週間程度の短いものだったが、遺跡の南端と北西辺で鉄器時代の城壁や聖所らしきものが見つかった。日本隊による発掘は金関恕 天理大学教授 (当時) を団長に1990年から1992年まで行われたが、しばらく休止し、1998年に月本昭男立教大学教授を団長に再開され、99年、2001年、03-04年とあわせて8シーズンにわたる発掘調査が行われた。2004年夏のシーズンをもって日本隊による発掘はひとつの区切りをつけることになった。
こ れ ま で の 成 果
エン・ゲヴで見つかっている最古の層は今のところ鉄器時代である。おそらくその時代に初めてここに町が建設されたものと考えられる。近くにある先史時代の遺跡もエン・ゲヴの名で呼ばれているが、少し離れた場所にある。
1961年のマザールらによる発掘では四つの地区が発掘され (A−D地区)、南の部分が城壁に囲まれた居住区、遺跡中で最も高い北の部分は「要塞
citadel」と結論づけられた。日本隊の発掘 (F地区) はマザールらが「要塞」と定義した北の部分をさらに調査するものである。
1961年の発掘
1961年に掘られた四つの地区ではそれぞれに異なった土層の重なりが観察されたが、D地区を除いてすべてが鉄器時代の層位だった。D地区ではペルシャ時代やヘレニズム時代の土器が見つかったが、建物跡は見つかっていない。
マザールは各地区の層位を以下のようにまとめている。
A 地区 B-C 地区
5 4*
4 3*
3
2
1 2*
1*
(本来はローマ数字が用いられるが、繁雑になるのでここではアラビア数字を用いる)
A地区は遺跡の南の部分に切られた長さ25メートル、幅2.5メートルのトレンチだが、比較的はっきりと土層の連続が確認された。B−C地区は上記の「要塞」で、両地区は互いに隣接している。A地区とB−C地区の層位上の対応は必ずしも厳密なものではなく、A地区の層位を中心にして、土器のタイプや城壁の形の対応関係から想定されたものである。マザールが想定した遺跡の歴史をA地区の層位を中心に追っていくことにしよう。
第5層 (=第4*層)
ダビデ時代からソロモン時代前半 (前990年頃-950年頃)
第4層 (=第3*層)
ソロモン時代中期からベン・ハダド1世の進軍まで (前950年頃-886年頃)
第3層 (=第3*層)
ベン・ハダド1世による征服からアッシリア王シャルマナセル3世の侵攻まで (前886年頃-841/838年)
第2層 (=第3*層)
アラム王ハザエルの治世からイスラエル王ヨアシュによる征服まで (前838年-790年頃)
第1層 (=第2*-1*層)
ヨアシュ、ヤロブアム2世の治世 (第2*層/前790年頃-745年頃) から
アッシリア王ティグラトピレセル3世の侵攻まで (第1*層/前733/2年まで)
以上がマザールらによるエン・ゲヴの歴史だが、極めて限られた範囲で出土した城壁の形状の変化をもとにしたものであり、具体的な年代はその城壁の変化を聖書の記述に従って解釈し、想像しうる歴史的事件に対応させて推論されたものである。従って、パレスティナ全体の土器編年との関係は必ずしも厳密ではない。
B地区、C地区は日本隊の発掘現場 (F地区) と距離的に近く、おそらく同じ時代に属する建物を含んでいるものと考えられるが、はっきりとした土層の対応関係はまだつかめていない。
参 考 文 献
Mazar, B., A. Biran, M. Dothan and I. Dunayevsky
1961 `En Gev, IEJ 11, 192-193.
1964 `En Gev Excavation in 1961, IEJ 14, 1-49.
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