研修前
私は大学院へ入学した時から修士論文のためにフィールドに出ることを希望していた。そして、できればインターンを行いたいと思っていたため、AIESECで得た機会はまたとないものだった。その為、研修の目的は、インターンシップの経験自体よりも、修士論文の資料を集め、現場を見る為という方が強かった。論文のテーマとして児童労働を選んでいた為、インドが研修先となることは興味深いものであった。
今までに留学や海外研修等を通じての経験も多く、海外で生活する事に対しての抵抗はなかったが、インドは初めてだった為、受け入れ先としてのAIESECの存在はとても心強いものだった。とはいえ、マッチングから出発まで日数が全く無かったので、実際の準備も、心の準備もままならず、正直だいぶ緊張したままの研修スタートとなった。
1. INTERNSHIP : Loreto Day School
まず、研修先の学校について少し触れたい。この学校はロレット修道会(マザーテレサはここの出身)系列の学校である。校長先生はシスターで、彼女はカルカッタではよく知られている。学校は寄付で成り立っており、殆どの生徒達にスポンサーがついている為、貧しい子達への教育機会となっている。生徒は女の子だけで、1年生に少し男子がいるだけである。学校は、子ども達に関わる多様なプログラムを持っている。例えば、屋上にはレインボーと呼ばれるストリートチルドレンのシェルター兼学校があり、その他にも、農村プログラム、ステーションプログラム等が実施されている(詳細は後で述べる。) また、UNICEFやNGOと協力しカルカッタあげての教育プログラムも今年からはじまった。カリキュラムを持たない事が特徴で、自由な発想の下で正式教育(Formal
Education)が行われている。
・授業
小学校5年生1クラス、6年生2クラスの数学を担当した。一クラス週に3,4コマ教える形で、殆ど毎日生徒達とは顔をあわせる感があった。そして、この研修は最初が大変チャレンジングであった。英語と算数を教えるという話を聞いていたが、行ってみると、算数を教えるように言われた。そして、シスターから指示されたことはこれだけで、事務所も、シスターが用意した時間割表を私に渡しただけであった。その為、初日から一体何をどうやって教えたらよいのかが全く分からなかった。カリキュラムが無い事が特徴なだけあって、特に決まったテキストがあった訳でもなかった。そして、生徒達自身と、親切に教室を教えてくれた先生に質問する中で見出した事は、数学が苦手な子達をピックアップした特別クラスであると言う事だった。
そして、この特別クラスであるが、いざはじまってみると、色々な問題点が浮き彫りになった。まず、時間割。同じ時間帯に5年生、6年生の担当全3クラス教える事になっていたのである。6年生同士は進捗状況が違うものの同じレベルのため何とかできるかも知れないが5年生と一緒は無理である。また、特別クラスの子達が算数の間他のクラスメートはダンスや家庭科等別の科目を学んでいて、行事があれば、ダンスの練習に参加することを求める生徒がいたりするのである。先にも触れたが、どの単元をどんなふうに教えるのかも指示やアドバイスも無く、私の責務が分からなかった。一方子ども達はどうして授業に来てくれないのと責めてくる。
これらの問題に対して質問をしても事務所は何にも分からず、恐ろしく忙しいシスターをつかまえることも不可能であった。ある時は、1分話して用事が入り2時間以上待っても再びシスターに会う事が出来なかった。そこで、生徒自身に相談し、初日に親切にしてくれた先生に尋ねて時間割をアレンジし直した。また、自分で勝手に算数のテキストを図書室から見つけ出すことで、インドの子ども達がどういった方法で算数を勉強しているのかを見出すしか無かった。
他の先生方は出勤簿のようなものに記入していたが、私は一度もそれを必要とされる事が無く、全く管理されていなかった。休講や、時間割変更があるときもいつも生徒が教えてくれた。体調を崩し休んだ際には,生徒に連絡がいっていなかったようで、休んだ理由を大騒ぎで聞かれて大変だった。困難に直面する事も良い経験ではあるが、研修生を受け入れいている以上ある程度の事は管理して欲しいというのが率直な意見であった。
この様に問題点は多々あったが、解決できるものは解決し、そうでないものは諦めながらも慣れてくると、授業をそれなりに充実させる事が出来た。個人の理解レベルの格差がとても大き過ぎる為、講義形式というよりは、個人指導のような形で授業を進めた。時には自分で問題を作ってみたりしながら進めた。同時に算数の為の英単語を私自身発見しながらの日々であった。また、ここが分からないから教えて欲しいという事を生徒自身が大変積極的に聞いて来るのでこちらとしては大変有難かった。
・子ども
子ども達はとても元気でかわいかった。教師は年齢等に関係なく皆「ミス」と呼ばれていて私も同様であった。廊下や階段ですれちがっても元気に挨拶をしてくれる。子ども同士の喧嘩が激しく毎回疲れるクラスもあったが、終ってみれば懐かしく感じるほどである。教え子以外にも、話す機会があった子どもも沢山いた。また、漢字で名前を書いて欲しいという子ども達が休み時間になるとどこからとも無く現れ、毎日のようにその子達の名前を書いてあげていた。空手を習っているという子が「さようなら」を知っていた事もあり毎回帰る際にはクラス中から「サヨナラー」を浴びていた。日本人の先生の受け入れは私が一人目だった為、好奇心旺盛な子ども達に、日本のことを色々聞かれたりした。問題はあっても子ども達がいてくれたので研修をこなす事が出来た感がある。
・その他
研修期間に2つ学校行事があった。まず、生徒達のダンス大会。皆ダンスの授業があり、大会では古典舞踊から最近流行のものまで幅広く競われていた。そして、Teacher's
Day. 日本にはないが、先生を祝う日である。年に一度の祝日に自分が先生をやっていたのは面白い機会だった。この日には、生徒がカードや花をくれたり、ある子はプレゼントにアイスクリームを差し出したので驚いた。之に伴う学校行事の際には、生徒達によるダンスや劇の出し物が朝から行われ、職員室は飾り付けされ、先生は皆特別ランチに招待された。また、先生方はボーナスをもらっていた(勿論ボランティアの研修生には無い)
学校にはもう一人ドイツ人研修生がいたが、彼は私がカルカッタに到着した翌日に1ヶ月間のインド旅行に出かけてしまったので、実際は学校にいる研修生は私だけであった。また、先生方もみな年齢が高く、いわゆる「同僚」のいる企業などで働く他の研修生が多少羨ましかった。
・農村プログラム
Loreto Day Schoolでは、毎週木曜日に農村プログラム(Village Program)というものが行われている。高学年以上の生徒達がローテーションで農村まで出向き農村の子ども達に勉強を教えるというものである。子ども達は月に一度の頻度で参加し、そのために事前に準備をして取り組んでいる。之に、私も参加し農村へ行った。バスに揺られること1時間、炎天下のなか歩くこと約1時間半の長い道のりの往復。実際に教えるのは子ども自身で、私がついていったグループではベンガル語と算数を農村の子どもに教えていた。ただ、余りにも村のはずれだったため、教える時間は30分ぐらいしか持てていなかった。
・レインボー(Rainbow)
学校の屋上にはレインボーと呼ばれるストリートチルドレンの為のシェルターがある。ここでは、高学年の生徒達による教育が行われていて、異なる環境に置かれた子ども同士でありながら、お互いの意識の変革を担っていた。また、成績の優秀な子には正規の学校(Formal
School)に進学させる為の準備をする場にもなっていた。このLoretoにももともとはレインボーにいた男の子がいた。児童労働問題に関心のある私には大変興味深いところであった為、時間のあるときに何度か足を運んだ。最後の日には、お土産のおもちゃと折り紙を贈り、担当の先生たちにはいくつか折り紙を伝授(?)して来た。
2.LIFE
カルカッタに慣れる事にだいぶ時間がかかりは大変であったが、同時に予想以上に興味深く面白い生活であったともいえる。
・住居
始めの10日間はアメリカの大学で勉強する日本人の女の子と一緒に住んでいた。彼女はアメリカAIESECを通じてカルカッタに来ていて、研修を終えるところであった。最も慣れない時期に彼女から日本語で様々な情報が得られた事はとても役立った。近所にも慣れて来たのだが、約2週間で引っ越す事になった。家に私一人になる事、町の最南であり、北部にある学校にも、AIESEC側からも面倒をみるには遠すぎるという理由からだ。別のトレイニーハウスの部屋は狭く汚れていたし、設備も悪くなってはいたが、立地は良かった。大気汚染と猛暑の中バスで一時間以上かかっていた通学が、道路が空いていれば30分程でいけるようになった。そして何より良かったのが孤独ではなかった事だ。ルームメイトはルーマニア人研修生で彼女はホテルで働いていた。そして、ハウスメイトはドイツ人とオーストリア人だった。
・お金
私は、無給のインターンだった事、学校側からアコモが提供されなかった事もあり、滞在全てにお金がかかった。月Rs.6000をもらう有給の研修生がとても裕福に思えて仕方なかった。アコモに月Rs.2300かかる為、6000ルピーあれば十分生活ができるといつも思っていた。日本円に換算してしまえば決して高くない(1ルピーは約3円)が、自分なりの現地基準で生活していると、6000ルピーがいかに大金かを実感していた。
例えば、いつも利用する庶民の味方、バスは2.5ルピー。水は1リットルで10ルピー。夕食だって普段は多くて50ルピー。日常着にしていたインド服は150ルピーだった。ところが、いわゆるお金持ちの人々が行くような店では、普通にパスタ一皿が400ルピーだったりする。
・食事
住んでいる所にはキッチンはあったがコンロや冷蔵庫がなく自炊する事は不可能だった為、いつも外で食べていた。お食事に招待される機会も結構あった。カルカッタには中華料理があり、よく食べていた。また、家庭料理のベンガル料理はあまり辛くなく、学校のお昼休みには先生達にいつも分けてもらっていた。
・健康
雨季にマラリアのメッカであるベンガル湾に面したカルカッタに行くとあってマラリアの予防対策は十分にした。高額ではあったが特別に処方してもらったマラリアの薬を持参し週に1回服用。帰国後も4週間は服用している。蚊帳や携帯用蚊取りマットも十分そろえた。
また、細菌性下痢に効く下痢止めも処方して持参した。予防接種も万全だ。昨年A型肝炎の予防接種を2回行っていたので、今回3回目を行った(3回で約8年の効果)狂犬病も念の為と思ってしていったが、狂犬病と疑わしい犬がそこらじゅうにいるのを目にして驚いた。
大雨が降ると道が水浸しに在り、家に入れないほどになる。衛生上も良くない(傷口から菌が入ってしまう)ので、水の中を歩くことは避け、そのため水が引くまでは、数時間まちぼうけという事が何度もあった。
とにかくカルカッタの大気汚染はひどかった。話では、一日にタバコを7本吸っているのと同様の害を受けているとの事。暑さと排気ガスでバスの中で気分が悪くなる事もあった。信じられない事だが毎日服や腕が真っ黒になるのである。
・余暇
平日は学校の授業は2時過ぎに終るので、その後はNGOを訪問し論文の為の資料を集めたり、勉強をしたり、街の中心部まで出て過ごした。ただ、慣れるまでは道路渋滞と暑さで疲れ果ててしまい、即帰宅で休む日々が多かった。
一ヶ月を過ぎた辺りから急にパーティーや夕食会等社交的な機会が増えた。カルカッタ駐在の外国人同士のネットワークを通じて知り合いが増えてきたせいもあった。研修生受け入れの企業の社長さん宅での定期的な夕食会から、イギリス領事のパーティーや五つ星ホテルのクラブパーティまで多様であった。そして、こういった機会にはカルカッタにいる研修生達と一緒に参加していた。実際ホテルなどではマーケティング戦略としても私達外国人を招待したがっていた。
前述の社長さんは研修生を気遣ってくれて、彼の娘さんがスンダラバンズというカルカッタ郊外の野生動物保護区と農村地域へ一泊旅行をアレンジしてくれたりもした。街の喧騒から離れて充電するよい機会となった。その他、10人近くいる研修生のうち4人が一緒に住んでいたこともあり研修生同士で連絡をとりあい、休日には皆で一緒に食事をしたり、カルカッタ一日バスツアーに参加したりもした。
・異文化理解
各国からの研修生達と過ごす事自体が異文化理解であったし、外交人同士であるがゆえにインドについてもしょっちゅう議論をすることが多かった。私の滞在した間で、ドイツ人3人、オーストリア人、ルーマニア人、オランダ人、フランス人メキシコ人、ブラジル人の研修生と知り合い仲良くなった。今迄はアメリカ人やアジア系の学生達と接する機会が多かった為、圧倒的ヨーロッパ人が多い状況は、大変興味深く、また発見も多かった。
帰国の直前には日本食パーティーに友人を招待する事になった。日本食が好きなインドの方に知り合ったこと、アメリカでの同時多発テロを受けてカルカッタ総領事館に電話したことがきっかけとなった。ある領事の方が親切にも家と、コックさんを提供してくださったのだった。いつも研修生同士で料理会をすべきだと話していたところだった。
私は、映画や音楽が好きなので、帰国前にヒンディー映画を観たこと。同じ物をまたアカウントマネージャーの家でみせてもらい詳しく教えてもらえた事は大変嬉しかった。インドの映画は音楽と踊りで溢れていて大変面白い。
3.AIESEC
カルカッタのAIESECについては色々厳しい事を書かなくてはならない。マッチングの最中には返事が大変早いことに驚いていたが、実はきちんと活動してくれているのは数人で、副理事の子が一人で頑張って家のPCからメールを処理している事を知った。
時々、何か企画してくれる事があったが、当日数時間前にパーティがあることを知らされたり、予定変更で2時間近く何もせず過ごす事になったり、手際もだいぶ悪いようだった。
AIESECのメンバーとなることは彼らにとっては一種のステータスであって、異文化や外国に対して興味があるとは感じられなかった。いつも自分達だけで楽しんでいるようであった。
使用人と運転手がいて、掃除すらした事の無い彼らの殆どには外国人研修生が直面する問題等見当がつかないようであった。これらは、いつも友人達とも話す共通の認識であった。勿論インドの方でも理解を示してくれる方は多い。
殆どの研修生が空港に迎えに来てもらえず、真夜中にひとり何時間も待たされ、大変な思いをしていた。しかしながら、私の場合は研修生が一人ついてきてくれたこともあり、迎えには来てもらえたし、お腹をこわして熱を出したときにはお見舞いに来てくれて待遇は良かった。
そして、副理事のFaizaが本当に良く頑張ってくれて、私が論文の資料を集めたいと言う事を理解して協力してくれた。つまり、個人個人とは親しくなれても、AIESEC自体の活動として見てみると疑問を感じる学生が多かったという感じである。
4.最後に
たった8週間という短い研修期間であったが、カルカッタで多くを得た気がする。それは電話やエアコンや冷蔵庫のない生活や異文化への適応といったものだけではなく、AIESECの研修生だからこそ経験できた世界から得たものである。つまり、様々な角度からカルカッタを見ることが出来たことである。
スラム街を訪れることから裕福な人しか行けない場所に出席することまで、外国人であり、NGOでの研修生という身分であったからこそ可能だった事である。割と貧しい地域にある学校に、裕福な人多く住む地域から毎日通うのである。なんとも変な感じである。インド社会での様々な位置にある人々の様々な生活を知る事ができたのである。タクシーや運転手つきの車で移動していては見ることがない世界である。住んで生活し、人々とふれあい、彼らの生活を見ることができた。
インドの子ども達の状況を見る事が大きな目的であった為、道で生活する子どもの横をおしゃれな服を着た子どもを乗せた車が通りすぎる、そんな状況を目の当たりにしたことは、まさに「百聞は一見にしかず」であり。毎日胸を苦しめていてもなにも変えられない事を改めて自分の中で実感し、自分の将来についても再考させられるものであった。また、バス停で、道端で、様々な場所で困っていた私に親切にしてくれたカルカッタの人々の事は忘れられない。
最後になりましたが、様々な形で応援してくださったアイセックの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。