2003年に思うこと けんちゃん |
2003年の座右の迷 あまにぃ |
2003年に思うこと
けんちゃん |
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早いもので2000年の春に立教に入学してからもう三年が過ぎようとしています。この3年間、いや、中学生ぐらいから僕にとって常に人生の目標においていることがあります。それは、「後悔しないように生きる」ということです。死ぬときに自分の人生幸せだったって思って死ねたらどんなに嬉しいか…生きてる間でも、もう一度人生やり直したいとか、生まれ変わったらとか、そんな事をいつも思って生活するのはやだ、ということです…もちろん生きていれば嫌な事も辛いこともありますが、それでも一生懸命やった、と自分が納得出来れば、多少悔しくてもしょうがないと思えて後悔はしないからです。悔しさは忘れられますが後悔はなかなか忘れられないものなので…一番嫌なのは出来るのにやらなくて失敗、というパターンだと思います。納得も正当化も出来ないから自己嫌悪に行くしかない…そんなのは嫌ですから、出来ることは頑張ってるつもりです。それは僕の行動の一番基本的なところにあるので2003年になっても変わらないと思います。 もっと短い期間で考えれば大学生活における目標というものもあります。中高ずっと1つのことを頑張ったので、大学生活における目標は幅広い経験を得て自分を成長させること、でした。幸いなことに3年までは理想どおりの大学生活が送れているように思います。でも4年になったらある程度は活動に参加しつつ少しのんびりしてみたいな、とも思います。そして学生時代に得たものを自分の中で消化すると同時に、少し本でも読んで知識や教養を深めたいな、などと思っています。 大学4年生ということにしぼって考えてみればまず卒業、そして就職。そういった意味での目標としては教員採用試験に合格することですが…これは勉強するしかありませんから…。 その他今まで生きてきて大切だなぁと思ったことはたくさんあります。それは別に2003がどうこうとか言うのではなく、またわざわざ1つ1つ言葉にするのもめんどくさく、一言であらわしてしまえばただ今まで感じたことに従って生きる、ということになるのでしょうか。 結局のところ、特別大きな目標というものはないし、2003だからといって思うこともありません。極端な話、来年の豊富とは「今までどおり自分らしく生きる」といったところでしょうか。あえて何か付け加えるなら、2004になったらもはや学生ではなくなるため世間の荒波に耐えられるように精神力を強くしたり、心の準備をしておく、といった感じかもしれません。 細かいことを書けばきりがないから大まかな目標だけにしてしまいましたが以上が僕の2003に向けての豊富です。 |
2003年の座右の迷
あまにぃ |
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『光陰矢の如し学成り難し』なんて僕が言うとみんな大爆笑なんだろうな。いや、開いた口がふさがらない、か?そうは言っても今年は勝負の年なのだよ。僕はね。 早々と「就職なんてしてられっか!」なんて職探しをほっぽりだしたあまにぃは大学院志望なのです。そもそも理学部化学科生命理学コース(長い名前だ)に入ったのは研究がしたかったから。自分が世界の最先端に行き着きたかったから。自分の名前を歴史に残したかったから。「私は歴史のイントロンになりたくない。永遠にエキソンでありたいのだ!」(あるゲームの敵役の台詞) ちょっと熱が入りすぎましたね。けんちゃんの影響かな?少し真面目に話しますと、今まで勉強してきたことは所詮誰かが見つけたことで、僕自身はまだ何も見つけてないのです。つまり何の成果も挙げていないことと同様で、学問していないのです。基礎を固めた(一部ゆるゆるですが)に過ぎないのです。ですから、この一年間の卒業研究に多大な期待をしていて、いっちょ前に論文を書くために努力をするのです。この論文を書くという行為で、この時代に僕が存在したことを証明するわけです。「あいでんてぃてぃ」って何を意味するのかいまいちわかりませんが、きっと論文が僕のそれだと思います。 と、真面目にやったつもりだけど、ちょっと暗かったかな。ただね。今年は勝負の年なのだよ。もう一つね。「今年のクリスマスは絶対に(以下略)」何を略したかは次の標語からおわかる頂けると思います。 |