正月をつかって考える,幸せというもの 健ちゃん |
正月をつかって考える,幸せというもの
健ちゃん |
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冬休みといえば…やはり大晦日から正月にかけてだろう。あの数日間は時間の流れも漂っている雰囲気も他の日とは全然違うように感じる。 僕の場合は大晦日といえば大掃除,年越しそば,紅白,そして除夜の鐘…年始は初詣に始まり,お雑煮を食べ,田舎に挨拶に行き,駅伝やラグビーなんか見たりしてゆっくりすごす。ごくごく平均的な過ごし方であろう。あのゆったりとした時間は他の時期では味わえない。何しろ何の引け目もなくごろごろ出来るのだ。 そして正月というのは家族がひとつの部屋でのんびり出来る数少ない時期だと思う。別にどこに行くわけでもなく,あわただしく動き回るわけでもなく,ただ一緒にいて一日中ごろごろしてても違和感のない時間,それが正月なのだ。だからこそ僕は正月に幸せの雰囲気を感じるのだろう。そしてそういう何気ない時間に幸せを感じさせてくれるのが僕にとっての正月なのである。 僕は本来,そういう何気ない時間こそ幸せだと思っている。普段どおりに暮らせて,平和で,でもそんな中でちょっとした出来事が起こって,それをみんなで話したり笑ったり出来る日常。家族がいたり,友達がいたりして,みんな元気で暮らしていけるごく普通の日々。とても重要だと思う。 よく,こういったものの価値は失って初めて気づくといわれる。確かに平凡な日常は時に退屈を生むから,価値を見出せなくなるのだろう。当たり前のようにありすぎてありがたみを失ってしまうのだろう。だがそれではもったいなさ過ぎる気がするのだ。そしてなにより昔は良かった,と失われた日々を嘆きたくはないと思う。昔は良かった,といった時点ですでに今の幸せを忘れて過去しか見えなくなってしまっているのだから。いつまでも続くとは限らない…いや,むしろいつまでも続くことはありえない,今という時間。失ってからではなく,今,その大切さに気づいて生きたいと僕は思う。 だがそうやって生ようと思っていても忙しさの中で,どうしても日常の幸せを忘れてしまいがちになる。そんな時,正月という時間はそれを思い出させてくれるのだ。そして,普段の辛いときでも正月を思い出すことによって今自分は幸せなんだって感じることが出来る。だから正月にはあんなに幸せの雰囲気がただよっているのだろう。僕にとって正月とは,そういう忘れてしまった,当たり前の幸せ,を思い出せる時間なのだ。 人はどうしても自分が持っているものを忘れて人や過去,手に入らないものばかり欲しがってしまう…それ自体は悪いことではないと思う。現にそうやって人間は進歩してきたのだから。ただ,そのときに,自分の持っているものが見えなくなり,自分を嫌いになってしまうのはあまりいいことではないような気がする。人と比べるのもいいが,大切なのはやはり自分なのだから。そして,自分という存在は必ず何かすばらしいものを持っているはずだから。 |