2001年 振り返り

BSA、それは「他者に関心をもちつづける兄弟」
BSA担当 司祭 高橋 顕
Message In A Bottle
文学部 英米文学科 4年 島崎 祐介
4年間のBSA活動を振り返って
法学部 法学科 4年 田中 伸
『振り返り』
文学部 日本文学科 4年 豊福 智徳
振り返り
コミュニティ福祉学部 コミュニティ福祉学科 4年 逸見 諭
立教大学BSA第8支部様
コミュニティ福祉学部 コミュニティー福祉学科 4年 吉橋 崇
B.S.A.8にいると女運が逃げていくというジンクス
コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 3年 福島 卓
「『祈祷と奉仕』の実現を目指して」
法学部 法学科 3年  渡邉 雄介
2001年度BSA第八支部振り返り 〜ボランティアに関する疑問〜
理学部 物理学科 2年 小沼 健一
ふりかえり
社会学部 産業関係学科 1年 恩田 和英
「ふりかえり」
経済学部 経営学科 1年 武村 剛泰
キーワードは“NEW”
コミュニティ福祉学部 コミュニティ福祉学科 1年 野末 和宏
編集後記





BSA、それは「他者に関心をもちつづける兄弟」

BSA担当 司祭 高橋 顕

 今年の夏の「どんぐり牧場ワークキャンプ」が無事に終わったと報告を受けました。BSAを受け入れて下さったどんぐり牧場の皆様に、心より感謝申し上げます。また、BSAの皆さん、ご苦労様でした。怪我や事故がないことが大切な絶対条件です。無事に終わったことを神様に感謝いたします。私は参加できませんでしたが、BSAのメンバーが奉仕活動に関わり、参加する毎に、各自の他者への思いや関心が深まっていくのを感じます。今年も、どんぐり牧場でのワークを通して、さらに皆さんの様々な気づきが深まったことと思います。
 皆さんがどんぐり牧場でワークをしている頃、私は研修会があったりして、関東地方を行ったり来たりしていました。とても暑い夏でした。どんぐり牧場の気候もやはり暑かったでしょうか。
 ところで9月に入って気温が涼しくなり、小中学校も授業が始まったある日、私は池袋駅のホームの階段から1階に降りようとしていました。すると心配な光景が目に入ってきました。階段の中間の平たい所に、若い男性が3人座っており、互いに雑談をしていましたが、その上から目の見えない男性の方が白い杖を持ちながら階段を降りてきました。そのままでは、目の見えない男性は座っている若者たちにぶつかり、階段を転倒してしまうと思われました。私は上の方からその光景を見て、だんだん深刻な思いになってきました。大変な事故になるかもしれないと予感しました。どうしよう、と私がとまどっているその時、「おじちゃん、あぶない!!」という女の子の叫び声が聞こえました。すると目の見えない男性は、ピタッ、と立ち止まりました。その様子に気づいて若者たちは急いで立ち上がり、階段から去って行きました。その叫び声のあったほうをみると、制服を着ている小さな小学生の少女が立っていました。ランドセルに黄色い交通安全のカバーをつけているので、その小学生は1年生だとわかりました。その小さな少女が、状況が大変だと感じて、とっさに「おじちゃん、あぶない!!」と叫んだのです。この一声で危険な状況が回避されたのです。もしあの少女が、あの状況に無関心であったら、叫ばなかったと思います。あの少女が、目の見えない人のことや、階段の危険性や、階段に座っていることの迷惑性について、無関心で、無自覚で、無責任で、無感覚で、無関係で、無視をしていたのなら、あの叫びはでてこなかったと思います。しかしあの少女はちがっていました。「関心をもっていた」のです。「無」という接頭辞の付く心構えを、あの少女はもっていなかったのです。私はあの階段での出来事を目撃して、「他者に関心をもつ」ことの大切さを、あらためて気づかされました。
 BSAの活動が、「他者に関心をもつ大切さ」をますます示しつづけるものであってほしいと思います。

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Message In A Bottle

文学部 英米文学科 4年 島崎 祐介

 4年生らしい「振り返り」の文章は、たぶん、他の4年生(田中、豊福あたりかな)が書いてくれているだろうし、私が言いたいことも彼らのとかぶりそうなのでそのへんのことは彼らのページをお読み下さい。おぉ、なかなかいいこと書いてくれてますよ(まだ読んでないけど)。
 さてさて、私めの「振り返り」ですが、過去3回も「振り返り」を書いてしまうともう書くネタに困ってしまうんですよね。特に去年の私の「振り返り」(「2000年度活動報告」参照)は約1ヶ月ほどの構想の末に絞り出されたものだったし(「そのわりにはつまんねえよ」といわれちゃおしまいだが)。去年の「振り返り」以来、何か自分の中で変化はあったか、と自分に問いてもグーの音も出ない。成長していないということはないだろうが、BSAの活動に対する基本的な姿勢・考え方が変わったとは思えない。これでは「振り返り」が書けないので、編集する後輩のK沼に逆十字固めを決められてしまう。アワワ…。
 まあ4年間活動してみて、BSA8支部員の人間性を分析してみたので、述べてみようと思う。
まじめ…大概の支部員はどこかしら「まじめ」という同類項でくくれる。さらに「きまじめ」「くそまじめ」に分類することが出来る。この2つが、時折、対立することがあるが、大きな混乱は生じないでいい均衡を保っている。この「まじめ」な雰囲気が好きで、BSAを続けているという支部員が多いはずである。
シャイ・ガイ…男しかいないせいか、男子校上がりの支部員も少なくない。他のチャペル団体の女性と気軽に挨拶が出来るのに時間がかかる傾向がある。向こうが、意外とこっちのこと知っていても、気が付かないでいる事も多い。しかし、集団になると他の集団には出来ないような恥ずかしい事をやってのける時がたまにある。
ナイス・ガイ…頼まれた仕事はいやでも断れないというところが、BSA8の良いところでもあり、悪いところでもある。しかし、いざ仕事となると、黙々と作業をこなし、期待以上の働きに依頼主から大きく感謝される事も少なからずある。
笑い…一見、朴念仁の集まりかと思いきや、支部員それぞれが必ず人を笑わせる要素を備えている。「小ネタ」や道具などを駆使して笑わせるものと、地(その支部員の存在や行動や言動)で笑わせるものとに分けられる。「まじめさ」と「笑い」の緩急を上手く使い分けた雰囲気はBSA8独自のものである。
弱さ…支部員それぞれが自覚している自分の「弱さ」。その一人一人の「弱さ」を支部員全員で共有出来ているところがある。その「弱さ」を媒体に支部員同士の連帯感が生まれている。

 多くのもと・現役支部員がこの分析に同調してくれれば、幸いです。  BSA第8支部の構成員にのみ、許された(?)「支部員」という名称。その「支部員」の「支」って「支える」という意味である事に気付かされた。自分は他の支部員に「支え」られたこと、数知れず。逆に自分は、他の支部員の「支え」にどれだけなれただろうか。また、われわれは活動を通して、どれぐらいの人たちの「支え」となりえたであろうか。振り返れば、そんな反省点ばかり出てくる。来年度からはもう周りには、そんな気心知れた「支部員」はいない。新しい経験ばかりで、戸惑うことであろう。そんな時は、BSA8での活動を通して得た経験や、支部員に「支え」られたことを忘れずに、それを心の「支え」として乗り切っていくぜい。
 みんな、ありがと。

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4年間のBSA活動を振り返って

法学部 法学科 4年 田中 伸

 僕がそもそもBSAに入ったのは漠然と奉仕活動をしたいと思ったからだった。その当時の僕の考えでは、「奉仕こそが人をもっとも輝かす」であった。僕はぶっちゃけ言うと輝きたかったのである(赤面)。その点、奉仕をするということにおいてはBSAというサークルはすばらしいものだった。
 僕は平素から口数の少ないほうで、何もしゃべらないほうが楽な気持ちだった。僕は1年生のころ聖歌隊にいたが、そこではたくさんしゃべらなければ場についていけない雰囲気があった。だから、週1回のミーティングでもBSAは僕の癒しの場になった。だって、何もしゃべんなくてもいいんだもん。何もしゃべらなくても受け入れてくれる雰囲気がそこにはあった。だから僕が聖歌隊をやめてBSAに絞るのも時間の問題だった。
 どんぐりとの出会いも非常に僕にとって大きかった。でもその話のまえに、僕の1年生時代の話を書きたい。1年生のころ、僕はモスバーガーでアルバイトをしていたが、不器用な僕はバイトの仲間や社員から疎まれた。受け入れられないとかそういう次元ではない。排斥だった。この経験は僕を非常に深い自信喪失に陥らせた。「僕は本当にこの世の中に生きていていいのだろうか」という自信喪失だ。この自信喪失はかなり後を引きずった。
 でもどんぐりは僕に居場所を与えてくれた。僕にも出来る事があるんだ、生きるっていうことは、そんなに難しいことではないんだということを教えてくれた。たとえば、人生行き詰まったとき、僕はもう一度どんぐりで働こうと思っている。生きるうえで本当に大切なことを教えてくれた気がする。どんぐりはいまでも僕の心を温めていてくれる。
 4年になってさまざまな市民活動を見てきたが、やはりBSAは非常に純粋なサークルだと思う。そもそも、先輩から飲むために使えといわれてもらった金を部費にあてるBSAは異常の一言につきる。ミーティングで「奉仕を楽しんでいていいのか」という議論をするあたりも非常に好ましい。僕はBSAが大好きだ。
 4年間終えて、やっぱり「奉仕は人を輝かす」のだと思う。奉仕は人を本当の意味で生かす。キリスト教的な言い方を許してもらえるならば、奉仕をする人の近くには神がいっしょにいるのだ。詩篇だったかにも「まことに愛と誠実のあるところに神はいます」というくだりがある。奉仕がうれしくて、楽しくて、当然なのだ。
 祈祷と奉仕というスローガンも単純でいい。クリスチャンの生活とは、まさにそれなんだろうな。僕はBSAを引退しても、祈祷と奉仕をしっかり守って生きていきたい。それはボランティア活動だけでなく、職場でも、人間関係でも、祈祷と奉仕は守っていきたい。

 BSAを4年間続けて学んだ事は結局、祈祷と奉仕だったのかもしれない。

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『振り返り』

文学部 日本文学科 4年 豊福 智徳

 これが最後の振り返りになるのかと思うと少々寂しい。2年前は、4年生の振り返りは最後の締めとして立派なことが書けるのではないかという期待があった。しかし残念ながら、今の私は退化はしていても成長はしていないだろう。引退した身であることと、不器用なために就職活動や教育実習などで時間も精神も消耗していたことを言い訳にBSAの活動にほとんど参加しなかったことが、BSAに籍を置かしてもらっている身としてはどこか寂しさと後ろめたさを禁じえない。だから、みんなから各活動や「どんぐり」での話を聞くたびに、その場にいられなかった疎外感と、しっかり活動が続いているのだという安堵感の入り混じった複雑な感覚にとらわれていた。
 今年度に入って、一度だけ活動に参加した。風の子会バザーだ。荷物を車に積んだり、表参道の売り場に売り物を並べたりしながら、ボランティアを始めたばかりの頃を思い出していた。4年生という、物理的にも精神的にも追い詰められた状況のなかで行うボランティアは、3年生までのそれとは違うような気がした。自分に余裕がなくては人に優しくできない部分と、自分も痛みがわかっていなくては人に優しくできない部分との融合が奇妙なバランスを保ちながら、私をボランティアに駆り立てていたことを思い出した。
 私がBSAに入った2年生の春の段階では、4年生になった私の明確なビジョンなど持っていなかった気がする。しかし、微かではあるが、目指すべき目標は持ち続けておくつもりだった。今の私はあのときに抱いていた目標を実現させているだろうか。はっきり言って、それはNOであろう。いろんな回り道や寄り道をしてきた。あるときは偶然に、またあるときは意図的に。自分の知らない何かに偶然出会ってみたかった。その一方で、地に足を着けておくことも忘れないようにしていた。そうしているうちに、それなりの成果に出くわすこともあった。考えてみれば、このBSAに入ったのも偶然の一つである。しかも、私の大学生活においてとても大きな。そしてその偶然が多くの必然を生み出していった。その必然が、良くも悪くも今の私をつくっている。
 私はいったい何を探していたのだろうか。それを忘れてはいないはずなのはわかっている。しかし眼を背けている間に、本当に見失ってしまいそうな恐怖感にいつもとらわれている。私が見つけようとしていたものなど、卒業までに見つからないだろうという予想はあったが、それはいっそう大きな謎となって私の中に傷跡をつけていったようだ。何か大きな宿題を抱えたまま卒業する気がして仕方ない。その上、BSAに貢献したどころか、BSAのみんなには多くの迷惑をかけた。にもかかわらず様々な場面で助けてもらい、支えてもらったことをありがたく思う。普段、面と向かって言えない私だから、この場を借りて感謝したい。ありがとう。
 先輩たちから「奇跡」と呼ばれたBSA第8支部の存続。この奇跡をそのまま続けていって欲しいと願う。卒業していく私たちは、立教のどこかに帰ってくるところが欲しいものだ。BSA第8支部が、私たちがいつでも戻ってくることのできる場であって欲しい。今の私には、これを最後の振り返りにしたくない、という気持ちがある。しかし容赦なく卒業は訪れる。だから、卒業してもBSAのOBとして集まったときに、お互いに近況報告や日々の反省を語り合うという形で「振り返り」を交換し合いたい。そんな日がくることを今から楽しみにしている。

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振り返り

コミュニティ福祉学部 コミュニティ福祉学科 4年 逸見 諭

 私も4年生となり、BSAの活動に参加することもほとんどなくなってしまったのだが、先日たまたまBSAのミーティングに参加した時、目白聖公会の方の話を聞く機会があったのでそれについて考えてみようと思う。
 まず、本質というか、目標というものがあり、その周りに仕事がある。それが本来の形であり、そうなれば仕事もやる気が起こる。しかし仕事というものが先にあると、なぜこんな事をやっているのか途中でわからなくなってしまったり、手を抜いているやつに対して「ずるい」という思いが出てしまったりする、という話だった。それを聞いて私は仕事(ボランティア)の方にばかり目が行ってしまったかと少し後悔している。「あいつは、サボっていてずるい。」これは、私がどんぐり牧場で、つい思ってしまうことである。あのようなきついワークの中でこそ目標をしっかり持つことが大切ではないだろうかと感じた。以前の振り返りにも書いたように、私の場合どんぐり牧場は、自分を鍛えなおす場という位置付けをしていたが、「いかにして、さぼろうか」をいつも考えていた。今になってばらします。ごめんなさい。どうしても、きついというイメージが先行してしまい、オーバーペースにならないようにいつもペース配分を考えていた。だから午後の休憩のあたりから、いつもラストスパートで、その時間帯が1番元気だった。どうしても、マラソンをやっているとこういう考えになってしまうのだろうか。私は、この先仕事をするにあたって、ペース配分というものに、いつも気を配る気がするが、本質・目的を見ることによって相手に流されず、自分の動きというものが決まってくる。大学に入ってから、今まで以上に損か得かを考えながら自分はボランティアをしていたかと思うと恥ずかしい。それぞれの活動について何のためにするのかをもう1度皆で考えたり、話し合ったりする場も必要なのではと思った。

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立教大学BSA第8支部様

コミュニティ福祉学部 コミュニティー福祉学科 4年 吉橋 崇

 通りのイチョウ並木もすっかり色を変え、そして町行く人の姿にも冬の臭いを感じる昨今、いかがお過ごしでしょうか。
 私は今、将来のことを考えることと、残り少ない大学生活をどのようにしてすごすかで頭がいっぱいです。あなたは今、何を考えていますか?
 あなたには、大学生活で様々な場面でお世話になったと思っています。あなたは、私にボランティアというものを教えてくれました。そして、キリスト教という考え方にも触れることができました。また、様々な場面で生きている人たちとも、出会うことができました。チャペルにいる人々を始めとして、風の子会、どんぐり牧場、マルコ教会、滝乃川学園、那須聴水寮などなど。数え始めたらきりがないぐらいに、たくさんの人たちのことを教えてくれましたね。「人間も捨てたもんじゃないな。」と、生意気にも10代の頃の私はそう感じていました。「何て人間って馬鹿なんだろう、同じことばっかり繰り返して。そんな馬鹿な人間なんか、いなくなっちゃえばいいのに。」そんなふうに諦め半分に思っていた私も、人間なんですからね。おかしな話ですよね。
 でもね、私があなたに何よりも感謝しているのは、多くの仲間に会えたことなんです。みんないいやつらでね。おもしろいですよ。あなたにも紹介したいぐらいですから。なんでなんですかねえ、あなたのところには根がまじめなやつが多く集まるみたいで。居心地良かったですよ。癒し系ってやつですかねえ。お酒を飲んだ時なんか、日ごろのストレスを爆発させるかのごとく、ですからね。あなたも今度一杯どうですか。
 話は変わりますが、ひとつ質問してもいいですか?なぜあなたは、私の前に現れたのですか?私を何かに導くためですか?それともただいたずらに、私のことを見て楽しんでいたのですか?それでも私はかまわないんですけどね。だってほんとに楽しかったから。  これからあなたはどうしていくんですか?これからもずっと、チャペルとそこに集う学生たちを迎え入れていってくれるのですか。そして私と同じように、様々に生きている人たちと出会うこともできるのでしょうか。少なくとも私は、そうあることを願っています。
 いくら書いても、あなたへの感謝はつきません。感謝という言葉が形にならなくて良かったと思っています。だって形になってしまったら、限界が出てきてしまうから。だから、形にはできません。その点では少しホッとしてます。
 大学は(恐らく)卒業しますが、あなたのことは忘れません。きっと忘れたくても、忘れられないでしょう。私にとっては、そんなあなたなんですよ。
 それではまた。いつの日かあなたに会える日を祈って。

2001.11.26 15:53 新座のコンピューター室より

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B.S.A.8にいると女運が逃げていくというジンクス

コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 3年 福島 卓

 B.S.A.8という集団はいやにモテない男ばかりが集まったな、とつくづくおもう時がある。浮いた話はほとんどなく、たまに聞くのは「またフラれました!!」という報告ばかり。ヒドイ輩は、クリスマスの夜に集まって「シングル会」なるものを開催し、みんなでシングルベ〜ル、シングルベ〜ルと唄うのである。悲しいかぎりだ。
 こんな能天気な B.S.A.8にも悩みはあるらしく、それが支部員不足についてのようだ。いや、私はそんなに深刻には考えていない。むしろ人が少ない方がB.S.A.8らしい雰囲気でいいと思うのだが、他の支部員たちがB.S.A.8の未来を心配している。来年には廃部になるのでは?と心配しているのだ。その対策に乗り出すために知り合いの社会人に知恵を貸してもらい、ホームページ作りをはじめている。
 2001年度のB.S.A.8の支部員は、1年生が3人、2年生が1人、3年生が実質2人、そして引退した4年生が5人で構成されている。合計11人だ。客観的にみるとこの人数はやはり少ないのかな、とも思う。しかも全員が男だ。
 メンバーが男だけだというのは、今の時代どうかしているようにも思う。私が二年生の頃は、「女もいれたらいいのに」とよく思ったものだ。その度に、先輩からよくわからない理由で「男だけでいいのだ」と説得された。どうして男だけなのだろうとずいぶん考えた。この理由は「B.S.A.の歴史」という冊子を開けば書かれているが、そこに記された根拠も「B.S.A.8の仕事に耐えられるのは自然と男しかいなかった」という程度のものだった。しかし、納得のいかなかった私も3年生になると、いつのまにかB.S.A.8は「男だけでいいのだ」と思えてきた。それは、ただの愛着であり「男だけのB.S.A.8」を変えたくないという思いでしかない。
 しかし、今年メジャーリーグで新人王とMVPを獲得したイチローも日本にいるときに言っていた。「変わらなくちゃ!!も変わらなくちゃ!!」である。B.S.A.8も変わるためのホームページ作りである。変わるといっても女を入れる入れないの問題ではないが、なんとなくこのホームページからB.S.A.8が変わっていく感じがある。
 変わっていくといえば支部長である。あたりまえの話だが、毎年毎年飽きもせずコロコロと変わっていく。歴代支部長の顔を頭に浮かべると、私が知っているだけで4期前から杉浦さん、平井さん、佐藤さん、田中さんがいる。B.S.A.8の長い歴史を洗い流せば、きっと支部長にもいろんな系譜があると思う。酒飲みな人、フランクな人、真面目な人、濃い人。わたしは一体どんなタイプに入れてもらえるのだろうか。
 今年一年支部長をして、気をつけていたことはいくつかある。まず、自分から活動に積極的に参加すること。ボランティアの良さも悪さも「出来る範囲での参加」という言葉にある。この理屈がうまくいっているときはいいが、下手をすると「気分が乗らなければ行かなくてもいい」という雰囲気が出来上がってしまう。これは去年くらいから少しずつB.S.A.8のメンバーの中に生まれていた。それではいけないと思って、私はどんどん活動に出た。友達と約束があろうと、夜勤明けだろうと、B.S.A.8から一人だけの参加になろうと、である。誤解していた人がいたかいないかしらないが、とにかく私がB.S.A.8の活動に頻繁に出ていたのは別に彼女がいなかったからという理由ばかりではない。
 他に気をつけたのは、下級生の意見を汲み上げることだ。下級生は、考え方が新鮮だし、元気がある。それはまだ要職についていない無責任さとB.S.A.8色に染まりきっていないという良さからくる新鮮さだ。特に2年生は一年間B.S.A.8での経験を踏まえた上で、感覚も新しいし、というわけで大事な存在だったと思う。
 あとはB.S.A.8の飲み会があるときは出来る範囲で先輩を呼ぼう思った。これは、そういう姿を後輩に示すことで、将来自分がOBになってもB.S.A.8の飲み会に呼んでもらいたいという思惑もあった。先輩が来てくれればお金も安く済むし、楽しいし一石二鳥というわけだ。
 私はこの振り返りの中でいったいなにがいいたかったのだろう。そうだ、B.S.A.8の面々がいかにモテないかについてだった。別に彼女がいてもいなくてもいっこうに構わないのだが、「大学4年間で彼女が一人もできなかったのは、男だらけのB.S.A.8にいたせいだ」なんて愚痴を卒業時に言わなくてすむようしたいものだ。

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「『祈祷と奉仕』の実現を目指して」

法学部 法学科 3年  渡邉 雄介

 BSAに入部して2回目の「ふりかえり」を執筆することとなった。昨年の11月30日、聖アンデレ日にチャペルにおいて新入会員の宣誓を立ててから早くも1年が過ぎようとしている。時が経つのは早いものだと痛感するのと同時に、この1年あまりの間BSAの一員として果たしてどのような活動ができ、モットーである「祈?と奉仕」をどの程度実現することができたかを思わずにはいられない。
 入部当初は、「何でもやってやろう」という貪欲なほどの好奇心もあって、様々な活動に積極的に参加するようにしていた。しかし、3年次に進級し、正課活動である授業、以前から行なっていたアルバイトをはじめ、BSA以外に学内外で展開されている様々な活動やサークルに参加するようになり、それに伴ってBSAの活動に参加することが難しくなってしまう場面が度々あった。
 勿論、BSA以外の活動やサークルにおいても色々な人との出会いがあったり、今までになかった体験をしたりして、己の世界を広げる一助となっている。ただ、私のホームグラウンドはあくまでもBSAであると考えているので、そのBSAの活動に参加できないというのは非常に残念で心苦しいことである。殊に、夏期休業中のどんぐり牧場でのワークキャンプや那須キャンプ場でのアルバイトなどといった比較的大規模な活動には参加しているにもかかわらず、風の子会バザーなどの日常的活動にはあまり参加できないというのはやはり一考を要する問題であろう。
 本来、日常的活動を地道に取り組んでいくというのが私たちBSAのあり方であると考える。ところが、私自身もさることながら、現在のBSAは、どちらかといえば行事的活動に重点がおかれ、日常的活動にあまり積極的ではないような風潮があるように思う。言うまでもないことだが、私は行事的活動を軽んじるつもりはない。今夏、どんぐり牧場でのワークキャンプでは、きつい作業ながらも今までにない充実感を得ることができたし、那須キャンプ場でのアルバイトも、お客さんが大勢来た時期に当たっていたり、大雨のさなか停電したりといった悪条件の中であったが、BSAの歴史の一端に触れることができ、貴重な経験となった。
 しかし、日常的活動を積極的に展開していくことが、やはり「祈?と奉仕」をモットーとして掲げているBSAの本分であると考える。特に、支部員が決して多いとはいえない現状において、BSAを更に盛り上げていくためにも、日頃から活動に能動的な姿勢を持って取り組んでいくことが大切であり、それは私自身に課せられた課題でもある。理想論かも知れないが、真摯に活動を実践していくことが、結果的には新入部員の獲得とそれに伴うBSAの盛り上がりにも繋がっていくのではないだろうか。
 立教大学の歴史とともにあるBSAの灯火を、次の世代に残すためにも、祈りと働きをもってできる限りのことをするのが私の使命である。少しずつかも知れないが、「祈?と奉仕」の実現を目指して皆とともに歩んでいきたい。

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2001年度BSA第八支部振り返り
〜ボランティアに関する疑問〜

理学部 物理学科 2年 小沼 健一

 BSAでボランティア活動に関わってからもう二年が経ちました。この間にボランティアに関してもいろいろと考え方が変わってきたように思います。今回はその中でも一番考えた疑問について書いてみたいと思います。
 僕は去年、ボランティアとは結局自己満足なのではないかという結論に達しました。もちろんその場合の自己満足とは決して否定的な意味で言っているわけではありません。一言でいってしまうと労働してお金をもらう代わりに達成感や満足感や連帯感といったものを余計にもらっているのではないか、ということです。しかし今年はその発想を初めとして、ボランティアというものに疑問を持った年でした。その疑問とは果たしてボランティアとはやってもいい事なのか、というものでいつの頃からか僕の頭の中に湧いていました。
 その考えの根底にあったものはあるものに対していいことをした場合それによって被害を受けるものがある、というものです。そもそも今地球は人口増加で大問題になっています。(各種自然災害や公害も人口増加が原因のものがたくさんあります)これは人間が自然界の弱肉強食という掟を忘れて弱者保護という形を進めてきたことに原因があると思ったのです。死んでいるはずの命を助けることは本当にいいことなのだろうか、という質問にいいことだ、と即答することは出来ないと気付いたのです。なぜなら本来死んでいる命を生かしておくために、動物や植物に犠牲にならなくてはいけない命がたくさんあるからです。そんな人間じゃない生物の命と人間の命を等しく考えるなんて間違っている、と言う人もいると思います。だけど本当に他の生物の命は人間の命より軽いものなのでしょうか?本当に、地球上にあふれ、資源を大量に使い、他の生き物を絶滅させ、地球に多大なダメージを与えている人間の命は他の生物よりも重いものなのでしょうか?正直なところ、僕にはその答えはわかりません。でも少なくとも人間の命が一番重いと簡単にいうのは間違っていると思います。
 そのことに気付き、僕は本当にボランティアをやっていてもいいのだろうか、と思い始めました。自分の知らないところでボランティアをすることで他にも迷惑を受けている人(物)がいるかもしれない、自分は自然界の法則に逆らっているのかもしれない、全てを自然の流れに任せた方がいいのではないか、と悩みました。そして自己満足で迷惑をかけているのではいけないのではないか、という考えになりボランティアをやる意味すらわからなくなっていきました。
 で、そうやっていろいろ考えた結果、ようやくボランティアをする理由というものをみつけました。それは、難しいことは抜きにしてただ自分の心が人の笑顔を見たがっているから、というなんとも単純なものでした。良く言えば自分の心に正直、悪く言えば究極の自分勝手です。だけどそれが僕がボランティアをする理由なんです。もしも自分の見えない、気付かないところで迷惑を受けている人がいたとしても僕は自分が関わった人の喜ぶ顔のために出来るだけのことをする、それしかないのではないかというのが僕の出した結論なのです。あまりスケールの大きなことばかり考えていて自分の周りの人達の事を考えることが出来ない、というのでは話にならないと思います。もちろん、環境のことや他の自分のせいで苦しんでいるかもしれない生き物達の事も考えなくてはいけないと思います。ただそれは自分の周りの人の幸せよりも優先順位が下になるという事なのです。
 今回の僕の疑問はこんな形で答えが出ました。結局のところ去年より自分勝手が進んだだけのような気もするのですが・・・。でも、こうしていろいろな事を考えられるようになっているということは少しずつ成長しているということだと僕は思っています。まだまだ未熟なためこれからもいろいろな疑問が出てくると思いますが出来るだけ逃げないで正面からぶつかっていきたいな、と思います。

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ふりかえり

社会学部 産業関係学科 1年 恩田 和英

 初めてB.S.A.の活動に参加したのは“風の子会”のバザーの手伝いだった。太陽の照りつける猛暑だったその日、表参道の富士銀行前に広げられた無数の古着や、文房具の中、私たちは古本を売った。たくさんの人々が行き交う中、足を止めてくれる人は本当に稀で、暑さのせいもあって嫌気が差した時もあった。でもそのような中で、風の子会の方や、他のボランティアの方は何度も声を掛けてくれ、差し入れをして下さった。私達は手伝いをするためにそこの場に居るのに、逆に気を使ってもらい、悪いなぁという思いを持ちつつ、それに甘えていたし、嬉しかった。手伝いをしたというよりも、一緒にバザーに参加させてもらった、という感じではあったものの、初めてのB.S.A.としての活動は、多くの人とのふれ合いの内に終えることができた。
 B.S.A.に入っておよそ半年、この期間で最も印象に残っているのがどんぐり牧場でのワークだ。山梨県にあるどんぐり牧場は一宮と真木との2箇所あり、今回は一宮の方にお世話になった。迎えに来てくれた車に揺られて山道をしばらく上ると、その日から四日間を過ごしたどんぐり牧場の姿がそこにあった。
 初日は半日だけのワークということもあり、それほどのきつさは感じず、土堀の作業を皆で楽しくやった。そしてその日の夜、花火大会に行き、そこで初めて、どんぐり牧場を運営する親方にお会いした。貫禄を感じる人柄で、その親方を筆頭にどんぐり牧場の皆が料理を囲むその情景は“1つの家族”といった印象を強く受けた。2日目からは慣れないワークもハードになり、疲労としてはかなりのものだった。でも、この生活を通して多くの時間を親方やどんぐり牧場の皆と共に過ごし、多くの話をし、聞くことができ、充実したものだった。どんぐり牧場の人たちは、各々その度合いに違いはあるものの、障害を持っている。確かに、名前を覚えられなかったり、しっかり話せなかったりする。でも、私たちがたった四日間でへこたれているような仕事を毎日のようにしているし、各自自分の担当する、責任ある仕事を日々こなしている。その仕事をしている姿を見ていると、障害があることなど感じさせないし、それどころか、すごささえ感じたくらいだった。親方は、一般のしょうがい者施設では考えられないほどに、自由な行動を認めているし、仕事が休みの時には個人のみでの外出をも認めているということだった。花火の時に感じた“1つの家族”という感覚も、こういった親方の方針から、成されているものだったのだろう。そのためか、一人一人の表情はとてもあたたかく感じられたし、向上心に満ちていた。夕食後、車の教習本を見せて、嬉しそうに「免許とりたいんだ。」と言ってくる人もいて、これには本当にすごいなと思った。
 B.S.A.に入って以来、風の子会の方やどんぐり牧場の方との出会いを通して、障害というものに対する考えは変わった。以前はしょうがい者に対しては社会的弱者なのだから、私達は守っていってあげるものだという考えでいた。でも、活動を通して出会った人々からは、その障害の為にサポートを必要としていても、普段の生活の中で健常者から受けるのと同じくらい、もしかするとそれ以上に、多くのものをもらい、助けられたような気がした。以前に「しょうがい者という存在は健常者によってつくり出されているんだ。」ということを聞いたことがあるが、確かにそうなのかもしれない。しょうがい者をその言葉だけで一くくりにしてしまい、それぞれにある個性や可能性をつぶしてしまうのは悲しい。私たちはもっと多くの人々とふれ合い、理解する必要があるのだろう。B.S.A.はそう言った機会に多くめぐり会える、そういった場所であり続けて欲しい。

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「ふりかえり」

経済学部 経営学科 1年 武村 剛泰

 今年の6月にBSAに入隊した私であるが、そもそも私がBSAに入隊したきっかけはというと、1人のBSAの先輩からBSAという存在があることを聞いたことだった。それまでは、BSAという存在についてはまったく知らなかった。しかし、私は以前からボランティアには興味があったのでその先輩がくれた去年の「ふりかえり」を試しに読んでみた。読んでみて、個性的な人たちがそろっていて大学時代にこの人たちとボランティアをやってみるのもいいなあと思った。それに、BSAは少人数であり、もともと大人数で活動をするのが余り好きでなかった私には合っていた。(人数が少なすぎるため部員不足が最大の悩みだという声もあるが・・・・まあ、これは来年以降の大きな課題であると考えられる。) とりあえず、魅力的なサークルだったから私の心は入る方向に傾いていたが、一つだけ気になることがあったのでその先輩に聞いてみた。(僕)「何で、このサークルは男ばっかなんですか?」(先輩)「このサークルは、男だけのサークルなんだよ。」この言葉を聞いて、私は入部するのをためらったが、みんな、いい人みたいだったし、チャペル団体との交流もあると聞いたので、やはり入部することに決めた。そんなこんなで、私は6月のある月曜日、BSAのメンバーが数人いるチャペル会館の一室を訪れ、仮契約を結ぶに至った。
 話は変わるが、何の目的で私がボランティアを行うのかを述べたい。それは、一義的には、ボランティアを通じて出会う人々との出会いのためである。その出会いによって、人々の素晴らしい笑顔を見たり、さまざまな人々の生き方・経験を知ることができ、その結果、自分自身の世界を広げることができるのである。私は、10月に那須にあるアジア学院というところへ収穫祭のボランティアをしにいったが、やはり得ることもあった。アジア学院には農業指導者としての訓練を受けるために、アジア・アフリカの各地から30〜40歳くらいの人が毎年20名前後、来日しているが、彼らと話していて気づいたことがある。彼らは母国・故郷が抱えている問題を説き、自分の責務・将来のビジョンを熱く語っていた。彼らは、母国・故郷の仲間たちの生活が向上するように、自らが先頭にたって、行動していたのだ。彼らとの会話によってアジア・アフリカに対する問題意識を高めることができた。また、日常において体験することの少ない農業体験、具体的には野菜の収穫や屠殺などを行うことによって人間は他の生き物によって生かされていることを再認識できた。そういう意味では、私にとってボランティアをすることは同時に自分に経験の場が与えられることでもあるのだから、ボランティアができることに対して、感謝しなければならないだろう。
 これからも私はボランティアには積極的に参加し、さまざまなものを得ていきたい。またBSAの活動にも時間が許す限り、主体的に関わっていきたい、「祈祷と奉仕」を胸に抱きながら・・・・・。

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コミュニティ福祉学部 コミュニティ福祉学科 1年 野末 和宏

 私は今年のBSAの活動を通じて、新しいことに挑戦するすばらしさというものを学びました。今までボランティアというものをほとんどしてこなかった私にとって、それはもうBSAはフレッシュな存在でした。何から何まで新しいこと尽くめだったのですが、不安を全然感じることなくBSAの活動を始めることができました。
 私にとっての初めての活動は風の子の大江戸線でハイクでした。どんな交流があるんだろうと楽しみにしていってみれば、周りはおじさんおばさんばっかりで正直戸惑ってしまいました。でもハイキング気分を味わいながら時間もたってくるとだんだん班のみなさんの人柄もわかるようになり、終わってみればとても楽しい時間を過ごせたと思います。それと同時に、車イスの方といっしょに歩く事で普段気づかないようなことにも関心を持てるようになりました。
 次に取り組んだのはどんぐり牧場での活動でした。どんぐり牧場は自然に囲まれていてほとんど自給自足の生活をしているところです。普段の私の生活とは全くちがうもので、自然と向きあって生活するという新しい生活スタイルを味わえることができました。ただ、その生活は普段のらくらくと生きている私には少しハード過ぎたようで、1日目が終わった時点で「これがあと3日も続くのか・・・」と、思うと帰りたくなったりもしてしまいました。でも、どんぐり牧場もやっぱり風の子ハイクのときと同じで、どんぐりの仲間といっしょに働いたりご飯を食べたり、遊んだりしていると、すごいオモシロイ人たちだということが判明して、それからは苛酷な労働もみんなといっしょにやってるんだと思うと、自然に力がわいてくるようになりました。また、私の中の障害を持った人たちへの見方も変わりました。それまではどことなく障害をもった人たちと自分たちとを分けて考えてしまいがちだったのですが、どんぐり牧場での活動を通じて、私たちが同じ視点にたたなきゃだめだと感じました。この思いは私がこれから福祉を学んでいく上で核になりそうな予感がします。
 私はこのようなBSAの活動を通じて、自分の新たな可能性に出会えたらいいなと思っています。新しい私、いったいどんな私が今の私の中にあるのだろうかと思います。私にとってBSAは自分探しの場所です。

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編集後記
 ことしもまた、BSA第8支部の1年間の活動記録である「振り返り」の発行を無事行うことが出来ました。これも私たちの活動をいろいろな形で支えて下さっている活動先の方々やOB諸先輩方、チャプレンをはじめとする関係者の皆様方のおかげだと思っております。本当にありがとうございます。
 21世紀もまた戦争の時代として幕を開けてしまいました。日本に目を向けてみれば、失業率は相変わらず上がり続け、自殺者の数もどんどん増加しています。街の雰囲気もどこか殺伐として、「自分さえ良ければいい」という考えの人が増えてきているように感じるのは僕の気のせいでしょうか。まさに「明日はどうなるかわからない時代」になって来ているように思います。
 でも、「暗い時代だ」と言ってただ嘆いているだけでは何にも変わりません。誰かが変えてくれるよ、ではなく自分達で変えてやる、と思って少しずつ活動していくしかないと思います。もちろん、具体的に何が出来る、と言われれば、たいした事は出来ないと思います。僕らが活動する事で何かが大きく変わるということはないかも知れません。でも、そういってあきらめて何もしないよりは少なくともいいと思います。ほんの小さなことでももしかしたらいずれ大きな力になるかも知れないのですから。勿論、これはボランティアにも言えることだと思います。ボランティアをしていると自分の無力さをはっきりと感じる時があります。そんな時にこの「あきらめない」という気持ちはとても大きな力になると思います。
 こんな暗い時代だからこそ、自分たちの信念を強く持ち、自分たちの活動によってほんの少しでも社会を良くしていきたい、と思います。(K.K)

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