2002年 振り返り

ふりかえり
BSA担当 司祭 八木
隠居の四年生
コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 4年 福島 卓
「あなたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」
法学部 法学科 4年  渡邉 雄介
「この4年間を振り返って」
理学部 物理学科 4年  熊田隆弥
やっぱ人でしょ!!
理学部 物理学科 3年 小沼 健一
犬と歩けば
理学部 化学科 生命理学コース 3年 天野 仁至
「ただひとつ」
経済学部 経営学科 2年 武村 剛泰
「野末和宏=BSA」
コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 2年 野末 和宏
“ほっ”とできる場所
社会学部 産業関係学科 2年 恩田 和英
ボランティア デビュー
コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 1年 伊井 勇人
編集後記





ふりかえり

BSA担当 司祭 八木

 2002年4月に立教大学に就任、同時にB.S.A.のチャプレンを仰せつかってこれまで、充分にその役割を果たせなかったことについて、まず学生諸兄にお詫びを申し上げたい。
 しかしそんな頼りないチャプレンであったからか、彼らは今年も自分たちの手で精力的にその活動を展開した。もちろんそれが可能となったのは、聖公会内外の多くの方々による有形無形の「お支え」をいただいてのことではあったが、その端緒には確かに、自分たちの活動の中心であるワークをより充実したものにしていきたいとの彼らの情熱があってのことだと思う。個々の活動内容については学生自身の手によって記されているページをご覧いただくとして、チャプレン就任以来、少ない時間ながら彼らと共にした活動の中で感じたことを、ここで言葉にしてみたいと思う。
 「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。…今、行きなさい。わたしはあなたをファラオ(エジプト王)のもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト記3章7節〜10節)とは、奴隷状態にあって虐げられていた人々を救うために立ち上がった神が、そのためにモーセを召し出すときの言葉である。モーセはこのとき、エジプトから遠く離れたミディアンの地で羊飼いとして「無難な」生活をおくっていた。彼の心の奥底にはエジプトからの逃亡という苦い経験=敗北感がうずいていたであろうが、今となってはエジプトの現状は自分には関係のないこと、エジプトにいる同胞に目を向け、その痛みに共感するような心の広がりはおそらくなかったに等しいと思われる。
 しかし神は違う。人々の叫びにいたたまれなくなる。具体的な痛みに見て見ぬふりができないのが神である。そしてそのために、あろうことか無関心を装っていたモーセを呼び、既述の言葉を語られるのである。
 モーセに、神の目で人々を見、神の耳でその叫びを聞くようにという自己変革が突きつけられる。そしてこれを境に、モーセの神に従う者としての倦まず弛まぬ活動が始められる。
 「祈祷と奉仕」の旗を掲げたB.S.A.の活動も同様に、ヒューマニスティックな理想主義精神という「無難」に留まることなく、神の目で人々を見、神の耳でその叫びを聞くようにという自己変革をつきつけられるものであってほしいと願っている。それが巷にあるボランティア活動とB.S.A.のそれとの違いであると思うからである。情熱をもって自分たちの活動の中心であるワークをより充実したものにしていきたいとの彼らの思いは、こうした自己変革とその経験によって、さらに輝きを増すものになると信じている。
 尊い活動を続けるB.S.A.とそこに連なるひとりびとりに神の祝福と導きが豊かにあるようと祈るものである。

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隠居の四年生

コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 4年 福島 卓

 四年前の春。かわいい女の先輩に勧誘されて漠然と入ったボランティアサークルがB.S.A.8 だった。いざ入部すると「男だけのボランティアサークル」だったのはかわいい詐欺のようだと思った。でも、今はそんな男だけの集団が妙に居心地がいい。
 入隊して驚いたのは、毎週のミーティングで先輩方が話す内容だった。すごく高度に思えた。キリスト教の話は、高校まで宗教に無関係だった僕にはすごく遠い話だった。ボランティアをしてきた翌日の反省会にしても、とても多面的な考え方をする先輩を見て「果たしてぼくは一年後、二年後にああいう風になれるのか・・・」不安と、未来の自分の成長を期待した複雑な気持ちでいた。
 二年生、三年生と、B.S.A.8の活動をしていく中で、ぼくはその時の先輩のレベルに追い付けたのだろうか。下からのほほんと眺めていた先輩・支部長の姿の本当の意味がようやく分かったのは、自分が支部長になってからだった。同じ仕事をしていくうちに「先輩・支部長はこんなことまでしてくれていたのか」とそのきめ細かさがわかった。
 そして今年、隠居した四年生。毎週月曜日のミーティング(通称:マンデーミーティングを略して「マンミー」)には、前期に一回、後期に一回参加するだけになった。たまにしか顔を出さなかった今年度のB.S.A.8のミーティングだったが、後輩たちは去年とはまた違った新しい雰囲気を作っていた。驚いたというより、それは頼もしく嬉しかった。
 B.S.A.8の活動を現役の後輩達に任せておいて、いったいぼくはこの一年間、何をしていたのだろう。
 ぼくがまだ現役でいた二年、三年の時、隠居した先輩4年生を観察させてもらった。「自分がサークルを引退したときの時間の過ごし方の参考に」という気分だ。そうすると、様々に最後の学生生活を充実させる姿があった。演劇をする先輩。韓国の北にある国に渡った先輩。そういう先輩の姿に、ぼくは強く影響を受けた。そして、ぼくは・・・。
 夏に四万十川、那珂川をカヌーで下るキャンプをした。秋には演劇に出演した。晩秋、モロッコにひとり旅に出た。時差マイナス9時間のモロッコにいた午前10時。「今頃、日本は午後七時。ちょうどマンミーが始まった頃だな」と日本の後輩達を思い浮かべた。
 キリスト教とイスラム教という僕の中にある二分の意識。
 B.S.A.8に入り、良かったと思えることのひとつはキリスト教に触れられたことだ。聖書を読み、礼拝をし、キリスト教を通して様々な人と出会った。「家でケーキとシャンパン」というクリスマスしか知らなかったぼくが、チャペルでキャンドルと賛美歌に包まれてクリスマスを送れたのは、B.S.A.8に入ったからだ。ぼくらが新座チャペルで務めたアコライトは、とても不器用だったが、自分達にとっては良い思い出だ。

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「あなたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」

法学部 法学科 4年  渡邉 雄介

 大学生活最後の「ふりかえり」を執筆するにあたり、表題に私の最も好きな言葉の一つを挙げさせていただいた。この言葉は、新約聖書のヨハネによる福音書15章16節に記されている聖句である。
 この言葉を語られたイエスの周りには、数え切れない程多くの人々が集まり、その教えを聞いた。そして、彼らの中には、全てを捨ててイエスに付き従った人々も少なくなかった。しかし、そのような人々もいつの間にかイエスから離れてしまい、ひとりになったイエスは十字架上の死を遂げられることとなるのである。
 このことは、一体何を意味しているのであろうか。
 私たちは、日々の生活の中で、何かの決断を迫られる局面に立たされることがある。その際、私たちは「自分で決断した」ということを強調し、周りもそのことを当然と受け止める。そして、決断の結果、自分にとって良い方向に進むことができた場合、それは自分で決断したからである、と己の「手柄」としてしまうのである。逆に、決断が悪い方向に進む結果となってしまった場合、「オレはやっぱりダメなんだ」と自分を卑下したり、逆恨みしてあらぬ方向へ矛先を向けたりすることがある。
 この根底には、自分中心の考え方がある。自分の生き方は自分だけで決める、という思い上がった考え方が、結果的に自分を狭めているのである。
 今までの私は、ややもすると前記のようなタイプの人になりがちであった。自分で何でもやる、良くも悪くも自分の責任、結果が良ければ「天狗」になり、悪ければドーンと落ち込む、つまらない人間だった。そこには「自分」しかいなかった。
 しかし、BSAでの様々な出会いを通じて、自分ひとりで生きている訳ではないということを痛感させられた。当たり前のことだと笑われるかも知れないが、私たちは多くの人々の支えがあって生きているということを目の当たりにした経験の数々であった。
 このような経験は、BSAに入部しなければ得られなかったであろうし、数あるクラブ・サークルの中からBSAを選んだということも、人智を超えたものが働いたとしか思えないのである。
 私自身が選んでいるようで、そうではない。一見分かりづらいこの真理が、今になって非常に強く実感として胸に迫ってくるのである。
 BSAに入部して良かった、とつくづく思う。活動は勿論のこと、「生きること」について思いを巡らす機会を与えてくれた。ここでの経験を糧に、社会における自分の役割を果たしていきたい。
 最後に、BSAの前途に神の大いなる祝福があらんことを切に祈る。


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「この4年間を振り返って」

理学部 物理学科 4年  熊田隆弥

 残り後数ヶ月で、大学を卒業する身ですがこのBSAにはいっての4年間何か一番印象に残るかといえば、どんぐり牧場だと思います。このどんぐり牧場でふれた人間味の暖かさ、自分は聴覚障害者であるけれども、それを感じさせない雰囲気など、感覚に訴えてくれる何かが今でも自分の印象に残っています。最初に参加させて頂いた時は、何も分からずただ企業に励んでいただけでしたが、2回目以降は彼らの気持ちが少しだけであるが理解できたりした事が何より嬉しかったと思います。と同時に、自分の障害に対するちっぽけな考え方も気づかされ、どんぐり牧場なしには今の自分はいなかっただろうと思います。

 他にBSA8の皆も心優しい人ばかりで、OBの方はもちろん同期、後輩達も自分を受け入れてくれ、気兼ねする事の無い雰囲気作ってくれ感謝の気持ちで一杯です。本当に短い文章で済みませんが、今後とも宜しくお願いします。最後に下に私のお気に入りである相田みつをの文章を飾ります。人間を肯定し、いのちを詠う詩に肯きそして心に深く感じさせてくれるような気持ちにさせるようような感じがします。

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やっぱ人でしょ!!

理学部 物理学科 3年 小沼 健一

 2000年春、僕のBSAが始まった。そのときには5人いた同期が1年の夏には2人になり、2年の夏には1人になった。後輩もそれぞれ他の団体と掛け持ちしているからいつやめるかわからない…もしかしたら自分で最後のBSAになってしまうかもしれない、という不安は常にあった。他の部員に頼ることも出来ない、自分の行動が直接BSAが存続出来るかどうか、につながる、というプレッシャーもいつも感じていた。3年の夏前までは…
 そもそもなんで自分はBSAに残ったのだろう?もともと宗教には気をつけろ、といわれて育ってきたからキリスト教に対してあまりいい印象はなかった。入学したとき、入ろうぜと誘ってくれた友もやめてしまった。他の団体にも入っていたし授業も忙しく決して余裕はなかった。ではなぜ?1つにはやめていったみんなほどキリスト教に対して拒否反応がなかったためである。僕はキリスト教を数ある考え方の1つとして見ることが出来た。宗教というより哲学としてその主張を先入観抜きで考えたとき、自分がこれまで生きてきた哲学と多少、いやかなり通じるものがある、ということに気づくことが出来た。だから積極的にかかわろうとは思わないまでも、それによってやめる、というところにまではいたらなかった。
 しかしそれ以上に大きな理由はやはりそこにいる人々や場の雰囲気、といったものにあるのだろう。BSAのメンバーや雰囲気はすべての問題点なんか吹き飛ばしてしまうくらいすばらしいものだった。それだけで自分がBSAにいる理由になるくらい…それだけでミーティングのある日の学校が楽しくなるくらい、いいものだった。だからこそ、僕は2年の夏、同学年がいなくなったときBSAをなくしたくないと思い、自分はやめない、という意志を当時の支部長に伝えたのである。これは自分と同じように不安に思っているであろう先輩に少しでも安心してもらおう、と思ったからでもあるが、それ以上にこれによって自分の覚悟を決めたかったからである。もともとリーダー的な役職は苦手だし嫌いだけど、BSAのために支部長になる。そしてどんなに大変でも自分の代まではBSAを存続させる、自分ひとりになってもなんとかしてやる、という覚悟を…。
 だが、実際に今年一年やってみて特に夏前くらいから感じたこと、それは決して自分は一人ではなかった、BSAはみんなで支えあっているのだ、ということであった。そしてメンバーのそれぞれがBSAを好きでいてくれる、これをとても感じた。暇があればミーティングや活動に参加してくれたりする四年生の福島さん、渡邉さん、熊田さん、自分の入っていたサークルをやめてBSAを選んでくれた花ちゃん(野末)、武村、自分の限界を超えるほどいろいろ抱え込んでいるのに空いた時間でミーティングに参加してくれる恩ちゃん、前期に病気で倒れて現在も授業など大変なのにもかかわらず積極的に活動に参加してくれている伊井君、そしてなんだかんだ文句をいいながらもやることはしっかりやる天野仁至。みんながそれぞれBSAを好きで、表になり裏になりながら僕を、いやBSAを支えてくれている、それに気づいたときすごく嬉しかった。BSAをやっていて本当によかったと思った。もちろんそれは今も感じているしこれからもずっと思いつづけるだろう。2000年、偶然から入ったBSAではあるが今、この団体にいられ、こう思っていることの出来るこの時を大切にしていきたいと思う。

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犬と歩けば

理学部 化学科 生命理学コース 3年 天野 仁至

 小沼には感謝している。あいつのおかげで僕は週に一回は酒を飲むことになり、GFSの美しいお嬢さんたちと知り合い、久しぶりに幼子をおんぶすることになり、美しい歌声を聞きいて礼拝堂で消滅しそうになり、運動会で氷川きよし(ベル)と仲良くなれた。他団体のことは置いておいても、BSAに関わるいろんな人と知り合うことができた。急に出現した妙に偉そうな先輩を我慢してくれた2年生、同じく妙に馴れ馴れしい後輩を受け入れてくれた先輩方、そして濱口さんと半田さん、みんな良い人たちだ。そんなBSA8に引き込んでくれた小沼にはほんとに感謝している、んだと思う。

 この一年で自分の周囲はだいぶ変わった。毎週気心の知れた馬鹿たちとすごす有意義かどうか微妙な二時間はかけがえのない時間だ。BSA8のおかげで知り合った人はかなり多い。昔からの仲間、学科仲間、バイト仲間以外に新しい人間関係ができた。自分が死んだときに心から悲しんでくれる人の数がその人の価値だとするならば、僕の価値はきっと上昇傾向にあると思ってしまうのは思い上がりだろうか。でも、そんな風に思える仲間が増えたことはとても嬉しく、そんな恥ずかしいことを書いてるだけで楽しくなってくる。
日曜・休暇の過ごし方もちょっと変わった。面白くないことはやりたくない、と常々思っている自分の選択肢に、誰かの為に動くという項目が入っていることがとても不思議な気がする。絶対ボランティアなんてやることはなかったはず、今この仲間たちに囲まれてなければ。そう考えると、みんなはなんでボランティアをやってるのか不思議だ。適切な表現ではないけど、「えらいなぁ」「すごいなぁ」と思ってしまう。

 では中身のほうはどうなのか。この一年で自分の中身が変わったかどうかはわからない。でも、ちょっとのんべんだらりとした時間を減らしてスケジュールを空ければ、意外と人の役に立てることが分かった。人に感謝されることが三度の飯の次の温泉のそのまた次ぐらいに好きな僕にとってそれは心地よいものだった。ただ、きっと本来のボランティアの目的とは違うとは思う。理系頭の僕には、結局、ワークを必要としている人のところにワークをしにいっているのだから、どんな考え方でワークしていても良いんじゃないかとも思ってしまう。実際はBSA8の人手不足にボランティアしているようなものなのでそこらへんはご容赦願いたい。つまり、なにが言いたいかと言うと「ボランティアとは何か?」なんて僕はまだ分からないし、別に知ったこっちゃないやって思っているということだ。
 こう書くと、やっぱ天野はどうしようもない奴だとか言われそうなので弁明しておく。僕だって何も考えずにワークをしているわけじゃない。どんぐりでは、初回の親方の話に感銘を受け、「今の社会の中では生きにくい、知的障害者が笑って楽しく生活できるどんぐり牧場のお手伝いが少しでもできれば良いな」と思って肉体を酷使していた。また、あしなが学生募金では、「僕が声を枯らすことで、募金した人は精神的に豊かになり、募金を受け取る人は文化的に豊かになるのかな」なんて考えてたりもしていた。確かに他団体の手伝いなどは女の子狙いの部分が無いとは言えないが…。

 去年の地学(教職関連科目)で小沼と一緒になったこと、それはこの大学生活で最高の偶然だと思う。教職に就く気はさらさらないが、無駄ではなかったと胸を張って言える。どんぐりでぶっ倒れたこともいい思い出だ。
唯一惜しむらくは、BSA8に一年生のときから居なかったことだ。福さん、ナベさん、その一つ上の最強軍団と絡む期間が短かった。そんな風に武ちゃんや花ちゃんに言われてみたいものである。もちろん伊井君にも。

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「ただひとつ」

経済学部 経営学科 2年 武村 剛泰

 時が経つのは早いもので、僕がBSA8に入ってから1年半が経過した。去年のふりかえりは駆け出しの1年生という立場もあり、僕らしくもなく随分まじめな文章を書いたことを覚えている。しかし僕は本来、このような文章を書く際、形式ばった文章を綴るのが大の苦手で全くペンが進まないのである。そこで、ここは気楽にラフでinformalなふりかえりを書いてみようではないか。そのほうが執筆の時間も短縮されるし、一石二鳥だしね。
 本題に入る前に、まず題名にこめられた意味を示しておきたい。「ただひとつ」というのは日本の最高学府である某T大の校歌の歌名である。

「ただひとつ」
ただ一つ 旗かげ高し
いまかがやける 深空(みそら)の光
天寵を 負える子ら 友よ友
ここなる丘に T大の旗立てり
伝統の旗 T大の光
たたえ たたえん たたえ たたえん

と、こんな感じの歌詞である。この歌のようにBSA8の旗が威風堂々、強く雄雄しくはためきつづけることを願って止まないのである。同じことが東京六大学某K大の塾歌においてもいえるが、くどい!といわれては僕の立場がなくなるので、ここでは省略することにする。それでは、思いついたことをどんどん書いていこう。
・ 今年度の活動ふりかえり
 ここでは僕自身の活動を一つ一つ振り返ってみようと思う。まず、4/20にGFSのみんなと清瀬にある全生園に行った。教会で年配の方々と簡単な礼拝を行った後、世間話をして過ごした。年配の方々は、僕ら若者と日頃あまり接する機会がないようで、とても楽しそうだった。なんだか温かい気持ちになれた。(ちなみに当日は、立大vs明大の第一回戦だった。僕は今まで15回、立教応援に行ったが、明治戦にだけはなぜか縁がなく、一度も応援経験がない。) 5/25は学生キリスト教団体の同胞である立教ローバースのみんなと、隅田川沿いの三屋というところで簡単な食べ物の差し入れを行った。差し入れは行えたが、ホームレスの方とのコミュニケーションがあまりとれなかったのが残念だった。しかし、社会的弱者の現実を自分の目で見られたことは収穫だったし、日頃キリスト教団体の中で隔離されがちなローバースと合同で活動できたことは好ましいことだった。 翌日5/26は、風の子会主催の「風の子外に出よう」という車椅子の方と一緒に東京の町を散策する催しに参加した。僕は生まれてからその日まで車椅子に全く接したことがなかったが、車椅子の方を後ろから押していると、その大変さが実感できた。そしてまだまだ、日本はバリアフリー化が進んでいないことを身をもって知った。また、車椅子の方々はみんなとてもパワフルで、こちらが力をもらったような気がした。のんびりとした楽しい日曜日を共有できた。次にこれはオマケであるが、7/26には清里にある清泉寮建設の際、BSA8のOBの方々は募金活動を行い、建設支援を行ったということだったので、ふと思い立って清泉寮へ青春18切符を使って鈍行列車に揺られて行ってきたのだった。時は夏真っ盛り、清泉寮は観光客でごった返していた。僕も清泉寮特製ソフトクリームをほおばりながら、BSAのシンボルマークが染め抜かれた清泉寮を仰ぎ見ながら、BSA8の偉大なるOBの方々の姿に思いを馳せたのであった。 夏休みには2回にわたって那須の聴水寮の管理助手アルバイトを行った。2年目で要領を得てきた僕は1回目の6日間は無難にこなせたと思う。聴水寮はお客さんがいると賑やかだが、いないとひっそりとしていて読書などに最適。そのギャップがたまらなくいい。 8/30〜9/1はどんぐり牧場夏のワーク。自身の都合で5日間のところを3日間という非常に短い期間の参加となってしまった。今夏のワークは僕同様部分参加者が多く、僕が一宮に到着したらすでに3年のA野さんを残すのみであった。どんぐりの方々には非常に申し訳ないです。ワークは、自身の強行日程のせいか、(いや、半分は自分の体力不足のせいであろう)2日目午後には早くもへばってきた。しかしどうにか最後まで持ちこたえることができた。今回は某A野の奇行?によって彼が最終日の朝10時のバスで帰るというハプニングが勃発し、最終日は少し寂しい思いをした。おまけに帰りのバスは中野かどこかで事故が発生し、莫大な時間を要し踏んだり蹴ったりだった。今回で2回目のどんぐりワークだったが、どんぐりの皆さんと一緒にワークをしたり、話をしていると、なんだか和やかな気分になれるのだ。それがどんぐりの一番の魅力である。また、自分のワークを黙々とこなす彼らの姿にはただ脱帽するばかりである。どんぐりは僕の心の癒しの場所だといえる。 11月初めにはあしなが募金活動があり、僕は諸事情により不参加だったが、11/10に、あしなが募金関連のPウオークに参加した。これは上野公園から両国までの10キロを歩きながら、チェックポイントで世界各国の遺児への理解を深めようというものだった。理解を深められたかは多少疑問が残るが、浅草の仲見世通りで国立T葉大の女の子に遭遇し、卒論のアンケートにぜひ協力してほしいというので快諾しアンケートを書いてあげた。あとになって、これも小さなボランティアなんだなと合点する自分であった。ということはですよ、やっぱりボランティアをする機会っていうのは、すぐ身近なところに転がっているんだ。よーし、ファーイト! 以上、主な活動について書いてきたが、ボランティアをする際に思うことは、ボランティアをさせてくれる人・場所などが存在することに感謝することを忘れてはいけないということである。この気持ちを忘れちゃ終わりだね。
・ 「祈祷と奉仕」について
 最近のBSA8は活動理念である「祈祷と奉仕」の「奉仕」は実践しているにしても、「祈祷」は軽視されているという声が内外から聞こえてくる。確かに、ミーティングの始まりと終わりの時やどんぐりでは祈祷を実践しているが、昔と比べて、「祈祷」が軽視されているのはおそらく事実であろう。現BSA8支部員の中では、とくに3年の意識が低い。現3年といえばK沼やA野の名があがってくるが、とにかく彼らといったら酷い。「BSA8がキリスト教団体に存在していること自体・・・・。」だの「ミーティング前のお祈りは・・・・。」などと平気で口にする。言論の自由だと言ってしまえばそれまでだが、もう少しBSA8がキリスト教団体に所属している意味を考えてもらいたい。それに対して、1・2年の意識は高いレベルにある。僕は木曜日朝の礼拝に時々出ているし、その他の2人も前向きな姿勢がうかがえる。来年以降、「祈祷と奉仕」の復活が待たれるところである。
 「祈祷」に付随して、聖書との関わりも考えてみたい。現在、ミーティングで時間が余った場合、聖書の勉強をしているが、このような消極的な姿勢ではいけない。本来、聖書の勉強は毎回やるべきものだと思う。聖書の勉強はBSA8の活動にとって、必ずプラスになるものと確信している。僕は、ある教会関係者のつてで、聖書研究会にこれまで数回参加させてもらったが、毎回「な〜るほど!」と唸らずにはいられない聖書の話を聞くことができた。また先日、2年の同輩で仲のよいN末(通称:花ちゃん)と三浦綾子さんというクリスチャン作家の話題で盛り上がった。彼女はクリスチャンということで、著作に聖書の思想が盛り込まれたものが多い。著書を読んでみると、キリスト教・聖書について考えさせられるので、支部員の方はぜひ彼女の本を一読あれ。お薦めは、「塩狩峠」「愛の鬼才−西村久蔵の生涯−」「ひつじが丘」等です。
・来期に向けて
 僕も来期は3年となり、BSA8の中核を担っていくことになる。N末との支部長決選投票に敗れたため、来期も代表委員を継続してやっていくことになるが、それ以外にも渉外や会計等を兼任しそうな勢いである。今年もそこそこ忙しかったが、さらに多忙な日々を送ることが予想される。ところで、来年の一番の懸念材料といえば、やはり支部員不足である。現在の人数はというと、4年3人、3年2人、2年3人、1年2人の計10人だが、毎週のミーティングに顔を出すのは6名前後と寂しい限りである。この状況を打開すべく、昨年からホームページ等を使っての積極的な広報・宣伝活動を行っているが、いまいち良い結果に結びついていない。ならば新歓に期待するところだが、最近の支部員は新歓≠ニいうものが苦手、いや馴染めないのか、(ちなみに僕はあの人人人、人がごった返すのが大嫌い)近年、苦い思い出しかないらしい。しかし、である、来年の支部長はあのN末ではないか!彼は今からやる気満々である。N末と僕のBSA8が誇るゴールデンコンビが組めば、新戦力10人獲得も夢ではない。何しろ、来年も今年のように2人とかしか入らないと、これはもうBSA8の存続問題に関わってくる。だから頼むぜ、花ちゃん!応援してます。
 昨年、今年?・・・と素晴らしい先輩たちと活動してきて思ったことはだって僕らはWE LOVE BSA8!≠セっていうこと。そんなBSA8を3年というみんなを引っ張っていく立場からリードしていきたいと思う。去年のふりかえりで僕が尊敬する先輩?S崎さんが書いていたように、支部員の「支え」があってはじめて武村剛泰≠ェあるのだから、それを忘れずに突き進むぜぃ!みんな、だ・い・す・き!

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「野末和宏=BSA」

コミュニティ福祉学部 コミュニティ福祉学科 2年 野末 和宏

 今年のBSAの1年間の活動は、私がBSAの支部員であるということを自覚させるものでした。BSAであること・・・、それは私に自信と誇りと責任をもたらせました。
 時間の流れにそってふりかえってみたいと思います。まず、4月、新しいBSAの仲間として伊井君と日野君に出会いました。私は、同じ学部でもあった伊井君に特に密に関わっていきました。伊井君が何とかBSAに残ってくれるようにと、私は奮闘しました。月曜のミーティングには一緒に池袋まで行き、伊井君がミーティングに来られなかったときは後で電話をして内容を伝えたりしました。しかし、ある時から伊井君とパッタリ連絡が途絶えてしまいました。携帯に電話してもいつも電源が切れていたり、メールをしても一向に返事が返ってきませんでした。私は心配でたまりませんでした。結局、伊井君が戻ってきてくれたのは後期になってからでした。後から聞いた話なのですが、実は伊井君は前期色々なことにとても悩んでいたというのです。ある日のBSAのミーティングの時に、伊井君は悩んで苦しくなって、そっと部屋から抜け出してしまいました。それに異変を感じた濱口さんと半田さんは、部屋を出て伊井君を追いかけました。そして外で苦しんでいる伊井君のところに行って一緒に神様に祈ったというのです。その話を聞いた私は、「何て自分は愚か者なんだ」と思いました。「自分は今まで伊井君の何に関わってきたんだ」とやるせない気持ちになりました。伊井君が悩んでいることにも気づいてあげられず、がんばって伊井君と関わったつもりになっていた自分が本当に愚か者に感じられました。・・・・・・「ごめんね、伊井君。何もしてあげられなくて。」・・・・・・
 そして五月、私たちはローバースの人たちと一緒に北千住にある山谷に炊き出しのボランティアに行きました。山谷という場所は、1年の時に大学の授業でも取り上げられていたのでどんな所かは何となく分かっていましたが、実際の山谷は私が予想していたよりもはるかに悲惨な光景でした。隅田川沿いに青いテントやダンボールハウスが立ち並んでいて、まるで人間社会から排除された人たちが最終的に到達する「ごみ捨て場」のようでした。その異様な光景を目の前にすると、私はそこにいる人たちに何もしてあげることができませんでした。ただただ、言われたとおりに食料が入った袋を渡しているだけでした。声をかけて少しでも元気を出してもらえるようにと働きかけることなど到底できませんでした。この体験が強く頭に印象づけられた私は、このドヤ街暮らしの人たちのような、社会から排除された人たちを来年のゼミのテーマにしたいと思っています。
 それから、7月に私はBSAと兼部していた交響楽団を辞めました。別に人間関係が悪かったとか、ヴァイオリンが嫌いになった訳で辞めたのではなくて、「自分がやりたいことって本当は何なんだろう?」って考えたときに、時間的制約が多いオーケストラをこのまま続けていったら、きっと大学時代で経験できるだろう色々なすばらしいことを経験せずに卒業してしまうと思ったからです。その色々なすばらしい体験の一つにBSAがあると思っています。
 夏休みに入ってからは所属するサークルがBSAだけになったということで、ことごとくBSAの活動に参加しました。まず、今年新しくBSAの奉仕先として行った東松山の光が丘伝道所のワークがあります。私たちは東松山のワークに夏休みの間、3回計7日間行ったのですが、毎日欠かさず朝と夕方に司祭と共に礼拝をしました。その中で私は、私たちのワークが本当に神様に守られているんだなと感じ、ワークの意義を礼拝の中で悟ることができました。そしてBSAの活動の原点でもある「祈祷と奉仕」に関心を持つようになり、聖書を再び読むようになりました。東松山のワークは私とキリスト教をもう1度向き合わせるきっかけとなりました。
 そして8月の後半にどんぐり牧場に行きました。今回は私としては初の全日程参加でした。どんぐりの仲間たちは、半年ぶりに来る私たちを温かく迎えてくれました。今回のどんぐりワークで2つ特に感じたことがあります。1つ目は、どんぐりの仲間たちの笑顔が輝いていたということです。普段、力仕事をしない私たちは疲れた表情を浮かべながらワークをしがちだったのですが、どんぐりの仲間たちはワーク中も生き生きとしたいい表情をしていました。まるで、自分が生きているということに対するうれしさが心の中で抑えきれず、表情にまでこぼれてしまっているようでした。今思えば、私はそのどんぐりの仲間の笑顔に励まされて今回のどんぐりワークを乗り越えることができたのだと思います。感じたことの2つ目は、どんぐり牧場のような街とは離れた場所に、半永久的に障害を持つ人を置いておくことへの問題意識です。どんぐりで働いている仲間たちの中には、街に出て一人で生活できるぐらいまで成長した仲間もいると思います。その仲間をこれからどうしていくべきか、考えていく必要があるのではないかと思いました。
 こうして1年間をふりかえってみたわけですが、ここで私はどうしても感じずにはいられないことがあります。それは、「BSAでよかった!」ということです。BSA一つひとつの活動体験や、BSAを通じて出会った仲間たちを思うと、本当に「BSAに入ってよかった!」と思います。まだ、2年生の分際でこんなことを書いて来年、再来年、書くネタが無くなったらどうするんだって感じですが、それでも私は書きます。「BSAでよかった!」と。来年はいよいよ私がBSAの執行学年になります。75年のBSAの歴史を考えるととても重い重圧が私にのしかかってきます。私なんかが、伝統あるBSAを背負っていけるのだろうかととても心配です。こんな風に歴史とか、伝統とかを考えてしまうと気持ちが重くなってしまうのですが、私は決めました。歴史とか伝統とかをあまり意識せずに、ただただ「BSAに恩返ししたい」という気持ち一心で、BSAを次につなげていこうと。本当にたくさんのすばらしいものをくれたBSAに、今度は私が何かしてあげられたらいいなと思います。・・・来年は「恩返しの1年」になりそうです・・・。

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“ほっ”とできる場所

社会学部 産業関係学科 2年 恩田 和英

 もうあれから1年になるんだなぁ。今年も「ふりかえり」を書く時期になった。去年のこの時期の私はというと…そう、1年生だというのに財務をやっていた。今年もあるだろう、この「ふりかえり」の「財務収支報告」なんてものも作っていたりして、ちゃっかり支部員っぽかった。
 けれど今は準支部員という立場になっている。私は入隊式を受けなかった。クリスマス実行委員会、日曜学校さゆり会の活動に専念したかった。それが一番の理由だ。しかし、こういう言い方って、すごくB.S.A.8に失礼ではないか。そういった指摘を受けるとしたら言い訳するつもりもない。まさにその通りだと思う。けれど、正直、去年の今頃には正式入隊するか準支部員となるかという悩み以上に、B.S.A.8にこのまま残るか、一掃のこと辞めてしまおうかというところまで考えていた。去年の夏、B.S.A.8のメインワークと言えるだろう、どんぐり牧場と、B.S.A.8の歴史のつまった聴水寮での管理人助手バイトを通して、様々な人との出会い、多くの経験をさせてもらった。その中で感じた、様々な想いが私を悩ませた。B.S.A.8の歴史を知るとともに、それが間違いなく「どんぐり牧場ワーク」や「聴水寮」にその軌跡と共に現在にも引き継がれていることを感じた。そうしたとき、この活動に中途半端な関わり方をしてよいものなのであろうか。そのような思いに、辞めようと一時期は心が決まりかけていた。しかし、こうしてB.S.A.8二年目の「ふりかえり」を書いている。こうなった理由。それを説明するに足りる特別な出来事があったわけではない。でも、あえて言うとすれば、それはB.S.A.8が好きだっていうこと。それだけなのかもしれない。
 後期に入ってミーティングさえも途中からしか参加できない状況となってしまったが、そのミーティングの雰囲気がなんとも言えず心地好かったりする。(ミーティングの内容については問題点もあるだろうが、ここでは置いておこう!)コミュニケーションがキャッチボールじゃなく、一方的な暴投になっているようなコンビがいたり、「先輩を何だと思ってるんだ!」と言いたくなる言動をする人がいたり…と、一見、これでいいのかと不安になる状況がそこに繰り広げられていたりする。でもこれが、“B.S.A.8らしさ”の一面だと思う。自分を隠さずに表現できること。人のことを批判さえできる人間関係があること。これはそう簡単に存在するものではないと思う。ちょっと美化しすぎただろうか?仮にそうだとしてもB.S.A.8のメンバーと一緒にいると自然な自分でいられる。私にとってのB.S.A.8は“ほっ”とできる場所になっている。
 今回の「ふりかえり」では私事ばかりを書いてしまった。でも、きっと私のこの想いは他のメンバーにも共有されていることではないだろうか。先に語った“B.S.A.8らしさ”それはきっとすばらしいものだと思う。だが、あくまで一面であり、その“B.S.A.8らしさ”の他にある多くの面をこれからはもっと考えていく必要があるだろうと思う。「祈祷と奉仕」をモットーとしているB.S.A.8の“らしさ”を解き明かすために、私たちがすでに持ち得ている、その一面に今一度ふりかえってみようではないか。その先に、もっと多くの人が“ほっ”とできる場所としてのB.S.A.8が見えてくるはずだ。

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ボランティア デビュー

コミュニティー福祉学部 コミュニティー福祉学科 1年 伊井 勇人

 1年間の予備校生活を経て晴れてかねてからの夢だったボランティアサークルに入り本当にうれしく思います。入るときには、男のみのボランティアサークルと聞き多少の戸惑いもありました、しかし、今思いますと、それがよかったのかなあと思います。よき先輩方ともめぐり会うことができて本当にうれしいです。毎週月曜日に行われるミーティングには、これからの予定を打ち合わせることと、八木先生による礼拝だけですが、わきあいあいとしていて僕は非常に好きです。
 BSAの部員としてボランティアデビューを果たしたのは、「大江戸線でハンディキャップの方々と一緒に歩こう」です。高校のときにボランティアを2度経験したことがありますが非常に緊張して、僕が足手まといになるのではないかと心配しました。しかし、足の不自由な方のお供をして(車椅子を押す程度ですが)、これからボランティアに参加していく上で良い経験になりました。以前のボランティアに対するイメージは、僕のような健常者がハンディキャップを負っている方々に奉仕する、強者が弱者にすることとの思いがありました。しかし、このボランティアを参加することによりこれは間違っていることに気づくことができました。それは当然のことですが、ハンディキャップを負っている方々も同じ人間であり、同じことを考えているということです。今回のボランティアでハンディキャップの方々と共に日差しの強さに手を当てながら、都内に存在する名所の各所を回って僕と同じことを共感できたことに、背筋が伸びるような心地よさを経験できたことがうれしかったです。そして、車椅子に乗っているからといって特別なことをする必要もない、ヘルプが必要な時は僕にその旨伝えてくれるということもわかりました。非常に自立している彼らを見て、僕はハンディキャップを負っていないのに情けないなあとつくづく思いました。もっと強くならなくてはと自分に言い聞かせることができました。
 不運にも前期の中頃より、新歓コンパのですぎでしょうか?肝臓を悪くしてしまったためどんぐり牧場で行われる合宿や8月に実施されたもろもろのボランティア活動には参加することができず悔しいです。本当に悔しいです。
 まだまだ何も知らないペーペーでございますがどうぞ今後ともご指導のほどよろしくお願いします。ボランティア活動において僕の良い点はさておきとして、改善すべき点がございましたら遠慮はご無用、その都度注意して下さい。お願いします。
 

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編集後記
 この「ふりかえり」を編集していてつくづく思うこと、それは後輩たちが僕の指示にぜんぜん従ってくれないことです。僕の記憶では1人1ページ程度に納めるように、と指示を出したはずなのですが…。2ページいっぱいに書いてくれた野末君、3ページぎりぎりまで書いてくれた武村君、来年度は履修要綱の厚さぐらい(約2cm)書けるよう、ガンガン活動しまくっちゃってください。これからのB.S.A.8は任せたよ。

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