「支える」ということ


2009年度ヘッドトレーナー
松本 亜衣子


 私は4年間の大学生活をアメリカンフットボール部のトレーナーとして過ごしてきました。多くのマネージャーの仕事のうち、選手のテーピングや怪我の応急処置等を行うのが私たちトレーナーです。このトレーナーとしての4年間は私に「支える」とはどういったことなのか、ということを教えてくれました。「支える」という行為はとても難しいものであり、勉強やスポーツのように結果が目に見えるものではありません。

 私たちトレーナーの仕事はスポーツ選手の資本である身体と直接かかわる仕事なので、テーピングの技術や応急処置の対応など私たちの行動がそのまま選手の身体に影響してしまいます。実際私も未熟な技術でテーピングをしてしまったことが部員のプレーに影響し、迷惑をかけてしまったことがありました。そのようなことがある度に「自分は本当に部の支えになっているのか」と不安に襲われ、部を辞めようかと思ったことも少なくありませんでした。
 
 しかしある時、プロのスポーツトレーナーとお会いする機会があり、このことをお話ししたところ、こんな言葉をかけてくださいました。「思いあがってはいけないよ。部員のみんなはあなたの実力にほれ込んでトレーナーの仕事をまかせているのではなく、あなたが一生懸命だから、頼んでみよう、任せてみようって思ってくれているのではないかな。」

  実際プロであるその方も日々正解がわかって行動しているのではなく、だからこそ一生懸命に仕事に取り組んでいる。大切なのは技術よりも、まず自分が心をこめて真剣に相手に接すること。そうすればその一生懸命は必ず相手に伝わる。それはプロも学生も変わらないことだ、と教えてくださいました。この言葉をきっかけに私には自分の役割、部員を「支える」ということを見直すことができました。

  「支える」というとどうしても相手の反応や結果を気にしてしまいがちです。「嬉しいかな、嫌かな、役に立っているかな」と。けれども大切なのは、支えてあげたいと思う人を大切に思い、自分の全力を尽くすことではないかと思います。「誰かのために何ができるか」ということは大切なことです。けれどもそれは「誰かのために何かしたい」と思う心なくては不可能なことです。これを読んでくださっている皆さんにも、誰かを支えたいと思うけれど、うまくいかない時が訪れるかと思います。ですが、決して自分を責めたり自分の価値を疑ったりしないでください。「誰かのために」と動ける心こそがとても尊いものなのだと私は思います。「支える」ということは行為そのものでもその結果でもなく、「支えたいと思う心」である。部活動での経験と、迷い悩んだことがこのことを教えてくれました。

  私の好きな言葉に「絆とはその人の為に何かをしてあげたいと願う心」という言葉があります。これから先、たくさんの出会いがあるかと思いますが、どんな出会いでもこのような絆を築き、いつも誰かを支えられる人間でありたいと思っています。


(この文章は、松本トレーナーが12月にリーダーズキャンプで講演した内容をもとに、CHAPEL NEWS第551号 2010年2・3月号に掲載されたものです。)

 

 

 

 
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