立教スポーツ第129号

<10月15日更新>

  全日本大学選手権銅メダル  ボート部 ダブルスカル(山田・杉山組)

山田(右)と杉山(左)  いよいよ一年間の練習の成果が問われる時が来た。

 初日の予選タイムによって準決勝の組み合わせが決まるため、どのクルーも二千メートルを思い切り飛ばしてくる。無論、本学も同じだ。予選のレースはタイムが総合3位に入るなど他をぶっち切り圧勝。3日目の準決勝も同様、終始リードを奪うと1位で決勝進出を成し遂げる。

 最終日の決勝。大学の頂点を決める試合、また4年生は最後の舞台となる。会場はたくさんの人の熱気に包まれていた。

 決勝の相手は予選タイムで断然トップを行く日大、本学とはぼ同タイムの明大、そして中大である。日大に本学と明大がどう絡むのか。この3校の争いとなった。

 スタート、本学はミスをする。艇が蛇行してしまい、500メートル地点で3位。前の明大と少し差がつき、日大はさらにその先を行く。本学はここからスピードに乗り、1500メートル付近で明大を差すが、ゴール手前、差し返される。本学のスパートも実らず、3位でレースを終えた。

 「悔しいけどやるだけやった。一年間通してベストを尽くしたことに満足している」と山田(理4)は穏やかな表情をしていた。一方、杉山(理3)は「(この結果に)納得していない。山田さんとやってきた一年間を糧にして来季こそは優勝したい」と悔しそうだった。この気持ちが大きな目標への第一歩になるだろう。                   

(大島)
〜記事抜粋〜
(写真=金メダルは逃したが、誇らしげにガッツポーズをする山田(右)と杉山(左))


  敢闘!水泳部      関東学生水泳選手権大会

池田の奮闘もすごかった。見よこの勇姿を  大会初日、本学は豪快なスタートを決めた。男子二百メートル背泳ぎで驚異の新人、堺(法1)が接戦を制し優勝したのをはじめ、男子二百メートル平泳ぎでは池田(コ2)が序盤から積極的なレースを見せ、準優勝となるなど5種目で入賞した。初日終了後の総合順位は3位。1部昇格へ期待が高まった。その後も2日目では男子百メートル背泳ぎで堺が初日に続き力泳を見せ3位。最終日でも3種目で入賞者が出た。

 結果的には4位仙台大と2点差、5位立正大とは1点差で総合6位。残念ながら1部昇格はならなかった。それでも昇格の翌年、見事な残留といえるだろう。

 中でも抜群の安定ぶりで存在感を示したのが、今大会で引退の主将・笹倉(文4)と中距離のエース田口(社4)である。笹倉は大会前、けがに苦しみ、万全ではないながら、男子百メートル、二百メートル平泳ぎで6位、5位と共に入賞。田口も「自分としては不本意」と語りながらも男子四百メートル、八百メートル自由型で5位、3位としっかりと結果を出した。

 大会終了後、笹倉は「コーチに言われる前に部員個々が自覚を持つことが大切」と強調した。引退する4年生のこの精神が部全体に浸透した時1部昇格も見えてくる。

                                     

(蓮見)
〜記事抜粋〜
 (写真=池田の奮闘もすごかった。見よこの勇姿を)


  『部員の目』  〜ボート部 インターカレッジ〜

ボートマンの力強い漕ぎの写真  埼玉県戸田市戸田公園。私の家からここまで少なくとも一時間半はかかる。朝六時におきて、眠い目をこすりながら小田急線の最寄り駅に向かい、電車に乗る。朝のラッシュで有名なこの電車もさすがに乗客数は少ない。新宿まで約一時間強。その後、埼京線に乗り換え、約25分電車に揺られる。小田急線の中で上手く眠れなかった目がちょうど重くなってくる頃に東京都を抜け、荒川を渡る。窓の外にボート場がちらりと見えると重かった目も少し軽くなるような気がするから不思議だ。駅からボート場まで歩いて約20分。近いようで意外に遠い。しかし、ボート場に近づくにつれて独特の雰囲気に包まれだすと、何か自然に心が踊り出す。歩道を行き交う人が次第に多くなり、そのからだはボートマンらしく鍛え上げられている。

 ボート競技はあらゆる意味で「アマチュア」という言葉が嫌みなくあてはまる競技の一つである。多くの選手たちは大学からボートを漕ぎはじめ、四年間で完全にしろ不完全にしろ燃え尽きる。そして、企業チームに入るのはその中のほんの一握りに選手でしかない。だから、大学生が華というよりむしろ、大学生のスポーツといえるかもしれない。

 ボートとは過酷なスポーツでもある。選手たちは合宿所に寝泊まりし、朝から晩までボート三昧。基礎体力作りから試合前の細かい調整までコーチに示されたハードなメニューを毎日こなしていく。オフはもちろんあり、怪我をしないような配慮もされているのだが、それでもこの競技は怪我が付きものだ。階段も降りられないほど腰を痛めていても、舵手付きフォアというクルーの中での責任をまっとうするために漕いだ選手もいた。そして、もう一つ大事なものが、自己の健康管理である。怪我との関連もあるが、病気にも気をつけなければならない。去年、それで涙をのんだ選手もいた。そのようにして殆どの選手たちは四年間をかけて自分と戦い続ける、ただ一つの目標に向かって。その目標とはもちろん、インカレである。

 すべての大学生は伝統ある全日本選手権よりも2ヶ月後に行われるこの大会に照準を合わせてくる。真夏の戸田でのたった4日間のために。決勝と順位決定の行われる最終戦に残れるのはたったの8クルーしかない。レースは2000メートルで行われ、7分を切るクルーもいるが殆どが7分から7分20秒台までの間で争われる。初日の予選では各クルーが割りふられた組の中で最速のタイムを出そうと必死で漕ぐ。なぜなら、もちろん次の準決勝に進むためには組の1位で通過することが絶対条件なのだが、この準決勝の際の組み合わせが予選タイムの速い順に組まれていくため、速いほど有利になるからだ。予選2位のクルーは二日目の敗者復活戦に臨む。この日のレースでも準決勝に進めるのは各組1位のクルーである。

 三日目の決勝戦。大会四日間の中でもこの日ほど勝利の女神がいかに浮気な性格であるかを思い知らされる日はない。いかに実力を持っていようと緊張やプレッシャーのために力を発揮できないクルーもいる。予選組に恵まれ過ぎたために予選レース自体のスピードが上がらずタイムに伸び悩み、この日最悪の組み分けになったクルーもいる。逆に開き直って思い切りの良いレースを見せ、番狂わせを起こすクルーもいる。この三日間をどう乗り切るか、これがインカレで好成績を残すための一つのポイントだ。この日はもうタイムなど関係ない。ただどのクルーよりも速くゴールすればよいだけだ。

 決勝に残ったのはわずか4クルーのみ。この舞台に小細工などは一切必要ない。ただ一心にオールを引き、そしてだれよりも速くゴールする。それでいいじゃないか。そして、それしかない。「用意」の声に続いて「ゴー」が出される。

 今年の戸田は三日間を終えるまで曇り空だった。去年は痛いほどの日差しが降り注ぎ、何ともいえない雰囲気に包まれた私は、異様な興奮のうちにこの四日間を終えたことを覚えている。今年は最終日までその興奮を味わえなかった。

 その日は去年のような真夏の太陽が久しぶりに顔を出していた。私にとってのインカレには真夏の太陽が無くてはならないようだ。そして、何よりも真夏の太陽の下でなければ勝者のみに許されるウイニング・ローは様にならない。

 エイト、舵手付きフォア、舵手無しフォア、ダブルスカル、舵手付きペア、舵手無しペア、シングルスカル。この期間中に一番長く漕ぐクルーでも約30分。一番短いクルーは約8分で終える。一年間、そして四年生たちは四年間の総決算をこのわずかな時間で表現する。オールをひたすら引くという手段で。ここにボートという競技の全てが凝縮されている。

(桜井)







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