立教スポーツ第170号
<12月7日更新>

ローラーホッケー部 悲願のインカレアベックV

 
ローラーホッケー部 悲願のインカレ アベックV

  チーム、そして男女間の深い絆(きずな)が導いた最高の結末――。10月5日~7日に長野県千曲川リバーフロントスポーツガーデンで行われた第49回全日本学生ローラースケート選手権大会。本学は男女がそろって総合優勝する史上初の快挙を成し遂げた。これまでは届きそうで遠かった、優勝の二文字。インカレという舞台で待ち望んでいた栄冠が、ついに選手たちの頭上に輝いた。

消えない宝物
 昨年の敗退を期に、男女とも優勝を目指して練習してきた。部にとっても4年生にとっても最終目標である今大会。選手たちはそれぞれの思いを胸に臨む。
 男子の1回戦は日大との対戦。6月の東日本学生選手権では引き分けている気が抜けない相手である。本学は小坂(理3)の3得点を挙げる活躍で試合を優位に進め4-1で快勝した。
 続く準優勝の相手は前回の対戦で敗れ、打倒のために対策を練ってきた明大。この戦いに勝つことができれば優勝がはっきりと見えてくる。明大はバランスの良いチームだが、唯一の弱点と言われていたGKを攻める作戦を立てた本学。その作戦が見事にはまり先制点を奪う。しかし日本代表の選手を擁するほど戦力の高い明大。すかさず点を取り返されてしまい、1-1のまま後半へ。激しい攻防を繰り広げた両チームだったが、加藤(経4)が右サイドからシュートを決め勝ち越す。そのまま逃げ切り2-1で見事に雪辱を晴らす勝利をつかみ取った。
 迎えた決勝戦。相手は8月の東西交流戦で勝った経験のある国学院大。それ故の油断もあってか、試合は予想以上の接戦となる。なかなか点を取れず焦る本学は加藤のゴールでようやく先制。後半は主将・藤(とう=社4)がファウルで一時退場するなど苦しい状況が続いたが、全力で守り抜き1-0で試合終了。待望のホッケー部門優勝を決めた。さらにスピード部門でも好成績を残し、ポイント合計で総合優勝に輝く最高の形で大会は幕を閉じた。
 主将として一年間チームを支えてきた藤は「このメンバーと優勝できるなら何かを犠牲にしてもいいと思えた」と語った。強い信頼で結ばれた彼らが得たかけがえのない思い出は、いつまでたっても決して色あせることはないだろう。


その想い後輩へ
  「不安はなかった」と、女子キャプテンの加納(文4)は振り返る。4年間の集大成となるインカレ。彼女は女子でただ一人の4年生としてその日を迎えた。
 女子は5月の東日本大会の成績でシードとなり、準決勝からの登場。1・2年生主体の専大が相手だ。試合開始直後から攻め続け、専大にシュートを打たせるすきも与えない。前半6分に加納が決めると一方的な展開となり、次々と得点。5-0で前半を折り返す。後半になっても勢いは全く衰えず、途中出場した1・2年生の活躍も光る。終わってみれば9-0の圧勝だった。
 そして迎えた決勝。目前に見えるインカレ制覇を目指して東洋大との戦いに挑む。4年生中心の相手と力の差はほとんどない。だが守り方が他の学生チームと違うことで選手たちには戸惑いもあった。しかし、度重なるシュートをGK宇津木(経3)が好セーブで防ぐ。ピンチをしのぐと流れをつかんだ。前半15分、ケガの村瀬(法3)に代わってスタメン入りした滝沢(理3)がゴール前に出されたパスを執念で決める。この1点を守り切り、ついに学生日本一に上りつめた。またスピード部門三百㍍で瀬戸(法2)が2位となり、合計ポイントで見事総合優勝を果たした。
 「先輩方が出来なかったことを自分の代でかなえたかった」と話す加納。部を率いた1年間も「後輩が頼りになるから安心してできた」と言う。そして男女一緒に優勝できたことを何より喜んだ。この互いを思う気持ちがローラーホッケー部の強さなのだろう。部の歴史に素晴らしい功績を残した今年。ここからまた、新たな目標へと向かう道が始まった。

                                         (加納、倉持)



                                        
積み上げた力
 11月にローラーホッケーのアジア大会がインドにて行われた。その大会に日本代表として本学から3名の選手が参加。男子からは藤、加藤、女子からは加納がそれぞれ選ばれた。
 数年前までは決して強豪校とは言えなかった本学。今では代表選手の選考会を兼ねている全日本大会で男女共に素晴らしい成績を収め、代表に選出されるまでになった。
 「実感はないけれど、国を背負っている点では熱いものがある」と語った藤。いつも変わらないローラーホッケーへの熱い思いがチームを成長させたのだろう。
 入部したばかりの時は皆が初心者。4年間で強くなった選手も卒業してしまう中で、実力を保つことは難しい。その状況でも本学は力を伸ばし続けた。技術の向上を目指した部員一人ひとりの努力。そして、少しずつ培ってきたものを後輩たちに残してきた成果だ。
 藤は強いチームをまとめるためには「プライベートや何気ない会話が大事」だと言う。彼ら4年生が残した仲間と理解し合うことの大切さ。それは後輩へと伝わり、来年も成長した姿が見られるに違いない。 

                                         (村田)

                                           


サッカー部 走り抜いた紫の勇者達 東都1部昇格

  試合終了を告げるホイッスルがフィールドに鳴り響く。あふれ出す歓喜の声。悲劇の降格から一年間待ち望んだ瞬間が訪れる――。
 9月2日~10月28日にかけて本学富士見グラウンドなどで行われた第40回東京都大学サッカーリーグ戦。1部昇格を絶対的な目標とする本学が求めるのは勝利のみ。彼らは確固たる意志を胸に、長きにわたる戦いに挑んだ。




連勝街道を猛進
 今年のチームが掲げた目標の一つである「Return To 1部」のための戦いが始まった。リーグの大事な初戦を2-0で完勝した本学。次の日大商学部戦も竹越(法1)のハットトリックもあり、6点を奪って圧勝する。第3戦で本学は初めて失点するものの、攻撃陣が本領を発揮して6-2で勝利。3連勝で首位に浮上し、最高のスタートを切った。
 迎えた第4戦。後半、本学は敵に得点を許す。これで奮起した彼らは一転して攻勢に出た。樋口(営2)が36分に同点ゴールを決めて1点を返し、勢いに乗った本学。5分後には竹越がGKの意表を突くループシュートで勝ち越し点を挙げて苦しい試合を制した。
 続く一橋大戦では、石井(済2)のフリーキックを樋口が頭で合わせて先制。さらに石井がコーナーキックを直接決め、2-0で快勝する。第6戦の東大戦でも2-1で競り勝ち、6連勝。本学は順調に勝利を重ねて上位陣との直接対決に臨むことになった。

戦いは佳境へ
 勝てば1部昇格が決まる明学大戦。緊張のために勢いに乗れず、0-0で前半を終えた。
 だが、本学は後半の立ち上がりに先制を許してしまう。30分にDFの裏へ抜け出した樋口が見事な同点ゴール。その後すぐに勝ち越されるものの相手の自殺点で再び追い付いた。引き分けかと思われた試合終了間際、樋口がペナルティエリア内でDFをかわしてシュート。左足から放たれたボールはゴール右隅に吸い込まれていった。
 3-2で明学大を下した本学。この瞬間1部昇格が決まった。無我夢中でつかみ取った栄光。部員たちは喜びを爆発させ中には涙する者もいた。
 本学の次なる目標は全勝優勝。彼らは一戦も落とせない。しかし司令塔の中野(文4)の不在もあり、後半に1点を奪われると無得点で敗北。全勝優勝の夢が断たれ、彼らは悔しさを隠しきれない。チームには暗いムードが漂っていた。

多大な収穫
 敗北の後、主将である中川(法4)は部員たちに檄(げき)を飛ばした。全員の気持ちが引き締まる。再び士気を高めて最終節・学習院大戦に臨んだ。
 試合序盤に失点したものの、すぐさま1点を返し迎えた前半24分。中野が左サイドを個人技で突破し、クロスを上げた。これを星野(社3)が中央で上手く合わせて逆転。そのまま2-1で前半を終える。
 後半は立ち上がりのすきを突かれ、追いつかれる苦しい展開となった。しかし25分に貴重なPKを獲得。キッカーはこの日好調の中野。彼が放ったボールはネットを揺らし、値千金の勝ち越し点を得る。これが決勝点となり、3-2のままで試合終了。ついに2部の頂点に輝いた。
 数々の激闘を経て、本学は大きく成長した。得点力や守備力、そしてここぞという時の勝負強さ――。磨かれたチーム力は1部に勝るとも劣らないだろう。これを糧に、彼らは強敵たちの待つ次のステージへ向かっていく。

                                       (上甲、尾形)

モーターボート・水上スキー部 男子総合団体2位

 彼らが再び全国の頂点の座を奪還する、その日が来るのは遠くない。
 8月31日~9月2日にかけて、秋田県大潟村で第52回桂宮杯全日本学生水上スキー選手権大会(以下インカレ)が行われた。出場校数が少なく、優勝が求められるこの大会。本学は主将・本間(経4)が、スラローム競技でインカレ記録を出す活躍を見せるなど奮闘し、準優勝という結果をつかみ取った。「インカレ優勝」が使命である彼ら。それが準優勝の原動力となり、暑くて熱い3日間を戦い抜くこととなった。


ひたすら高みへ
 ここ数年、満足のいく結果が残せなかった本学。復活を果たすための戦いがついに始まった。
 1日目の競技はトリックだ。トリック競技とは40秒間に難易度の高いターンをどれだけ多く決められるかを競うものである。ここでは要となる4年生が本来の実力を発揮することができない。だが2、3年生が力闘し、3位につけた。試合後、本間は「4年生としてはふがいないが(後輩の頑張りは)嬉しい」と複雑な思いを表した。
 2日目の競技はスラローム。徐々にボートの進入速度を上げ、ロープの長さを縮めていき、水面に浮かべたブイをいくつ回れるかを競う。少しでも記録を伸ばして、優勝圏内に踏みとどまりたい本学。ここで本間が主将としての責任を果たそうと底力を見せつける。時速58㌔、ロープの長さ14㍍。彼はおろか、全国の学生がいまだかつてクリアしたことのない、未知の領域だ。彼は慎重に、しかしひるむことなくボートを進めていく。そして見事に滑走を終え、インカレ記録を更新する。歴史に残る偉業を成し遂げた。
 スラロームではトリックの遅れを取り戻そうと、4年生が活躍。4年間の集大成という心情で臨んだ彼らの「勝ちたい」という気持ちは誰にも負けない。その強い思いを競技につなげ、スラロームは2位になる。総合では依然として3位だが、2位との差を一気に縮め小差に迫った。逆転優勝を狙える位置につき、最後のジャンプ競技に挑む。


鍛錬及ばず
 総合3位で臨む最終日。ジャンプ競技は飛距離を争う競技である。本学は津村(社4)が4位、山崎(社4)が6位となる好成績を残した。しかし首位の福岡大は一歩も譲らない。「負けが頭をよぎった」と本間が語ったように逆転の可能性はかなり少なくなっていた。そして迎えた本間の滑走。わずかな可能性に懸けて彼は跳んだ。結果は3位であったが、1位の福岡大に及ばず総合2位という結果で大会を終えた。
 この成績について「出場校が多くない中で、1位と2位では天と地ほどの差がある。優勝しなければ意味がない」と語るメンバー。喜びよりも悔しさが残る順位であった。
 「4年間の全てをこの大会に懸ける」。4年生は最後のインカレに強い信念で臨んでいた。大会前には約1ヵ月に及ぶ合宿を行う。この合宿で選手たちは、大会で最高の結果を出せるよう試合を想定した練習を行って大会に備えていた。万全の準備で挑んだ今大会。それだけに「優勝」という二文字を残せなかったことが、彼らの悔しさをより一層強くさせていた。
 また、水上スキーは費用がかかるスポーツ。本学は他大に比べて大学からの援助が少なく、待遇が良いとは言えない。この逆境を乗り越えられたのも「勝ちたい」という揺るぎない気持ちがあったからである。
 「優勝を意識して練習してほしい」と後輩に思いを託した4年生。今年も届かなかった「インカレ優勝」を、下級生が現実のものにするはずだ。

                                         (関、上甲)
 

                                      
剣道部 吹き込んだ順風

 13年ぶりの全日本出場となった本学剣道部男子。彼らが覇権争いの地へと返り咲くまでには、多くの劇的な場面が待ち受けていた。
 9月16日、日本武道館で行われた第56回関東学生剣道優勝大会。関東圏の大学92校の頂点を決める大会であり、上位22校(敗者復活枠6校を含む)が全日本への出場権を得られる。
 本学は初戦の日本工業大を6-0、次戦の東京工業大を4-0で下し、3回戦へと挑む。だが彼らの過酷極まる本当の戦いはこれから始まるのであった。

巨壁を前にして
 全日本出場を懸けた日大戦。負ければ敗者復活戦へ回ることとなる。ぜひとも勝利して出場権を獲得したい本学。しかし彼らの前に立ちはだかる敵は昨年の全日本覇者。実力的には格上の相手であった。
 先鋒(せんぽう)・関口(法1)、次鋒・田頭(コ3)はここまで負けておらず、日大を相手にしても引けをとらない。両者二本勝ちを収めた。
 試合の流れを完全につかみ、士気の上がる本学。だが日大が驚異の反撃に転じて逆に2-3とリードされる。負けられない大将戦。勝敗は山邉(社4)にかかる。互いにしのぎを削る真剣勝負。緊迫した戦いの中山邊の技がさえ渡り、勝利をもぎ取った。
 勝者数、取得本数がともに並び、本学は代表戦に臨む。大きな重圧の下、山邉と日大・小野の戦いが始まった。双方技を繰り出すが審判の旗は上がらない。だが小野の放った面が山邉をとらえ終戦。敗者復活戦へと進んだ。
 まだ全日本への道はある。勝者が通れる狭き門。彼らはさらなる激戦へ身を投じていった。


緊迫した戦況
  3回戦で敗退した16校で争われる敗者復活戦。上位6校が全日本出場権を獲得する。一度でも負ければ出場への道は閉ざされてしまう。
 1回戦の相手は日本文化大。力量では格下の相手だが、気が抜けない。慎重に試合を運び、6-1と快勝した。
 続いて行われた成蹊大戦。全日本出場が懸かった最後の戦いの幕が上がる。先鋒・花岡(社4)から三将・田頭までは引き分け。互いに一歩も引かぬ戦いであった。ここで負けるわけにはいかない。だが均衡した流れから一転、中堅・松島(観4)から成蹊大と本学が交互に勝利する波乱の展開。大将・山邉が二本勝ちしたところで、2-2の引き分けとなった。取得本数が5-3となっていたため、本学の全日本出場が決定した。
 「プレッシャーに負けて試合を落としたことがあったので、今回は自分の力を出し切ることに集中した」と語った山邉。全力を尽くした末の全日本出場だ。
 彼らは学生剣道の最高峰へと挑戦する。迷いを断ち切り、勝利の二文字を胸に秘めて…。


剣士舞い戻る
 ついに迎えた10月28日の第55回全日本学生剣道優勝大会。慣れ親しんだ日本武道館が、夢に見た戦いの場へと変わった。
 1回戦、九州大会3位の福岡経大との戦い。それぞれが「自分ができることを」という思いで臨むも、先鋒、次鋒、三将と3敗を喫する。この時点で本学の敗退は決まった。しかし副将戦。石井(済2)が試合終了間際に突きを決め勝利。本学の意地を見せつけた。
 悔しくも負けてしまったが、彼らは「全日本出場」という目標を達成した。「この場に立てたということがとても大切」と松島は語る。全国で戦ったという経験が応援するものを含めた、本学剣道部全体に好影響を与えていくはずだ。
 「次は必ず全日本で勝ってほしい」。山邉は新たな目標を後輩たちに託した。
  
                                      (片岡、今山)

陸上競技部 中村嘉 行け箱根へ

 ついに手に入れた晴れ舞台への挑戦権。本学陸上競技部が確かな一歩を踏み出そうとしている。
 10月20日、昭和記念公園にて第84回東京箱根間往復大学駅伝競走(以下箱根駅伝)予選会が行われた。本学は総合成績こそ24位で昨年に及ばなかったが、主将でエースの中村(嘉)(コ3)が個人成績で77位に入る大健闘を見せた。この成績により本選に出場しない大学の記録上位者で構成される関東学連選抜のメンバー16名の一人に選出。本学が悲願としてきた40年ぶりの箱根が見えてきた。

扉を開く力走
 さまざまなドラマが生まれる。そんな戦いが箱根駅伝予選会だ。各大学の誇りや意地、そして多くの期待に応えるため、出場選手487名が号砲と共に一斉にスタートを切った。
 今年は関東インカレなど多くの経験を積んだことで「自信があった」という中村(嘉)。この20キロという長丁場のレースで勝負は後半になると予測していた。そのため序盤は抑え気味でレースを運んでいく。
 10キロ地点を通過した時点の順位は173位。しかし、残り5キロを過ぎたあたりから中村(嘉)の驚異的な追い上げが始まった。
 終盤になり、周りの選手が息を切らしていく中で、「思い通りに走れた」という中村(嘉)。レース全体を通してほとんどペースを落とさず確実に順位を上げていった。そして最後の力を振り絞りゴールに走り込む。タイムはほぼ設定通りの61分32秒。個人順位で77位となり関東学連選抜メンバー入りを決定付けた。本学の選手からの初選出に「実感がない」と戸惑いながらも喜びをかみしめた。
 チームでの箱根駅伝出場はかなわなかったものの、エースの挑戦は本学にとって「大事なステップだ」と沼澤ヘッドコーチは語る。「箱根を走る姿を見て、これから立教を目指す選手が現れてくれれば」とチームの活性化につながっていくことを期待している。
 仲間たちから祝福された中村(嘉)は「みんなが喜んでくれた。嬉しい」と最後に満面の笑顔を見せた。


全てを糧にして
昨年のレースでは直前に風邪をひき納得のいく走りができなかった中村(嘉)。悔しさを味わった彼にとってこの1年は努力を重ねた練習の日々だった。その成果を出した今回の活躍の裏には複雑な思いがあった。
 そもそも中村(嘉)は大学では競技を続ける意志はなかった。しかし誠意のある勧誘を受け「自分は必要とされていると感じた」と振り返る。悩んだ末に陸上競技部に入部を決意。箱根に挑戦できるきっかけを得られたのも、熱心に誘ってくれた先輩たちがいたからこそだ。そんな彼にとって部への愛情は人一倍強い。
 「立教のために、チームのために感謝の気持ちをパワーに変えた」と語る。彼が何度も口にした「感謝」という二文字。それは多くの人に支えてもらった、という意識から出た素直な言葉だった。「みんながラストを引っ張ってくれた。この結果はみんなのおかげです」と話す中村(嘉)。立大史に残る快挙は一人では決して成し遂げることのできないものだった。
 だが、まだ出場することが決まったわけではない。実際に箱根路を走れるのは16名中10名。これからは他大のメンバーとの勝負に勝たなければならない。「自分の走りをして必ず勝ち取りたい」と中村(嘉)は意気込んだ。彼が周囲の声援をエネルギーに変えて、立大代表として夢路を目指す。伝統ある「R」のユニホームが、再び箱根を駆け抜ける日は着実に近づいている。

                                            (清水)


立教と箱根駅伝
 箱根駅伝といえば正月番組の定番であり、最も有名なスポーツ大会の一つだ。関東の大学で長距離を走る者たちにとって夢の舞台で、選手はそれぞれの大学の名を背負いテレビ画面の中を走り抜けていく。だが残念ながら近年、そこに我が立教大学の名前を見ることはできない。
 本学が初めて箱根を走ったのは1934年の第15回大会。そこから合計27回の出場を数え、1957年には3位に入るほどの実力を持っていた。ところが1968年の大会を最後にその勇姿を見ることはなくなってしまった。
 今、もう一度立教の選手が箱根を走る姿を見たいと本学関係者の有志が立教箱根駅伝プロジェクトを立ち上げ、部を盛り上げている。そして今回の中村(嘉)の活躍がこの動きをさらに加速させていくことは間違いないだろう。
 とはいえチームとしてはまだまだ予選突破に届かないことも事実。団体での本戦出場に向け、今後は全体の力の底上げが求められる。 

                                            (藤谷)










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