立教スポーツ第221号

<4月2日更新>
   

    
【サッカー部】  
41年ぶり紫の歓喜
保土ヶ谷で最高の笑顔
関東2部昇格
 

   立大が昇格決定戦で国武大(千葉県1部)を3―2で下し、関東2部昇格を決めた。同点で迎えた延長後半10分、佐藤大雅が決勝ゴール。対話を大切にした関根陸のチームづくりが功を奏し41年越しの悲願を達成。その喜びに酔いしれた。関東2部は4月8日に開幕。立大は第1節で東海大と対戦する。

昇格決定戦後、スタンドも一体となって

喜びを分かち合う選手たち【撮影・中條陽葵】



佐藤大が劇的決勝弾

  その瞬間、紫のメガホンが大きく揺れ歓声がこだました。「本当にうれしくて、試合が終わった直後のことはあまり覚えていない」。キャプテン・関根の顔はまだ赤らんでいた。
  頂上を目前にしていた。昇格決定戦は2分、CKから井浦が頭で合わせ先制するも、92分に同点に追いつかれた。頂がかすみ始める。消沈と軒昂(けんこう)。同点弾に、紫と青、2色のスタンドが対照的な表情を見せた。
  99分に逆転を許した。「(失点が)延長前半の早い時間で良かった。自分たちのやることがはっきりした」。ピンチで逆に道が見えてきた。3分後に訪れたチャンスを生かした。FKのこぼれ球を井上が拾い、クロスに小椋が合わせる。ネットが揺れた。頂が再び見えてくる。115分には、宮城のクロスのこぼれ球を佐藤大が詰めた。「大事なところに走ろうと思っていた」。軒昂と消沈。3−2、死闘だった。
  頂は見えては消えた。昨年は、昇格決定戦を前に涙をのんだ。立大に刻まれた40年の東京での歴史。その中で、何度も他大の“登頂”を見送ってきた。しかし今年の“アタック”は、いばらの道を切り開き、関東という頂へたどり着いた。
 

「この代でやれることは全部やろう」

  「引っ張ってきたのは(関根)陸」(黒田)、「絶対的な主将の器」(宮城)。チームの中心にはいつも関根がいた。新チームが始まると、主務の江野(観4)と2人で全部員と腹を割って話した。部員たちの思いがこぼれ出す。審判や相手チームの偵察といった不可欠な雑務の全てをB、Cチームが受け持つ現状が壁を生んでいた。「(Aチームを)心の底から応援してくれるのか、勝った時に全員が喜べるのか」。148人の思いが一つの気持ちを思い出させた。「全員で昇格を喜びたい」。Aチームにも仕事を分担、自分たち4年生が率先して仕事をこなすことで、背中で部員に語りかけた。148人の目にはもう関東しか映らない。
  参入戦直前、植木(法4)が負傷離脱。ムードメーカーでもあり、前線で決定的な仕事をしてきたストライカーの不在も総力で乗り越えた。「(植木)隆さんのために」。思いは一つだった。ピッチ上の選手全員に得点の意識が芽生えた。参入戦で生まれた11のゴール。7人の選手が奪った。
  そしてたどり着いた頂。「部員が応援してくれる」姿に何度も励まされた。11人で登った山ではない。視線の先には148人で登らなければ見えなかった景色が広がっていた。
  昇格決定戦で引退となった関根の想いがあふれる。「記憶に残る四年間。本当に意識の高い同期がいっぱいいた。関東でプレーする夢はかなわなかったけど、夢の続きは後輩へ託します」。入学した時は東京都2部だった立大を、四年かけて関東へ導いた。「サッカーしかできない自分に、ついてきてくれてありがとう」。感謝の言葉を口にし、照れ笑いを浮かべる。歩いてきた道のりは間違っていなかった。
  関根は喜びをかみしめながらも来年度を見据えた。「(後輩には)変化を恐れず、常に考えてチームをより良い方向へ導いていってほしい」。最高峰が見えてきた。夢の続きを託された後輩の“アタック“が始まる。  (大場暁登)  
 

 





【水泳部】
やったぜ美希100b背で日本新V
鎌田パラ水泳100b平でも大会新圧巻の一人勝ち  


  立大パラの星が金字塔を打ち立てた! 鎌田美希(コ2=先天性両下腿欠損)は100bの背泳ぎS8クラスと平泳ぎSB7クラスに出場。それぞれ日本新記録、大会新記録を更新し、2冠を達成した。国内最高峰のジャパラに向かって、勢いづいた。     

金メダルを掛け笑顔の鎌田【提供・水泳部】



 

考えるスイマー

  
  ゴールタッチの瞬間まで、懸命に腕を回し続けた。壁に手が触れるとすぐにゴーグルを外して電光掲示板を見上げた。1分33秒96。自身が持つ日本記録を1秒16上回るタイム。映し出された「新記録おめでとう」の文字を確認すると、表情を和らげる。「美希―!」と祝福する仲間の声に鎌田は手を振って応えた。「ホッとした。やっと出たって」。
  1年生の夏頃から思うように記録が伸びなくなっていた。高校時代のひたすら泳ぐ“量”重視の練習が大学では通じない。そう気付いてから結果を出すための練習を模索した。
  出した答えはこうだった。「水に対して抵抗が少なく、無駄のない泳ぎ」の体現。抵抗を減らす効率の良い泳法は、一般的に理論化されている。だがパラスイマーの場合は、必ずしも当てはまらず、糸口は簡単には見つからない。それぞれが自身に最適な泳ぎ方を見つけることが求められる。鎌田は自分の泳ぎを分析するため、考えては泳ぎ、泳いでは考えた。そして練習の中で、腕が入水したときにつかんだ水を最後まで逃さずにかききる感覚を追求した。
  新記録は“質”重視の練習が結実したものだった。力強く大きなストロークは後半も全く衰えず、2着に10秒以上の大差をつけてフィニッシュ。出すべくして出した日本新記録だった。

”東京”より”今”
  彼女にとって水泳の魅力は、普段着けている義足を外し、ありのままの自分でいられること。補装具なしで行えるパラスポーツは貴重だ。自由に体を動かせる水泳がとにかく楽しかった。真っすぐな思いと自身も認める負けず嫌いが、鎌田を世界に通じる選手へと成長させた。
  13年のジャパラで400b自由形S8クラスのアジア新記録を樹立。その功績からベストユースアスリート賞を日本人で初めて受賞した。16年には「東京アスリート認定選手」に選出され、東京パラリンピック出場に向けて支援を受けている。だが2年後については「日頃のトレーニングに楽しく取り組むことが大事」と深くは考えていない。
  「今の積み重ね」を大切にする鎌田の目先の目標は、9月開催のジャパラでのさらなる記録更新。水泳が何よりも楽しい。幼い頃から、そして日本一のスイマーになった今でも変わらない原動力だ。(内村彩香)

 




【テニス部女子】
翔けろMyロード! 新境地へ弾丸サーブ!
新進シングルス 村橋 準 V


  クールなフォームで連戦連勝!村橋舞(文2)の努力が花開いた。前年のベスト8から急成長し関東の地で準X。周囲に恩返しすべく、常にテニスと向き合い続けた。次に目指すはインカレ上位だ。大きな目標に向け、好スタートを切った。     

サーブ直前、左手でボールを上げる村橋









 

少女の気付き


   「もともとテニスが好きなタイプじゃないと思うの、私」。ニューヒロインの口から意外な言葉がこぼれた。テニスを続ける原動力は他にあった。
    昔からテニスは身近なスポーツだった。経験者である両親の影響で、小学2年時からクラブに通い始める。鍛錬の日々を送るも、試合で勝てずやめたくなることもあった。そんな時、母に言われた言葉。「簡単にやめられるものじゃないよ」。少女は気付いた。親はお金も時間もかけてくれている。続けられるのは後ろ盾があるからだ。周りからの支えに応えなければ。
    感謝と責任感を胸に、20歳を迎えた彼女。新進大会を目前にして、重圧と戦っていた。昨年の自分を超えられるか。寒い中応援に来る仲間の期待に沿えるか。悪い結果につながりそうだから弱音は吐かない。不安な気持ちを抑え、ボールを空へ投げる。緊張の一瞬―。サーブと共に戦いが幕を開けた。

サウスポー相手にバックハンドで対抗した【撮影・南はるか】









 

20歳の自信


  予想通り、初戦は緊張との勝負。動きは鈍いがなんとか勝ち進む。続く2回戦、対するは後輩の倉島(観1)。いつもは仲間でもこの時ばかりはライバルだ。白星を挙げるも、気まずさでその日は話せなかった。真剣勝負の厳しさを知る。気持ちを立て直し、続く2試合を無事に突破。準決勝進出を決めた。
  昨年の自分を超えた。ふっと気持ちが軽くなる。今までのプレッシャーが消え、徐々に自信が出てきた。プレーにも変化が起きる。ラリーで機会を待ち一気に攻め込む。気負わずに得意のパターンを発揮できた。昨年の夏、インカレで敗北した中沢(亜大)に見事勝利を収めた。
  ついに上り詰めた決勝戦。全部員が応援に駆けつける。迎え撃つは、数々の戦績を残した名手。だが村橋がひるむことはなかった。相手を左右に振り予期せぬ方向へ強打。村橋戦法が活きる。しかし好敵手が一枚上手だった。ここ一番の勝負所で決めてくる。足が追いつかず、ボールが目の前を通り過ぎた。4―6、5―7で惜敗。それでも格上相手に全力をぶつけた。
  悔恨以上の糧を得て、村橋はコートを出た。強敵でもチャンスはある。気付いた新エースは攻め時に遠慮しなくなった。たった5日間で、彼女はひと回りもふた回りも成長していた。
  母の言葉に動かされ、テニス人生を歩んできた。「もっと人のためにやらなきゃ」。周りへの感謝を体現すべく、結果を求める。さらなる高みへ、サーブを決めろ。   (南はるか)  
 

 



 

 


 
 

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