硬式野球部

秋季リーグ特集A
「何だか知らないけど」

 3勝8敗、勝ち点1、結果5位。
 厳しい現実を突きつけられた2003年の春季リーグ戦。

 昨年に比べるとどうしても物足りなさを感じてしまう。主力選手たちがこぞって抜け2、3年生が主体となった今春。本学の新たなチーム編成に注目が集まった。若さは勢いを生むが、それと同時に甘さも露呈する。5位という結果も致し方なかった。
 
 では、今年の硬式野球部は若い芽が花を咲かせるための「過渡期」なのだろうか。私は即答、「NO!」と申し上げたい。個々の力は十分あるのだ。

 神宮の電光掲示板に140`以上を何度もたたき出した2年生投手陣、緩急自在で強心臓をもった1年生もいる。韋駄天(いだてん)が売りのキャプテンだっている。三冠王を目指す実力派のイケメンにも注目だ。

 まだまだ挙げれば、枚挙に暇がない。
 これだけ個性のある選手がそろっているというのに、誰が「過渡期」と言うのだろうか。「だいたい『過渡期』と思ってプレーする選手がいるのか。選手たちの一生懸命な顔を見たのか」と、まぁこう思ってしまうのだ。

 たとえ周りの評論家に酷評されようが、心無いファンに揶揄(やゆ)されようが本学の選手は少しも気にしないだろう。選手はいつものように、ただひたすら野球に取り組むだけである。その姿からは立教大学硬式野球部の「誇り」を感じずにはいられなかった。

 オープン戦を見て思うこと。
 何だか知らないけど、取材する立場の自分がこう言うのも変だけれども、今秋の本学を見ていく上で細かい戦力分析は無用に思えてきた。
 むしろ、そんなものより超越した魅力を感じてしまったのだ。


 そんなこんなで秋季リーグ戦開幕。
 
 第1週の相手は慶大。驚くなかれ、本学を映す電光掲示板には春のメンバー
と違うオーダーが並んでいるではないか。
 「むむむ…」。
 うなる客席、取材人。そこで私が思うこと。

 未知数――。まさに今年の硬式野球部は「未知数」である。
 やはりオープン戦同様、戦力分析なんてかっこつけるのはやめた。

 「未知数って…。それを解き明かすのが取材でしょう。そんなあいまいな言葉で表現しないでちゃんと戦力分析してくれよ」と思ったあなた。もちろん誰もが「未知数」な立教を知りたいと思っている。
 でも、ここで一言だけ言わせてほしい。
 「いやいや、その時点であなたは立教の魅力にはまっていますよ」

 人は「未知」と遭遇した瞬間、何だか知らないけど大きな衝動に駆られる。ドキドキ、ワクワク…期待と不安で胸が高鳴る。そう考えると、今秋の本学はまさしく「未知数」なわけだからこの感覚が起きても不思議ではない。

 「未知」とは読んで字のごとく「未だ知らざる」状態のこと。慶大戦の惨敗だけで今秋の本学を計るのは大きな間違いである。
 ただ実際のところ、本学は投打に噛み合わない試合が春から続いている。「今年に入って応援した試合は全部負けているんだよなぁ」と嘆いているファンもいるくらいだ。しかし、現段階で良し悪しなんて絶対に言えない。なぜなら「未知数・立教」だから。

 では、未知の対極にある部分、「計算できる」という観点はどう捉えれば良いのだろうか。
 「計算できる」とは、ある程度やってくれる、期待できる見込みがあるということ。つまり強い証拠である。エースやスラッガーという言葉は「計算できる」者にしか与えられない名誉ある称号だ。
 その点で考えれば、本学は「未知数=計算できない」わけだからお世辞でも強いチームとは呼べない。

 しかしこう考えてみるとどうだろう。「計算できる」ということは、逆に言えば「誤算」を生み出すことにつながる。言うならば「誤算は計算可能の状態が作ってしまった産物」である。

 今秋の六大学野球を見るポイントとしては「ぎっちぎちの計算で埋め尽くされた大本命・早大」の歯車をどう崩していくかに尽きるだろう。対抗馬は明大と言われているが、それはあくまで計算上のこと。どの大学が上り詰めてもおかしくないのが六大学野球。なぜなら「計算できる」チームは一度噛みあわなくなって「誤算」が生じると「総崩れ=リーグ戦低迷」する可能性が高いからだ。

 特に、本学の超奇抜な戦略はどの大学も苦戦するだろう。相手はもちろん、プロの記者も簡単には読めない齋藤マジック(齋藤とは本学の齋藤章児監督のこと)。早大がどんなに応用問題を解いたところで「未知数」を読めるはずもない。
 実はどの大学も立大戦が一番の応用問題だったりして…。

 東京六大学野球の面白さ。それは、この「計算の有無」にあると思う。よく東都大学リーグは熾烈な入れ替えがあるので、入れ替え戦のない六大学野球は競争心に欠けると言われて久しい。
 もちろんそれも正論だと思う。負け続ければ下位のリーグへ落とされてしまうその環境は、まさに競争社会の模擬練習。選手の目も必死そのものだ。
 しかし、ちょっとばかり考え方を変えてみると、六大学野球人気ありきの所以(ゆえん)が分かる気がする。

 力が等しくなるよう設定された「ピラミッド型リーグ制」。そこにはある程度「計算できる」同じレベルのチームが組まれていると言って良い。
 だが、先にも述べたが人は「未知」との遭遇に大きな衝動を感じてしまうので、「計算できる」は飽きてしまう時がくる。「計算できる」出来過ぎくんが逆にモテないのと同じこと。

 六大学野球は上位と下位のチームに力の差があるのは確か。この「差」によって「計算の有無」が生まれる。つまり、このシステムによって「『計算できる』チームを『計算できない』チームがどう倒すのか」というハラハラ、ドキドキの舞台ができちゃうわけだ。
 こうした理由も六大学野球人気の一つではないでしょうか…。

 一般的に考えて「計算できる」チームが良いに決まっている。しかし「未知数」の期待と不安も、また見ごたえがある。本学は「未知数」な上、個々の力があるチームだ。「未知」の力を信じてみるのも悪くはないだろう。


 ここで一つ断っておくが、私は立教を応援するような主観で満ち溢れた文章を書くつもりは毛頭ない。だから「今秋こそ絶対優勝するぞ!」とか「一大旋風を巻き起こす」みたいなひいきチームをいつも一面に持ってくるどこかのスポーツ紙みたいなことはしない。

 ただ…、
 何だか知らないけど、無性に硬式野球部の記事が書きたくなってしまった。

 もしや、これが未知の衝動、未知の魅力…。
 何だか知らないけど。

(2003年9月22日・田代)

  
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