硬式野球部

「st.paul's の行方」
〜野球部敗戦から考えること〜A

 長かった――。1勝するまで本当に長かった。
 これほどまで勝負の厳しさを感じたシーズンはなかったに違いない。
 
 2003年、東京六大学野球秋季リーグ戦。本学は開幕9月13日から10月12日まで、慶大、法大、早大、明大の四校に立て続けに敗れ、まさかの8連敗。10月25日の東大戦で待望の勝利を収めたものの、春季リーグ戦から数えると実に12連敗の記録をつくってしまった。本学硬式野球部の12連敗は昭和2年以来、76年ぶりの珍事だ。
 
 この記事では、今年の硬式野球部を「終わり良ければすべて良し」と大目に見るのではなく、あえてこの12連敗を機に硬式野球部が勝つということは立教大学にとって何を意味するのか、そして自由の学府・st.paul's の精神が体育会をどう導くべきかを広い視野から皆さんと一緒に考えてみたい。
 

 その参、勝つということ――

 硬式野球部が立教大学体育会の「シンボル」だと言うのは何となく理解できただろうか。このことについて、もう少し詳しく考えてみよう。

 
 ご存知の方もいるだろうが、東京六大学と呼ばれるようになったのは硬式野球から由来している。つまり、立教大学だけでなく六大学にとって硬式野球部が各大学の「シンボル」なのだ。これもご理解頂けると思う。
 
 しかし、立教大学においてその定義は同じでも意味合いは違う。「シンボル」なんて甘い表現ではない気がする。他大学に比べ、硬式野球部への重みのレベルがあまりにも違いすぎる。
 
 こう言うのも何だが、現在の立教大学体育会で一般に有名な部といったら硬式野球部しかない。本当は注目を浴びるべき部はもっともっとある。
 しかし、学生に「硬式野球部以外で強い体育会の部を知っていますか」と聞いても関係者以外まずその名は出てこないだろう。(だからこそ立教スポーツが体育会機関紙として各部の活躍を随時学生に知らせなければならないのだが)。

 立教大学の硬式野球部は「シンボル」なんかではない。勝つということをある意味義務づけられている「勝利至上集団」である。彼らが勝つことが体育会の繁栄に直結すると言っても過言ではない。
 

 硬式野球部は勝たなければならない。自分のため、チームのため、何よりも「立教大学体育会の認知」、「体育会員の希望」のために。
 

 だが、良く考えると酷な話である。プロでもないのに勝利至上を求められているのだから。学生らしくはつらつとしたプレー、見ごたえのある試合ができればそれで良いのかもしれない。
 それでも、彼らは st.paul's の名を背負い、勝つということが最大の使命なのだ。立教大学を活性化させる一番の特効薬なのだ。だから他大学と同じとらえ方ではいけないと思う。
 
 その意味でも、今季の惨敗は問題視しなければならないが、決してこれは硬式野球部だけの問題ではない。チームワークでまとまってきた立教大学体育会全体の問題に関わるのだ。そこで、立教大学体育会はどう考え、行動したのかを見てみよう。

 体育会本部は最終戦である東大戦を前にして、「神宮へ行こう」となるキャンペーンを実施した。青空を基調とする、すがすがしさをアピールした立て看板で校内の道を挟み、学生に神宮球場での野球観戦を呼びかけた。
 
 応援団も最終戦だけあって昼休みに行われるデモンストレーションを池袋、新座の両キャンパスで行った。前売り券も売り切れになるほどだったとか。
 
 これらの成果もあってか、東大戦では多くの人で学生席が埋まった。メガホンを片手に、得点が入るとなり振りかまわず肩に手をかけ合う学生たち。そして第一応援歌「行け立教健児」を大きな声で歌う姿。
 
 それは、体育会と学生、ファンが一つになる瞬間だった。


 その四、st.paul's と使命――

 近年、優勝へあと一歩の状態が続いた本学。リーグ戦は毎回それなりの結果を残していた。いや、だからこそ知らず知らず「中間」に甘んじる気持ちがあったのかもしれない。今年は内容で勝っても、勝負に負けた試合が多かった。
 
 誤解してほしくないのは、確かに選手たちは全力でパフォーマンスしていたこと。私は選手たちが攻守交代でベンチに戻る顔をずっと見てきたが、目ははっきりと開き、勝利に飢えるその必死さが十分に伝わってきた。
 
 ただ「勝つ」という結果につながらなかった。打つべき時、守るべき時に力を出せなかった。投打があまりにも噛み合わず、いつしか知らず知らずのうちに連敗を重ねていた。
 今年の硬式野球部の流れを一言で表現するならこう言えるだろう。
 

 東大戦終了後のインタビューにて。
 
 私はチームの中心打者である多幡を直撃した。試合には勝ったものの、その表情はやはり固い。今季のチーム低迷と自身のスランプが重く圧し掛かっているように見えた。
 本来ならここは選手の気を使い、インタビューは端的に終わらせるのがスジである。
 しかし、私はあえて彼に少々いじわるな質問をしてみた。というか、聞かなければいけない気がした。
 

 「立教大学硬式野球部にとって、
   勝つということは何ですか。勝つためには何が必要ですか」


 多幡はじっくりと考えながらこう答えた。
 「自分はとにかく打つだけです。打つことが勝ちにつながる」
 その言葉には使命感なるものがにじみ出ていた。
 
 その時、私は確信した。
 嫌な顔一つせずしっかりと受け答える多幡を見て、何だか知らないけど安ど感のような感情で胸がいっぱいになった。
 
 
「大丈夫だ。ちゃんと硬式野球部は分かっているんだ。自分たちの使命を、勝つということの意味を、硬式野球部に託された夢と希望を」


 
勝ち続けることは何よりも素晴らしいこと。だが、負けることで見えてくるものもある。今年の苦しい経験は、慢心する硬式野球部、さらには立教大学体育会に何かを考えるきっかけになったのかもしれない。

 そして改めて感じたのが、 st.paul's はこれからも一つである、硬式野球部を筆頭に立教大学体育会は切磋琢磨(せっさたくま)し続けるということ。それが他大学にはないチームワークを基調とした「立教らしさ」である。
 そう結論付けて終わりにしたい。
 
 
 あとがきとして――
 
 東大戦に勝ち、秋季リーグ戦全日程を終えた硬式野球部。試合後には4年生の引退セレモニーが行われた。これは最終戦の後、神宮球場の外で応援団が4年生にエールを贈る恒例のイベントである。
 
 野球部、応援団のみならず、セレモニーに駆けつけたOB、OG、部員のご両親、他の体育会員やファンの顔…苦しいシーズンではあったが最後は皆、笑顔で溢れていた。
 そんな和やかな時間が過ぎるとともに、私はまた思っていた。
 それを見てまた今日も気がついてしまった。
 
 「本当、立教ってチームワークいいよなぁ」


(2003年11月7日・田代)