ハンドボール部

新人たちのアシタ(下)
「シンデレラ・ボーイ」


 ご覧あれ、大胆不敵なこのポーズを。

 「こうしてると、知らず知らずのうちに右手が落ち着くみたい」
 そう笑う彼こそが、6部降格の危機からハンドボール部を救った1年生GK、山口(社1)である。


   「ハンドボールは、やってみたらすぐにハマった」

 山口は、北海道釧路市で生まれ育った。
 高校時代からハンドボールを始め、彼が主力GKとして活躍した釧路湖陵高は道東地区では常に1位、道大会でもベスト4に食い込むまでのチームだった。

 「GKだけの孤独感というか、重責を背負う緊張感が好き」と語る山口だが、中学時代はサッカーを、それも、意外なことにFWをやっていたという。
 しかし、「別の中学でサッカーが上手くて憧れてた先輩が、同じ高校でハンドボール部のキャプテンをやっていたから」という理由で、ハンドボールへの興味が湧く。と同時に、「新しいことをやりたい」との意思も手伝って入部を決意したが、「やってみたらすぐにハマった」。

 そうしてハンドボールに目覚めた山口は、1年次の夏から正GKとして頭角を現し、ゴールを守り続けた。
 そんな中、常に刺激となった存在がいた。同じGKとして仲が良く、そしてライバルだった同期の尾谷(現獨協大1年・ハンドボール部所属)である。
 “和気あいあいとしていた”部の中でも特に密接な仲だった彼を、山口は「友だち以上の存在」と言う。

 部員同士で競いながら力をつけていった当時の部の目標は、“道内最強”の函館工高を倒すこと。
 3年次の6月のインターハイ予選では、対決を前にして敗退。本来ならば3年生はその大会で引退となるが、「あまりにも悔しかったから、9月の国体予選まで部に残った」山口は、後輩たちを率いて準決勝進出に貢献した。

 そして、準決勝で函館工高と対戦。
 金星を挙げることはできずこの試合で引退となったが、「負けたけど笑って終えられた」というこの一戦を最後に、山口はハンドボールから離れることとなる。


   「試合に出られる喜びを感じた」

 それから2年。
 1年間の浪人生活を経て、「東京に出てバイトやって彼女をつくって(笑)友だちとも遊んで…平凡に一人暮らしをするつもりだった」というイメージをなぞるような大学生活を送っていた。
 そんな彼にとっての転機は、東京ではなく、釧路で訪れた。

 今年9月に帰省したときのことだ。
 OBとして、母校の練習に参加。そこで、再びハンドボールに触れた。実に2年ぶりとなるプレーで、山口は「また面白さに気づいた」――。

 「こんなに面白いものなら、大学でもやりたい」
 そんな気持ちに、現在4部の獨協大で活躍する尾谷の存在が重なる。
 思うままに入学式で配布された体育会のパンフレットを開くと、すぐに本学ハンドボール部の主将・細口(理4)に電話した。

 そのときから山口が再びユニホームを着るまでにかかった時間は、ものの3日である。

 9月20日、初めて練習に参加。
 「(人数が)少ないな…」という第一印象を持ったのもつかの間、翌日の試合への出場を言い渡された。

 これには、本学の苦しい台所事情が影響していた。
 この日まで、5部リーグ戦で3試合を消化し全敗。控え部員のいないギリギリの状況下での戦いを余儀なくされていた。

 だが、山口の出現によって流れは一変した。

 翌9月21日、彼は実戦の舞台に戻ってきた喜びを感じていた。
 「試合をやっているときの緊張感」を思い出すとともに甦ってゆく試合勘。
 試合開始から4本のファインセーブで7分間近く東経大に得点を許さず、その間に攻撃陣は幸先良く3点を挙げた。

 「GKは自分次第で試合の流れを作ることができる」
 持論どおりのプレーによって、本学に主導権をもたらした。

 しかし、リードしている間にも「いつか流れが悪くなるはず、そのときが勝負だ」と意識していた。
 そして、徐々に攻めあぐねる本学は前半終了を前に逆転を許す。
 写真=的確な指示でコートプレーヤーを動かす


 そこからが圧巻だった。


 後半開始早々の決定機を山口が防ぐと、本学の猛攻が始まった。
 山口が8分40秒もの間を無失点で押さえる神がかり的な活躍をし、攻撃陣も一気に7点を奪い再逆転。終盤には2点差まで追い上げられたが、残り40秒で山口が“会場を静まり返らせる”矢のようなロングパス。岡村(コ4)によるとどめのシュートを見事にアシストした。

 この1勝が今年度初勝利となった本学は、続く第5戦も2点差で東京農工大を退けた。
 しかし、失点が少なくなったことだけが山口の加入による影響ではない。山口が入ったことで、それまでGKを務めていた丹野(観2)が前線に行ける。彼が優れた体格を活かしポストに入ることで攻撃が安定し、ポスト経由のバリエーションも増えた。
 攻撃面で速攻頼みから脱したことも、山口がもたらした大きな影響なのだ。

 連勝によって、あと1分けでも5部残留という状況にまで盛り返した本学だったが、「楽な展開にはならない」という山口の予感は的中、残る2戦で2敗を喫し、6部2位の学習院大との入れ替え戦出場が決まった。

 それでも山口は「最終戦は自信になった」と言った。
 5部優勝校の北里大に対し、リードを許しながらも後半は逆転の可能性さえ感じさせる反撃を見せた。
 「負けたことは反省点だったけれど、これなら学習院には勝てると感じた」

 手応えを感じながら、絶対に落とせない一戦を迎えた。


   「オレがなんとかする」

 「勝つしかない」「気合でいくぞ」「気持ちで負けるな」
 全員で言い合って臨んだ10月19日の入れ替え戦。
 試合前、山口は自身にこう言い聞かせていた。

 「ヤバくなったらオレがなんとかする」

 序盤は、本学の攻撃が手詰まりになり1−4でリードされる嫌な展開となる。
 そんな中、「自分がディフェンスでリズムを作るしかない」と意を決した山口は守備面での指示を徹底し、相手の攻撃を苦し紛れのシュートで終わらせた。
 そんな「指示がうまくツボにはまった」というディフェンスから、本学は息を吹き返す。相手の攻撃を断つと素早く逆襲に転じ、前半のうちに逆転に成功した。

 後半は相手に押し込まれる時間が長くなり「追いつかれるんじゃないかっていう不安は常にあった」が、それでも「相手の流れを分断できた」と言うように、連続失点をせずに自分たちのペースを保った。
 そして、17−15でタイムアップ――。
 山口は、この日で引退となる萩原(文4)と抱き合って喜びを表した。

 「嬉しい!」
 これが、試合後最初の一言である。
 そして、満足そうな表情で続けた。

 「よく一緒に練習をしている学習院が相手だからみんな意識していたけど、まだ(入部して)日が浅い自分にはやりづらさがなかった。
 途中から良い流れを作れたし、いつも目標にしている『1試合15失点』もギリギリで守れたから、自分の仕事ができた。その点で、今までで一番チームに貢献できた試合だと思う」


   「いつかアイツと試合をやりたい」

 山口の活躍に関して特筆できるのは、ハンドボール部との出会いから残留に貢献するまで、たったの1ヵ月しか要さなかったことである。
 これについて聞くと、「あっ、まだ1ヵ月しか経ってないのか…。先輩たちとまだ1ヵ月しか過ごしていないとは思えない」と苦笑した。

 瞬く間にチームにとって不可欠な存在となったこの“シンデレラ・ボーイ”の理想は、「チームに信頼されているGK」だと言う。

 「GKはシュートを受ける立場だけど、受け身にならないでセーブするように心がけている。こっちがシューターをリードするぐらいに。
 調子が良いときは、ヤバいほどアドレナリンが出まくって(笑)『早くシュートしてこい、オレが止めてやるから』みたいな気持ちで相手に立ち向かえるんですよ。

 ハンドボールって、“GKが試合を制する”っていうときがあるんですよ。
 そういう試合を多くこなせるようになりたい。そうすることで、もっと仲間から信頼されるGKになれると思う」


 もちろん、成績として目指すものもある。
 「4部昇格」。
 それはすなわち、獨協大との対戦、尾谷との顔合わせの実現を意味する。

 「実は、残留を決めて一番最初に報告したのはアイツで…(笑)。
 当たるときは敵になるけど、いつかアイツと試合をやりたい」

 親友とコートの両端で向き合う日のことを見据えた山口。
 その姿は、「アシタへの希望」に満ちていた。




   ◆山口 翔太(やまぐち・しょうた)
   1983年12月9日生まれ
   社会学部産業関係学科1年 釧路湖陵高出身
   ハンドボール歴は4年半
   抱負を一言。「もっとうまくなりたい!」


                                 【新人たちのアシタ・完】

                                                    
(2003年11月17日・小見)