相撲部

新人たちのアシタ(中)
「1年遅れの冒険」


 町田(文2)にとっての転機は、昨年5月。帰宅途中での何気ない出来事だった。
 立教新座高での3年間をサッカー部で共に過ごしてきた仲間たちと、志木駅で偶然にも遭遇したのである。

 同じ高校から同じ大学へ進学し、町田はサッカーサークルを、彼らは体育会であるサッカー部を選んだ。折りしも、練習を終えて富士見グラウンドから帰る途中だった彼らの笑顔が、そのとき町田の胸を打った。


   「もう部活なんかやらないと思っていた」

 「部活は辛いもので、楽しいものじゃない」
 そう思っていた。だから、大学に入学しても体育会の部に属すという選択肢はなかった。漠然と描いていた“楽しくて充実した”大学生活の理想像。それを、町田はサッカーサークルに求めた。
 だが、ものの1カ月ほどで彼はその大学生活に物足りなさを覚えることになる。

 ひとことで言えば、「目標がないことのつまらなさ」だった。

 高校時代に部活中心の毎日を送っていたからこそ、充実感に欠けた現実と描いていた理想とのギャップを痛感した。そんな矢先の、志木駅での出来事。目標を持ってサッカーを続けている同級生の姿に、町田は逞しささえ感じたという。

 「俺も何かやりたい。やるからには、今まで知らなかった分野で勝負してみたい」

 抑えきれない感情が、町田を動かした。


   「自分から、本気で相撲をやろうと思った」

 相撲を意識し始めた理由のひとつに、小澤(法2)の存在がある。
 小澤は先日の全日本体重別大会で優勝を果たした、本学相撲部一の実力者である。

 小澤もまた、立教新座高ではサッカー部に属し、3年次には主将を務めた。ポジションも、町田と同じセンターバック。いわば、町田にとって最も親しい人物の一人だったのである。
 大学入学後、小澤は相撲部に入部し台頭を表し始める。町田もそのことは知っていた。
 そこに、相撲部の事情が絡む。当時の部員は5名。団体戦を戦う上で欠員は許されない。危機感を抱いた小澤は、町田の勧誘を目論んだ。
 時を同じくして「本気で相撲をやろうと思った」町田は、自分の決意を小澤に伝える。双方の意思が見事に合致したのは、昨年9月末のことだった。

 町田は笑って付け加える。
 「小澤に誘われたから相撲を始めたわけじゃないよ。相撲なんて、仮に誘われてもすぐにやろうと思えるものじゃないから」


   「『相撲部に入って良かった』と今なら思える」

 素人考えかもしれないが、最初にまわしを巻いたときはどう感じたのだろうか?
 「もう、恥ずかしくてしょうがなかった」と町田は顔を赤らめた。
 (写真=試合後、まわしを片付ける)

 それを筆頭にして、彼は新境地での体験を重ねていった。
 稽古では想像以上の肉体的負担がかかり、毎日筋肉痛になった。
 すぐに「辞めたい」という気持ちが生まれたが、それをかき消したのは周囲の言葉だった。

 「監督がいなかったら続けられなかった」と、町田はまず肥田監督の存在を挙げる。思うようにいかないときも「絶対に強くなれるから」と声をかけ続けてくれた。

 「こんなに弱いのに、体もまだ細いのに、そんな自分に監督は期待してくれている。それを思うと、監督のためにも強くなりたい」

 もちろん、個性豊かな部員たちの存在も大きい。

 「サッカーみたいに大人数でやる競技だと、失敗が続くと代えられてしまう。でも、この部では同じ負け方ばかり続いても『ここを直せば強くなれる』と言い合える。みんなが自分を見捨てないでくれた」

 そんな部に身を置いたからこそ、貢献したいと思った。
 そして今年5月、他大の1年生に混じりながら新人戦で1年遅れのデビューを果たす。初めての実戦を経て「練習のことを試合でやることの難しさ」と「秒単位の世界で勝負する厳しさ」を思い知ったという。
 それと同時に、ひとつ分かったことがある。

 「相撲は一人の競技だと思っていた。でも、戦うのは一人だけど部員全員で戦っている実感がある」

 だから、団体戦で勝つことに執着する。町田が出場するのは大将戦、順番でいえば最後になる。6月の東日本選手権での団体戦では、2−2で回ってきた自分の取り組みで敗れ、チームは敗退した。そのときの悔しさは、今でも思い出す。
 次の大会は11月、大阪での全日本選手権だ。全国の大学の力士たちが集う大会であると同時に、この大会を終えると2人の4年生は引退となる。

 「団体で勝ちたい。勝って、最後に宇川(社4)さんと吉田(社4)さんにいい思いをさせたい」
 大阪への旅を団体戦勝利の思い出で飾ることが、彼らへの恩返しになる。


 もうひとつ、「すぐには無理だけど」という前提で目標がある。

 「早く小澤のライバルになりたいね」

 町田は、小澤が優勝した瞬間、誰よりも大きく声を張り上げていた。彼の強さを知っているだけに、レベルの違いも認識している。彼が本気になるくらいの強さを目指す町田。二人が対等な力を持つ日が来たら…想像するだけで胸がすく。


   「今は、『相撲をやってるよ』と、どんな人にも堂々と言える」

 相撲を始めて一番変わったことは何かを問うと、町田は自分の内面的なものだと答えた。

 「相撲を始めたときは、そのことを言うのに抵抗があって、実はそれとなく隠していた。今思えば、自分に自信がなかったんだと思う。でも今は、『大学で何やってるの?』と聞かれたら『相撲をやってるよ』と、どんな人にも堂々と言える」

 もう、去年の春の自分ではない――。相撲との出会いが、相撲という冒険が、確実に町田を変えてきた。

 彼が実感をこめて言った言葉がある。
 「最後まで諦めちゃいけない」。
 これが彼の信条であり、相撲での持ち味にも通じる。
 9月の東日本リーグ戦で挙げた、自身待望の初勝利。これは、追い込まれながらも粘りに粘って制した長い一番だった。

 そんな諦めの悪い「新人」に残された時間は、あと2年。

 「高校での3年間はあっという間だった。きっと、相撲を続ける残り2年もきっとあっという間。後悔しないように、自分のできる限界まで頑張ろうと思う」

 そして、土俵で“楽しくて充実した”大学生活を燃焼させたその末には…。

 「卒業するときに、サッカー部の友達に『オレ、本当に相撲やってて良かったよ、楽しかったんだよ!』って言えるようになれたらいいね」




   ◆町田 紀明(まちだ・のりあき)
   1983年4月27日生まれ
   文学部史学科2年 立教新座高出身
   相撲歴は1年
   今、一番楽しいときは「部員みんなでちゃんこを食べているとき」

                                                       
(2003年10月10日・小見)