相撲部

「木々が色づく頃に」


 大阪府堺市にある大浜公園。

 多くの運動施設が点在するこの公園内には、入口から続く並木道がある。


 11月1日、土曜日。大阪は朝から雲ひとつない晴天に恵まれた。秋を感じさせる爽やかな朝だ。

 高架を走る南海電車の窓からは、色づき始めた木々の模様が見て取れた。

 堺駅で下車し5分あまり歩けば、そこは大浜公園の入口である。並木道を通り前方左手に見える相撲場に近づくと、多くのまわし姿が目に入った。
 「相撲」を実感する瞬間である。

 会場へ入り一息つくとすぐに団体戦Cクラストーナメント、本学の出番だ。

 土俵際へゆっくりと歩む面々の中に、この大会を最後に土俵を去る二人の力士がいた。
 宇川(社4)と吉田(社4)である。


 団体戦では中堅の吉田、副将の宇川ともに敗れチームも2−3で1回戦敗退。個人戦でも二人は初戦を勝ち抜くことができなかった。
 勝ち星を挙げての引退はならなかったが、それでも彼らの表情は穏やかだった。




 「今まで長かったから、『やっと終わった』とは思うけど、実感が湧くのは後になってからかもしれないね」
 宇川(=写真)はそう言った。

 入学直後から相撲部へ飛び込んでから、4年目のシーズンをこの日で全うした。
 部員不足に苦しんでいたときからこの部を引っ張り続けてきたこの男。彼を抜きにして相撲部は語れない、まさにチームの象徴だ。

 入学時には「まさか相撲はやらないよな」と思っていた彼だったが、「相撲部の出店前を通ったら取り囲まれた」という衝撃的な新歓活動の“成果”で入部。
 1年次からの雑務や主将となった後の仕事量の多さから「欲を言えば試合に集中したかった」そうだが、今では「目的を持ってやってきたことだから、充実した4年間だった」と言い切れる。

 「相撲っていうのは言ってみれば『矛盾の縮図』で、やりたくもない稽古をして(笑)、嫌な思いもして、稽古でやったことが試合でできるとも限らなくて…それでもなんとか今まで続けてきたのは、吉田を含めて自分の後に始めた人のためにも『オレがやらなきゃ』っていう気持ちがあったからだと思う。

 部に関しては、相撲を始めるような奴は同じようなものを目指してやっているから、1年生のときから相撲独特の連帯感を感じていた。同時に、他大の選手たちと仲良くなれたことも良かったね。

 相撲を続けて得たものは…普通は誰も経験したことのないことをできて得をしたっていうことかな(笑)。
 精神的な面では、得意な分野を自分で突き詰めていくことの大切さを実感した。柔道をやっていた人が投げ技に持ち込めば強いように、自分の得意な形で勝負すれば勝っていけることを知った。
 それは、相撲じゃなくても何にしても言えることだと思う」




 一方、吉田(=写真奥)は開口一番こう語った。
 「悔しかったね…。終わってホッとしたというよりは、勝てなくて悔しかった」

 敗れはしたが、常々「オレは立ち合いが勝負」と言うように、最後の一番も格上の相手におくすることなくぶつかっていった。自分らしさを貫いての締めくくりだった。

 吉田が相撲を始めたのは2年生になってからだった。
 入学してすぐにラグビー部に入部するも、長続きせずにすぐに退部。そうして空いた時間をバイトなどに費やす生活をしていた。
 
 だが、次第にそんな日々に疑問を持ち始める。
 「このままでいいのか?」

 自問の答えは「大学で何かを残したい」という気持ちだった。そして、英語の授業が一緒で仲が良かった宇川がいたからこそ、吉田は相撲部を新天地として選んだのだった。

 「始めたときは右も左もわからなかったけど、とにかくがむしゃらにやっていった。やっていくにつれて、今は体の使い方もわかってきた。

 相撲って…そんなに重々しい感じのものじゃなくて、思ってたよりも“スポーツ”なんだよね。太ってる人がやってるイメージしかなかったけど、全然そんなのじゃなかった。
 個人競技だから勝つには一人で力をつけるしかないけど、チームとして『勝ちたい』っていう気持ちは一緒だった。だから、楽しかった。

 相撲を始めたことで、何でも前向きに『チャレンジしよう!』っていう意識を持てるようになったね。それが、一番変わったことかな…」




 彼らの引退によって、残る部員は4人の2年生となる。
 小澤(法2)は「宇川さんがいなければ自分はこの部にはいなかった」と、町田(社2)は「二人がいないと、部活でも、プライベートでも寂しくなるね」と言う。
 彼らの存在の大きさは偽れない。

 だが、宇川(=写真左)と吉田(=同右)にとっての2年生の存在もまた大きい。
 成長を続ける2年生がいるからこそ、彼らも笑顔で後を任せられるのだ。

 「この部で相撲をとって、やり遂げたことは何ですか?」
 そう二人に聞いたときのこと。
 吉田は「相撲部は存続した…。それだけでも自分がいた意味はあったと思う」と答え、宇川も「どうにか潰れなくて良かった」と笑った。

 ――二人は相撲部を“潰さなかった”。
 たとえ目に見える形ではなくても、受け継いできたものは確かに残る。




 相撲場からの帰路。
 吉田に問い掛けられた言葉を胸に残したまま、もと来た並木道を歩いた。

「相撲って、なんか最初はとっつきにくい感じするだろうけど、触れてみると楽しいでしょ?」

 そのときはうまく答えられなかったが、その答えはきっと、言葉を必要としない。
 大阪の、その場にいた自分の姿が、何よりもの答えなのだろう。

 そして、その理由も簡単なことだ。
 そこに相撲部があるから、彼らがいるから、ただそれだけだ。
 それほどの魅力を、相撲部という超個性派集団は秘めている。


 緑色、橙色、茶色のモザイク模様が夕日に映える並木道。
 その足もとには、いくつもの落ち葉が点在する。

 やがて冬を越え春となり、またまばゆいほどの緑一色にこの木々が色づく頃には――きっと、生まれ変わった相撲部の勇姿が待っている。
                                                       
(2003年11月11日・小見)