硬式野球部
比嘉太一四番の意地
 「立大最強のバッター」その言葉を聞くと始めに多幡(経4)を思い浮かべるであろう。
 しかし、今年の立大には多幡にならぶ実力を持つ打者がいた。それは比嘉(社4)だ。彼は昨年の秋季リーグから持ち前の長打力と決定力の強さを見込まれ四番に座ることになった。だが、この時はチーム全体の力が最後まで発揮出来ず5位という厳しい現実を突きつけられた。また、比嘉自身多幡と共に規定打席に達するものの、打率は2割2分6厘と振るわず悔しい思いをした。
 
 迎えた2004年、王座奪還を掲げた新チームが発足し坂口監督が就任。監督が四番に指名したのはやはり比嘉であった。そしてこの春ついに比嘉の四番打者としての真価が発揮された。初戦の対慶大1回戦で初回一死一、二塁の場面、甘く入った直球を中前に放ち2点を先制。対明大1回戦でも七回に逆転打を放ちチームを優勝戦線に導いたのである。この春は惜しくも優勝を逃したが、比嘉はリーグ5位となる打率3割4分6厘をマーク。初のベストナインにも選出され、その名を知らしめた大きなシーズンとなった。数々の栄光を手にした比嘉であったがこの結果には決して満足はしていなかった。彼が入部してからまだ一度も立大野球部は優勝の味を知らないのである。「なんとしても六大制覇をーー」。春季リーグが終了してから比嘉をはじめチームは一丸となって猛練習に取り組んだ。例年行われるオープン戦も増やし、経験と自信をつけた本学は最強のチームに成長したことを確信し秋季リーグを迎えた。
 
 初戦となる対法大戦。春、二連勝した相手だが一敗一分と早くも苦戦を強いられてしまう。負けられない試合となった第3回戦、序盤本学投手陣が法大打線につかまり6点差をつけられてしまう。一見、法大の勝利に思えたこの試合、だがドラマは七回に起こった。先頭から二者連続安打で出塁し、その後相手投手の制球が乱れ、無死満塁とする。打席に立つのは比嘉。この法大戦、相手投手陣は三番・多幡との勝負を避け、走者のいる場面では比嘉と対戦することが少なくなかった。しかしこの時、比嘉が四番としてのプライドを見せつけた。法大・福山の放った変化球を比嘉は右翼に放つ、鋭い打球はそのままスタンドに突き刺さり走者一掃の満塁本塁打とし1点差まで詰め寄った。それを契機に本学は同点に追いつき延長戦へと向かう。だが悪夢は起こった。本学は十二回表には勝ち越すものの、その裏暴投によるまさかのサヨナラ負け。もう負けられなくなった立大は対慶大戦で接戦を繰り広げる。比嘉はここでも毎試合打点をあげ本学の打線を引っ張っていた。しかし、最終決着を決める第四回戦が雨天のために延期、その後の試合も投打がうまく噛み合うことができず東大に一敗、早大、明大に連敗してしまい悲願の優勝の確率はほぼ0となってしまった。
 
 
雨に悩まされ延びにのびた対慶大四回戦、本学に残された試合は気づけばこの一試合のみであった。つまり4年の比嘉にとっては最後の神宮でのプレーだ。「なんとしても最後は勝利で決めたい」。比嘉を含める4年生の気迫がチームを勢いづけた。本学の先発・小林(コ3)が五回までに慶大打線を無安打で抑えた。その好投に応えたのはやはり四番・比嘉であった。三回表、二死三塁、比嘉は右前打を放ち1点を追加する。つづく五回の打席、二死三塁の好機に多幡が敬遠を受けてしまう。慶大バッテリーは比嘉との勝負を選んだのだ。だがその選択は比嘉の闘争心をますますかき立てた。その打席に中超えの適時打を放ち塁上の走者をすべて生還させこの日三点目となる打点を記録。本学はそのまま逃げ切り4−1で有終の美を飾った。
 
試合終了後の壮行会の際、わたしたち硬式野球班は比嘉に今の思いをうかがってみた。その時、比嘉は目にうっすらと涙を浮かべしばらく考えてから「複雑な思いでいっぱい」と一言述べた。確かに優勝を逃し悔しい思いをした。だがこの四年間で得た大切な仲間とともに最後を勝利で飾れたことは比嘉にとってはかけがえのないものとなった。卒業後は就職し今の所野球は続けるつもりはないという比嘉。しかし不安の気持ちをすべてはねのけ打席に向かう勝負師・比嘉の姿は後輩たちに強く焼き付いているはずであろう。
                                     (2004年11月1日・金澤)