第二回:「自分しかいない」

取材:ボクシング部担当  記事:太田(佳)


  廊下まで使ってのシャドー。会場前に放り出されたシューズ。
  5月3日、神奈川県立体育センターは熱気に包まれていた。ゴールデンウィークのせいではない。年に1度の昇格をかけた戦いを待ち望む、汗くさくもさわやかな熱気だった。


  6部に所属する5校の組み合わせ上、この日本学が出場するのはライト級の試合のみ。それでもリング最前列には現役部員とOBがしっかりと陣取っている。トーナメント戦の勢いを左右する大事な初戦だからだろうか。隣に招かれると緊張と期待が伝わってきた。
  そんな中で、一際真剣にリングを見つめる横顔に気づいた。この日ライト級選手として公式戦デビューを果たすはずだった岡田(済2)である。しかし彼は膝のけがが完治しておらず出場を断念。他階級の選手に「頼む」と言わざるを得なかった。

  岡田に代わってリングに立つことになったのは水谷(済2)である。予定よりも1つ上の階級で自分より大きな相手に挑む。それが負担にならないはずがない。また、このライト級で負けてしまえば本来の階級であるフェザー級も不戦敗となってしまう。それでも出場を決断したのは、今大会がチームとしての戦いだからである。入れ替え戦への出場権を得るためには、なるべく多くの階級で勝ち進み、より多くのポイントを取る必要がある。
  少数精鋭。良くも悪くも、この4文字が本学ボクシング部を体現している。「自分しかいないという意気込みと責任感がある」と水谷は言う。けがで欠場すれば、個人だけでなく部全体の問題となる。程度の差こそあれ、ボクシングという競技にけがはつきものであるから、それは決して他人事ではない。岡田の気持ちは、水谷をはじめ部員全員に痛いほど伝わっているだろう。

  不戦敗にはしたくない。岡田の出場につなげたい。「最低条件はとにかく勝つこと。負けちゃいけない」。前日、水谷はくだけた口調で、しかし真摯に勝利を誓った。


  試合開始のゴングが鳴る。相手の小嶋(亜大)はやはり体格面で水谷を上回っていたが、声援の大きさでは負けていない。その甲斐あって、流れは本学にあった。様子をうかがうように軽くぶつけていた右手を引いた瞬間、大きく踏み込んだ水谷。右クロスが決まると、そこからラッシュは止まらない。前日の言葉を体現するような、とにかくがむしゃらでひたむきな拳だった。歴然たる力の差で試合は1ラウンド0分59秒で終了。あっという間のRSC勝ちだった。圧倒的な強さを見せつけた水谷に、彼の一挙一同を見守っていた部員たちも顔をほころばせた。


  「予想どおり。期待どおり」と岡田は語る。そこには純粋に水谷への信頼と称賛の気持ちがうかがえた。もちろん悔しくないはずはない。「出たかった」。ぽつりと呟かれた一言は重い。
  昨年入部した4人のうち、大学からボクシングを始めた岡田と水谷。アマチュアボクシング連盟の規定により、未経験者である2人は一年間公式戦に出場することができなかった。今年3月の個人戦でデビューを果たした水谷に対し、公式戦出場の機会に恵まれない岡田。募る思いは誰にぶつけられるでもなく、己に向かう。流れる汗をものともせず、ひたすらサンドバッグに叩きこまれる拳。厳しい練習の先に、岡田は自身の行く末を見据えているのだろう。

  そして誰よりも安堵(あんど)していた水谷。「強かったよね、俺」とちゃかしながらも、ふと「緊張で昨日は眠れなかった」と恥ずかしそうに笑う。試合前は、相手の大きさと慣れないサウスポーであることとで特にナーバスになっていたという。普段はひょうひょうとしている彼が内に秘めている熱い闘志に触れた気がした。
  「岡田のためにも、立教のためにも、自分のためにも…」。それが彼の闘う理由なのだろうか。続く言葉は水谷の中にある。


  完成途中の拳を一心に振るう彼ら。全ては、共に戦い、共に勝利をつかむその日のために――。



(第二回:7月14日)


プロフィール
名前 岡田 博喜(おかだ ひろき)
生年月日 1990年2月6日
学部学科 経済学部経済学科2年
出身校 金沢大学教育学部附属高校(石川)

名前 水谷 直人(みずたに なおと)
生年月日 1989年4月2日
学部学科 経済学部経済学科2年
出身校 希望ヶ丘高校(神奈川)





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