第三回:「ふたつの気持ち」

取材:ボクシング部担当  記事:北尾


  8月21日。
  蒸し暑い練習場の中。
  関谷(社3)は額から大粒の汗を流しながら、シャドーボクシングに励んでいた。ストレートやフックなど、鏡の前でさまざまな形に拳を突き出していく。ひとしきり打ち尽くすと、次は各々で練習に取り組んでいた後輩たちの元へ行き、丁寧に指導をし始めた。
  「やっぱり自分がいなくなった後の部のことを考えると、一人一人きちんと育てていきたいですよね」
  関谷は今年で3年生。夏の大会で引退となるボクシング部において、これからの一年は彼にとって現役最後の一年となる。貴重な時間を削ってまで、何が関谷にそうさせるのか。
  「後輩が全国に行きたいって熱心に思ってるから。それなら自分がミットを持ったりもするし」
  ボクシングに真摯に打ち込む後輩に刺激され、生まれてきた「部のために」という気持ち。部のことを優先的に考えるのは、7月に松丸(コ4)から主将を引き継いだ彼にとって当然のことなのかもしれない。しかし、関谷が後輩に対して強い思い入れがあるのは、それだけが理由ではなかった。そこには、彼を長い間悩ませ続けている「怪我」というものがあった。
  関谷がボクシングを始めたのは大学1年時の春。同期はおらず、部員は選手3人、マネージャー2人のたった5人だった。そんな厳しい環境の中、着実に練習を重ねて挑んだデビュー戦。「怖くて、ただがむしゃら」に戦った初めての試合で、関谷は3ラウンドRSC勝ちという華々しいデビューを飾った。一年間の努力が形になった瞬間だった。

  しかし、それから2週間後。初勝利の余韻も残る自主練習の最中、突如膝の痛みが関谷を襲う。
  古傷の再発――。
  生まれつき膝が悪く、高校時代に一度手術も経験した関谷だったが、この再発はあまりにタイミングが悪かった。
  「モチベーションがガクッと下がった。練習にも全然行かないで、一時期本当に辞めようと思った」
  ともに練習に励んでいた松丸からの励ましによってどうにか退部を思いとどまることはできたものの、半年近く練習すらできない日が続いた。

  現在、関谷の膝はある程度までは回復している。しかし、まだ満足な状態には程遠い。チームの5部昇格を懸けて臨んだ今年5月のトーナメントでは、パンチを浴びても踏ん張ることができず、時折膝から体勢を崩す場面もあった。最後は連続でダウンを奪われ、3ラウンドRSC負け。改めて自身の怪我の深刻さを突きつけられる結果となった。
  「今、自分の膝はギリギリのところにあって、いつ壊れてもおかしくない。そう考えると、ちょっとやめたほうがいいのかなって」
  少し考えた後、関谷は続ける。
  「(自分が試合に出られないことを考えると)後輩にという思いが出てくる。押し付けになるかもしれないけど、後輩に試合に出てほしい」
  自分が満足にできないがゆえに、くすぶったままの思いを誰かに託したくなる気持ち。部全体の底上げを図る上でも、経験のある関谷が後輩指導にまわってくれることはプラスだろう。関谷は悩んだ末に、部にとっても自分にとっても最も良い決断を下そうとしている…。

  そして、ボクシングができる時間があとわずかとなった今、関谷が視線の先に見ているものは何なのだろうか。最後に、これから一年の目標を聞いてみた。
  「5部優勝、4部昇格です」
  部としての目標については、主将として模範的な答えが返ってきた。しかし、個人の目標について聞いてみると、考え込んでしまう。
  「半々なんですよね。試合に出たいっちゃ出たいんですけど……、ちょっと待ってください…」
  数秒間悩んだ後、口から出てきたのは「後輩の育成」という言葉だった。

  人には頭で理解できていても、気持ちがついていかないことがある。狭いリングの中、自分一人で相手と対峙するという興奮。たった一度だけ味わったことのある、勝つという喜び。そして、これからの一年がそれらを味わうことのできる最後の一年になってしまうという不安。言葉に詰まった数秒間は、まだ選手としてもやっていきたいという、関谷のもうひとつの気持ちの表れだったのかもしれない。

  蒸し暑い練習場の中。
  シャドーボクシングに励む関谷の目は、まだ真っ直ぐに、拳を突き出す自分の姿を見つめていた――。



(第三回:10月15日)


プロフィール
名前 関谷 駿(せきや しゅん)
生年月日 1987年4月15日
学部学科 社会学部現代文化学科3年
出身校 湘南学園(神奈川)





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