アメリカンフットボール部

DB#24島津慶丞・#26高木啓佑 特集@ 〜先輩と後輩、尊敬と慈愛〜



  「スパーンッ!」と音がするかのような強いタックルでランナーを止めたとき、これ以上ないほどのまぶしいガッツポーズをするDB♯24島津慶丞の姿は、誰もが快感を味わうほど輝かしい。それをスタンドで観戦していた私は、思わず笑顔を浮かべてしまった。
  オフェンスのやりたいことをさせないよう、邪魔をするのがディフェンス(以下DF)の仕事。怪我が付き物のアメフトという競技で、DFの存在は悪役そのものである。タックルで一人の人間を突き飛ばしているのにもかかわらず、笑顔をこぼした私は「どうかしている」と思われるかもしれない。しかし、フィールドから離れて防具を脱いだ彼らは『悪』という言葉からはほど遠く、熱いハートを持った戦士たちなのだ。

  DFの合言葉は「やられたらやり返す」。最後の最後まで気持ちを切らさずに諦めない、大の負けず嫌いが集合している。中でも取り上げたいのはDB(ディフェンスバック)。前回に引き続き、彼らを紹介したい。
DB#24島津慶丞



  島津慶丞(観4)はたった一人の4年生としてDBをまとめている。今やラッシャーズDF陣には欠かせない存在の一人だ。しかし、彼のアメフト人生は大学から始まる。
  高校時代、甲子園常連校の日大三高で野球部員だった島津はベンチにも入れず、悔しさが残ったまま3年間が過ぎてしまった。大学では英語クラブに入って学業に専念しようと考えていたところ、同じ高校でありながらも一度も話したことがなかった佐藤匠(観4)と大学で再会し、アメリカンフットボール部の食事会に誘われる。なんとなく断ることが出来なかった島津は食事会へ足を運んだ。そして部の雰囲気を気に入ると、入部を決めた。
攻守交代でハイタッチをしたWR佐藤(左)とDB島津





  しかし入部を決意した理由はもう一つあった。私服着て遊びに行ったのは5回くらいというほど部活三昧だった中、受験勉強を怠ることも許されなかった高校時代。島津は日大三高でスポーツクラスではなく一般クラスにいた。野球部はスポーツクラスの子ばかりで、能力には大きな差があった。「高校であまり活躍できなくて、ここまでだなって自分で思ってしまったのが悔しかった。だから、大学でもう一度賭けてみたかった」。こうして島津のアメフト人生は幕を開けた。





一年生の島津

  入部当初、RB(ランニングバック)を希望していたが、人数の関係上『DB』とコーチに決められた。初心者でありながらも大学でDBのポジションを任され、フットボールの勉強をすることからスタートする。プレーブックをしっかりと読み、自分のやっているアメフトを知ることが最初の一歩だった。すぐに熱くなる性格は冷静さを失わせ、全体を見渡す能力に欠けていた。それを解消するため、知識を増やすよう努めた。グラウンドでの練習中はミスをしたら「もう一本いいすか」とがむしゃらに取り組んだ。人知れず努力を重ねた島津は一年生から試合に出場するようになる。
  「一年生のときにずっと争っていた奴がいて。俺が練習後に自主練をやっていたら『なにやってんの?』って寄って来て一緒にアフターやったり、あいつがやっているのを見つけたら『いいんだよ、お前は。試合に出てるだろ』って言われながらも2人で一生懸命自主練をやって帰っていたな。試合ではミスをすればすぐに交代になって、先輩が残したたった一つの空いた枠をずっと取り合っていた。でも、ライバルっていうより、お互いに高めあっている仲間だったな」。

派手なタックルで相手を確実に倒す




島津の性格

  DBというポジションは、一般的に花形のポジションとしては扱われない。
  「ポジションの中で一番つらい練習している上に、上手いプレーをしても目立たない。影のポジションだけど、それがすごい自分に合っていると思う。俺は表に出ていくタイプではなくて、影にいるようなタイプだから。分かる人には分かるみたいな。影で頑張っているんだけど、誰も気づかないっていうのを感じている。」










  さらに島津は自身のことを"結構マイナス思考"と語る。自分じゃ出来ないと思いつめていたとき、よくコーチや先輩に今までやってきたことにもっと自信を持って試合に出ろと言われていたそうだ。

  「いいプレーをしてベンチに帰ってきたとき、『お前、やったな!』って周りから言われても、もっとできたって思ってしまう。常に危機感を持って、まだやれることを自分に言い聞かせている」。










善波寛典の存在
  島津には入部当初からずっと憧れている人がいた。それは一つ上の善波寛典(2011年卒)だ。善波は自分に対して、とてもストイックに物事を設定する。頭の回転が早く、常に先を見据えた行動は誰にも真似はできなかった。U19※にも選ばれ、掲げた目標を確実に達成していた。
  「善波さんのことはずっと尊敬している。だからU19も目指したし。上手いし、かっこいい人。普段の練習の取り組みやフットボールに対する姿勢もすごい。話を振られたときにすぐに返すことができる。それって常にしっかりと自分の考えを持っているってことなんだよね」。
  島津にとって、善波寛典は絶対的な存在だった。
※U19…NFL公認の19歳以下の選手による国際交流試合。毎年スーパーボウル開催日の前週に開催地の近郊で行われる。




後輩とのコミュニケーションは欠かさない
四年生の島津
  4年生になった今、主務の仕事を任されている。主将候補とも言われていたそうだ。自分では全くその気がなかっただけに、"主務"と決まった瞬間は顔が青ざめていたらしい。マネージャーやトレーナーたちは、選手である島津に負担がかからぬよう、あまり仕事を振り分けないように気遣っている。「ありがたいね。だからフィールドでその分頑張る」。
  周りからは"後輩の面倒見がよい"と言われている。そのことについて、DFコーディネーターの田辺コーチに話を伺ってみた。
―――島津さんはどんな人ですか?
  「目の前のものに集中しすぎて、周りが見えなくなってしまうときが少々あります。しかし、とても良い選手です。決して天才肌ではない彼は、努力であそこまで成長しました。言葉でしっかりと説明するのができる子なので、後輩の面倒をよく見てくれています。」
―――入部したときに比べて変わりましたか?
  「後輩へ口で説明することで自分も気づき、本人の成長にもつながったと思います。今は物事を深く考える性格ですが、2年生のときは全然違いました。下級生の間はしょうがないんでしょうね。指導する立場になったときに初めて意味がわかるのだと思います。考えるようになったのが、一番成長につながったんじゃないかな。」
  気づけば秋のリーグ戦が目の前まで迫っている。不安や緊張は抜けないようだ。
  島津は「善波さんたち抜けてめちゃくちゃ不安がある。善波さんの背中を追ってきたわけだから、俺もそういう存在にならなきゃいけない。いい意味でも善波さんは越えなきゃいけないし、負けるわけにはいかない。不安を払拭するにはやっぱ自分が努力するしかない。自分が一番うまくなって、みんなのことを引っ張っていきたい」と心境を語った。


笑顔でピースするラッシャーズ
DBとは

  体格、性格、バックグラウンド問わず、いろんな人が活躍できるスポーツなだけに、いろんな選手が集まる。合理的に試合を展開し、選手の交代は自由。いかにもアメリカのスポーツらしい。今回はDBを取り上げたが、隠れたドラマはまだまだ眠っている。
  最後に島津に、あなたにとってDBとはなにかと質問をした。すると彼から出てきた言葉は「自分が輝ける場所」だった。
  「自分が本気になって取り組んでいるときに、自分が輝けるって思えるから」。
  やると決めたことには周りが見えなくなるほど熱中し、現状に満足しない。それでいて、とても謙虚な選手が島津慶丞だ。
  「もっと活躍したいし、もっと上手くなりたい。俺は花形なポジションにいないし、誰にでも知られていて、騒がれるような星の元に生まれてない。だから俺が目指しているのは『立教の#24って名前わかんないけど上手いよね、あいつ』。『あーわかる、わかる。でも誰だっけ?』と話題になるような選手になりたい。名前は知らないけれど、畏怖している感じ?知る人ぞ知るみたいな。(笑)」と島津は無邪気に笑う。
風を切る速さで相手RBを止めにかかる島津(左)


  自分を極限まで追い詰めるほど、理想を追い続け、常に貪欲でいる高い向上心を持つ。失敗をし、与えられたチャンスを逃すこともあった。しかし、何度転んでも彼は起き上がってくる。「あの高校時代があったから今がある。アメフトって面白いスポーツだよね」。






  インタビューが終わると椅子に座っていた島津は立ち上がり、恥ずかしそうに「ありがとう」とつぶやいた。彼の表へにじみ出る情の厚さは人の心を打つ。
  今も昔も変わらない向上心に火をつけ、最後の秋を迎えた。

(9月13日 大瀬楓)


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