第七回:「かけがえのない4年間・福岡竜太の場合(前編)」

取材:ボクシング部担当  記事:野口一郎


最高の形での卒業
  「4年間はかけがえのない時間だった」と福岡(社4)は感慨深げに振り返る。
  チーム戦で4年間全勝。部の4年連続昇格を先導してきた彼が、立大で得たものはボクシングだけではなかった――。
  「ボクシングをやっていたおかげで立教に入学できたことに、ものすごく感謝している。人生について、考え方について、部のこと、後輩に対して。色々なことを経験できて、色々な人と出会え、話し合うことができた。高校のときには知らなかったことが全部得られた。人間形成ができた。だから、立教にはものすごく誇りを持っている。後輩で立教に入りたい子がいたら、ぜひとも入学を勧めたい」。
  福岡は最高の形で立大を卒業する。

東福岡高時代
ボクシングとの出会い
  福岡がボクシングを始めたのは中学1年の4月。様々な格闘技に取り組んでいた父親の勧めがきっかけだった。後に東洋太平洋王者となるパンサー柳田が所属していた福岡帝拳ボクシングジムに3年間通い、2009年にプロで新人王に輝いた幼なじみの吉田恭輔とともに切磋琢磨(せっさたくま)し腕を磨いた。

ひたすら全国を目指した高校時代
  その後、名門・東福岡高に進学。強豪校の練習はハードだった。休みはわずかに正月の三が日のみ。お盆ですら国体合宿だった。さらに、厳格な上下関係。厳しい環境でボクシングにひたすら打ち込んだ。当時の福岡は丸刈りで、眉毛の手入れすらしていなかった。「丸刈りは覚悟の表れ。眉毛は細いと汗が垂れてくるからそらなかった。本当にまじめだった」。ボクシングと勉強のみに明け暮れる日々。
  壮絶な努力は結果となって表れた。3年のインターハイではフライ級でベスト8、2007年度全国高校ランキングは6位。文字通り全国トップクラスに駆け上がった。しかし、福岡にとって最も印象に残っているのは勝利ではなかった。
  3年夏のインターハイ前にコーチから活を入れられた。「お前ら全然足りてないよ!東福岡の歴史で福岡県代表を全階級で取ったことはないよ。お前らの代で取ってみろよ!」それまでは個性の豊かさゆえにまとまりきらなかったチームが一つになった。県大会では全8階級中7階級で優勝。惜しくも目標は達成できなかった。
高3時のインターハイ、前から四人目が福岡
  それでも「唯一取れなかった階級の試合が、最も良い試合だった」と福岡は熱く語る。東福岡高の選手は、インターハイで3位に入った実力者に1ラウンドで痛烈なパンチを食らいダウンを喫する。ふらつく足元、ダメージは確実にあった。「もうダメだ。試合終了だ」。それでも何とか立ち上がった。「そいつがそれまでがんばっている過程を知っている。だから、行け!がんばれ!って」1ラウンドを耐えきった。すると、2ラウンドは盛り返し、必死に放ったパンチで相手の鼻を砕いた。「いけるぞー!って。応援しまくって。涙が止まらなかった。判定で負けたけど、すごく良い試合だった。"部活愛"って何かがわかった」。
  自身の最高試合もまた敗れた闘いだという。2年時のインターハイ県予選決勝。「前の年に完敗した相手との再戦。1ラウンドは優勢で2ラウンドは劣勢だった。最終回の3ラウンドは気持ちで闘った。みんなが応援する中、全てを出し切って負けた」。当時の映像を見るとすさまじい。魂のほとばしる戦い。互いに全力を出し尽くした壮絶な闘いが、そこにあった。まさに、全身全霊をかけた闘いだった。「おれも泣いたし、先生も、仲間も。みんな泣いていた」。
  好きな本に杉村太郎氏の『アツイコトバ』を挙げる熱血漢の彼は、高校時代にそんな濃密な時を過ごしていた。

リングに上がるとは
  ボクシングに対し「怖い」と感じる人は少なからずいる。男と男が殴り合うという点だけを見れば、ケンカと同じだ。だが、ボクシングとケンカは決定的に異なる。ケンカならばいかなる手段を使うことができる。武器だって使えるし、劣勢なら逃げることもできる。ボクシングはそんなことはできない。どんなに不調でも、どんなに相手が強くても逃げることはできない。頼りになるのは己の拳のみ。福岡は、リングにどのような気持ちで上がっていたのだろうか。
  「ぼくは臆病。ボクシングは怖い。いつ、どこで、誰と闘うのが決まっている。合法的に。それでいける人もいるけど、ぼくは怖い。だから準備する」。
  福岡の準備は綿密だ。数か月前から走り込み、トレーニングを重ね、食事を管理する。そこまではアスリートならば誰もが行っているのかもしれない。福岡の特徴は徹底したイメージトレーニングにある。試合だけでなく試合に至るまでの全てをイメージする。「軽量をして。家に帰って寝て起きて。会場に入って検診を受けて。昼寝して、アップして。そして、試合まで」。我々が見るのは試合という選手の晴れ舞台だけ。しかし、選手にとってリング上での闘いは長い準備の果てにあるゴールだ。「試合のイメージが一番強いから、試合に近づくにつれどんどんイメージが強くなる。だから、どんどん落ち着ける。全部一緒だ!って。だから、怖いけどリングに立った時には落ち着いている」。試合のたびに福岡は「調子はいつもベスト。今日も」と語っていた。試合前の準備に全力を尽くしていたからこそのコメントなのだろう。

工夫し続けた左ジャブを繰り出す
尊敬する師との出会い
  立大入学後は様々な人との出会いから多くの刺激を受けていた福岡は、ボクシングでも新たな境地に達した。OBの指摘に熱心に耳を傾けていたが、中でも井崎洋志氏(1990年度卒)との出会いが大きかった。井崎は現役時代にボクシング歴わずか3年余りで全日本アマチュアボクシング選手権3位にまで登りつめた実力者。また、ただの一度もダウンを喫したことが無いテクニシャンでもあった。「リングの中を自由に使えるのがボクシング。ラグビーみたいに3人まとめて向かってくるわけではないのだから、動き方はいくらでもある」。そのような豊かな考え方を持つ理論派だ。福岡は高校までは「頭がガチガチだった」と振り返る。走っていれば勝てると思っていた。スタミナをつけ、左ジャブと右ストレートのワンツーを繰り出しさえすれば良いと信じていた。「井崎さんはすごい。研究者でありエキスパート、スペシャリスト」。技術面で多大な影響を受け、新たなボクシングを確立していく。
  ボクシングの基本と言われる左ジャブの重要性に気づき、ステップは無限に動き方があるとわかった。自らを不器用と語る福岡は一つ一つ丁寧に技術を会得していった。
(後編に続く)
(第七回・2012年2月16日)


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