柔道部
チーム支えた4年生


   一昨年には団体で45年ぶりに全日本出場を果たすなど、ここ数年で部の歴史を新たに刻み始めた柔道部。その中心にいたのは紛れもなく主将の勝又(済4)を始めとした5人の4年生だった。今回は引退した今、彼らの濃密な4年間を2回に分けて掲載する。

勝又優司(済4)
4年間チームのエースとして活躍。昨年は背中で引っ張る主将としてチームをけん引。見た目からは想像できない一面も。

・今年一年、幹部としてやってきて
あっという間だった。まあみんなそれぞれ頑張ったけど、なんだかんだいって結果を残せなかった悔しい気持ちもあるし、若干の悔いはありますけど、ただ4年間やったんだという達成感は大きいかな。

・結果でないとき主将として
何を言うときもキャプテンとして言ってきて、周りや応援してくれるOBもいるなかアスリート選抜入試一期生の代の主将として結果を出さないとっていうプレッシャーはあった。勝ちたいからこの環境でも妥協せずにやったわけで、悔しいのはあるけどまだやれるんじゃないかっていうのもあった。部員全員がやる気だして勝ちに向かってやっていたなら、悔しいっていうのはあっただろうけど。いつも接戦で負けるけど、やっているやつは結果出して、やってないやつが負けるってのはここだよなっていう思いもあった。ただ、それで済ましたくなかったからいろいろ話したりしてきたけど、もう一つやりきれない部分もあった。もう少し拘束してやりたい気持ちはあったけど、そこは俺のキャプテンシーのなさだから。

・4年間で楽しかったことつらかったこと
つらかったことは無い。楽しいことばかり。部活自体が楽しい。柔道を嫌いでやっているわけではないから。部員が嫌いだったら来たくないけど、そうではなかったし。今の柔道部見ていたら分かるでしょ。

・同期について
この同期で良かった。岸上は主務やっていたからチームを助けていたのも知っている。他は何もやってないみたいなこと言うけど、俺が一人だったら何もできてない。それぞれの後輩がどんなこと思っているのかを仲の良い先輩に話すけど、(副将の)南茂や釼田(つるぎだ)が聞いたことを俺に話してくれるだけで、俺は次にチームみんながどう思っているのかを知ることができる。俺が遊びにいかない連中のことはなかなか本音を聞けないけど、それを副将の2人が教えてくれる。荒川はみんな受け入れてくれて良かったとか言うけど、役職就かなかった分、体育会委員長になってくれてやっぱり荒川いないと体育会関係で分からないこと多かったし、自分がうとかったことを教えてくれたり部活以外で助けてくれた。それぞれが助けてくれて主将からしたらみんな良くやってくれていた。

・柔道とは
(今後は)競技として柔道やることは無いと思う。柔道は自分にとって普通のこと。柔道をやることで自分の人生が決まってくる。柔道は普通の人が勉強するのと同じ感覚だった。

・後輩にむけて
俺ら以上の成績残してほしい。この代がアスリート一期生でやってきたので、この成績が土台。越えられるかどうかのちょうどいい壁だと思うから。越えられるものなら越えてみろくらいの感じ。お前たちで越えられるのくらいで見ているけど、越えていってほしい。あとはやってるときは分からないけど、後々やったて思えるようになるから。






釼田昌弘(済4)
副将。独特の足技で幾度となく相手を苦しめ、団体戦では大将としてチームを支えた。卒業後は働きながらも総合格闘技に挑む。

・4年間を振り返って
あっという間だった。長いようで短かった。高校の時に比べてすごく成長した。小、中、高で一番成長できた4年間だった。精神、肉体、人間的な面で成長できたと感じている。特にOBの人とかと接する機会が多くて、精神的な成長が一番大きい。高校の時はOB来なかったからね。

・楽しかったことやつらかったこと
部活をやっていることで、生活の時間が押されてしまうから、時間の割り振りやスケジュールの面でつらいこととかはあった。

・副将として
何もやってない。強いて言うなら主将のサポートかな。主将がやっていることが違ったら方向を変えてあげるようなことはしていた。

・柔道とは
柔道はこれからも競技としてやることになると思う。他のスポーツ(総合格闘技)もやりつつ。今までを振り返ると柔道は嫌だった。中学、高校、大学ともに推薦でやめるにも辞められなかった。今後は柔道もそうだけど自立したい。今までは柔道やり続けるのが普通になっていたから、逆にこれでやめると変になりそう。だからちょっとでも続けないといけないと思っている。総合格闘技やる上で体動かしてないと、ちょっとでも体重増えたら大変だから。

・印象に残っている試合
大学2年の時の東京都の予選。ブザー聞き間違えて負けたやつ。あれはリアルに一番印象に残っている。悔しかったっていうよりややこしかった(笑)

・新4年生に向けて
無理しないでいい。変えようとするのではなく、みんなで築きあげてきた地盤は大切に引き継いで、悪いとこだけを変えれば。自分たちのカラーがあるわけだから、マイペースに作っていけば良いチームができると思う。

・後輩に向けて
過去の実績を越えない程度に頑張って(笑) 戦力は落ちるかもしれないけど、各自他にもやりたいことがあるみたいで、勉強やりたいって言う人もいるけど、OBには部活して勉強して弁護士になっている人や大学院に行っている人もいる。過去にもいろんな人がいるわけだから両立できるように頑張ってほしい。



南茂皓平(異4)
  後輩の良き兄貴分。昨年は副将として勝又と後輩のパイプ役を担った。同期からはチームのムードメーカーと称される。

・1年の時は退部も考えたそうですが
大学の柔道部に入るきっかけが中途半端だった。ただ大学は辞めたくなかったし、続けようと思った。当時は部活に関わる全てが嫌だった。立教の柔道部の説明書見た時、部員数5人とか書いてあった。別に俺は柔道をやらないならやらないで、楽しみたい。そう思って入ったら、練習も週6あって…。人もいないし、緊張感ないし、ゆるい感じ。それなのにいきなり早稲田に出げいこ行ったり、講道館に行ったり、弱いくせに中途半端にやろうとしているのが嫌だった。何やってんだと。時間の無駄だと思った。

・その後も続けられた理由は
後輩ができるとなった時に変わった。やっぱりダサい。同期や先輩には甘えても良かったけど、後輩にはそういう姿見せたくなかった。しかも小杉高校(富山)とは高校の時からよく練習していて、北信越1位のとこから来るやついるし、阿波高校(徳島)から四国チャンピオン来るとかいうし、重量級とかいうし。勝てへんやなとか思いながら、同じアスリートとして負けられない。それで楽しくなってきたこともあって、真剣に取り組むようになった。この流れでやったら5月の東京学生で割といい試合できて、オールミッションも1部に上がったし。やればできるんじゃないかって。留学行く時も少し柔道したい気持ちもあった。3年で就職活動あるのが分かっていたから、3年まではとにかくやろうと。4年で意外と部活参加しちゃったのは驚いたけど、残りの半年は楽しかったよね。練習もそうだけどなんだかんだ長く付き合ってくると居心地が良くなっていた。

・副将として
副将だから何か特別なことをやってきたとかはない。ただ、主将の勝又と遊びにいったりしないような賢斗(出口)とかの意見を聞いて、勝又と話し合ってチームが良い方向にいくようなことはしていた。

・柔道とは
今まで好きで続けてきたわけではない。小学校の時に始めたきっかけもダイエットが目的だった。その後も節目節目でけがが理由になったりして、色々なことがあってここまでやってきたという感じだから、特別な想いはない。

・エースで仲の良い出口について
正直言って去年の11月くらいまでは何か足りないものがあると感じていた。だけど、何があったか分からないが、ここ2ヶ月くらいで変わった部分が結構ある。今のままの賢斗でいたらこの先心配することはない。

・新4年生に向けて
とにかく自分たちの色を出してやってくれればいいと思う。俺たちも最後の1年は結果を残せなかったわけだから、「結果出せ」とかは言わないよ。




岸上直樹(文4)
  3年次は主務としてチームを裏から支える。昨年は部活動以外でも教育実習あるいは体育会常任委員として活動。チーム内ではいじられ役。

・4年間振り返って
4年間あっという間だったね。高校の時はインターハイとか全日本とか無縁の学校だったから、高校とレベルの違うとこにいられたのはすごい新鮮だった。膝壊れたけど(笑)。このメンバーに連れて行ってもらったし、武道館にも行けたし感謝している。何はともあれ楽しかった。柔道部に入って本当に良かった。

・4年間楽しめたのは
高校の時みたいにやらされて練習しているわけではないから、自分からやらないといけない。教職で抜けたとき行けなくなるのが嫌だった。柔道やっているときはいらないことを考えなくていいから。

・入学当初の南茂さんとの軋轢について
初めての東京学生で皓平君(南茂)の受けをやったときに「お前なんでそんな受け下手なんじゃ」とか「お前と語りあうとかあり得ない」みたいなことを言われた。ある日いきなり辞めるってがちな感じで言い出した。アスリート推薦で重量級取ればいいじゃんみたいなことや俺はいらないみたいなことを。皓平君は普通に強かったんだけどね。そこでそれって違うと思うって初めて言った。そしたらキレだして「お前みたいな雑魚が言っても変わらんやん」って。俺はせっかく入ったんだから全員で終わりたいと思っていたんだけどね。

・結果的に南茂さんは岸上さんが引き留めたんですか
色んな要素はあったんだけど、9月6日の東京学生の時に来て辞めるのやめたって。「お前のおかげや」と言われた。その時誕生日で皓平君がプレゼントくれた。増量用でプロテインを(笑)。まあ皓平君がどう思っているのか分からないけど。

・主将の勝又について
(就任当初は)勝又のキャプテンなめてた。キャプテンになるときにこんな力あると思わなかった。結果的になんだけど、周りを使ってくれた。それができる能力がすごい。力のあるやつって一人でつっぱしっちゃうところがあるから。

・3年の時は主務をされていましたが
主務の発言権を高めるようにデモを起こしたこともあった。それまで人数少なかったから主務は雑用みたいで、いっぱいやることあった。全部やらなきゃいけないけど前主務の小原さん(11年度卒)は黙ってやっていた。他部は主将と並ぶ立場なのに。とりあえずもっと主務を敬ってほしかった。ただの雑用と主務業の境目を明確にしてほしかった。何でもやるのが俺じゃないし。もしそれを続けたらそのあとの主務になる女子マネジャーがつぶれると思ったから、ダメだと思って渕上先輩や特に小原さんとかなり話した。ただ、最後の方は主務が楽しかったけどね。

・後輩に向けて
今の環境は恵まれていると思ってやった方がいい。昔は人数少なくていろいろ大変だったから。各々の役割を全うしてくれたらいい。



荒川高史(法4)
  部内では役職に就かなかったが、体育会委員長として勝又をサポート。また、重量級が少数のチームのために約15`にも及ぶ増量を敢行した。

・今年一年、幹部としてやってきて
個人的にはみんなのように役職に就かなかったので、責任感とかは足りなかった。ただ、試合にちゃんと出たのは昨年が最初で最後だったから、どれだけ周りが大変な思いをして戦ってきたのかを感じられたのは良かったし、4年間柔道やっていて良かったなと思います。

・同期について
学年として最後の一年は幹部だからとかみたいな気負いはない。本当にこの同期で良かったなって思う。一個下の学年と一個上の学年とかにいることは想像がつかない。この学年はみんなが違う方向を向いてるからバランスがとれていたと思う。

・幹部学年としての一年で大きな出来事は
昨年の4月に4年生全員で南茂の家に集まったのが大きかった。あれは今年一年できるのかくらいの衝撃はあった。今年一年厳しくなるなと思っていた。その時南茂に話聞いたら楽しめれば良いと言っていた。勝又がそこまでやるなら協力するけどみたいなことは言っていたけど。

・印象に残っているエピソードはありますか
前監督の長谷川監督は競技の経験もないから教えられないし、周りから反発もされていた。それでも何回も長谷川監督が主導でミーティングやっていたから、それはすごいと思う。創世記それが大きかった。同立で同志社行ったときに直前で監督が来なかった。その時全体がなめてる節があって、練習来るけど試合は来ないのかよみたいな雰囲気があった。そしたら子供が産まれるんだよって。いつ産まれるか分からないのに週末練習に来てくれた。その時すごいなと。そこまでしてくれてるのかと。

・柔道とは
何もやってないやつってビール注げなかったりとかもあるけど、柔道は礼節が重んじられるからそういう部分も自然と身に付く。だから周囲から柔道部というだけでしっかりやっているというイメージをもたれる。何はともあれ柔道は楽しかったよ。

・後輩に向けて
とにかく4年間やりきった方がいい。結果でなくても頑張ればやったって感覚は残るよ。柔道も勉強もバイトも。それが一番。

最後に
  今回のインタビューは実に3時間を超え、真面目な話から載せることのできなかったオフレコの話まで、ありのままの柔道部を肌で感じることができました。協力していただいた4年生の方々ありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。また、出口を除く新4年生、國弘(コ2)、原田(理2)……取り上げられなかった部員の人はすいませんでした。無責任だけどきっと後輩がクローズアップしてくれると思います。今後も「立教スポーツ」編集部を宜しくお願いします。

(2月16日・太田真敬)





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