「背泳ぎの立教」アスリートの"意地"-武藤大季-


   "武藤大季"と書いて"むとうひろき"と読む。この名を一回で正しく読むのはなかなか難しいだろう。奇しくも立大で昨年まで、彼が専門とする背泳ぎを"王者"として背負った男も同じ"ひろき"だった。"桜井祐輝"(=平成23年度卒・富士通)。こちらも一回で正しく読むのはなかなか難しい。ただ"王者"の"ひろき"は凄まじい成績を残している。50mプールで行われる長水路では50m,100m,200mの立大記録、25mプールで行われる短水路でも50m,100mの立大記録を保持している。今年のジャパンオープンでも50m背泳ぎで4位をつかむなど、"王者"の輝きは色あせてはいない。  
  「桜井さんには一回も勝てなかった」。そうつぶやいた彼は昨年の長い時間を王者と共に過ごした。そこで学んだ事は「立教大学は背泳ぎでこそポイントを稼ぐチームである」。ということ。どこの大学からもそう思われているに違いない。立教が関東1部に君臨し続ける鍵である種目こそ、背泳ぎなのだ。

   その自覚は王者が立大から次のステージへ駒を進めてからも根強く残っている。「この種目は結果を出さなくてはいけない」。この言葉は人によっては重圧を感じるかもしれない。だが、プレッシャーを感じる大舞台でこそ力を発揮する武藤には絶好の言葉なのだ。  
  常に彼は自らを追い込む事で結果を残して来た。高校2年のインターハイ。今では禁止されている高速水着の着用が認められたとき、武藤のタイムは伸び悩んだ。「最後のインターハイで結果を残さなければ推薦で大学にいく事ができない」。人生のターニングポイントとなるであろう最後のインターハイで結果を求められた。なんとか「人生で一番ツラかった」冬を乗り越えたことで、武藤は自らのタイムを大幅に伸ばす。そして迎えたインターハイ。最高潮のプレッシャーを感じながらも、彼は決勝7位となり、自らの人生の扉を開いた。  
  そうして立教大学にアスリートとして入学する。「いろいろな事にチャレンジした」。そう語る彼は"大学生"としての生活を楽しんだ。ただ、それは"アスリート"である自分の首を絞める事になる。タイムは全盛期に比べ格段に落ちた。だが、結果はアスリート選抜である以上、求められる。さらには「背泳ぎの立教」の選手であれば、なおさらだ。  
   「俺は負けず嫌いだ」。そう話した武藤の拳は、強く握りしめられていた。

  小学校4年生から背泳ぎを専門とした競技人生を過ごしてきた彼。水泳こそが彼の全てと言っても過言ではない。「水泳は俺が俺であるために必要なもの」。負けることは自分が自分であることを否定されるに等しい。
   一回も勝つことができなかった相手。だが、その"王者"はもういない。だからこそ、武藤が"王者"に勝つ方法は一つ。「立教新を塗り替えること」。勝負はまだ続いているのだ。武藤が大学にいる限り。
   だが、今のままではその記録を塗り替えることは到底できない。他ならぬ本人が一番自覚している。さらに大学4年になれば就活が待っている。「3年のインカレが勝負。決勝には必ず残る。だが、2月の全日本短水路までに自分のタイムを極限まで上げて行く。短水路でまず、桜井さんに勝つ。そのままインカレまで突っ走る。」頭の中ではすでに計画は出来上がっている。
   「ポイントを取ることはもちろん、俺が立教の歴史で一番速かったって記録を絶対残す。」そのための戦いはもうすでに始まっている。「まずは今年のインカレ」。「背泳ぎの立大」を担う"ひろき"は今、水面から上だけを見つめ、手を伸ばし、そして力強く水を蹴った。  

(6月10日・川村亮太)





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