現役最後の今年、ついに国体個人優勝という大きなタイトルを手にした中村健人(営4)。今季最後の公式戦で成果を出したが、直前までは苦しい試合が続いていた。国体での素晴らしい演技の裏に、一体何があったのか―――




続いた不振
 真冬の帯広で、中村はその顔に影を落としていた。4年生として挑む最後のインカレでまさかの3位。実力は間違いなく抜きん出ていた。調子も良かった。 しかし本番になるとジャンプにミスが出るなど、いつも通りの演技ができない。「普通ってこんなに難しいんだ」。その言葉は中村の今季を表すような言葉だった。
 東日本、全日本、インカレと、秋から冬にかけてフィギュアスケートの大規模な試合は幾度かある。しかし今季はどの試合でも中村の笑顔を見ることはできなかった。 不振続きの最中には「シーズンを通して調子は全然悪くなかったのに、ずっと同じことを繰り返してる」と辛そうな表情を見せた。 そしてついに残す公式戦は国体1つに。最後の大舞台でその輝きを見せるため、中村は解決の糸口を探し続けていた。

復活への歩み
 国体に出場するに向けて技術に問題はなかった。中村に必要だったのは気持ちの切り替えだけ。今季は大学を休学してスケートに集中したが、それがかえって結果を出さなければならないというプレッシャーになっていた。 「いつもの練習を本番に出したい。そうしたらどんな結果が出ても満足できる」。そう思うようになると、事態は好転していった。
 具体的な変化として、ショートプログラム(以下SP)のジャンプ構成を変更した。 今までは最初に3回転フリップ+3回転トウループのコンビネーション、続いてトリプルアクセル、そして得点が1.1倍になる後半に3回転ルッツという構成で戦ってきた。 しかし最初のフリップで回転が抜けるミスや、エッジエラーの判定を受けることが多かった。それが不安となり、心に負担を強いていた。 そこでフリップをルッツに、最後のジャンプはルッツからループに変更。ジャンプに対する不安をなくす工夫をした。

 そしてもう一つ、中村の心を支えたものがある。中村とともに国体東京代表として出場した近藤琢哉(慶大2014卒)の存在だ。 近藤は全日本選手権にも出場した実力者で、中村と同じスケートリンクで練習を積む仲間でもある。彼にとって国体は引退試合。持つ力のすべてを出し切ろうとするその姿に、 中村は「勇気をもらった」という。近藤と共に団体として戦うという意識が、普段の試合にはないモチベーションを生んだに違いない。

雪解け
SPの演技を終えて喜ぶ中村
 不安の代わりに勇気を胸に、中村はスケートリンクに立った。SPで使用する曲は昨シーズンと同じ『Vizir』。ミステリアスに揺れる音とともに静かに滑り出した。
 迷いなく跳んだジャンプを連続で成功させると、スピードに乗っていく。昨シーズンとプログラムは同じでも、質は格段に上がっている。スケートの伸びが増し、スピン・ステップのレベルも上がった。観客も待ちわびた迫真の演技を前に、声援に熱がこもる。最後のジャンプを決めて大歓声を受けた中村の顔には笑顔が浮かび、高速のスピンでフィニッシュ。すべての要素に加点が付く会心の演技だった。
 「本当に嬉しい!」。開口一番にそう言った中村は嬉しさの中に安堵を滲ませていた。得点は80.98の高得点。実力者ぞろいの中でトップに立つ。しかし中村は慢心しなかった。「常に自分のベストを更新しないと勝てない」と、演技直後にはすでに翌日のフリースケーティング(以下FS)だけに集中していた。

FSで情緒あふれる演技を見せた
 FSの滑走順は24選手中19番目。最終グループの1番滑走だった。名前をコールされてからスタートポジションにつくまでに与えられてる時間は1分。中村はいつもギリギリまで時間を使い、所定の位置へ向かう。SPを1位で折り返したものの、僅か2点差に田中刑事(倉敷芸術科学大)が迫るなど、気を抜くことはできない。曲は『ピアノ協奏曲第5番』。「皇帝」の愛称で親しまれるベートーヴェンの名曲だ。「何も考えないように」。曲が始まると中村はすぐに演技に入り込んだ。
 ピアノの旋律に乗せて、トリプルアクセルからのコンビネーションジャンプを決める。続くジャンプも加点の付く出来で跳ぶと、見せ場のステップ。スピードに乗ったまま、細やかな足さばきで滑りこなして見せた。キャメルスピンもポジションが美しく、観客を引き込んだ。
 迎えた後半、得点が1.1倍になる1本目のジャンプはトリプルアクセル。しかしタイミングが合わず1回転になる。続くフリップも回転が抜け、1回転に。勝負の後半でミスが出たものの、中村は落ち着いていた。3                                                              回転ルッツからの3連続ジャンプを成功させると流れを取戻し、残りの要素はすべて加点がもらえる素晴らしい出来栄えでこなしていく。壮大な音楽に見合った美しいスケーティングを見せつけ、最後まで丁寧な演技を貫いた。最後のポーズをとった中村は、達成感に満ちた顔をしていた。完璧な演技ではなかったかもしれない。それでも力を出し切ったということに、何より大きな価値があった。
 氷から降りる前には、近藤とハイタッチ。中村の直後、20番目の滑走となる彼を送り出した。上着も羽織らずリンクサイドで近藤に声援を送る姿は、2人の絆をうかがい知るに十分だった。



表彰式で笑顔を見せる中村(右)と近藤

 すべての選手の演技を終えて、中村はSP、FSともに1位での個人優勝を果たした。全日本ジュニアの王者に輝いて以来、初の全国規模の大会での優勝だ。近藤と共に東京代表として挑んだ団体戦は岡山県に次いで2位。団体優勝は叶わなかったものの、納得のいく演技を果たした2人は観客からの惜しみない拍手を受けた。表彰台の上から2番目で観客からの拍手を浴びる2人は、他の誰よりも嬉しそうに顔を見合わせる。 和やかな雰囲気の中、こうして中村最後の公式戦は幕を下ろした。
 最後に1つだけ、中村は試合を残している。5月3日に大阪の臨海スポーツセンターで開催される四大学定期戦だ。四大学とは立教、慶應、同志社、関西学院のことで、今年で49回目になる伝統のある試合でもある。これを最後に中村はついに氷から降りてしまう。今まで多くの人の心を掴む演技を見せてくれたが、それを目にするチャンスもこれが最後だ。引退試合という特別な舞台も、心からの笑顔で飾ってくれるに違いない。

(4月24日・深川葉子)





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