全日本選手権6位入賞、国体個人優勝といった輝かしい功績を残し、多くの人に愛されたスケーター・中村健人(営4)。ファンに惜しまれながら、今年の5月にリンクから去った。 引退後はスケート以外の活動にも精力的に取り組んでいる。そんな彼のスケート人生の軌跡とともに、現在の心境にせまった。(このインタビューは6月12日に行われたものです。)


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立教大学について

――引退されてから立大のスケート部とはどのように関わってますか?
 引退してから2,3週間は休暇をもらって、今は選手の育成やコーチをやってる。選手たちの技術的指導から入って、今後は戦略的な部分もやろうかなって考えてる。 完全にサポートで、部員の指導ってことで関わってるよ。

――それは在学されている間で?
 そうだね、できる限りは。部に所属してずっと個人プレーをさせていただいてたからこそ、引退後は恩返しという形でやろうかなって。 予定が入ったら難しいけど、できる限りは。

――立教へ入学した理由は?
 選んだ理由は明確にある。僕は4年間目標を持って通える大学に行きたいって思ってたの。まず学部を選ぼうってなって、語学とか経済、経営とかをやりたいって思って。 そして高校の先生と立教の経営学部の授業を見に行ったんだよ。そしたら面白そうだなって思って。調べていくうちにどんどん立教が好きになった。 スケートをするにもちょうどよかったし、いいじゃんってなって決めた。とりあえず身につけておきたいものを学べる学部で興味があるものは何かって考えた時に、立教だったから。 一般受験でもいいかなって思ったけど、スケートのシーズンが冬だから早く決めないといけないでしょ。アスリート選抜入試って制度を見つけて、それを受けようって思って。 勉強もしっかりやらせてくれて、なおかつスケートもできるところって絞って僕が気に入ったのが立教だった。間違いなく正解だったね。 いい先生にも会えたし、学校からも支援をもらえる。立教に決めてよかったよ。

――立教の選手たちはいかがですか
 本格的に練習を見たのは初めてで、今までは1か月間に一回とか二回くらいしか見てなくて。今はいい方なのかな。 できないものはできないって感じだから比較をするのが難しいんだけど、そんなに悪くはないはず。でも試合に勝つには足りないかな。 努力のやり方とかも、技術的な面でも。そこは課題かな。でもみんな楽しくできてるしいいんじゃないかな。

――立教スケート部のいいところはどのようなところですか
 みんな仲がいいところかな。スケートを楽しんでやってるし。でも女の子たち強かったからね、僕なんて肩身せまくて、いつもみんなの仲介役(笑)


競技人生について

――今まで出場された試合で、特に印象に残っているものはありますか
まずは一番最初の試合だよね。緊張しすぎて泣いたしね。あとは初めての全日本ノービスの予選。 それまでの試合は僕すべてにこにこしてたんだけど、予選だから落ちる人もいるわけじゃん。だから感じたんだろうね、急に笑わなくなった。 でも一番と言ったら2009年のジュニアグランプリファイナル。僕が一番失敗したと思った試合だし、自分で捨てた試合。あれが一番辛かった。 全日本で6位になった時もかな。高橋大輔くん(=関大大学院)のあとに滑って最初のジャンプは思い切り失敗したけど、終わった瞬間やりきったって思えて。 あの試合は本当に印象に残ったね。あとは引退試合。

2012年全日本選手権のキス&クライで樋口コーチと
――「最高だった」と思うのは、やはり6位になった全日本ですか
 かもしれないね、あんなに嬉しかったことはなかったんじゃないかな。みんなからも称賛されたし、自分でも「やった!」って思ったので。

――改めてその全日本を振り返って、今だから思うことはありますか
 よく頑張ったなって思う。よく怖くなかったなって。高橋君があんなにすごい点数を出した後だったのに。でもすごい点数過ぎてよくわからなかったっていうのはあったかも。 あれはよかったかもね。なんとなく「高いなあ」とか「もしかしたら勝てるかな」って点数だったら意識してたんだと思うよ。 ノーミスしてフリープログラムで190点以上出してたでしょ、混乱してよくわからなくなってたんだよね。今思うと、よく頑張ったなってことはまず一つ。 それに、よく自分のために努力したなって思う。厳しいことを言うのであれば、なんであんな演技で喜んだんだって思う。あの時のベストだったんだろうね。 今見ると「あれ?」って思うところもある。だから振り返れば過去は過去になっちゃうね。今から比べちゃうから。

――全日本で6位になったことで変わったことはありましたか
 周囲がほめてくれたくらいで。僕は何も変わらなかった。でももしかしたらどこか心の中ではあったのかな、だからインカレで優勝とれなかったのかな。 あんなにスケートが有名になって、称賛されることもなかったから。でも周囲は変わってたね。 期待されることもあったし、「オリンピック前にきた!」って言われることもあったかもしれない。もしかしたら自分も頑張ればいけるかもしれないって。 とは言っても成績を出したからと言って普段の何が変わることはなかったと思う。

――翌シーズンのグランプリシリーズに選出されなかったことは悔しかったですか
 NHK杯くらいは欲しかったな。あまり言いたくはないけど、日本の悪いところでもあるのかな。確かに技術はあっても全日本だけ実力を出せなかった選手もいたよ。 でも僕とかにとってはそれがすべてだったの。だって全日本で成績を出せっていう条件じゃん。そこで成績を出せないのはダメでしょ。 例えばオリンピックで成績を出せなかったとして、他の試合の成績がいいから金メダルもらえるなんてないじゃん。でもその連盟に所属している以上は仕方がない。 ショックだったけど、だったらそれ以降の試合で全部勝って「僕を選出していなくて残念だったな」って言える演技をしていたらよかったんだよね。 だけどそうはならなかったから、しょうがない。実力の世界なんだよね。

――オリンピックを意識したことで成績が振るわなかったというのもありましたか
 僕は今までスケートをやってきて、オリンピックに出場して金メダルを取るなんて意識したことは一度もない。 なんでオリンピックを急に目指すことになったかって言ったら、相手がオリンピックを目指す選手たちだったから。意識で負けるわけにはいかないって思っただけ。 オリンピックに出るって決めて、そのために努力してる人たちがいるのね。「行けたらいいな」って思っててもそれじゃまず同じ土俵にも立てないんだよ。 だから目指すとは言ってたんだけど、自分には嘘つけなかったんだろうね。本心では思ってなかったんだよ。(羽生)結弦(ANA)とかにはばれてたからね。 カナダで「健人君オリンピックどうするの?頑張ればいけるんじゃない?」って言われて。「てめえ」って思ったけどね(笑) 「行けるんだったら目指そうかな」って返したら、「目指そうかなじゃ無理だよ」って。決定的に人を押しのけてまで這い上がるって意識がなかったんだと思う。 就活じゃそんなことないのに、スケートに対しては特に優しすぎた。たぶん相手との競争より自分がどんなスケートをするかに価値を置いてたんだと思う。 誰かを蹴落として1位になるとかじゃなくて、「僕は今年ここをこういう風にして、こういう成績を取りたい…」って僕のためにやることしか考えてなかった。 それがオリンピックを意識することになって僕のためじゃなくて人のためになったんだろうね。先生のためとか。目標を持つことで頑張ってる自分をアピールしたかったのかな。 難しいけど、そこだと思う。人を意識しすぎたんだと思う。「オリンピックに出るにはこの選手に勝たなくちゃ」とか「この成績出さなくちゃ」とか考えるようになっちゃって。 前の自分じゃなくて、いつの間にか○○選手に勝たないとって。

――オリンピック出場を目標にするようになったのはいつごろからですか
 去年の四大戦のレセプション。目標を言う場面があったから、そこで宣言しちゃえば逃げられないと思って。

――選手としてスケートをする中で、目標としていた選手はいらっしゃいますか
 スケーターとしても人間としても尊敬しているのは外国の選手が多かったね。ジェフリー・バトルとかステファン・ランビエール。本当に芸術に対してはストイック。 自分の芸術を磨くために一生懸命で。前にランビエールに「どうすればスケートって綺麗に見せられるんですか」って聞いたの。 そしたら彼が言うには、音楽の世界は自分が干渉しない世界で、自分が作り上げる世界とマッチできるかが大切なんだって。 彼はそれを意識していて、自分のスケートの中に音楽のアートを組み合わせてる。 ジェフリー・バトルに聞いた時には「健人君は4回転を頑張ってるけど、僕は世界選手権金メダルで引退したとき4回転を封じてそれ以外を磨いたんだ」って言ってた。 それに気づくのが僕は遅かったね。あの言葉の意味がよくわかった。本当に尊敬できるよ。彼らだけでなく、高橋君も結弦も(町田)樹(関大)も。 スケートがそこまでうまくなくても尊敬できる人はいるんだ。神宮で練習してるときに、全然ジャンプが跳べなくて転んでも転んでも立ち上がってまた滑る子がいる。 あれで十分僕は尊敬できる。だって普通やめたくなるでしょ、一日とかじゃなくてそれが半年とか一年とか続くんだよ。だから僕が尊敬してるのは考え方だね。 努力の過程はみんな尊敬する。それはスケートじゃなくても。

――以前スケートで得意なことをうかがった時には総合力で見てほしいとおっしゃっていましたが、その中でも好きな技はありますか
 僕はスケーティングが好きなんだよね。6分間練習でも時間が余ったらステップとかするんだけど、「僕滑ってる!」って思うことが好き。 地味なところだけど、意外とプログラムの中では滑ってる時間のほうが長いからね。スピンも40秒くらいだし、ジャンプなんて0.何秒だし。 跳んだらすごいってなるけど世の中ジャンプ跳ぶ人なんて山ほどいるしね。 あとは曲に気持ちを込める作業が楽しくて、初めのころは振付に追いつくことで精いっぱいだけどだんだん感情移入できるようになっていくんだよね。 ジャンプは好きじゃなかったんだよね。痛いし失敗したら萎えるし。でも降り方の綺麗さだけは追及してたかな。

――スケーティングを武器にしようという気持ちはありましたか
思ってたと思う。勝てない部分を補強するって言い方はあるけど、勝てない部分を追求しても、天性的な部分があったから。 やっぱり自分の長所を武器にしないと生きていけないよね。武器になるようには意識してた。他の人よりも滑れるとか、スケートを見てるだけで伝わってくるみたいな。

――試合では難しいジャンプを跳ばなければ成績が出ない場面は多いと思うのですが、ジャンプに苦手意識があると難しかったのではないでしょうか
 正直去年は4回転に固執しすぎちゃった部分があった。4回転を跳ばなくてもあるものをしっかりやって加点を積めば、結構いけるところまでいけるんだよね。 4回転の価値ってほかのジャンプも成功しているときにあるんだよね。4回転成功してもトリプルアクセルでパンクしたり転倒してたら、跳んでない人のほうが絶対勝つから。 結弦はほかのジャンプでほとんど失敗しないでしょ。だからすごいんだよ。僕は夏にほかの部分をやっておかないといけなかったんだけど、 4回転ばかり固執してたから他がうまくいかなかったんだよね。 アメリカの選手でオリンピックに出場してたジェイソン・ブラウンっていう子と何度か練習したことがあったんだけど、彼もジャンプが大嫌いなんだよ。 だからコンプレックスを解消するためにできることを失敗しないように、しかも質を高くすることを意識してた。僕は焦っちゃってたから、それはよくなかったね。

――スケーティングが好きとおっしゃってましたが、ペアやアイスダンスへの転向は考えましたか
 この2年くらいでアイスダンスは少しやってたことがあった。スケーティングの練習にもなったし。 でもまずペアは僕の肩が脱臼癖ついてたからできなかったし、女の子を投げるなんて無理だから!あとは二人でやるってことが想像できなかった。 ずっとシングルでやってきて、僕のやり方でやればよかったけど二人になったら相手のことを考えなくちゃいけないじゃん。 よくペア競技では衣装の値段がマッチしなかったらうまくいかないっていうんだよ。それに目標が一致しないといけないしね。 ペアの女の子を怪我させる可能性もある。その覚悟があるかって言ったら難しいからね。


引退について

――引退後の自由な時間はどのように過ごしてますか
 今は休学中で、9月の後期から復学なんだよ。だから今はゼミで火曜日と金曜日だけ学校に来てる。その間はなぜか自主トレしてる(笑)健康のためにやってる。 動きたくなっちゃうんだよね。あとは今いろいろやろうとしてて、まずアルバイトは今までも教育塾でやってたけどそれはたまにヘルプに入っているだけで、 今は新しいアルバイト始めたんだよ。それが魚を捌くアルバイト!料理関係に興味があったから、やりがいがあって技術のつきそうなものって考えたら近いところでできるのを知って。 それ以外には英語、フランス語にスペイン語も少し勉強してる。本はすごく読むようになった。やることはいっぱいある。教育にも興味があって、 いろんな会社の人に会ったりだとか、講演見に行ったりだとか、あとはオーケストラも見にいった。すごく充実してる。 あれもやってこれもやって、あれもやりたいなこれもやりたいなって。空いてる時間は勉強とアルバイト、あとは趣味だよね。

――それは競技生活中は我慢されていたことですか?
 そうかもしれない。でも今思うと、もう少し視野を広くやってたらよかったかなって思う。 ずっとスケートをやってたけど、練習量を多くとるのって大学生になると難しくなってくるんだよね。氷の競技だから陸ではできないし。 今いろんな勉強をしているけど、「これスケートに使えたんじゃないか」って気づくことが多いんだよね。でも辞めて気づけたんだから、それはいいと思ってる。 悔いは少しは残ってるけど、十分やりきったと思ってるから。

――今後競技以外で中村さんのスケートが見られる機会はありますか?
 それが想像できないんだよね。週に1、2回指導でちょっと練習してはいるけど…。でもやっぱり衰えはあるんだよね。 自分が「アイスショーに出させてくれませんか」って行動したらもしかしたら何か変わるかもしれないけど、今は何も考えてない。

2011年全日本選手権での『フガータ』
――もしアイスショーに出るとしたら、やりたいプログラムはありますか?
 新しく作るよりは、昔のをやりたい。リクエストが多かったのはフガータとかタンゴ。

――中村さんも気にいってらっしゃるプログラムですか?
うーん、どちらかというと自分のスケートは好きではなくて。自分の演技も細かいところが気になっちゃうから見返せないんだよね。 でもそれが僕がトップ選手になれなかった最大の原因。自分を見て研究しなかった。

――満足した試合でも、客観的に見ると気になる点はありますか
 むしろ満足することがない。満足したら引退というくらい。まず僕は満足してしまう人はスポーツ選手だと思ってない。イチローとかも常に挑戦してるじゃん。 何千本安打を打ってもやってる間に崩す。高橋君もすごいじゃん、世界選手権で金をとってもバレエ始めたりだとかして、素晴らしいよね。そういう選手を僕は尊敬してる。 立大にもアメフトで海外に行ったりしてる選手がいるんだけど、彼とは友人関係で。必死に自分の身体のこととか考えてるし、アスリートとして彼は面白いね。

――中村さんの中で気に入ってるプログラムはありますか
 僕はポエタってフラメンコの曲と、ミッションっていう宣教師の曲が好き。あとはフガータも好きだったけど、皇帝は特に好きかな。 プラグラムとして使う前から何百回も聴いていたからね。聴きながらいろいろ想像してて、最後お辞儀をしてる時に拍手が聞こえるってところまで思い浮かぶ。 でも練習量が足りなかったかな。まあ靴とかでいろいろあったけど、それは言い訳だから。

――樋口コーチから、中村さんは靴のことについて言いたがらないと伺いましたが
 それも含めてのスケート人生だからね。本当だったら素晴らしい結果を残せたかもしれない選手って世の中たくさんいる。でも得られたことは多かった。 先シーズンはタイプの違う苦しさを味わった分スケート人生の中で一番辛かったけど、今となってはいいシーズンだったかな。 インカレまでずっときつかったけど、国体と最後の試合では克服できた。克服の仕方を見つけた。それが一番の成果で、おかげで就活もうまくいったし。

――克服の仕方というのは意識的に形を決められてたのですか
 いや、思いもよらないところから。それまでは「休学したんだからこれをしなくちゃ」っていう目標を決めてたんだよね。勝って当然みたいな。 目標のために頑張るのはいいんだけど、目標に追われてたんだよね。インカレも最後だったし。優勝しなきゃいけないって考えてたから、「優勝できない=ダメ」みたいに。 そうなると追い込まれていって。だから一番の成功は諦めること。国体は諦めてたんだよね。インカレが終わった後、試合の1週間前までほとんど練習をしなかった。 先生もぶち切れるくらいで、「そんな態度じゃ相手にも失礼だし、私にも失礼でしょ。ショートプログラムは見に行かないから」って。僕もひねくれて「あっそ」とか言ってて。 でも試合会場行ったらみんなが一生懸命やってたから僕も頑張ろうって思えて。 それまでは誰かに勝たないといけないとか優勝しなきゃいけないとかばっかり考えてたけど、「今僕ができるのはこれだから、これをやればいいんだ」って思えるようになった。 そうしたら何も考えないでやれて。それに気づけたのは諦めたからだよね。良くないと思われがちなものがヒントになった。だから、自分のスタイルを確立することが大切なんだと思う。

――引退を発表されてからの試合が少し観るのが難しい大会だったので、観たいと思っている方も大勢いるようです
 それは本当に申し訳ないよね。ゴールデンウィークっていう忙しい時期に、しかも関西。僕関西には人来ないと思ってたもん。 かなりマイナーな試合だったし、でも来てくれたから。それは僕の中で幸せだったなって思う。関西って僕のテリトリーじゃないし。同時に見せられなかったのは残念かなって思った。 今まで地元での試合が多くてたくさんの人が見に来てくれてたから。でもアイスショーに出るってなったらお金もらう場合がほとんどだし、 そうなるとそれなりのものをやらなくちゃってなる。「やるからには」ってなる。でも今はスケートから少し離れてたいって気持ちがある。 やるんだったら神宮とかでは2月とか3月にそういうのがあるから、その時かな。
 あと、部の合宿では演技をやると思う。むしろ演技をアドリブでさせられるって感じ。 今年の春とか就活も落ち着いてたから合宿に行ったら、羽生選手の物まねをやることになって。彼のショートプログラムを最初から最後まで完コピして(笑) 振り付けは30分で覚えて。ジャンプもスピンも失敗してめちゃくちゃだったけど、なんとかやったね。真似するのが好きなんだよね、町田選手の火の鳥とかもやる。

――フィギュアスケート選手はよく選手同士で物まねをするんですか?
 みんなやってるよ、もうひどいよ。愛のあるいじりというか。僕もやられるし。

――引退に対して、樋口コーチはどうおっしゃってましたか
 引退を決めたのが、就活が落ち着いた頃だったんだよね。ふと家で「あんたスケートで何したいの」って言われて。 お金もかかってるのに、この先どうするの、この一年はお金出さないからねって。そうしたら「僕は何でやりたいんだろう」ってなって。 みんなには卒業まであと一年やるかもしれないって言ってたけど、それは僕の本心なのかなって思って。みんなが喜ぶからなのかなって思っちゃったの。 就活は確かに忙しかったけど、決して練習ができないわけじゃなかった。なのに練習に行こうとしてなくて、そこに答えは出ていたんだよ。だからそれから二日三日で決めた。 それで、ちょうど四大戦には応援で行くことになってたから、そこで終わらせようって思って。そのあと先生に連絡したけど先生は何もそれに対して言わなくて。 先生も、もし一年やるなら何やるんだろうって思ってたって言ってて。先生も家族も僕が辞めるって言ったらとめなかった。 もしやりたいって言えばサポートしてもらえただろうけど、サポートしてもらうにはお金も時間もいるでしょ。 ましてやスポンサー企業だったらお金を受け取るわけだけど、それに見合う目標と覚悟と努力があるのかって自分に聞いたとき、なかったらダメなんだよ。

――引退されてから樋口コーチとはお会いになってますか
 よく会ってるよ。京都旅行とかも一緒に行ったからね。あとはリンクで部員の指導してるのにも会うし、そのあとカフェに誘われたりするよ。

――引退を決めてから決断が揺れることはありませんでしたか
 あったよ。どんどん知り合いに連絡していくじゃん、そうするとプレゼントの用意とかしてくれる人もいて。そうなったら辞めざるをえなくなる。 絶対辞めたくないってなるのはわかってたからね。居心地はいいし、これだけスケートも注目度が上がって、もう一年全日本やったらテレビに映ることもできるかもしれない。 その方がためになるんじゃないかって思ったりするし、もしかしたらもう一年やったらもっと登り詰められるかもしれない。 それはきっと年齢が上がれば上がるほどそう思うようになるからね。織田くんも「怖かった」って言ってたもん。でも言ってしまえばこっちのもの。 Twitterでの告知は試合の1か月まえにしてたんだよね、近すぎてもかわいそうだし。だけど引退する場所は言わなかった。関西とは言ったけど、場所と日時は言わなかった。 ゴールデンウィークだから迷惑かなって思って。でも、スケート界から去るからって今までの関係を断ち切るわけではないから、 「やめるイコール見れないイコール健人くんと関わることはない」っていうわけではない。だからそんなに深刻に考えないでとは思ったかな。

――スケートをしていて良かったと思うことはありますか
 僕のスケートを好きだよって心の底から言ってくれる人がいたこと。ランビエールも言ってくれたしね。本当に嬉しかったね。 だから続けないことが申し訳ないなって思うことはあるかな。ランビエールに変わったところを見せたかった。 でも今は辞めちゃったから、違うところでしっかり頑張ってる姿を見せるのが唯一の恩返しかなって思ってる。 デヴィット・ウィルソンっていう本当に素晴らしい振付師も僕のスケートを好きだって言ってくれた。ブライアン・オーサーも。 本気で言ってくれてるのが、外国人の人は特にわかるんだよ。それが本当に何より嬉しかったことだね。

引退試合となった四大学定期戦での『皇帝』
――先ほどおっしゃっていたランビエールの言う表現について、自分でできたと思ったプログラムはありますか
 基本的には全部意識してるけど、「皇帝」は特に意識してたかな。それが体現できていたかは難しいけれど。僕は「皇帝」を自分の人生の曲だと考えてたから。 最初に「バーン」って始まったら、僕のスケートを楽しいって思ってた時代が始まるのね。 ステップが終わって静かになったらちょっと暗い時に入るんだけど、最後の盛り上がるところではまたスケートをしていて楽しいって感情を出していて。 僕はそういうのを表現したかったの。それが僕の中の「皇帝」で、引退試合にはできてたと思う。「皇帝」は去年の四大戦でも関カレでもすごく好評だった。 一回見せただけで反応が今までと全然違っていたんだよね。神宮の練習でも、先生が「この曲こういう風に振付できる人がいるんだね」って言ってくれて。 振付してくれた人をほめているんだけど、それを作ってもらえた自分も嬉しくて。

――スケートの経験を今後どのように人生に生かしていきたいと考えていますか
 僕が経験したことは、誰もが経験できなかったことかなって思う。 それこそ旧採点が主流だったころから初めて、小学生のころはスケートやってるってだけで馬鹿にされたりもしたけど今は注目されるようになって。 でもまずスケートを職業にはしたくなくて、就職先は関係ないところにしてる。だけど教育には興味があって、スケート教室だとか、スポーツを通して何かできないかなとは考えてる。 競技で上り詰めることはできなかったけど、だからこそ言えることもあるのかなって思うしね。

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表現力に関する話から自らのアルバイトの話まで話題は多岐にわたったが、ときにユーモアも交えて気さくに答えてくれた中村。終始さっぱりとした表情で、 彼が新たな世界へと踏み出そうとしているのが伝わってきた。しかし、彼のスケーティングはいつまでのファンの心の中で色あせることなく、輝き続けるはずだ。
(12月3日・糸瀬裕子・渡邊菜緒)





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