4年間の軌跡、いざ十字へ

〜応援団幹部 佐藤有一、田中湧土、延沢晴輝 インタビュー〜



今年度スローガンを「超越」として掲げ、日々精進してきた応援団。彼らの声援はグラウンドで躍動する選手たちの源になっている。同期にリーダー部がおらず、吹奏楽部から幹部へ選出されることになった、団長・佐藤(文4)、副団長・田中(済4)、新人責任者・延沢(観4)。激動の4年間を経た彼らの胸中に迫った。

―最後の神宮での応援を終えたということで、率直な感想をお願いします
佐藤)自分の応援を終えた時は神宮応援が終わったという実感はあまり湧きませんでした。終えて時間が経った今でも、神宮に一般の人として行くことはあっても応援団として行くことはもう無いということの実感はあまり無いです。周りが泣いていたり「これで終わっちゃうんだ」と言っていたりして、自分の中で「ああ、これで終わりなんだ」と思ってはいても、最終戦という実感は試合前もなかったですし、試合後に終わったことを実感するのかなと思いきやそういうこともなくて。本当に終わっちゃったのかな…というのが正直な感想です。

田中)試合が始まる前は最終戦という気負いは全然無かったのですが、やはり最後の9回の時にこれで終わるのかなと感じました。基本的に応援の時はみんな野球の方を見ていますが、その中で応援団は唯一スタンド側を向いて応援出来る立場でやらせてもらっていたので、それが無くなってしまうのだなという思いは少しありました。ですがこれで全てが終わってしまう訳ではないので、そこまで悲しいという思いは無かったですね。自分の中で一区切りとしてやりきったというか、一つ自分のやるべき事が終わったなという感じが自分の中ではしましたね。


延沢)もう終わってしまったかという感じです。六大学野球の話になりますが、ひとつの大学につき二試合、つまりワンシーズンで最低十試合やるということじゃないですか。年間最低二十試合で、四年間では八十試合もあるはずなのに、もう80回もやったなんて嘘でしょと思ってしまうくらいあっという間でした。一年生のときはこれが後六十回あるのかと思っていたけれど、終わってしまえば八十試合もやったのかというくらい早かったです。

―神宮の応援は楽しいものでしたか
延沢)最初は苦痛なものでした。応援団に入った人はみんな言うのですが、何これ?と感じることが多かったので…。チャラついていた高校時代を引きずっていたときは「声出せ」と言われて、「なんで声出さなきゃならないんだよ」と思っていたのですが、やはり声を出して応援をしたら勝っても負けても楽しいですし、そのときに勝ったら選手を後押しできたかなと思えて、自分にとっては最終的には楽しかったかなと感じます。


―(田中さんは)九回入る時に今までありがとうということをおっしゃっていましたがあの時に神宮応援の終わりを実感したのですか
田中)正直あのように感動的な感じにするつもりは無かったのですが、やはり最後だったので…。いつもあの場では何を言うか考えず立ってから決めていたのですが、リーダー部の団長は応援が終わってから最後に何か言うことが出来るのと違って、僕はあの場で言わないと言うところが無くなってしまうので…。今の内に言いたいことを言っておこうと思って出たのがあの感謝の言葉です。

―神宮応援をする上で意識していたことはなんですか
佐藤)僕たちは応援で太鼓を鳴らしたり楽器をガンガン鳴らしたりしていますが、選手によっては静かな環境でやりたいという人もいると思っています。そういう中で僕たちが応援することは果たして本当に野球部のためになっているのかということを三年間の中で何処かで考えていたところはありました。ですが、主将や主務、野球部の方から「応援団がいてくれることはありがたい」という言葉をかけてもらって、本当に野球部のためになっているのだなということを感じたので、どんな時も野球部を信じることを意識して応援しています。正直いってしまうと野球なので一発逆転が難しい試合もあって、厳しい試合だと序盤で点差を付けられて勝敗が決まってしまうこともあります。そういう試合であっても野球部が次の試合への発見が得られたりモチベーションを維持したりするために私たちがいると思っているので、選手を元気付けることを常に心掛けてやっています。

田中)自分は応援団の存在意義について(団長とは)違う角度から考えています。まず、野球は絶対に一人ではできないと思います。ですが応援は一人で神宮球場に行ったとしてもできると思います。別に応援団がいなくても応援はできます。ですが、一人一人の「応援したい」というバラバラな気持ちをどこかでまとめて届けるために応援団がいるのかなと思っています。なので、先ほど団長が言ったように応援団が鳴らしている音が選手の力になっているかは分からないですが、少なくともみんながバラバラで応援しているよりもどこかでそれをまとめて応援席全体として届けることが大切で、それをまとめることが応援団の存在意義なのかなと思っています。そのため、応援団だけでまとまるのではなく応援席全体をまとめて、立教大学応援席全体として応援の声を届けることを特に意識してやりました。

延沢)応援そのものとは違いますが、神宮ですとお客さんも毎試合応援に来てくれます。私は四年生になり幹部になって、結構入口にいることが多かったのですが、その時に第二試合のお客様であろうと自分たちのお客様であろうと関係なく、「応援ありがとうございました」だとか、「こんにちは」だとか、「今日は宜しくお願い致します」と挨拶するようにしていました。効果があったかは分からないですが、気持ちよく応援して気持ちよく帰ってもらえるようにしようと意識していました。

―団長という役職について、吹奏からリーダーに変わったことを踏まえて聞かせてください
佐藤)三年間応援団をやってきていきなりパッと団長をやれとなったわけではなくて、応援団人生を歩んでいた中で緩やかに上がっていって団長になったかんじなので、自分の中で何か変わったというよりは自分を見る周りの目が変わったなと感じました。やはり役職を通して周りから見られることが凄く多かったので、何かしら周りから良くも悪くも見られているという風に感じました。吹奏楽部でそれが絶対味わえないかといったらそうではないですが、やはり吹奏楽部とは違った見られ方だったり期待のされ方だったりするのかなと感じました。

―周りからの見られ方が違うことに苦痛や重圧を感じたことはありますか?
佐藤)見られていると感じたのは春の神宮であって、良くも悪くも慣れた面があったので秋の神宮ではあまり無かったですね。慣れない頃は自分たちの見せ方や周りに対してどういう風に振る舞えば良いのか分からなくて苦労することはありました。ですが春を経て、見せ方が大事だということが分かったので、あまり苦痛には感じなかったですね。

―吹奏からリーダー部へいかれたこともあって、大変だったことはありますか
田中)団長は外から見られることが結構多いのですが、副団長はどちらかというと中から見られることが多かったです。そういう意味では二年生の時は下級生が一学年だけで良かったけれど、三年生になったら二学年、四年生になったら三学年見なければいけなくて。一個下には伝えられても全体に全部が伝えられるか分からない中で、言葉だけではなく下級生からどう見られているかを考えなくてはいけないと強く感じました。また役職を持つと他の一、二、三年生の視線が変わってくるので、応援団員としてしっかりと後輩に道筋や形を示していかなくてはいけないなと思いました。

延沢)一年生の途中でリーダー部の同期がやめてしまいこうなることは分かっていたので、精神的にリーダーが辛いということはなかったです。ですが実際にリーダー部の型をやってみると、一曲ならできたのですが神宮応援に行くと第一応援歌をずっとやるので、技術的に辛いなと感じました。また、吹奏楽部で私はパーカッションをやっていて同期が私一人で下級生も全然いなくて私がいないと四人になるのですが、吹奏楽部ではパーカッションが四人しかいないのは本当に少ないらしいです。それもあり今年度の定期演奏会に私も出ることになっておりまして、吹奏楽の練習に半分出てから神宮応援に出ていたので、体力的に大分辛かったですね。

―新人責任者について心がけていたことはありますか
延沢)新人責任者が主にやっていることは新歓活動です。ですがそこは私以外の下級生も一緒に全団員でやっていたので、意識したのは新歓活動を一所懸命にやるくらいでした。ただ新人責任者のもう一つの役割に、退部を希望する一年生の相談に乗るっていうのがあります。実は軟式野球をやりたいという子がいてそういう子には退部を認めたのですが、中には甘い考え方といいますか、面倒くさいから辞めたいという子もいてそういう子には厳しく声掛けするようにしていました。そういう意味では相手をよく見て、この子は本当にやめたくて言っているのか、面倒くさくて言っているのか、続けるにはどう言ってあげればよいのかということに気を遣っていました。

―今までを振り返って一番辛かったことは何ですか?
佐藤)自分の中で一番劇的に変わったなと思うのが一年生から三年生に上がった時です。応援団はクリスマスごろに代替わりをするのですが代替わりしてすぐはその生活に慣れなくなかったです。一月にやらなければいけないことがあったのですが、明日の朝九時には学校にいなければならないということがありまして。学校にいても何かしら連絡が入ってくるかもしれないという中、起きている間はずっと緊張状態にあって寝ようとしても朝九時には学校にいなければいけないという緊張状態で歯ぎしりがひどくなってしまい、起きたら歯がすごく痛かったってことがありました。自分は人に話すよりもどんどん自分の中にため込んでいってしまうタイプなので、これは来年になったら大変だと思い辛かったです。今となれば笑い話になるとはいえ、腹をくくるタイミングだったのかなと思いますね。

田中)僕も三年生の時が辛かったですね。三年生になるとやらなければいけないことが増えてきて一個上が幹部でその一つ下という立場で、上から言われたことを一個下にも伝えなければいけないし、同時に下からもいろいろ言われることもありました。僕は溜めきれずに爆発してしまうタイプなので団長とは違って爆発してしまったのですけれど(笑)、結構大変でしたね。元々吹奏楽部で入部して二年間過ごしてきて、三年になって急にリーダーのこともやることになったので、やらなければ回らないのでもちろんやりますが、やはり分からないことだらけでむしろ一個下の方が色々と分かっているという状況だったので、分からないのに色々やらなければいけないというプレッシャーはありましたね。後は、四年生になって吹奏楽側からどうやってリーダー側を見ていくかということなど今思えば考えすぎだったかなと思いますけど、色々と苦労しました。

延沢)三年生のときに辛くて辞めようかと思って、引きこもっていた時期がありました。そのときは自分では頑張っているつもりでも結果が出ず上級生に認められなくて先輩に胸ぐらを掴まれたこともあって、そのときは本当に辞めようと思っていたので一番辛かったですね。

―応援団に入ってよかったことは?
佐藤)立教大学はインカレが禁止なので、立教大学に入ってまさか東京大学や慶應大学、早稲田大学の奴と友達になるとは思っていなかったです。いざ連盟の場に出てみるとものすごい数の人と知り合いになれて、応援団というある意味「立教スポーツ」編集部と同じように球技や武道のくくりに属さない中で体育会とのつながりがあって、かつ同立や明立のつながりもあるとなると、すごく可能性が無限大のところに所属できたと思うし、色々な枠組みの中で友人を作れたというのが一番良かったところではないかなと思います。

田中)僕は一、二年の頃は神宮球場に行って応援するのが正直好きではなかったですね。行ったら行ったで毎回怒られるし、一回も楽しいと思ったことが無かったです。ですが、四年になってやはり楽しいとは思わないですが、応援というのは色々な役割があってどこかの部門がいなくなると成り立たない、全員各学年で役割があってその役割が噛み合って一つの応援が作りあがっているという全体像が分かりました。その時に初めて面白いという思いが出てきました。結果として残らなくても、人と何か一つのものを作り上げるという面白さを団内だけではなく六大学のつながりでも感じました。

延沢)神宮応援では優勝ができたらそれが一番良かったとは思いますが、残念ながら私が在部していた四年間にはそれがなかったので。ありきたりのことかもしれないですが勝ったらよかったなと思いましたし、負けても六大学野球の様な大きい試合だとないのですがこじんまりとした部活だと試合後に選手の方々が来てくれて「ありがとうございました!」と言ってくれる部活もあって、そういうことがあるとやはり応援に行ってよかったなと思いますね。

―最上級生として下級生にやりがいなどを教える立場になり、意識していることはなんですか
佐藤)正直応援団は最上級生になったらやりたいようにできます。下級生は基本的に池袋の駅を降りた瞬間に携帯の使用が禁止になるのですが、私たちは携帯を使用することができます。リーグ戦の時期ですと授業時間を除いて池袋を歩いているとき下級生は学生服を着なければならないですけれど、私たちは脱げます。そういった意味で下級生から見たら幹部はやりたいようにやっていて、私たちにルールなんてないのではないかと思っていると思います。実際自分も三年生以下のときはそう思っていました。しかし実際そんなことはなくて、幹部は結構ハードです。今は上級生として下級生にそういったハードな面を見せないように心掛けています。下級生は、幹部になったら自由になれると信じているところがあると思うので、そのモチベーションとなっている部分を裏切らないようにしています。自分はすぐに顔に出てしまうタイプなのですが、「嫌だな」という気持ちを顔に出さないようには心掛けていますね。


田中)四年にならないとわからない楽しさがあります。それを知ってもらうためにも下級生には四年生まで続けてほしい。続けてもらうために幹部ができることは、幹部が楽しいのだということを下級生に感じさせることだと思います。もう一つ大切なことは、下級生に何かを変えたいと思わせることだと思います。周りから見て応援団はこの団体何だと思われることが多いです。本当におかしいところは変えなければならないですが、同時に何でもかんでも今の代で変えてしまっていいのかと言われたら、そうではありません。下級生に「来年こそは変えてやる」と思わせて、幹部という地位をモチベーションに与えてあげることが大切だと思っています。

延沢)こういうのをいうのはあれですが、応援団を続けていれば絶対に最終的には達成感は得られますが、嫌々続けるくらいなら他の部活に行く道もありではないかなと思います。ですがそれを下級生に言うとじゃあ辞めますという子もいるので難しいです。普段は言わないですが、心から応援を楽しんでやるために一回自分の周りにどんなことがあるのかをみるというのも大事だと思います。

―「十字の下に」にむけての意気込みを聞かせてください
佐藤)「十字の下に」の幕が下りたときも、なんとなく終わってしまったなという気持ちで済むと思います。短いオフ期間が終わったら、また一月から新体制が始まるという気持ちになると思うのですが、それはある意味後悔がないとも捉えられます。私は感情を外に出さないタイプなので泣かない気もしますが、私にとって最後の舞台なので何かしらの思いを持って臨みたいと思います。個々人が思いを持って臨むのでそれを達成できるようなステージにしたいです。


田中)当日になってみないと分からないですし、ここで泣かないと言って当日泣いてしまうことも無きにしも非ずなので言いません。団祭では各学年の役割が顕著に表れ、そこで毎年違う役割を果たしてきました。去年やったことと同じように今年もやろうということはできません。四度あると考えることもできますが、四年生として臨むステージは一度きりなので悔いのないようにやりきって、その上でお客さんに楽しんでいただければ嬉しいです。お金をとってやっているので、出演者としてしっかりと責任をもってやりたいと思います。

延沢)昨日(11/3)まで合宿に行っていて辛いことも多かったですが、「定期演奏会」や「十字の下に」は申し訳ないことにお金をいただいているイベントなので、そこに来てくださるお客様に楽しんでいただけるようなステージにしたいというのが私の意気込みです。

―ありがとうございました!

応援団での日々は辛くも充実したものであったと語ってくれた彼ら。その熱い思いは後輩たちへと引き継がれていくはずだ。最後の舞台となる「十字の下に」は四年間の集大成として最高のパフォーマンスを見せてくれることだろう。





(12月11日 取材=末藤亜弥、大島佳奈子、斉藤麗央、吉田健人、渡邊ひなの/編集=大島佳奈子、斉藤麗央)



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