打っては赤いバットを手に快打を連発。守っては俊足強肩を生かし窮地を救う。黙々とチームの勝利に貢献する姿はまさに職人そのものだ。外野手・佐藤拓也(コ4=浦和学院)。立大を支え続け、六大学通算102安打を放った名選手がついに最後のシーズンを終え神宮球場を去る。4年間の足跡を振り返り、打ち鳴らした数多もの快音に、今、改めて拍手を送ろう。

現れた天才打者


俊足巧打の外野手として大学日本代表に3年間名を連ねた
  高校時代は名門・浦和学院高で3回甲子園に出場。エース兼野手として投打ともに注目された。鳴り物入りで立大に入学し、大学ではプロ入りを視野に野手に専念することを決めた。
  破竹の勢いだった。1年次春から出場機会をつかむと、2年次春は安打を量産。洗練されたレベルスイングが次々と白球を捉えていく。「広角に外野の間を抜く長打を打てることが武器」。右へ左へ、強烈なライナーを打ち分けた。驚異の打率4割、21安打を記録し、2季連続となるベストナインを受賞。一躍立大の顔となった。
   そしてジャパンの佐藤拓也へ。リーグ戦での成績が評価され、2年次から3年連続で大学日本代表に選出された。4年次には副将として日米大学野球選手権連覇に大きく貢献。1番打者を務め、大学球界きってのリードオフマンとしてその名を知らしめた。



彼の一打はチームに大きな影響を与える。
  写真は16年春の慶大2回戦、エース加藤拓から
  試合を決定づけるソロ本塁打を放ったときのもの
「チームのために」
  常にチームの命運を背負っていた。毎試合主軸打者として攻撃の核を担う彼の成績は、チームの勢いにそのまま直結した。
  2年次秋以降は成績を落とした。高まる周囲の期待、のしかかる責任――。「優勝したい」、「打ちたい」といった強い思いが、重圧となり自らの首を絞める。悪循環だった。
  そんな中、最終学年となった彼が繰り返し口にした言葉は「チームのために打つだけ」。背には立大中心選手の証、「1」の数字が光る。副将となり、更なる重圧がその背にかかっていた。だが、彼の視線は前を向く。そこに映るのは背負うものでもなく、先にある優勝や通算100安打といった大目標でもない。目の前の一打席、一球だった。「優勝を目指して戦って、終わった時に100安打を達成していればいい」。
  すると結果は自ずとついてきた。ラストイヤーは不動の1番打者として打線を牽引。熾烈な優勝争いを演じる立大を先導し続けた。フォアザチームの精神が彼を突き動かす。そして、気づけば通算100安打の大記録が目前に迫っていた。

通算100安打目は、左翼フェンス直撃の二塁打
  だった。リーグ史上32人目、立大史上6人目の大記録だ
100本目の快音
  迎えた東大3回戦は、勝ち点をかけた重要な一戦。前日に3安打を放ち、通算100安打まであと2本と迫っていた。第一打席に安打を放ち、大記録に王手をかける。  
  1点リードで迎えた6回、大きな期待を受けながら先頭打者として打席に立つ。これまでの打席と何ら変わらない。バットをくるりと回すルーティンを終え、投手と相対する。2球目の直球だった。低速球を鋭く振りぬく――。
   神宮球場に100本目の快音が鳴り響いた。打球は逆方向にぐんぐん伸びる左翼フェンス直撃の二塁打。逆方向への長打でチャンスメークし、らしさ全開で「ずっと目標にしていた数字」に到達した。その瞬間両校の観衆から祝福の拍手が送られた。ポーカーフェイスな彼も、この時は思わず塁上で笑みをこぼした。
  その後も安打を放ち、3安打の固め打ち。重圧をまるで感じさせない働きで悠々と大台を突破し、チームを勝ち点奪取に導いた。
  そして100安打の感想を聞くと、この日も淡々とこう語った。「チームのために打ちました」。

苦しんだ時間はムダではない。
  2年後にその名が呼ばれることを願う
栄光の影
   10月20日、2016年プロ野球ドラフト会議において立大から3選手が指名された。3選手が同時に指名される快挙に、立大野球部寮が歓喜に包まれた。プロ入りを決めたのは、澤田圭、田村、田中和――。そこに"佐藤拓也"の名前はなかった。まさかの指名漏れ。大学球界屈指の実績と知名度を誇る彼でも、プロ野球選手になる夢を叶えることはできなかった。

  その2日後、宿敵・明大との試合を迎えた。立大にとっては一戦でも落とした時点で優勝への望みがついえるというまさに背水の陣。ドラフト会見時、明大戦について主将・澤田圭はこう語った。「4年間一緒に戦ってきた佐藤拓也が最後絶対にやってくれると思います」。
  様々な思いが交錯する中、試合は9回、二死。立大は田村が意地の適時三塁打を放ち1点差に迫る。一打同点の好機で、打席には佐藤拓。マウンドに立つのは明大エース・柳。逆転劇の舞台は整った。球場にいる誰もがドラマを期待し、勝負を見守る。
  だが、ドラマは起きなかった。佐藤拓が放った打球は左飛となり、ゲームセット。立大のVの可能性が消滅したその瞬間、彼は泣いた。試合中に感情をあまり出さない彼がうずくまり、動けなかった。計り知れない悔しさが、涙となりとめどなく溢れ出た。

終わらぬ挑戦
  「苦しんだ時間はムダじゃなかった」。通算100安打を達成した際、彼は2年次秋以降の不調時のことをこう表現した。同じように、彼ならきっとあの涙も自らの糧とし、前進できるはずだ。社会人野球へと進み、2年後のプロ入りに再び挑戦する。  
  積み上げること102本。何度もチャンスを切り開き、試合を決めた。その快音は、いつだってチームに勇気を与え、観客を熱狂させるものだった。チームの期待、重圧、命運を一身に背負い、苦しみながらも重ねたその数字は、偉大なる功績として燦然と輝く。

  「いつまでも引きずっていても前に進めない。今はもう頑張ろうという気持ちになっている。2年後、走・攻・守すべてにおいて一回り、二回り成長した姿を見せたい」。(佐藤拓)

  終わらぬ佐藤拓也の挑戦。栄光も挫折も味わった立大での4年間が、必ずや夢への道しるべとなるだろう。立ち止まる暇などない。2年後に向けて、男は再び走り出す――。

  (11月8日 文・大宮慎次朗/編集・唐澤大)



  
  佐藤拓也(さとう・たくや)173a76`、コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科4年、茨城県出身、右投げ左打ち、外野手、浦和学院高から立大に進学し、1年秋からレギュラーに。リーグ史上32人目、立大史上6人目となる通算100安打を達成。信条としている言葉は「感謝」。100安打の記念球は母親に送ったという

4年間の通算成績 通算安打、打点、盗塁は現役選手トップという圧倒的な数字を記録した