主将・今村引退記念特集

〜嫌いだからこそ強くなれる〜



    「負けたけど、悔いはないです。今は清々しい気分です」。大学生最後の試合を終えた今村(文4)が、顔をほころばせた。そう言って引退できることが、どれほど幸せだろうか。「早く帰りたい」が口癖である彼も、この日ばかりは違ったようだ。

面を決める今村。

関東団体戦では52年ぶりに3位に輝いた



最後の学生剣道

   終幕は劇的だった。2回戦で激突した相手は全国優勝経験のある強豪・鹿屋体大。2勝2敗と互角のまま、出番が回ってきた。
   試合はにらみ合いが続く長期戦。今村はこの四年間で戦法を大きく変えていた。手数で勝負する高校時代から一転。現在得意とするのは、出方をうかがい一振りで決める形だ。練習で量より質が求められる大学剣道において、その道を見つけた
   中盤、意を決した両剣士が、同時に飛び込んだ。今村が放ったのは小手メン。対する相手はメン。「勝った」。確信した。そして3人の審判の旗が、一斉に上がった――。
   上がった旗は赤、白、白。立大の旗色は赤だった。この一打が有効となり、紙一重の一本負け。続く大将の澤田(営4)が引き分けとなった瞬間、彼の学生剣道にピリオドが打たれた。



大将たる所以

   「記憶にない頃から剣道していました」。生粋の剣道一家に生まれた今村にとって、競技歴は人生そのものだ。幼少時代は父が師範を務める道場“十生館”で剣技を磨き続けた。才能はすぐに頭角を現し、小中高大と全てのチームで大将(今大会2回戦は副将)を任されるほどになった。

   高校では九州の名門・東福岡高に進学した。3年次には主将を務め、個人としても福岡県代表として国体選手に抜擢。団体戦準Vの原動力となり、全国に名を馳せる剣豪となった。その実力は、大学の同期・澤田に「雲の上の存在」とまで言わしめるほどだ。

   そんな輝かしい経歴とは裏腹に、性格はいたってユーモラスだ。だからこそ人望は厚い。激闘を繰り広げておきながら、試合後の「早く帰りたかったです」は恒例。取材のたびに笑わせられた。さらに「勝負事が嫌い」と来るから面白い。1対1の個人戦によってチームの勝敗が決まる責任感が重圧に感じるとのことだ。  



胴を放つ今村。今夏は個人と

しても全国大会に出場した



   しかし、剣を握れば目の色が変わる。9月の関東男子団体の際は、負ければ終わりの状況の中で、ハイリスク高難度の大技・逆ドウで引き分けに繋いで見せた。そして最後の鹿屋大体大戦でも、負けはしたものの最後まで前のめりに攻め続けた。だからこそ今村は大将だ。それは本人も自覚している。「なんだかんだ自分の番になると勝負に徹してしまうんですよね。悔いがないのは、取りに行って負けた結果だからです」。



「親父の道場を継ぎたい」

   「いつか九州に戻って、親父の道場を継ぎたい」。
   今村からその言葉を聞いたのは意外だった。剣道は嫌いではなかったのかと尋ねてみた。
   「試合は嫌いですよ。でも自分の育てた選手を作りたいんですよ。昔から教えることに興味がありました。自分はどの剣道家よりも考えてきている自信はあるので、それを伝えてどんな選手ができるのかが楽しみ。嫌いだからこそ考えて強くなれるものです。好きだったら普通に楽しくやってしまうんです。試合は嫌いなんですけど、考えること自体は好きです。剣道一家に生まれた自分にとって、剣道はどうせやらなければいけないことだった。だったら楽しむしかないじゃないですか。だから自分は、考えるところに楽しみを見つけました。嫌いなやつほど考えるし、良い指導者になれるはず。自分の個人的な考えですけど、絶対そうだと思います。」
   そう夢を語る今村の目は、眩しく輝いていた。おそらく、もはや好き嫌いという次元にはない。彼は剣道を愛しているのだ。学生剣道は今日限り。だが、剣の道はどこまでも続いている。

(11月10日・大宮慎次朗)









   今村圭太(いまむら・けいた)
   178a90`、文学部史学科4年、福岡県出身、立大剣道部主将、福岡県私立東福岡高出身。
   父の影響で、物心ついたころから剣道を始めた。自由奔放な性格で、ユーモアに溢れる。部員からの人望は厚く、自主性を尊重するチーム作りで、52年ぶり関東団体戦3位、全国ベスト32へと導いた。個人としての最高成績は高校3年次の国体団体準優勝。趣味は釣りで、月2回のペースで海に出かけている。


Copyright (C) 「立教スポーツ」編集部, All Rights Reserved.