東日本大震災から7年――。あの歴史的な大災害を、すでに記憶のはるか彼方に思う人も少なくないだろう。しかし、当時壊滅的な被害を受けた町は7年たった今でもその傷跡を生々しく残したままだ。

海岸から近くにあるガソリンスタンド。

示された津波水位には息をのまされる



  3月16日。東京六大学のバスケットボール部が岩手県・陸前高田市に集結した。例年、都内で行われるはずの東京六大学バスケットボールリーグ戦が、陸前高田市総合交流センター[夢アリーナたかた](今年4月にオープン予定で、今回はプレオープン)で行われるからである。主催するリーグ戦の運営委員会に、岩手県および陸前高田市のバスケットボール協会、そして立教大学陸前高田サテライトらが力を合わせ、開催が実現した。
  そこでは試合はもちろん、市近郊の小中高生に六大学バスケ部が行うバスケットボール教室、車いすバスケットボール体験など様々な催しが行われ、会場は大いに賑わった。

  初日、陸前高田市に到着した一行が最初に向かったのは市内見学。市内は復興活動の真っ只中で、2011年3月11日のあの瞬間のまま姿が残されている中学校や道の駅、「奇跡の一本松」などの衝撃的な光景を目の前に驚きの声をあげるメンバーも少なくなかった。仕事の関係で宮城県・気仙沼市(陸前高田市と隣接している)での勤務があったという立大の柳沢新監督(74年度卒)は「私が監督になった年に、ここで開催できて感無量」と語り、自らの知る陸前高田市のもとの姿に思いを馳せた。
   その後行われた開会式では、震災当時から市長を務めている戸羽市長らが六大学の部員たちにエールを送り、大会がこの場所で行われる喜びの思いを口にした。

集まった子どもたちと六大学バスケ部の集合写真



   2日目は午前中から子どもたちの賑やかな声で溢れていた。集まった地元の小中高生と六大学の部員たちがともに体を動かし、最後は簡単なエキシビションを楽しんだ。熱を帯び始めた会場で、続けて行われたのは3ポイントコンテストとスラムダンクコンテスト。大学トップレベルのプレーに周囲は熱狂、ボルテージは最高潮に達した。

「宮城マックス」との一枚。

最近では、パラスポーツにも注目が集まっている



   熱気に包まれる中登場したのは、車いすバスケットボールチーム「宮城マックス」。「宮城マックス」と車いすに乗った六大学バスケ部によるドリームマッチが実施され、ここでも大きな盛り上がりを見せた。
   全試合を終えた後は閉会式。地元で活動するアップルガールズとともに踊りを楽しむなど終始和やかな雰囲気で大会は幕を閉じた。

  今回、私は初めて陸前高田市に足を運んだ。そして、気づかされた。私は、冒頭に述べた震災を忘れかけた人の一人だったことに。

  7年前、日本を襲った大震災は私たちを絶望へと導き、長い年月をかけて乗り越えた――。そう思ってはいないだろうか? まだ私たちは、それを乗り越えている最中だ。

   「震災で、大切な人を失った人たちがここには大勢いる。ここではそれが普通のこと」。陸前高田市役所の方の言葉は私の心を動かし、想起させる。「一人の日本人として、なにかできることはないか」。現地では、今日も復興活動が進められている。きっと私たちにもできることはあるはずだ。今大会の開催も、多くの関係者のそんな思いから実現された。その思いを記事にのせ、一人でも多くの人に届けることが、そこに居合わせた私の役目に違いない。どんな経緯であれ、この記事を読んだ誰かにその思いがつながることを願ってやまない。
(3月25日/取材・編集=三平敬太)




今大会を共催した立教大学陸前高田サテライトでは、学生と陸前高田市を繋ぐ活動を行っている。
立教大学陸前高田サテライト サイトはこちらから

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