アメリカンフットボール部

〜偉人からの贈り物〜


  山梨県の草原がどこまでも広がる山奥にひっそりと、ある偉人は眠っている。


  名はポール・ラッシュ。1925年、東京大震災で大きな被害を受けた日本へ手を差し伸べるためアメリカから来日し、ミッションスクールである立大で青年に学問を授けた。ポール博士の功績は多々あるが、特筆すべきは日本にアメリカンフットボールを普及させたことだろう。1934年、日米交流のため東京アメリカンフットボール連盟を設立し、アメフトを広めるのに尽力すると日本協会は彼に「日本アメフトの父」の称号を捧げ、現在日本一決定戦であるライスボウルでは最優秀選手へポール・ラッシュ杯を授与している。

  今年6月下旬、博士が晩年愛した清里へ立大アメフト部は恒例の遠征を行った。記念館で彼の
功績を知り、博士の遺骨が埋葬されている教会で次の日に開催されるポールラッシュメモリアルゲームの成功を祈る。そこでは立大と対戦校両者が挨拶をするのだが、毎年対戦校の監督は「一度日本のアメフトの原点である清里に来てみたかった」と話す。現在関東学生アメリカンフットボール連盟に加盟している大学だけでも96校ある。加えて関西もアメフトは盛んであり、大学生にとどまらず社会人や高校生、小中学生にはフラグフットボールという簡易形式のアメフトがプレーされ、日本全国でアメフトが愛されている。今や多くの人々に楽しまれているスポーツ、アメフトに深くかかわった人にとって、清里という場所は聖地となっているのだろう。

  数多くの日本人たちが、アメリカンフットボールを通じて成長したり、感動したり、友情を育んだり、アメフトに生かされていたりする。震災復興と日米交流を願ってラッシュ博士が普及させたアメフトはもはや大勢の日本人に欠かせないスポーツとなっている。
  生前のポール・ラッシュをよく知る武藤チームチャプレンは博士の眠る教会で両校にこう言った。「ラッシュさんは若者たちがこの清里の地でフットボールをする姿を見て、きっと天国で喜んでいるでしょう」。
(7月13日・山崎翔太)





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