京浜急行線第二事件



1.事件の概要
  事件の発生は2004年10月18日の月曜日でした。この日の朝、私は通勤のため、京浜
急行線の金沢文庫駅から特急電車に乗りました。横浜駅で降車客の流れに従い一旦下車
し、再び乗車した際、私の後から女子高生2名が乗車してきました。一人(本件の自称
被害者)は私の右前方、もう一人は私の左前方に立っていました。
  電車があと2〜3分で京急川崎駅に到着する頃、私は突然、自称被害者に右手首を
強く掴まれ、持ち上げられて痴漢呼ばわりされたのですが、私は犯行を否認して激しい
言い争いになりました。自称被害者は短縮ダイヤルで携帯電話をかけ、痴漢被害にあっ
たことを訴えていたのですが、おそらく駅への通報だったのでしょう。京急川崎駅到着
後、私はホームで待ち構えていた駅員に取り囲まれ、大勢の乗客が見る中を犯罪者のよ
うに連行されました。その後は他の事件同様、駅事務室で言い分を聞かれることもなく、
パトカーで川崎警察署に連行され、保釈が認められた11月10日まで勾留されました。

2.自称被害者の主張
  警察・検察での取調べでも、私は無実を主張し続けました。一方、自称被害者は、
私がスカートの上から手の甲で陰部を押した後、掌を返して陰部を指で触ったと主張し
ていました。しかし、裁判が進むうちに、その主張に多くの疑問点が浮かび上がってき
たのです。

自称被害者は、
(1) 痴漢行為を確認するために自分の陰部付近を見ておらず、「触っているところをつ
かまえたから」ということを犯人特定の根拠としていました。しかし、事件直後に作成
された「現行犯人逮捕手続書」では、「逮捕者は犯人を確認するため、下を見ると緑色
の鞄を持った右手が見え陰部を触っていることから被疑者の緑色鞄を所持した右手を掴
み・・・」となっており、主張の変遷が見られました。
(2) 痴漢行為を知覚する前から、私に対して「嫌な感じがした」「痴漢されなきゃいい
が」などという予断と偏見を持っていたことを認めており、思い込みで最初から私を犯
人と決め付けていた疑いがありました。
(3) 自分の左手で、私の右手の脈を見る側(掌側)をつかんだと証言したのですが、こ
れは「陰部付近を見ていない」という自らの証言と矛盾していました。
(4) 私の右手を持ち上げて痴漢呼ばわりしたのですが、この時、私の手の甲は体の外側
(自称被害者の側)を向いていました。これは検察側証人であるもう一人の女子高生の
証言でも裏付けられていたのですが、検証の結果、そのように手が上がるためには、最
初に手をつかまれた時に手の甲が外側を向いていなければならないことが判明しました。
すなわち、もし自称被害者が私の「脈を見る側」をつかんでいたのであれば、甲が外側
を向いた状態で手が上がることは有り得なかったのです。

3.裁判の経過
  横浜地裁・川崎支部で行われた一審では、上記の疑問点や矛盾に対する攻撃を中心
に据えて戦いました。上記(4)に関して検察側証人から決定的に有利な証言を引き出
すことにも成功したのですが、事件から約1年半後の2006年5月18日、懲役4月・執行猶
予3年の有罪判決が下されました。
  判決は、自称被害者証言の矛盾や曖昧さを正面から検証することなく、「被害者の
供述する内容は極めて具体的・詳細で・・・合理的で迫真性にも富んでいる。」という、
この種の不当判決における常套句に逃げ込む一方、当方に有利である検察側証人の証言
についても、自称被害者の供述と「基本的に一致している。」と強引な評価を導いてお
り、論理性や説得力には全く欠けるものでした。
  もちろん控訴しましたが、東京高裁では実質的な公判は1回しか行われず、2006年11
月13日に控訴棄却。2007年2月20日には一片の紙切れにより上告棄却が通知され、不当
判決が確定しました。

4.事件を振り返って
  この事件により、周囲の人々、とりわけ妻に、多大なる心労を与えてしまいました。
当時の勤務先は退職せざるを得ず、精神的にも経済的にも大きなダメージを受けました。
現在は悔しい気持ちを引きずりつつも、何とか生活を再建できています。しかし、法と
証拠と論理が尊重されるはずの裁判が形骸化し、ご都合主義に支配されていることを知
り、事件のことを思い出すたびに暗澹たる気分になります。
  冤罪事件を取り上げる報道では、警察の不当な捜査に焦点が当たることが多いよう
ですが、冤罪根絶のために最も大きな責任を負っているのは裁判所ではないかと思いま
す。今後、裁判の実態に対する社会的な問題意識が高まることを願ってやみません。
STOP!痴漢えん罪!

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