山手線事件



判決公判傍聴記録

2001年3月5日。それは起こった。 いつものように朝早く家を出た。 昨日、一昨日とひなまつりで雛人形を飾り、娘の初節句を祝ったので、そんな楽し かった余韻を残しながら満員電車に乗り込み会社へと向かった。 乗り換えの山手線はいつもより混んでいるように思えた。階段の近くは異常に混んで いたので、あまり並んでいないキヨスクの前を選んだ。しかし乗り込んでみると、結 局は後から後から人が乗ってくるのでぎゅうぎゅう詰めになった。秋葉原でかなりの 人が降りたので少しほっとしたが、それも束も間。東京駅でどっと人が乗ってきて奥 まで押される羽目になる。新橋駅を過ぎたあたりで、前にいる女性の臀部に自分の手 が挟まってしまった。その手を抜こうとして、少し動かしたが、これでは女性に不快 を与えてしまうことは間違いないので抜くことをあきらめた。不快を与えてしまうど ころか痴漢に間違われてしまうことを恐れていた。もうすでに痴漢に思われてしまっ ているのではないかとまで考えた。急に恐くなった。浜松町でどっと人が降り始めた ので、その流れに任せて自分も降りた。痴漢に間違われてしまっているのではないか という思いがぬぐいきれぬまま、そのとき咄嗟に後ろの車両に移ろうと思い、その方 向へ歩いていった。一つ後ろの車両のドアがまだ開いていたので、そこから乗ろうと 思った瞬間、後ろから見ず知らずの男に左腕を捕まえられた。どんなことを言ってい たのか憶えていないが、強い力で捕まえられたまま階段の近くまでくると駅員がい て、その駅員にも押さえられ一緒に駅事務所まで連れて行かれた。あえて抵抗はしな かった。確かに前にいた女性に不快を与えてしまったかもしれないけど、痴漢行為な どはしていない。何も悪い事はしていないのだから話せば分かってくれるだろうと 思っていた。あとから被害者らしき女性も来た。女子高生だった。駅員が差し出した 紙切れに住所と名前を書いていると、私を捕まえた男が「二十歳前半か?」と聞いて きたが、あえてそれには答えず紙に生年月日を記入すると、その男は「なんだよ、俺 とタメじゃん」と言ってきた。随分老けた野郎だと思った。しばらくすると警察官が 数人やってきて一緒に駅事務室を出ると、そのまま浜松町駅の改札を出た。すると目 の前にパトカーが止まっていた。それに乗り込んだ。私は逮捕されたのか? パトカーが発車してすぐ私は携帯で妻に「痴漢に間違えられた」と伝え、また後で連 絡するからと電話を切った。 間もなく愛宕警察署に着くと、小汚い事務所の中を通り過ぎ、狭い取調室のような部 屋に入れられ、奥の椅子に座らされた。刑事が前に座った。ここからが恐怖の始まり だった。 いきなり私を頭ごなしに犯人扱いをし始めたのだった。 「お前はやったんだろ!」「やったような顔してるんだよ!」「俺は長年の経験で一 目見れば、やったかやってないかくらい分かるんだよ!」 どのくらい時間が続いたのだろう。 その部屋から出ると、今度は別の部屋に入れられた。さっきの部屋とは違い、いかに も取調室という感じだった。 仕事のことが気になっていたので、会社に電話する許可をもらい携帯で連絡をとっ た。さっき妻に電話したことと同じことを上司に伝えた。 そこでもまた5、6人の刑事が入れ替わり立ち代り、私を頭ごなしに犯人扱いをしだ した。午前中そんなことを繰り返され、意識が朦朧としてきた。私をあきらめさせる 気でいるらしい。昼になって昼食の弁当を出されたがほとんど口にすることは出来な かった。 午後も延々そんなことが続いた。 写真を撮られたり、指紋をとられたりもした。 指に薬品らしきものを付けられ、指先をビニールにかぶせマジックで爪のあとをな ぞっていた。小さな布を舌に湿らせて、それを小さなビニール袋に入れていた。 なんていうこりにこった警察の自白大作戦は見事失敗に終わった。 それでも絶望感を味わったことにかわりはない。 罪名は強制わいせつ。 手錠をされ、ロープを腰に回されると「これからどこ行くか分かってるな!」と言わ れた。分かるわけねぇだろ。 刑事二人と私と三人で車に乗った。もう外はほとんど暗かった。いったいどこ行くん だ? 手錠をされたまま車に乗っている。まったく信じられない。悪い夢でも見ているのか ? 長時間に渡る取調べで完全に疲れきっている私はそんなことを考えずにはいられ なかった。 どこに向かっているのか分からない車の中で刑事二人はのんきに雑談を交わしてい る。普通のサラリーマンが世間話をしてるようなもんだ。特別やることのない私はそ んな会話を聞いているしかなかった。途中、妻に頼まれていた母宛の写真入り封筒を 刑事さんに投函してもらった。すると相棒らしき刑事が「優しい刑事さんだろ」と 言った。 しかし、そんな"優しい刑事さん"は雑談の中で、今後忘れることのできないとても不 愉快な言葉を吐いた。 「アキラって名前はろくなヤツいねぇな!」 まるで全国の犯罪者リストにアキラという名前がダントツにトップを飾っているかの ような話し方だった。 後に中川弁護士は、すぐにこの"優しい刑事さん"に対して、このような発言は断固や めるよう注意したところ、同人もその発言を認めた。 一行がたどり着いた場所は牛込警察署。 地下の駐車場から中へ入り、階段を上っていく。二人の刑事は初めて来たのか、どこ へ言ったらいいのか迷っている様子だった。 汚れひとつない、まだ新しい建物のようだった。 何階まで上ったのか分からなかったが、やがて目的地の階にたどり着き、扉が開いて 一行は中へ通された。数人の警察官が、待ってましたと言わんばかりに私をじっと見 据えている。奥へいくと、もうひとつ扉があった。さっきの扉よりもかなり頑丈そう だ。その扉に付いている小さな四角い窓を見て初めて鳥肌が立ったのを今でもよく憶 えている。 その中は留置場だった。 手錠を外され、その扉の中へと入っていく。 最初は狭い部屋の中に入った。机がひとつ置いてある。その中に警察官4、5人はい たような気がする。その警察官のことをここでは担当さんと呼ぶ。 そこでは荷物検査や身体検査が行われた。パンツ一丁になり、身長、体重を計り、身 体全体の傷のある場所までチェックされた。 留置場に入る前に私が一番気にしていたことを担当さんに質問した。 「ここでイジメとかあるんですか?」 すると「それは無いよ、大丈夫」と答えた。 そして、その部屋から出て廊下を歩いているとすぐに留置場の前に着いた。 房の中に数人の人が見えた。その前を通ると… 「よう!何やったんだ?」 「婦女暴行か?(腰を卑猥にフリながら)」 なるべく目を合わせないように担当さんについていった。 房…房…房…と通りすぎる。やがて一番奥にたどり着いた。房の正面にロッカーが壁 際に据えてあった。そのロッカーに自分の荷物を収めた。 そして、担当さんがその一番奥の房の扉をあける。「ガチャガチャ」と嫌な音が廊下 に響き渡った。扉の上のプレートには"第9留置室"とあった。「9」嫌な数字だ。正 に「急」な出来事だ。 恐る恐る中へ入った。 部屋の広さは、約7畳くらいで奥には壁沿いにコンクリートで囲まれて小さな窓ガラ スがついているトイレがあった。 こんな狭いところで、まさかこれから約50日間も勾留されるとは思いもよらなかっ た。 そういえば、担当さんから「夕飯は?」と聞かれて「食べてません」と答えると、そ の担当さんが"優しい刑事さん"に電話して注意したらしい。それにしてもよく注意さ れる"優しい刑事さん"だこと。 その注意されたことが効いたのか、後の二回目の調べの時は、妙に優しい口調だっ た。しつこいようだが"優しい刑事さん"はそうでなきゃ。しかし、自白を強要したこ とに変わりはない。そんな刑事さんは新しい作戦にでた。 「おまえの娘が将来こんなことされて、その犯人が否認したらどんな気持ちになると 思うんだ?」 「…はい、そうですね…絶対許せませんよ…(泣)…す、すいません…わ、私が…や りました(号泣)」なんて刑事さんが期待していたことを私が言っていれば、カツ丼 くらい出してくれたかもしれませんね。 数日後に地検調べがあり、そこでもひどいことを言われた。"優しい刑事さん"の侮辱 的発言に続く第二弾である。 中川弁護士はこの検察官に対しても、警察によるこの発言を明らかにして、このよう な発言を止めるよう指示して欲しいと申し入れたところ「取調べのやり方には人それ ぞれいろんなやり方がありますから、注意しようとも思いません。違法だと思うんで したら国賠でもやったらどうですか」と答え、"ろくなヤツ発言"を容認した。再度の 中川弁護士の要請により、最終的には注意すること自体は約束したものの、その後実 際に注意したかどうかは定かではない。 それどころか、この検察官自身も、頭ごなしに私を犯人と決めつけ、自白を強要し た。 そして、とても信じられないことを言われた。…では、勇気をもって入力しよう。 「"オ○○コ"に指を入れたんだろうが!」 一度ではない…何度も何度も… そのような育ちのいい、立派な教育を受けてきたであろう検察官から、逮捕後10日目 で起訴された。 公訴事実 被告人は、平成13年3月5日午前8時26分ころから同日午前8時32分ころまでの間、 東京駅から浜松町駅に至る間を走行中の電車内において、同車に乗車中の○○○に対 し、同女のスカートをまくり上げてそのショーツ内に右手を差し入れ、その陰部に右 手指を挿入するなどし、もって強いてわいせつな行為をしたものである。 (部分省略) そして一回目の保釈請求をし、2日後に却下されたが、決定されたのは、初公判の期 日5月23日だった。あと2ヶ月もここにいるのかと思うと愕然とした…その時は。し かし愕然としたのはそれだけではなかった。 逮捕されてから約50日が経過しようといていた4月25日に東京拘置所への移監が決定 し、26日に移監された。 これから数ヶ月に渡り東京拘置所での厳しい規則の中で生活を強いられるはめにな る…未決なのに全く人権を無視した生活をね。 余談ですが、入管の際にケツに棒を突っ込まれるということを噂ではよく耳にしてい たがそれは無かった。もし突っ込んだら、それこそ強制わいせつだ!(笑)でも、ひ と昔はあったみたいですね。 ●5月23日 初公判 手錠をされて入廷するとたくさんの人が傍聴席にいた。身内を含め、知っている人達 の何人かと目が合う。自分は手錠をされている…なんてザマだ…恥ずかしいったらあ りゃしない。この日は罪状認否。しっかり言えたかどうか…今では記憶が薄れていま す。 ●7月3日 2回目の保釈請求却下通知が届く。 風邪をひいてしまった。この日から次回公判まで、鼻水ズルズルして耳が詰まり、身 体はだるく頭がボーッとする状態が続いた。 ●7月23日 第2回公判 検察側の証人尋問(被害者) 当初は7月13日(おいおい俺の誕生日じゃねーか)だったのに、被害者の都合で変更に なった(どうやらすてきな夏休みにしたかったらしい)。 息子、娘が来ていました。裁判所であろうがかまうもんか! 久しぶりに見る息子と娘の元気な姿をずっと見つめて涙が止まらなかった。 ●8月3日 第3回公判 弁護側の反対尋問 この日は一番大事だと言われたので心を一つに集中しました。そのため傍聴席の方に はほとんど振り向かないようにしました。といっても成功したかどうかは傍聴に来て くれた人達に聞いてみないと分からない。でも、さすがに気になったので、目だけは 動かしてました…と正直に認めておこう。 入廷前の刑務官(東拘では先生と呼ぶ)との会話 刑「何やったの?」 私「え?…あ…痴漢に…」 刑(体がのける)「何線?」 私「山手線ですが…やってないので否認しています」 刑「そうか〜、無罪争うのか…長くなるな」 私「…はい」 閉廷後、エレベーター内部での会話  刑「○○(私の名前)!」  私「はい!」  刑「どうだった?」  私「…ええ…なんとか」  刑「ったくな〜痴漢くらいで捕まえなくてもな〜」  私「…あ…はあ…」 待合室の前で、私の身体を点検し手錠を外しながらの会話(前と別の刑務官) 刑「あの女の言う事あいまいだよな〜」  私「…あ…はい…」 東京拘置所に着いて、房まで向かう間の歩きながらの会話(前と別の刑務官)  刑「どうだった?」  私「はい…何とか…大丈夫そうです…」  刑「あいまい?」  私「え?」  刑「あいまいだった?」  私「はあ…そうですね」  刑「無罪か?」  私「…あ…はあ」  刑「弁護士代ぐらい取らねぇとなぁ」  私「はい」 ●8月4日 3回目の保釈請求却下通知が届く。 ●9月3日 第4回公判 検察側 証人尋問 鼻をかいたり、手にもっているちり紙をいじりながらビンボーゆすりしたり、エアコ ンきいてて涼しいはずなのに耳を真っ赤にしている私を捕まえた証人さん。 裁判官「ちょっと語尾が聞こえなかったので、もう一度言ってください」 裁判官「声が小さいのでハッキリ言ってください」 裁判官「こちらを向いて言うようにしてください」 ほんとうはオマエがやったんだろ! ●9月4日 4回目の保釈請求却下通知が届く。 ●9月12日 田島先生との面会にて これまでの公判で感じたことを述べた。 ・被害者と証人男の言っていた服装がダウンジャケットであった点。  私の着ていたのはハーフコートである。 ・カバンの持ち方。証人男の調書では左右どちらか。口では左。  残念でした。右が正解である。 ・一番最初に書いた乗車位置の違い。彼らは車両の後部。  私が乗っていたのは車両の中間である。 つまり、人違いではないかと思った。 ●9月21日 第5回公判 弁護側の反対尋問 入廷前の刑務官との会話  刑「1231番!」  私「はい!」  刑「名前は?」  私「○○です!」  刑「あれ?…知ってるなぁ」  私「はい! 僕も先生知ってます」  刑「何線だっけ?」  私「山手線です」  刑「あ〜そうだそうだ。最近すごい多いんだよな〜」  私「あ〜そうですか〜」  刑「長くかかる?」  私「1時間くらいです」 この刑務官は着席前、後ろからそっと「落ち着いてな。気を楽にしていいから」と 言ってきた。 裁判官「あの〜証人? もっと大きな声で話してください」 今日は鼻ではなく、頭が痒いらしい。 そしてある質問に対して 「え〜っと…それは…(かくかくしかじかで)…え〜質問何でしたっけ?」 その瞬間、傍聴席からどよめきか聞こえた。私はおもいっきりずっこけてみたかっ た。 やっぱりオマエか? 閉廷後、エレベーター内部での会話  刑「(証人男と)同じ歳なの?」(ビックリした様子で)  私「はい、そのようですね」  刑「ずいんぶんハッキリしねぇヤツだったなぁ」   「メガネかけてたの?」  私「はい」  刑「お前、浅黒いかなぁ??」(首をかしげる) ●10月3日 5回目の保釈請求で、保釈の許可が下された。 この日の午後3時半頃、夕食の支度途中に、突然房の扉が開いた。 正担先生(初犯房の一番偉い刑務官)が私の顔をじっと見据えて、 私の名前を呼び「保釈だ!」と言った。 私は否認していると保釈されないという事が頭からずっと離れなくて、正直言って私 自身あきらめていたそんな矢先だったので、私は正担先生の言葉が一瞬信じらなかっ た。その時、同房の仲間は「良かったな! 良かったな!」と言いながら私によって たかって抱きついたり、背中をたたいたり、さすったりしてきた。 "保釈"その言葉で固まってしまった私の姿を見た正担先生は優しくこう言った「メシ 食ってくか?」。私はまだ信じられず、かすれた声で「はい」と答えた。そして身体 が震え始めてきた。震える手で最後の食事をしながら、お世話になった同房の人達に 別れの挨拶をしていたが、途中で迎えが来たので、すぐに荷物をまとめて房をあとに した。 東京拘置所の出口付近に着くと、私の父親が落ち着かない様子で救援会の人と一緒に 迎えてくれました。 そして、門の方を見ると息子が全速力で走って来るのが見えた。 私の方に走って来る・・・私は胸が苦しくなり、身体が震え、涙が溢れてきた。 息子は勢い良く私の体に飛びつき、力強くしがみついてきた。私は震えが止まらない 身体で息子をきつく抱きしめた。私が拘束されている間に、息子は小学3年生になっ た・・・どうりで力が強いわけだ。私はかすれた小さな声で「ごめんね・・・ごめんね ・・・」としか言えなかったが、言葉なんてもうどうでもいいと思った。こうしている だけで十分だった。すると間もなく妻が娘を抱いて私と息子のそばにきた。私は涙を 拭い、娘を抱き上げた・・・ずいぶん重くなった。体つきもしっかりしており、可愛く てとても元気でだった。 約7ヶ月ぶりに家族4人が揃った。 もっと長く拘束されている人はたくさんいたが、無実を訴えている私にとって、7ヶ 月はとても長かった。 保釈許可決定の指定条件の中に、山手線を利用してはならないとあるが、隣を走行し ている京浜東北線を利用してはいけないとはいっていない。いったいどんな差がある のだろう。 ●10月22日 第6回公判 被告人質問 冒頭陳述の一部分 一 被告人の弁解について 2 被告人は、上野駅で本件電車に乗車した後、進行方向左側のドア付近に乗車して いたが、東京駅で後方から押されるようにして進行方向右側ドア付近に立つように なった。しかし、東京駅以降も、被告人が立っていたのは、A証人(被害者)やB証 人(男)が乗車していたと証言する車両最後部のドア付近ではなく、車両の中ほどの ドア付近であった。 3 当時の被告人の服装は、ハーフコートであるが、ダウンジャケットではなく、黒 色布製のショルダーバックを右肩から掛けて左腰の側にまわし、左手で押さえてい た。 4 被告人は、新橋駅以降、右手の甲の部分が前に立っている女性の臀部に触れてし まい、手を抜こうとしてもぞもぞ動かしたが、なかなか抜けなかった。 5 そのようなことをしていたため、前の女性に痴漢と思われるのではないかと心配 になり、別の車両に移ろうと考え、浜松町駅で下車した。そこでB証人に痴漢である と決め付けられて逮捕されてしまった。 6 しかし、被告人は、犯行を一貫して否認しており、その供述内容は終始一貫して いる。 二 被告人と犯人の同一性について 1 被告人が、本件電車に乗車していたことは事実であるが、被告人は、証人Aの後 ろ、証人Bの前に立っていた男とは別人である可能性が十分にある。  被告人は、A証人の後ろ、B証人の前に立っていたという認識・記憶はなかったの であるが、本件電車に乗車中、「右手が前に立っている女性の臀部に触れてしまい、 手を抜こうとしてもぞもぞ動かした」という事実があったため、前の女性から痴漢と 間違えられたのではないかと考えていた。  しかし、車内における位置、服装、カバンの持ち方などの点で、A証人、B証人の 前に立っていた男とは別人である可能性が十分にある。  被告人の車内における位置、服装、カバンの持ち方などの供述は、捜査段階から一 貫している。ただ、被告人も、前述の事情により、前の女性から痴漢と間違えられた のではないかという気持ちがあったため、A証人の後ろに立っていたこと自体は間違 いないと思い込み、そのように供述していたのであるが、A証人、B証人の証言を聞 いて、自己の認識との相違に気がついたのであって、被告人の供述に変遷があるわけ ではない。 2 仮に被告人が、A証人の後ろに立っていた男と同一人物であるとしても、A証人 に対して痴漢行為を行った人物は、別の人物である可能性がある。A証人の供述によ れば、痴漢行為は、後方から行われたものであるところ、被告人がA証人の後ろに 立っていたとしても、後方には左方向も右方向もあり、被告人、A証人の供述から は、必ずしも、被告人が痴漢行為の犯人であると特定できるわけではない。  仮に被告人が、A証人の後ろに立っていた男と同一人物であるとしても、被告人が A証人のいた進行方向右側ドア付近に立つようになったのは、東京駅以降であり、そ れ以前は、進行方向左側のドア付近に乗車していたのである。  したがって、A証人の供述する、上野駅から秋葉原駅までの間に痴漢行為を行った 者は、明らかに被告人とは別の人間であり、その男が、東京駅浜松町駅間にも被告人 の左右いずれかに立っていて痴漢行為を行った可能性がある。 三 被害の誇張の可能性について 1 仮に被告人が、A証人の後ろに立っていた男と同一人物であるとしても、A証人 が、東京駅浜松町駅間において、被告人の右手がA証人の臀部に触れてしまい、手を 抜こうとしてもぞもぞ動かしたという事実によって、被告人を痴漢と思い込み、その 思い込みに基づいて、被害実態を誇張している可能性がある。 2 特に、A証人は、上野駅から秋葉原駅までの間に痴漢行為に遭って、怒り心頭に 達し、かつ、東京駅浜松町駅間において、被告人の右手がA証人の臀部に触れてしま い、手を抜こうとしてもぞもぞ動かしたという事実によって、また同じ人間が痴漢を していると思い込み、その思い込みに基づいて、被害実態を誇張している可能性があ る。 3 A証人が被害実態を誇張している可能性は、A証人の証言どおりの犯行を再現し ようとしてみると、これを行うことが不可能ないし非常に困難であること、仮にそれ に近い行為を行うことが可能であったとしても、B証人やその他乗客にとって、あま りにも歴然と痴漢行為をしていることがわかってしまうこと、A証人が証言するほど 過酷なわいせつ行為をされ、かつ、後ろの男性から離れたところに移る機会が十分に あったのに、後ろの男性から離れたところに移ろうとしていないことなどから推測さ れる。 以上 A証人は上野駅から秋葉原駅まで痴漢に遭っていたにも関わらず、秋葉原でいったん 降りて、また同じ車両に乗り込み、同じ乗車位置にいたらしい。犯人はA証人と同じ 行動をとったらしいが私は秋葉原駅では降りていない。 A証人はその後の秋葉原駅から東京駅までは痴漢はされていなかったとも証言した。 しかし、B証人は秋葉原駅から東京駅までも痴漢行為をしていたと証言した。つまり B証人は、上野駅から浜松町駅までずっと痴漢をしていたと言っていることになる。 この日、私の着ていたハーフコートとジーパンとカバンを証拠提出した。 それから、A証人がされた痴漢行為は不可能であるという実験で、妻をモデルにした 被害状況の写真撮影報告書を提出。 被告人質問では、すごく緊張していたので、うまく言えたのかよく憶えていない。 でも、翌日の晩に中川先生から電話があり「少し心配だったんですが、思ったよりう まくいったので良かったですよ」と言ってくれました。 ●11月13日 第7回公判 反対尋問(検察官のイジメ) ハッキリ言って大失敗でした。見事にイジメられた。 あまりの緊張で検察官の質問の意味すら理解できないことが多かった。 私も人のことが言えない。 この日、家に帰ってからも気分が悪かった。 ●12月5日 第8回公判 妻の情状証人 私と違い、いたって冷静。検察官の反対尋問でもたんたんと答えていた。 ●12月25日 クリスマス…あ、いや…第9回公判 論告求刑 求刑は"2年" 検察官よ、なんと素晴らしいクリスマスプレゼントではないか! ●1月16日 第10回公判 最終弁論 田島先生、中川先生の弁論を終えて、私の最後の出番がきました。 裁判官「時間があまりないので、全部読んでもかまいませんが、部分的に読みたいこ とろだけを読んでもかまいません」 そして、以下の文章を読んだのです。  昨年10月3日に保釈の許可を頂いてから、早いもので3ヶ月以上が経ちました。私 はその間、拘置所のとても厳しい規制のもとで、苦しみ、悲しみ、辛さに耐えてきた 約7ヶ月間という長い勾留中の精神的な疲れや体調を整えながら、裁判のことも考 え、早く私の妻、息子、娘に普通の生活をさせたいため、懸命に職探しに明け暮れま した。不況が悪化し続け、就職難という時世の中で、なかなか仕事が見つからず厳し い状況がしばらく続いてしまいましたが、昨年の暮、やっと仕事が見つかりました。 しかし、それだけではとうてい生活が追いついていけないというのが現状で、もう一 つか二つ、日中の仕事を終えてからの夜勤や休日にも仕事をしようと思っておりま す。もう今の私には、休んでいる時間など全く無くなりました。  私は、とにかくやっと仕事が見つかったので、これで今まで長い間、家族に苦労さ せてしまった分を取り戻すために頑張ろうと誓いました。しかし、それでも私は、あ くまで被告人という立場で、保釈されている身分でもあり、自由でいながらも自由で はなく、先々の見えない不安を抱え、苦しいことには変わりありません。私は今、毎 日家族と一緒にいられるだけで気がまぎれていますが、一人で出掛けたりするときな どは、気が小さいせいもあり、いつも不安な気持ちになります。特に電車に乗るとき は、事件のことを思い出さずにはいられず、いまだに恐いです。 私が長い勾留中に考えていたことは、裁判や家族、仕事のことだけでなく、もちろん 事件のことも考えました。電車内で陰部に触れたなどという悪質極まる卑劣で残忍な 行為は、断じて許されるものではないと思います。もしも、私の娘が将来、そのよう な目にあったら、私も犯人に対して厳重な処罰を望むことでしょう。 しかし、私は何も悪い事はしていません。 私が嘘をつく理由はいったいどこにあるのでしょうか? 手が挟まっていたことが、言い訳していると思われているのでしょうか? 痴漢という、あまりに恥ずかしい罪なので認めたくなかったのでしょうか? 認めると、会社がクビになり、更に妻と離婚どころか、家族や親族、周りの友人から 軽蔑され、それらを恐れているからなのでしょうか? 嘘をついて何になるのでしょう。 私はすでに会社をクビになり、更に約7ヶ月間勾留中の家族の生活費や弁護費用の借 金を抱えてしまい、そして今は、家庭崩壊の危機に直面しているのです。 私は嘘をついているのでしょうか? 私は、昨年の3月3日と4日に、娘の初節句を祝い、ホームパーティをしました。そ の翌日の朝に逮捕されたのです。前日の楽しかった余韻がまだ残っていたにもかかわ らず、私は痴漢をしたのでしょうか? 私は、そのすぐ後に予定されていた息子の誕生日に自転車を買ってあげることと娘の 記念すべき1才の誕生日を祝うという一生涯で一番楽しみにしていた私は痴漢をした のでしょうか? 心が幸せに満たされている時に、私は痴漢をしたのでしょうか? 社会的に大問題になっている痴漢行為が多発する現代で、そんなことをすれば、どう なってしまうかくらい、私にも分かります。 私は、嘘でも認めていればよかったのでしょうか? 嘘でも認めて、会社には内緒にしておいたほうがよかったのでしょうか? 嘘でも認めて、示談すればよかったのでしょうか? 嘘でも認めて、謝罪し、反省したふりをしていればよかったのでしょうか? 嘘でも認めていれば、東京拘置所内で実際に私の身に起きた「本当はやったんだろ」 とか「早く認めろよ」などとヤクザから脅されたり、パンツを脱がされたり、ケリを いれられたり、水を引っ掛けられたりする地獄のような日々を連日送る事はなかった のでしょうか? そして、毎日まともに眠れない日々を過ごす事は無かったのでしょうか? 嘘でも認めていれば、私の息子が情緒不安定になり、学校で問題を起こす事は無かっ たのでしょうか? 嘘でも認めていれば、私は娘の成長過程を見守ることができたのでしょうか? 嘘でも認めていれば、私の母が精神的疲労で入院せずに済んだのでしょうか? 嘘でも認めていれば、妻は長い間辛い思いをしないで済んだのでしょうか? 嘘でも認めていれば、全てが早く片付き、私を含め、家族や両親までもが長い間、苦 労を強いられる事はなかったのでしょうか? それでも私は何も悪い事はしていないので、認めるわけにはいきませんでした。 私は、警察署の長時間にわたる取調べにおいても、5〜6人の警察官から入れ替わり 立ち代り私を頭ごなしに嘘つきと決めつけ、指紋をとられたり、写真を撮られたり、 指に薬をかけられたり、指先の形をビニールでとり、マジックで印をつけられたりし ましたが、認めるつもりはありませんでした。 認めている人は、反省しているとして情状酌量の余地が有り、再犯の恐れが無く、執 行猶予にして自由を与え、否認していると、反省していないと思われ、情状酌量の余 地など全く無く、再犯の恐れが有り、実刑となってしまうという話をよく耳にしま す。なぜ、認めれば早く出れて、否認すれば刑務所行きになってしまうのでしょう か。だから、嘘でも認めてしまう人が後をたたないのでしょう。 私はこれから、どれだけ苦しめばいいのでしょうか? 被害者の方やその家族の方は、私がどれだけ苦しめば気が済むのでしょうか?  私が刑務所に行って、もっと苦しめばいいのでしょうか?  私が刑務所に行って、私だけでなく、私のかわいい息子とまだ幼い娘も苦しめば気 が済むのでしょうか? 私が刑務所に行って、残された家族が路頭に迷えばいいのでしょうか?  残された家族は、いったいどうやって生きていけばいいのでしょうか? 私はこれ以上、家族の苦しんでいる姿は見たくはありません。 一生涯家族が苦しみ続け、それを目の当たりにする私が更に苦しむことを望んでいる のでしょうか? 私は、逮捕された直後に、警察から全く人権を無視した、人情のかけらもなく、非人 間的な扱い同様の取調べを受けたことにより、あまりのショックで正気を失い、その 日の夜中、留置場で自殺を図りました。その後の長い勾留中でも、あまりの苦しさに 耐えきれず、何度も自殺を考えたことがあります。そんな時は、いつも家族、友人か らの手紙や面会での励ましに救われてきたのですが、死ぬくらいの勇気や覚悟がある のなら、私はこれからどんなことがあっても家族を幸せにし、守る事ができると確信 しました。それと、私は今まで何のために、長い間拘置所のとても厳しい規制のもと で、無実が晴れることを信じ、苦しみ、悲しみ、辛さに耐えてきたのか分かりませ ん。 あとは判決を残すのみとなりましたが、もし有罪だと、やっと見つけた仕事を再度失 うことになり、約7ヶ月間の勾留中、私の妻が頑張って守ってきたマイホームが今度 こそ無くなってしまい、さらにその後、当然家庭崩壊になり、私の妻、息子、娘は路 頭に迷ってしまうことでしょう。気丈な妻と病弱な母は、もう疲れきっており、限界 を超えております。  事件が起きてから、そろそろ一年が経とうとしている今となっては、今後、有罪に なっても、無罪になっても、今まで失われたものは、もう取り戻す事はできないで しょう。 私から"自由"を奪う事ができても、ひとつだけ誰にも奪う事ができないものがありま す…それは"希望"です。  私は、息子と娘に「もう、いなくなる事はないよ」と約束しました。 一般的に僅かな確率でしかありませんが"無罪"になることを信じて、約束しました。 そう思え、そうできるのも、私は"無実"だからです。  どうか私を信じてください。お願いします。 以 上 そういえば、毎回の公判に、私を捕まえた証人男が傍聴にきていた。 わざわざ平日に会社を休んでまで、何しに来てるんだろう。そんなに気になるのか。 ●3月8日 判決 この日は快晴でした。 私はいつものように早めに家を出て、北松戸駅から千代田線に乗り、日比谷駅に向 かった。日比谷公園の中を歩きながら、ふと「娑婆にいられるのも、あとわずかだ なぁ」なんて変なことを考えている自分に気付き、ハッとした。というのも、三日前 に弁護士から電話があり、「有罪だったら収監されますので、保釈金の用意は大丈夫 ですか?」と聞いてきたのです。かといって保釈に関して、必ずしも許可が下りると は限らないとも。確かに前にも、そんな話は聞いていて、ある程度は覚悟しているつ もりだったがショックを隠しきれなかった。 裁判所の門の前にくると、私は瞬時に両手を合わせ、最後の祈りをした。 開廷時間は11時30分でしたが、少々遅れて開廷した。 私には結構経ったような気がした。 そして、私は裁判官の前に出た。 「主文。被告人を 懲役1年6月、未決勾留日数中130日…」 そうです。実刑判決という最悪の結果となってしまったのです。 しかしこの時、私は思ったほどショックは受けなかった。それどころか、未決通算 130日もくれたのか、と思うほどだった。 判決理由を長々と述べていましたが、全く信じられない内容だった。 被害者と証人男の決定的な食い違いがあるにもかかわらず、そういう事には一切触れ ず、これは信用性が高い、これは信用性に乏しい…などと述べ立てるだけで、当然の ことながら私が犯人だという決定的な証拠は全く存在していない。 閉廷後、弁護士は即私のところへ来て、控訴書類らしきものを出してきた。私はそれ にサインをし、ハンコを押した。 その後、私は2人のスーツを着た地検の人に連れられて、地検の仮留置場へ収監され た。その中で私はソファーに座って、別に読みたくもないマンガ雑誌を意味もなくパ ラパラめくったり、ちょっと腕を組んで居眠りしたり、時々起きてはボーっとしたり の繰り返しだった。そうこうしているうちに4時をまわっていたことに気付き、驚き を隠せなかった。5時になったら東京拘置所に行くことになっているので、時間が気 になってしょうがなかった。 さすがに半分あきらめていた私は、気がつくと「懲役1年6月で…通算130日だか ら…マイナスすると…○ヶ月で、3ピンで…○ヶ月?…」なんて、両手の指を折り曲 げていた自分がいた。 目の前の鉄格子の先は、普通のオフィスでの中。慌しく動いている人、ひっきりなし に電話応対している人、もくもくとパソコンをしている人…なんら一般企業と変わら ない雰囲気だ。話し声もよく聞こえ「○○が保釈…」「保釈金は…○○○万円で…」 などと、今のわたしにとって、とても気になる言葉がよく飛び交っていた。 そして時計が4時半を指した頃、そんな話し声が飛び交っている中で「…○○(私の 名前)…保釈…」?…私は一瞬、耳を疑った。 私をここに連れてきた担当の人が見えて、私のほうに手を向けたかと思うと、チ ラッっと顔を向けるしぐさをした。期待せずにはいられなくなった私は落ち着くこと が出来ず、オフィスの内部をキョロキョロしている始末だった。きっと、そんな姿を 外側から見た地検の人達は、まるで私が涎を垂らしながらエサを待ち望んでいるブタ か何かに見えたことだろう。 扉が開き、さきほどの担当の人が何か書類を持って、私の所に来た。そして私に、保 釈の許可が下りたことを通告し、仮留置場から出ることができた。地検の人を先頭に 廊下を歩きながら、私は信じられない気持ちと同時に、ホッとした気持ちがいっぱい で、息をハアハアしていた。そんな私の姿を目にした地検の人は振り返るなり、そっ と「よかったですね」と言ってきた。 そして、待合室のような所に案内されると、私の父親と救援会の人が待っていた。 地検の外に出ると私は即、携帯電話のスイッチを入れ、保釈金を即入金してくれた母 親に電話をし、お礼を言った。 妻には、これから帰るとだけ伝えて切ったが、その直後、前の会社の同僚の女性から 電話があり、結果を伝えると、電話口で泣きはじめた。同時に私も込み上げてきた が、何とか堪え皆にこの事を伝えてくれるよう、お願いした。 そしてこの度、即控訴と保釈の申請をしてくれた弁護士に電話でお礼を述べ、私は 霞ヶ関をあとにした。 ●6月26日 高裁 第1回公判 この日は雨。 娘を抱いていくのは嬉しい反面、大変だった。ずいぶん重くなった。 傘をさしながら娘を抱いて北松戸駅へ向かった。駅に着いたときはもうヘトヘトだっ た。そんな状態なのに電車は通勤ラッシュアワー。ぎゅうぎゅう詰め。でも娘を抱い ていたのであんな心配は無用だった。次の松戸駅で人がどっと降りたのでドア付近に いた私もいったん降りた。 そして、乗り込もうとしたその時だった。娘を抱いていて下方が見えなかったため、 私の左足がホームと電車の隙間に入って挟まれ、即抜いて車内に乗り込んだが脛を強 く打ち、しかめっ面のままびっこ引いて吊革につかまった。この痛さはハンパじゃな かった。この痛さに耐えながら霞ヶ関まで行ったが、その間に車内がすくことはあっ ても席が空くことはなかった。 裁判所に着き、娘を父親にあずけ、弁護士と打ち合わせをした。 10:20開廷。 証拠として提出したのはダウンジャケットの写真のみ。 被告人質問のあと、裁判官から質問攻めにあった。これは予想外だった。 私の手が挟まっていた状況を細かく質問してきた。 裁判官(立ち上がって)「こうすれば(手が)抜けたんじゃないの?」 なんていうパフォーマンスもあった。 次の文章は、この日に読むために作成したのだが、裁判官が、私が読むことを却下 し、それを上申書として提出するよう言われたものです。 約7ヶ月間の勾留を経てやっと保釈の許可をいただき、自由でいながら自由でない生 活を続けながら、外から裁判を続けてきましたが、今年3月に有罪判決という、とて も残念な結果となってしまいました。 身の潔白を晴らすため、たとえ自分に不利な状況であっても、私は何も悪いことはし ていないのにこのような結果になってしまったことがとても悔しいです。 無実の人間を有罪にするなんて、これほど残酷なことがあるだろうか。 スカートを両手でまくって、更に短パンとショーツの中に両手を交互に入れて、陰部 に指を入れたなんて、はたして電車の中でこんなことができるのでしょうか。 しかもぎゅうぎゅう詰めの満員電車の中です。 仮にぎゅうぎゅう詰めの状態でなかったら、逆にそのような行為をしていたらすごく 目立つどこの騒ぎではないはず。想像できますか? そこまでしてたら、まわりからどう見えると思いますか? その場で手を押さえるなどしていれば、きっと真犯人が捕まったことでしょう。 私は捕まえられたとき、話せば分かってくれると思っていました。 だから逃げなかった。抵抗もしなかった。素直に駅員室にも行った。 もちろん妻や会社にも隠すつもりはなかった。隠す必要はないでしょう。 警察署の調べのとき、自分の手が挟まっていたことで相手が不快に思っていたのなら ば申し訳ないと謝りました。わざとやったわけではないけど、そのときはそれが痴漢 と思われるのであるならばしかたがないとも思いました。現にその場から離れようと 思ったのは確かですから。 しかし、毎日満員電車に乗っていれば、このようなことが起こっても何ら不思議では ありません。 手が前の人の臀部に挟まることもあれば、肘が胸にあたってしまったりとか、正面同 士でぴったりくっついてしまったりとか。 痴漢に間違えられないためには、女性の近くに寄らないよう気をつければいいとは思 いますが、途中の駅の乗り降り等でどうしても避けられなくなるときもあるでしょ う。 今、本当に痴漢をする人間がますます増えているから、冤罪も増えるのでしょう。 私は拘置所の中で、本当に痴漢をした人と数人出会ったことがありました。 みんな前科前歴がありました。もちろん同じ罪で。 本当にする人間は繰り返しているようです。執行猶予中だったり保釈中だったりと。 私の事件に関して言えば、前科前歴の無い初めての人間がそこまでやれるわけがない とみんな口を揃えて言ってました。 私は今保釈中の身分で、保釈されてから8ヶ月以上経ちましたが、当たり前ですがも ちろんその間は静かにしてきましたし、もう二度とこんな目には会いたくはないと、 電車に乗るときは常に気をつけています。 女性を避けることはもちろんのこと、電車に乗ることさえ今でも怖いくらいです。 そんな精神状態の中でも私は裁判のこと、一審の判決に対しても考えています。 私を捕まえた人は、近くで長い間見ていたわりには、特徴がメガネとダウンジャケッ トだけで、私がどういう顔をしていて、どういう髪型をしていたのかという一番重要 だと思われる特徴を述べていないようです。それに捕まった直後に駅員室で私に「20 代前半くらいか?」と聞かれて、私が出された紙に生年月日を記入すると、それを見 た彼は「なんだよ俺とためじゃねーか」と言ってたのです。それなのに彼の調書には 私の年齢が30歳くらいとなっていたのはとても不思議に思いました。実年齢が分かっ たからそのような記載になったのでしょう。 ずいぶん都合のいいように書かれているのだと思いました。 警察の取調べではパソコン等の機器は全く使っていなく、手書きだけでした。 検察庁では警察と違って全然雰囲気も違うし、かたいし、机大きいし、検察官も体大 きいし、秘書みたいな人が横にいたりしたので、緊張するなというほうが無理な話で しょう。 そんな状態のまま最終的に私の目の前に紙とペンを出されては、いかにも書けと言っ てるようなものと判断してしまいます。 あのような雰囲気ですと誰だって書くのが義務だか儀式だとか思い込んでしまいま す。 書かないと怒られるんじゃないかとか、不利になってしまうんじゃないかとか、あの 場で冷静に「書きません」とか言えるわけがありません。 警察も検察も調べが終われば「ここに署名して」「ここに指印して」とか言うだけ で、なにもかもが初めてのことだから、なにをやられても緊張しっぱなしでしたし、 冷静でいられるわけがありません。それが普通の心境だと思いますが。 緊張といえば、人間は極度に緊張するとどういう状態になるか知っていますか? ステージで歌っている人が急に頭の中が真っ白になって歌詞を忘れてしまうことがあ ります。 裁判ではこんなものではありません。 あまりの緊張で質問の意味すら理解できなくなるときがあります。 自分の人生がかかっているのです。 死ぬか生きるかといっても過言ではありません。 緊張しているだけで私の言葉の信用性が失われてしまうようですね。 人権だけでなく私の人間性までもが無視されているように思えてなりません。 私は幸せでした。 しかし残念ながら、 今年の4月12日、離婚することに至ってしまいました。 幸せだった家庭が崩壊したのです。 夢も希望もなくなったのです。 これが有罪判決がもたらした結果です。 妻の精神状態は限界を超えてしまったのです。 私は今でも気が狂いそうになるときがあります。 外にいても、こんなにも苦しい目に合うとは思ってもいませんでした。 私は離婚して家族と離れ離れになるまでは、子供達の面倒で気が紛れていました。 だから正気でいられた。普通でいられた。幸せをかみしめていた。 しかし今はどうですか。 孤独です。 一人になって、日々色々考え込むことが多くなりました。 何もかも忘れてしまいたいと。 現実と向き合うのが怖くてたまらないときがあります。 判決の中で「これまで社会人として真面目に稼動していたもので、前科前歴はないこ と。本件の身柄拘束により職を失うに至っており、社会的制裁を受けた・・・」とあ りましたが、妻、息子、娘、マイホームをかかえているのですから、今まで社会人と して真面目に働いてきたのは当たり前のことだと思います。 私は前科前歴がないのも当然であり、ましてこのような事件では前科前歴のある人間 しかやれないのではないかと思います。被害者の言っている被害状況が本当なら、今 まで数多く痴漢行為をこなしてきている人ではないかとしか思えません。それだって 不思議なくらいです。 身柄拘束により職を失うに至ったとありますが、こんな恥ずかしい罪を着せられてし まえば、拘束されたされないに関わらず、どっちにしろ元の職場には戻れないし、普 通は即解雇を言い渡されるでしょう。 私の人生だけが狂ったのではありません。 妻の人生 息子の人生 娘の人生 母親の人生 父親の人生 兄の人生 結審の日、私が最後に言った言葉はなんだったのでしょうか。 あの内容はとても深刻な状況を伝えてあるはずです。 今現在は、もっと深刻になってしまったのは言うまでもないでしょう。 あえて言うなら 離婚して妻と公証役場にて今後の住宅ローン、生活費、養育費等を支払う約束をしま した。 しかしながら状況が状況。裁判中であり、借金を抱えている上に仕事も見つかりませ ん。 妻が夜バイトでその間家にいなかったせいで、以前のように息子がまた変になったよ うです。それを感じたとった妻は夜バイトを辞めて、昼のバイトに変えたそうです。 息子を野球チームにも入れたそうです。 今は最愛の息子と娘にはお父さんがいません。 この現実分かりますか? このままではまともに育つことはないでしょう。 いや、常識から考えて育つわけありません。 そう思いませんか? 普通の人は思うでしょう。 子を持つ親なら分かってくれることでしょう。 人間の心を持つなら分かってくれるはずです。 私は家族と離れ、今は母方の祖母の家に住ませてもらっています。 家賃が払えないので、住ませてもらうかわりに面倒を看ることになったのです。 86歳の祖母はもう一人で歩けない状態になりました。 一人暮らしは不可能になりました。 祖母を看ながら仕事を探しているので困難が続いています。 近くに母親が住んでいますが、いつも具合が悪く、更年期障害のため祖母の面倒を看 るのがままならない状況です。 6月13日、祖母が出先で具合が悪くなり入院しました。しかし翌日、本人が体調が良 くなったと退院しましたが、その日の夜中、突然鼻血が大量に出てしまい、私は即救 急車を呼んで一緒に病院に行きました。その後も通院が続いています。 大変なので今度、車椅子を借りることにしました。 もしも私が有罪になったらどうなるのでしょうか。 私が刑務所に行ってしまったらどうなるのでしょうか。 あまりに残酷だと思いませんか? これが人間の下す判決だとは到底思えません。 有罪になれば 痴漢の妻 痴漢の息子 痴漢の娘 痴漢の父親 痴漢の母親 痴漢の兄 痴漢の祖母 痴漢の友達 痴漢の恋人 私に関わる人間はすべてにおいて痴漢の誰でありつづけるのです。 無実なのに一生涯背負っていかなければならないのです。 犯罪者の父親を持った子供達のことを考えたことがありますか? 一生ついてまわるのです。 私は無罪になっても、もう失ったものは取り戻せません。 あまりに失ったものが多く、大きすぎます。 かといって無罪になっても、被害者の方や私を捕まえた方に対して、恨んだりするつ もりもありません。もちろん損害賠償請求などするつもりもありません。 罪を憎んで、人を憎まず 私は潔白が晴れることを願っているのです。 私はやってもいないことを認めるわけにはいきません。 誓って私は嘘などついておりません。 私は無実です。 以上 残念ながらこの日で結審となってしまいました。 次回判決 8月26日 PM1:20〜 東京高等裁判所 第1刑事部 第720号法廷 弁護士 中川達也 田島 浩 2003年3月15日上告棄却。残念ながら収監されることになりました。 以上

STOP!痴漢えん罪!

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