痴漢冤罪事件と刑事訴訟法の解釈・運用


『痴漢冤罪の弁護』(現代人文社)所収予定

痴漢冤罪事件と刑事訴訟法の解釈・運用 
             立教大学教授  荒 木 伸 怡
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1 はじめに
2 捜査の手抜きは許されない
3 事案の真相を解明せよ
4 被疑者と犯人の同一性確認を確実に
5 取調べをしない逮捕・勾留
6 第一回公判期日に向けて
7 控訴審のあるべき姿
8 上告審のあるべき姿
9 供述証拠と非供述証拠について
10 おわりに

1 はじめに
 痴漢冤罪事件は冤罪事件の一種であり、他の冤罪事件と共通に論じうる部分と、痴漢冤
罪事件固有に論じるべき部分とを有している。まず共通に論じうる部分について、刑事裁
判は神ならぬ人が運営するものである以上、冤罪・誤判の発生は不可避である。それ故、
冤罪・誤判の救済制度である再審の門を広く運用することがその救済のために必要である
ものの、他方で冤罪・誤判を生じにくい法解釈・法運用を行い、冤罪・誤判の発生を予防
することが必要不可欠である。次に痴漢冤罪事件固有に論じるべき部分について、冤罪・
誤判を生じにくい法解釈・法運用が行われていないという、他の冤罪・誤判事件と共通で
あり、かつ、それが先鋭化して現れるという問題点と、犯罪行為そのものが行われておら
ず(自称)被害者の虚偽申告であるにもかかわらず、その申告通りに事実認定されてしま
っている事案が少なくないという、他の冤罪・誤判事件とは異なる問題点とがある。
 殺人事件や強盗殺人事件など重大事件の冤罪・誤判と比較すれば、条例違反や強制猥褻
罪である痴漢事件の冤罪・誤判は、極端に重い刑罰を科される訳ではない。しかし、突然
に見知らぬ女性から痴漢だと名指しされて逮捕され、身に覚えがないと否認し続けている
ことを理由に、長期間未決勾留された上に、初犯であるのに懲役刑の実刑を科されており
、「改悛の情」がないので仮釈放されていない現状が本人と家族に及ぼす悪影響は、凶悪
事件の冤罪・誤判と同様に甚大である。しかも、男性であれば誰もが突然に襲われうる人
災であり、市民生活の安全を守る筈の刑事司法制度の現在の運用により、市民生活の安全
が著しく脅かされている。それ故、痴漢事件の冤罪・誤判の防止策・救済策を解明するこ
とが、量的には重大事件の冤罪・誤判をしのぐ必要性・緊急性を有しているのである。
2 捜査の手抜きは許されない
 捜査の理念型には物→人型捜査と人→物型捜査とがあり、国家公安委員会規則である犯
罪捜査規範はその四条(合理捜査)・五条(総合捜査)・六条(着実な捜査)において、
物→人型捜査を行うべきことを規定している(1) 。それ故、痴漢事件の捜査も物→人型で
行うことが原則であり、例外的に人→物型で捜査を行わざるをえない場合には、人→物型
捜査の有する冤罪発生の危険の大きさに留意して、被疑者の弁明・弁解の内容や、参考人
の供述内容について、必要十分な裏付け捜査を行わなければならないのである。なお、物
→人型捜査と人→物型捜査は理念型なのであるから、実際の捜査は物→人型部分と人→物
型部分との混合形態で行われているし、混合形態で行わざるをえない。
 痴漢事件の捜査は、物証が少ないこと、および、(自称)被害者により被疑者が既に特
定されていることのために、被疑者に自白を迫る人→物型で行われており、しかも、(自
称)被害者の供述内容や、被疑者の弁明・弁解などについて、必要十分な裏付け捜査が行
われていない。しかし、痴漢事件においても物証を収集しようとすれば収集できるし、(
自称)被害者による被疑者の特定が誤りである可能性や、(自称)被害者の言う痴漢被害
自体がなかった、いわゆる虚偽申告である可能性もある。
 それにもかかわらず、(自称)被害者の述べた通りの自白を被疑者に迫るだけであり、
(自称)被害者の述べた内容と反する被疑者の供述を供述録取書に記載しないことすらあ
るのが、痴漢事件捜査の現状である。すなわち、検察官は、そのような供述録取書の作成
に加えて、否認を続けると身柄拘束がいつまでも続く(ので失職する)、(自称)被害者
と示談を成立させれば起訴しないなどと臭わせることにより、被疑者を否認から自白に転
じさせようとしている。
 もしもそれが成功すれば痴漢事件の捜査に費やす労力を大幅に縮減できるのであるので
あるから、痴漢事件におけるわが国の捜査の現状は、実体的真実の解明よりも、費やす労
力の縮減を重視しているように思われる。なお、痴漢冤罪被害者が異口同音に述べる被疑
者取調べのこのような実情について、もしもそれが実情と反するのであれば、被疑者の取
調べ過程のすべてを録音・録画しておいて、必要に応じて点検可能としても差し支えない
筈である。それにもかかわらず、この点について捜査機関が強硬な反対を続けているのは
、捜査機関が、客観的証拠の収集に努めないままに、被疑者に自白を迫るだけでしかない
捜査を行っていることを、自ら認めているに等しいと思われる。
 痴漢事件においても確実な物証を収集することは、決して過大な要求ではない。(自称
)被害者の述べる痴漢行為が実際に行われたのであれば、その痕跡の収集は容易である。
下着の上から触ったのであれ下着の中に手を入れて触ったのであれ、真犯人の手にはその
下着の繊維片が付着している筈である。また、陰部に指を入れられたのであれば、(自称
)被害者の体液が指に付着している筈である。したがって、それらを収集し分析して示し
さえすれば、被疑者が真犯人である場合には言い逃れを許さぬ確実な物証となる。他方、
繊維片の不一致や被疑者の体液の不検出は、真犯人が被疑者ではなく(自称)被害者によ
り誤認された可能性や、(自称)被害者が虚偽申告をしている可能性が、極めて高い事案
であることを示すことになるのである。
 (自称)被害者の下着の繊維片と同一の繊維片が被疑者の手からもしも採取された場合
には更に、それが(自称)被害者の下着に由来するのか、別の機会に由来するのかが問題
となりうる。冤罪・誤判か否かの問題が生じるのは、せめてこのレベル以降でなければな
らない。その前の段階でそれを生じている痴漢事件の冤罪・誤判問題は、容易に収集しう
る物証の収集を怠ることを捜査機関に許している、わが国の刑事司法制度とその運用の後
進性を示しているのである。
3 事案の真相を解明せよ
 確実な物証の収集を捜査機関が怠ってしまうと、被疑者の供述と(自称)被害者の供述
とから、事案の真相の解明、すなわち、痴漢被害の存否および被疑者と犯人との同一性の
有無を、判断しなければならなくなる。その際に、もしも目撃者がいればその供述は、事
案の真相の解明のために重要な判断材料となる証拠である。
 弁護人の接見メモによれば、被疑者が弁明・弁解の中で、目撃者が駅事務室の前にまで
来て説明してくれたが、駅事務室に招じ入れられなかったと述べていた事案がある。とこ
ろが警察・検察官は、この点について被疑者の供述録取書には一切記載しておらず、かつ
、確認したがそのような目撃者はいなかったと、被疑者に述べたという。しかも、その後
の公判廷において検察官が当初取調べ請求をした証拠の中からは、その目撃者の存在に言
及する(自称)被害者の供述録取書すら除外されていた。すなわち、実体的真実の解明は
重要ではなく、目撃者捜しに費やす労力を惜しんでか、公然と嘘をつきつつ、効率良く被
疑者を有罪とすることが重要であると考えているのが、痴漢事件の捜査におけるわが国の
警察・検察官の現状なのである。
 事案の真相を被疑者の供述と(自称)被害者の供述を中心として解明せざるをえない場
合、両者を対比して直観的に判断してしまうのでは、冤罪・誤判を生じる恐れが大きい。
(自称)被害者の供述録取書では、痴漢被害を受けたことと、被疑者を犯人と特定した理
由とが、渾然一体となっていることが少なくない。しかし、これらは別個の要証事実であ
るから、それぞれの信用性を独立に判断すべきことは、刑事裁判における事実認定と同様
に、犯罪捜査過程においても常識であろう。ところが、(自称)被害者の検面調書におい
て、員面調書よりも痴漢被害の時間や程度を拡張・拡大することにより、被疑者を犯人と
特定した理由を強化しているものが見られる。すなわち、事実認定者である裁判官は(自
称)被害者の供述の変遷には目をつぶり、客観的分析的にではなく主観的印象的な事実認
定をして有罪と判決してくれると、検察官は期待しているのであろう。そして、このよう
な期待に裁判官が応えてしまっていることが、痴漢冤罪・誤判事件が生まれる理由の一つ
なのである。
 被疑者の行う弁明・弁解の中には、身に覚えがないことに加えて、両手で鞄を所持して
いた、(自称)被害者との背丈の違いや身体障害のために(自称)被害者のいう当該部位
に手が届かない等々が含まれている。人→物型で捜査を行っている以上、冤罪・誤判の発
生を防ぐために、被疑者供述における個別の弁明・弁解内容について着実な裏付捜査を行
うこと、例えば周辺事情を解明しうる物証の収集を行うことが必要不可欠である。すなわ
ち、被疑者の所持品、被疑者と(自称)被害者の身長や、被疑者が直立時の手の先の高さ
、(自称)被害者が触られたという部位の高さ、被疑者が身をかがめることが可能な混雑
度であったか否かなどは、捜査機関にとり収集が容易であり、当然に証拠化しておくべき
証拠である。なお、ホーム上での被疑者と(自称)被害者との会話内容の齟齬が問題とな
った事案では、ホーム上の騒音の測定をも捜査機関が行っておくべきであったと考えられ
る。
 収集した周辺事情たる物証によれば(自称)被害者の述べる痴漢行為を被疑者が行いえ
ない場合、第三者による犯行を被疑者による犯行と(自称)被害者が誤解したか、(自称
)被害者が痴漢をされたと虚偽申告をしているかの、いずれかである。したがって、第三
者による犯行があったか否かはともかく、被疑者が無実であることは明白である。それ故
、この場合に、痴漢被害があったと考えるのであれば、被疑者に自白を追及して冤罪・誤
判を生み出してはならず、その真犯人を捜し出そうとすることが捜査機関の責務であるこ
とが、捜査機関の常識であるか否かはともかく、捜査機関を税金で雇っている市民の常識
なのである。
 (自称)被害者の供述内容に基づく実況見分が行われ、実況見分調書が作成されている
事案が少なくない。実況見分は、行わないよりは行うことが望ましい。しかし、実況見分
を行ったことにより、その実況見分が想定していた前提事実があったと、確認される訳で
はない。先ず、市民の常識からはあまりにも馬鹿らしい事案であるが、犯行があったと(
自称)被害者が述べているのとは異なる内装の車両において実況見分を行い、当該車両に
は枕木方向の吊り革はないので、枕木方向の吊り革に掴まっていたという被疑者供述は虚
偽であると主張・立証され、そのように認定されたことも一因となって、第一審で有罪と
された事案がある(2)。
 次に、(自称)被害者の供述にしたがって、被疑者が一時下車する筈のない駅で被疑者
が下車していたこと、および、(自称)被害者を狙ってそのホーム上を移動したことの実
況見分をし、実況見分調書化した事案もある。被疑者の通勤経路・乗車位置・車内の混雑
度などに照らして、その駅で被疑者が降りる筈がないという当然に生じる筈の疑問に、捜
査機関や裁判所は気付いていない。この点はさておくとしても、当該実況見分調書に記さ
れている内容自体が、あまりにも不自然・不合理であり、せめてこの点には気付くべきで
あった。すなわち、(自称)被害者は、虚偽の痴漢被害申告と被疑者逮捕を合理化するた
めに、(自称)被害者の乗換駅における被疑者の一時下車の話を、創作したと推測される
のである。なお、痴漢被害自体が無い虚偽申告事案の特徴は、陥れようと狙っていたため
であろうか、服装など被疑者を特定しうる項目がとても詳しいこと、および、同一被疑者
からの痴漢被害をその日までに何回も受けていたと述べていることなどである。
 捜査機関も裁判所も(自称)被害者のこのような供述内容に騙されてしまい、(自称)
被害者から痴漢犯人と指摘された被疑者に対して、否認を続けていて反省の色が無いと、
実刑判決を科して刑務所に収監している。しかも、捜査機関や裁判所は、痴漢被害が無か
ったが故に弁護活動の困難なこのような事案についても、(自称)被害者の供述を一方的
に信用している。しかし、(自称)被害者が見ず知らずの被疑者を陥れようとする筈が無
いというのは、痴漢事件に固有な冤罪・誤判に無知である、捜査機関や裁判所の一方的な
思い込みに過ぎない。また、(自称)被害者の供述が虚偽である事案では、その虚偽性に
由来するさまざまな矛盾が、供述内容の中に自ずと含まれている。ところが、(自称)被
害者の供述内容は正しいという偏見に囚われてしまい、被疑者・被告人とその弁護人によ
る矛盾点の指摘を些細なもの扱って、捜査機関や裁判所が一顧だにしていないことが、こ
のような事案における冤罪・誤判の原因の一つなのである。
4 被疑者と犯人の同一性確認を確実に
 痴漢被害は本当に起きたものの、被害者が犯人であると指摘した被疑者は犯人ではない
という冤罪・誤判が、数としては多いように思われる。このような事案は、いわゆるアナ
ダーストーリーを被告人・弁護人が法廷で主張・立証し、裁判官に合理的疑いを抱かせえ
た場合にのみ、(逆転)無罪とされることがありうる。しかし、真犯人の存在の主張・立
証責任を被疑者・被告人に課している現状は、「無罪の推定」という刑事裁判の大原則に
反している。痴漢常習者は、他人を間に介在させて、その他人が被疑者とされるように痴
漢行為を行うものである(3)。すなわち、痴漢被害者が被疑者を犯人として特定した理由
として述べることが多い、背後や左右にいた男性という根拠は、痴漢常習者の思うつぼに
痴漢被害者がはめられており、無関係の被疑者を犯人と思い込んで、冤罪・誤判事件を生
み出している供述なのである。
 痴漢えん罪被害者救済ネットワークの活動など痴漢冤罪被害者が注目され始めているこ
とに対して、膨大な痴漢被害は無視されている旨の、批判的意見が述べられた (4)。しか
し、痴漢行為中の犯人の手を捕まえたままにその手の人物を特定するなど、犯人と被疑者
との同一性の特定が確実である場合以外には、痴漢被害が実際にあった事案においても被
害者が痴漢冤罪事件を生じさせており、その被疑者とされた男性はもちろん、女性も含ま
れているその家族を、苦しめているのである。その批判的意見の背後にあり、それを容認
していると思われる、痴漢の被害者は対抗策として、痴漢犯人と思い込んだ男性を犯人に
仕立てあげても良いという価値観や、無実の者が身柄拘束を長期間受けた上に刑務所に収
監されても良いという価値観は、おそらく過失による指摘であろうために刑法一七三条の
虚偽告訴罪には該当しないものの、性別を問わず人の生きざまとして誤りであると、私は
考えている。
 また、安易な金儲け手段としてやストレス解消ないし仲間内での自己顕示欲のために痴
漢被害を虚偽申告している事案は、本条に該当する犯罪行為そのものである。それにも関
わらず捜査機関は、犯罪捜査規範を遵守せず捜査の手抜きをしているために、その犯罪を
犯罪と認識しえないでいるばかりか、痴漢冤罪事件を生み出しているのである。
 (自称)被害者が虚偽申告したのであれ、被害者が被疑者を犯人と誤解したのであれ、
痴漢冤罪事件であると判明しその判断が確定した場合に、(自称)被害者なり被害者なり
は、失職や信用失墜による業務停止などについて、元被疑者からの損害賠償請求に、その
請求金額が当然に莫大であろうものの、応じる義務がある。痴漢冤罪被害者救済ネットワ
ークなどの運動に対する前述した批判的意見は、安易な犯人指摘や虚偽申告を鼓舞するこ
ととなる意見であり、それに応じて安易な行動をした女性に損害賠償責任を負わせる結果
となる、かなり無責任な意見であると思われる。
 被疑者の自宅や職場を捜索して、いわゆるAVやマンガ本等を押収し、痴漢行為の犯行
および被疑者と犯人との同一性についての証拠として検察官がそれらを申請して認められ
ている事案が少なくない。しかし、それらに一切関心や興味の無い男性がもしもいたら、
むしろ何か変なのではなかろうか。すなわち、虚構と現実との区別ができ、現実の行動に
は移さないという抑止力を有しているのが普通の人間なのである。それ故、捜索・差押の
結果として入手した証拠により、被疑者が痴漢行為を行ったことを立証しようとしてもそ
の証明力は極めて低い。しかも、痴漢行為の有無と、その犯人と被疑者との同一性という
、異なる要証事実を故意に混同した、いわば雰囲気で有罪と裁判所に思い込ませようとす
る立証方法である。このような立証方法にのせられてしまい、被疑者を有罪と認定してい
る裁判官は、事実認定について基礎から学び直すべきではあるまいか。
5 取調べをしない逮捕・勾留
 わが国には、被逮捕被疑者の保釈制度や被勾留被疑者の保釈制度がない。その代わりに
わが国では逮捕率が三〇%程度となっており、被疑者を逮捕するか否かに極めて慎重であ
ると言われている。そして、勾留請求率は被逮捕者の九五%程度であり、勾留請求の却下
率は1%程度でしかない。これらの数値は、被疑者の身柄拘束について、司法的抑制より
も捜査機関の自己抑制が効いており、司法機関がそれを追認している状態であることを示
している。しかし、否認している痴漢冤罪被害者は例外なく逮捕されており、否認を続け
ている限り勾留されていて、勾留延長までされている。すなわち、この点について、もし
も自白・否認別のデータまで公表されていれば、自白追及が捜査の中心であるなど、逮捕
・勾留の建前とかなり異なる様相が見えるのではあるまいか。
 刑事訴訟法の条文上は、被疑者の身柄拘束である逮捕・勾留の目的に、被疑者の取調べ
は明記されていない。しかし、否認を続ければ失職や家庭崩壊を生じる身柄拘束を続ける
と臭わせつつ、(自称)被害者の供述通りの自白を被疑者に迫っているのが警察による捜
査の現状であり、たとえ被疑者が否認のままでも被疑者を有罪とできるように、(自称)
被害者の供述内容を変遷させているのが、検察官による捜査の現状である。なお、この点
について、法学セミナーの「THE 検察官 LIFE」というコラムに「痴漢事件報道に対して
思うこと」として載せられたM氏の見解(5)は、副検事などによる事件処理の現状に無知
なままの、単なる建前論にすぎない。
 被疑者勾留について勾留理由開示を請求することは、それ自体から成果がえられる訳で
はないものの、自白事件ではなく否認事件であり、慎重に捜査を進めて起訴・不起訴を決
定すべき事件であることを、検察官に印象付けることができる。
 わが国の被疑者勾留に保釈制度はないものの、準抗告は可能である。勾留期間中に被疑
者の取調べを2日しか行っていないにもかかわらず、勾留の延長を認めた決定に対して準
抗告し、認められた事件がある(6)。痴漢冤罪被害者は、定住所や定職を有していて逃亡
の恐れは無い。(自称)被害者が被疑者を痴漢犯人であると指摘しているのに対して、全
く身に覚えが無いと否認を貫いているだけであるから、罪証隠滅の恐れは無い。それ故、
刑事訴訟法六〇条の規定する勾留の要件が、そもそも無い。すなわち、(自称)被害者と
被疑者の供述の裏付けを取るには、七二時間の逮捕のみで必要十分である。それにもかか
わらず被疑者の勾留を検察官が請求し、被疑者の勾留場所として代用監獄を希望するのは
、他の重大事件と同様に、被疑者の取調べを警察に継続させたいためであろうと考えられ
て来た。しかし、この点について、痴漢冤罪事件に固有な勾留の目的があることが明らか
になっている。すなわち、取調べのためには不必要な勾留を続けることにより、有給休暇
では吸収しえない身柄拘束による失職を脅しに、(自称)被害者供述の内容通りの自白を
させることである。それ故、痴漢冤罪事件について安易に勾留決定や勾留延長決定をして
しまっている裁判所は、検察官のこのような意図に、まんまとのせられていることを自覚
すべきであろう。
 痴漢冤罪事件において、捜査段階における弁護の獲得目標は、証拠不十分による不起訴
処分をえることである。身柄拘束されている被疑者と連日接見するのはもちろん、車内の
情況や被疑者による犯行の不可能性などを、ビデオ化など分かりやすく工夫して、検察官
に示す必要がある。検察官による証拠開示を待っていては、起訴後、しかも、第一回公判
期日直前となってしまうし、開示される証拠は、有罪立証用に取捨選択された後のもので
しかない。それ故、痴漢事件を受任したら直ちに被疑者と接見すべきであり、それにより
痴漢冤罪事件ではないかと考えたら、捜査担当検事と面談を始めるべきである。
 痴漢冤罪事件の場合には、前述のように、取調べの際に行った被疑者の弁明・弁解を、
捜査機関が供述録取書に録取すらしないことがある。すなわち、(自称)被害者の供述録
取書のみにより、被疑者の有罪を立証しようとしているのである。したがって、そのよう
な弁明・弁解は一切無かったという、公判廷において予測される検察官の主張・立証に対
抗すべく、被疑者との接見を毎日行って、詳しい接見メモを作成しておく必要がある。で
きればそのメモについて、公証人役場において毎日、確定日付をとっておくことが望まし
いであろう。
 なお、大阪弁護士会は、二〇〇三年一〇月以降、身柄を拘束されている被疑者に対し『
被疑者ノートーー取調べの記録』を差し入れて、被疑者に記入してもらっており、捜査の
可視性を高める試みの一つとして注目すべきである。
6 第一回公判期日に向けて
 捜査段階の弁護が功を奏さず起訴されてしまった場合、弁護人は、無罪判決の獲得に向
けて努力を継続しなければならない。なお、起訴後に選任される国選弁護人の場合は、先
ず被告人と接見すべきである。公判立会担当検察官による証拠整理、すなわち、有罪立証
に有効な証拠のみの取捨選択を待ち、それを閲覧してから被告人と接見するという手抜き
弁護活動は、近い将来にわが国でも、弁護過誤と扱われることとなろう。
 被告人との接見などを通じて、被告人の無実を確信しての弁護活動を行う場合、いわゆ
る罪状認否において無罪を口頭で主張するだけでは、弁護活動として不十分である。先ず
、罪状認否についても、書面を用意してそれを訴訟記録に綴り込ませるべきである。これ
は、否認事件であるが故に長期化し、裁判官が途中で交替して公判手続の更新が行われる
事態に備えるものである。また、たとえ公判手続の更新がなくても、判決の起案に際して
裁判官が公判廷における記憶によりも訴訟記録に依存するという実情にも、備えようとす
るものである。
 第一回公判期日において、検察官が冒頭陳述を行い証拠を申請する事態を座視したまま
に、同意・不同意の意見を述べるだけでは、無罪判決の獲得は覚束ない。何故不同意なの
かを裁判所に理解してもらうためには、当該事件が弁護人側にとりどのように見えている
のかを、冒頭陳述すべきである。弁護人によるこの時点での冒頭陳述に慣れていない裁判
官が多い現状に照らして、冒頭陳述を行うとの申し入れを事前にしておくべきであろう。
検察官の冒頭陳述のみならず弁護人の冒頭陳述にも接することによって、争点の解明のた
めに必要不可欠な証拠がどれであるか、および、弁護人による不同意の理由を、裁判所に
認識させることができ、その点の事実認定を慎重に行わせることができるのである。なお
、弁護人がこの時点で冒頭陳述を行うことを禁じる規定はないし、冒頭陳述を行うことこ
そが、現行刑事訴訟法が採用している当事者主義に叶うのである。
 (自称)被害者の供述録取書が何通かあり、その内容が被告人に不利に変遷している場
合、それらを当面不同意にすることは誤りではないものの、不同意を続けることは誤りで
ある。何故なら、(自称)被害者の供述内容の変遷過程をその変遷理由と共に明らかにす
ることは、冤罪事件であることを正に立証することだからである。
 (自称)被害者を証人として尋問したい場合に、供述録取書を当面は不同意にしておか
ないと、検察官が(自称)被害者を証人申請してくれない。それ故、当面は不同意にすべ
きであるものの、いつまでも不同意にこだわり続けてはならず、証人採用が決まった段階
で対応を変えるべきである。何故なら、不同意を続けるのでは、(自称)被害者である証
人への反対尋問の際に、その変遷理由を追及出来なくなってしまうからである。その立証
趣旨を、弾劾証拠とすべきか(自称)被害者供述の変遷とすべきかについて、いずれが有
利かは不明であるものの、(自称)被害者の供述録取書をも法廷に顕出させてその変遷や
矛盾を追及することが、冤罪・誤判の発生を防ぐために必要不可欠であろう。
 (自称)被害者の法廷証言や供述録取書は独立の証拠と扱われており、その信用性を事
実認定者が肯定すれば、それのみで被告人を有罪と認定することが不可能ではないのが、
現行刑事訴訟法制度の運用の現状である。そして、被告人を有罪と認定する判決は(自称
)被害者の供述を、1)具体的、2)詳細、3)自然、4)合理的、5)迫真性があるか反対尋問に
耐えたなどの主観的感想、6)被害者が嘘をつく筈がないなどの主観的確信を述べて(7) 、
信用できるとしている。しかし、裁判所よりも市民生活に近い検察官や警察は、(自称)
被害者の供述のみで被疑者の有罪を認定して良いとはさすがに考えておらず、(自称)被
害者の供述録取書の他に有罪の証拠を用意している。すなわち、検察官が申請する証拠の
中には、警察に行わせた検証調書が含まれていることが多い。
 ところが、その検証調書の内容がオソマツであり、検証に不可欠な立会人すらいないも
のがある。それにもかかわらずわが国の裁判所は、自らの事実認定能力の高さを信じて、
全ての証拠に接したがる。そこで、刑事訴訟法三二六条の同意はせず、同法三二一条4項
の書面と扱わせ、作成者を尋問すべきである。何故なら、犯罪捜査規範に従わず、被告人
が犯人であると思い込んでいる警察は、被告人が無実かも知れないという観点からの検討
を怠っているので、この点に焦点を絞って行うならば、反対尋問が功を奏して証明力を低
下させうることが、少なくないからである。
7 控訴審のあるべき姿
 第一審を充実強化して控訴審の負担を減らすべきことは、一般論としては正しい。しか
し問題は、充実しない審理のままに第一審をすり抜けてしまい有罪とされた事案を、控訴
審がどのように扱うべきかである。
 被疑者と(自称)被害者とが何故その場で遭遇し転倒するに至ったかを解明するには、
かなり広い範囲での検証が必要であるにもかかわらず、警察が行った現場検証は、犯行が
あったとされる現場のみのものにすぎない。しかも、第一審の弁護人は、本件の現場をお
そらく訪れていない。その結果、本件の第一審における事実認定は、いわゆる目撃者が記
した、極めて不正確な現場地図に基づいて行われた事案がある。
 控訴審の弁護人が現場を訪れ、道路の傾斜角度の複雑さなどを確認した結果、衝突転倒
が何故起きたのかを解明しえたので、それを証拠化した。ところが、控訴審はそれらを一
切証拠採用せずに審理を一回で打切り、控訴を棄却したのである(8) 。刑事訴訟法の目的
は実体的真実の解明と基本的人権の擁護なのであるから、控訴審の弁護人により第一審の
事実認定の誤りを指摘され、それに根拠がありそうな事案では第一審の結審以降に入手し
えた証拠について、控訴審は証拠調べを行う義務があると考えるべきである。弁護人につ
いて審級代理という制度を前提とする以上、新たに入手しえた証拠の証拠申請をこの事案
のように却下する扱いは、許されてはならない。刑事訴訟法の目的に照らして、第一審が
充実していなかった事案については、それを控訴審で補正することにより第一審を充実強
化するよう警告を発することもまた、控訴審の役割の一つであると考えられる。
8 上告審のあるべき姿
 近年の上告棄却決定を見ると、あまりの手抜きに唖然とする。既定の書式(定型文言)
を利用して、被告人氏名などを変更した文書を作成しておき、それに日付印をゴム判で押
しているのである。そのような処理をせざるを得ない事案が少なくないであろうことは、
想像に難くない。しかし、刑事事件の上告審の特徴の一つは、刑事訴訟法四一一条の三号
に、「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること」と規定されていることであ
る。痴漢冤罪被害者達と接している私は、あまりにも簡易な上告棄却手続で処理した事案
の中に、上告審での救済を要する本当の冤罪事件が含まれてしまっていると考えている。
もしも最高裁が、故意に人の死を生じたとして起訴されているいわゆる重大事案か否かで
扱いを異にしているとしたら、その扱いを即刻廃止すべきであろう。何故なら、いわゆる
事案が軽微であっても、「やっていないものはやっていない」のであって、生活のために
妥協して(自称)被害者の言い分を認めざるを得なかった事案をも含めて刑事事件には、
被疑者・被告人の全生活や生きざまが関わっているからである。司法の役割ないし本質は
個別事案の救済なのであるから、事実誤認の可能性が有るか否かについて最高裁は、事案
の軽重に関わらず、とりわけ慎重に点検し判断する義務を負っているのである。
9 供述証拠と非供述証拠について
 草加事件の民事上告審判決において最高裁は、その後に否認に転じた被疑者の自白調書
の証明力評価について、直観的主観的手法ではなく分析的客観的手法を採るべきことを、
明示的に確認した(9)。分析的客観的手法とは、自白の内容を客観的証拠を重視して吟味
する手法であるから、被疑者の自白調書のみならず、目撃者や被害者の供述録取書や公判
供述にも、あてはまる手法である。その判示内容は、供述証拠の証明力は、客観的証拠で
ある非供述証拠との間に整合性がある限度でしか認めてはならないという、事実認定論と
しては当然である内容の一部である。それ故、この判決の射程距離は、客観的証拠である
非供述証拠との間に整合性がある限度でのみ供述証拠に証明力ありと認定して良いことに
も、当然に及んでいると考えられる。
 痴漢冤罪事件における(自称)被害者の供述は、とりわけ被告人と犯人との同一性につ
いて、被告人を犯人と特定しやすい方向で、変遷していることが少なくない。そして、そ
の変遷の原因は、被告人を犯人と認定させたい捜査機関による誘導や誤導であることが多
い。その結果として得られた供述は、車内の混雑度、停車駅でどちらの扉が開くか、停車
駅で退避行動をできたか否か等々、もしも捜査機関がキチント捜査を行っていれば、誤導
しないであろう内容なのである。これらの客観的証拠は、本来は捜査機関が収集すべきで
あり、その捜査結果に基づいて「証拠不十分」による不起訴と判断すべき証拠である。そ
れ故、捜査機関がこれらの点の確認の手抜きをしていたことが、もしも弁護人の指摘によ
り明らかになった場合には、疑わしきは被告人の利益にという大原則にしたがった、無罪
判決以外はありえないのである。
10 おわりに
 重大事件の冤罪や誤判は、その表面上はさまざまな問題点ないし論点を含んでいる。そ
れ故、いわば薄皮を剥ぐように、一歩ずつ真相に迫るしかない事案が少なくない。ところ
が痴漢冤罪事件の場合に裁判所は、客観的証拠と矛盾する(自称)被害者の供述録取書や
公判廷での証言のみにより、前述した定型文言による主観的な感想と主観的確信を六項目
にわたって述べて、被告人が犯人であると認定し、有罪判決を下している。それ故、両者
の誤判原因は、表面上は別異であるかのように見える。
 しかし、重大事案の誤判においては、犯罪結果の発生に関する判示内容は詳しいし説得
力がある内容であるものの、被告人と犯人との同一性については、必要十分な根拠が示さ
れておらず、客観的証拠と矛盾する供述証拠に依拠した有罪認定が行われている事案が少
なくない。したがって、捜査機関が客観的証拠の収集に熱心でなく、(自称)被害者の供
述録取書や公判廷での証言のみにより被告人の有罪を立証しようとしている事案と、その
証拠構造が実は同一なのである。換言すれば、痴漢冤罪事件は、いわゆる目撃証人がいる
各種冤罪事件の、いわば原型なのである。
 客観的証拠の有する証明力を重視して、それと矛盾しない範囲内でのみ供述証拠の証明
力を認めるべきであることは、職業裁判官にはともかく、常識を備えた市民には、あまり
にも当然であろう。この当然な内容が実行されていないことについては近年、認知心理学
の観点から学問的メスが入れられるようになっている(10)。とりわけ二〇〇〇年一一月に
おける法と心理学会の設立以降、その傾向が促進されていて、事実認定にとり必要不可欠
な内容を記した書籍が、何冊も刊行されている(11)。また、刑事法学の分野でこれまでは
論理法則とか経験則と呼ばれていた内容を見直して、証拠の証明力評価ルールを明確化し
ようとする試みも始まっている(12)。
 その結果、弁護士法一条一項に規定されている基本的人権の擁護と社会正義の実現に忠
実であろうとする良心的な弁護士達にとり、事実認定に関する基本を学び直すための格好
の素材が、痴漢冤罪事件として多数存在しているのが現状である。彼らに痴漢冤罪事件に
も正面から取り組んでもらうことにより、いわゆる後進国なみであるわが国の刑事司法制
度の運用を何とか軌道修正させたいと、私は考えている。

(1) 物→人型捜査と人→物型捜査という用語の一般的説明については、荒木伸怡著『刑事
訴訟法読本ー冤罪・誤判の防止のために』(1996年)弘文堂27-31頁、荒木伸怡著「痴漢冤
罪防止と捜査上の諸問題」捜査研究619号54頁、55-56頁などを参照されたい。
(2) いわゆる西武新宿線第一事件である。幸いに本件は、控訴審で逆転無罪とされて確定
した。(資料の頁数を記すこと)
(3) 山本さむ著『痴漢の百科』(1998年)株式会社データハウス参照。
(4) 石橋英子「痴漢と冤罪が減らぬ理由」読売新聞二〇〇三年一一月一九日朝刊「論点」
参照。なお、段林和江「性被害と被害者代理人から見る問題点ー痴漢被害を中心に」季刊
刑事弁護三五号一〇三頁も、痴漢冤罪事件の発生を安易に容認する内容であるように思わ
れる。
(5) 法学セミナー578号(2003年2月号)68頁。
(6) 森直也「苛酷な取調べから依頼者を守る」季刊刑事弁護三七号一七頁に紹介されてい
る事件。なお、本件は、二〇〇三年一二月一八日付け毎日新聞でも報道された。
(7) 秋山賢三・佐藤善博「痴漢裁判における『冤罪の構図』」自由と正義53巻12号40頁、
42頁参照。
(8) いわゆる上大岡衝突転倒事件である。(資料の頁数を記すこと)
(9) 守屋克彦「草加事件の事実認定についてー裁判所による手法の異なり」法学セミナー
547号(2000年7月号)42頁。なお、この点について、木谷明『刑事裁判の心』(2004年)法律
文化社をも参照されたい。
(10)ギスリー=グッドジョンソン著庭山英雄他訳『取調べ・自白・証言の心理学』(1994
年)酒井書店、ロフタス=ケッチャム著厳島行雄訳『目撃証言』(2000年)岩波書店など参
照。
(11)、浜田寿美男『自白の心理学』(2001年)岩波新書、渡部保夫監修『目撃証言の研究』
(2001年)北大路出版、大橋靖史他著『心理学者、裁判と出会う』(2002年)北大路出版、浜
田寿美男著『<ウソ>を見抜く心理学』(2002年)NHKブックス、厳島行雄他著『目撃証
言の心理学』(2003年)北大路出版、山本登志哉編著『生み出された物語』(2003年)北大路
出版、ミルン=ブル著原聰編訳『取調べの心理学』(2003年)北大路出版など参照。
(12)荒木伸怡著「証明力評価に関する一考察」(2004年)『刑事司法への市民参加』(高窪
古稀』(2004年)現代人文社pp.111-128所収、荒木伸怡著「供述証拠の証明力評価ルールに
関する一考察」立教法学65号(2004年)pp.58-74
STOP!痴漢えん罪!

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