供述証拠の証明力評価ルールに関する一考察


立教法学65号pp.58-74

供述証拠の証明力評価ルールに関する一考察
                      荒木伸怡
一 はじめに
二 供述録取書というもの
三 供述証拠の証明力評価ルールについて
四 おわりに

一 はじめに
 裁判官が有罪判決を下すための要件は、1)犯罪行為が行われたこと、および
、2)その行為者すなわち犯人が被告人であることについて、合理的疑いを容れ
る余地のない確信の心証を、証拠により形成することであり、心証形成の過程
および心証形成の結果は、事実認定と呼ばれている。事実認定に関して、刑事
訴訟法三一七条は証拠裁判主義を「事実の認定は、証拠による」と規定してお
り、同法三一八条は自由心証主義を「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に
委ねる」と規定している。
 検察官の主張・立証に誤りはないといういわゆる検察官・裁判官一体の原則
に囚われてしまっており、しかも、いわゆる三百代言的な法解釈技術を駆使す
る裁判官にかかると、これらの条文は冤罪・誤判の原動力となってしまう恐れ
がある。すなわち、被告人は身体の障害のために、立ったままでそのような部
位に触れることは不可能であるとの診断結果に対して、検察官ですらそのよう
な主張をしていないにもかかわらず、「このように身体を傾けれぱ犯罪行為の
実行は不可能ではない」と、満員電車の中では不自然であり実際には不可能な
姿勢で痴漢行為を行ったと認定して有罪の実刑判決を下す裁判官までもが少な
からずいるのが、わが国における刑事司法制度の運用の現状なのである。なお
、証拠裁判主義を実質的に無視する第一審の有罪判決に対して、警告を発して
破棄自判し無罪と判決する高等裁判所もない訳ではない。しかし、証拠裁判主
義の意味や、自由心証主義とその限界について、理解の乏しい裁判官が、わが
国には少なくないように思われる。何故なら、その同じ裁判体であるにもかか
わらず、他の事件についてはこれらを全く理解していないかのような判決を出
していることがあり、たとえ無罪判決を出すことがあっても、これらの理解が
表層的なものでしかないと推測されるからである。
 わが国において発生する冤罪・誤判の多くは、前述した第二の要件である被
告人と犯人との同一性の認定を誤るものである。それ故、とりわけ「法と心理
学会」が2000年に発足して以降、刑事法学研究者との連携が強まった認知心理
学研究者の著書には、「目撃証言」をテーマとするものが少なくない(1) 。し
かし、冤罪・誤判事件を概観すると、被害者供述が虚偽であると思われる事案
や、被疑者・被告人の自白内容が虚偽であると思われる事案も、決して少なく
ない(2) 。それ故、両者を統合しうる上位概念である供述証拠に着目し、その
証明力の判断に際して従うべき証明力評価ルールを考察してみることが、冤罪
・誤判の発生防止や再審請求の認容と再審開始にとり、より有効なのではない
かと思われる。
 そこで、「供述証拠の証明力」という観点から、認知心理学研究者と共同の
調査研究による解明を要する課題を提示し説明しつつ、証明力評価ルールを何
点か述べることを、本稿の課題としたい。
 もちろん、私は刑事法学の一研究者にすぎず、認知心理学の研究の現状や成
果について誤解をしているかも知れない。また、「供述証拠の証明力」に調査
研究のテーマを拡げることが望ましいというのは、刑事法学研究者からの提言
でしかない。したがって、本稿にありうべき誤解についても、法と心理学会の
将来に向けて積み重ねることが望ましい対話の一部であると、受け止めていた
だきたいと考えている。

二 供述録取書というもの
 1)犯罪行為の有無、および、2)被告人と犯人との同一性について、検察官と
被告人・弁護人との間に全く争いのない自白事件が、わが国の刑事裁判の八割
〜九割を占めている。それ故、わが国で公判を傍聴すると、犯罪の捜査過程で
捜査機関により作成された、被害者・目撃者などの事情聴取結果である供述録
取書や、被疑者の取調べ過程で作成された供述録取書(自白調書)の存在を示
し、その要旨を簡潔に述べることにより検察官の立証が終了してしまい、弁護
人による情状証人の尋問と被告人質問の後に、論告求刑と最終弁論があって、
判決が言い渡されるだけの事件にあたることが多い(3) 。したがって供述録取
書は、自白事件において、いわゆる訴訟経済にも資しうる極めて重要な証拠と
扱われているのである。
 しかし、供述録取書は、取調べ過程において行われた参考人や被疑者などの
供述を、更に取調官の言葉で文書化したものに過ぎない。供述が任意に行われ
たこと、および、供述内容と供述録取書の内容との同一性を担保しているのは
、供述者による署名と押印(指印)である。だが、これらの要件はあくまでも
建前にすぎない。取調官の意向と異なる供述を幾らしても録取をしてくれない
、記載内容について訂正や修正を申し立てても応じてくれない、署名と押印(
指印)をしないと帰宅させてくれないなど、取調べの実情への苦情が、被疑者
の供述録取書についてのみでなく、目撃者など参考人の供述録取書についても
、述べられることがある。それ故、もしも裁判官が、いわゆる自白事件におい
ても、被告人・弁護人の主張・立証を十分に確認することなく供述録取書に基
づく事実認定を行って済ませることがあると、冤罪・誤判を生じる恐れが大き
いのである(4)。
 被疑者や参考人の供述内容と供述録取書の内容とが実質的に同一であり、非
法律家の供述内容にありがちな無駄な論述や記述を省いただけのものであるの
か否かの争いは、もしもこの点が後日争いになった場合に備えて、取調べ状況
を全て録音なり録画なりしておけば、容易に解明可能である。取調べ状況を可
視化せよと言うのはこの限度の主張にすぎないのであるから、可視化反対を主
張し続けている捜査機関、とりわけ警察は、客観的証拠の収集に手抜きをした
ままに、被疑者に自白を強要しているのがわが国における犯罪捜査の実情であ
り、その実情が表立ってはマズイと、論理上は自認していることになる。それ
にもかかわらずわが国の裁判官の多くが、取調べ状況についてせいぜい取調官
の証人尋問を行うだけで、換言すれば、争いのある事件における取調べ状況に
ついての証明力が極めて小さい証拠に依存して、法廷に証拠として提出された
被告人や参考人(証人)の供述録取書の内容を一方的に信用して事実認定をし
ている現状には、この意味で根拠がないのである。
 事実認定を職業裁判官のみに委ねるのではない裁判員制度をわが国が現在導
入しようとしていることの意義は、事実認定に市民の常識を反映させることで
ある。それ故、被疑者や参考人(証人)として取調べを受けた経験のない裁判
員のために、法廷に証拠として提出される「供述録取書」の作成過程の実情を
、市民にきちんと伝えておくことが必要であろう。また、市民の有する常識を
刑事裁判に反映させるためには、職業裁判官の数よりも裁判員の数が大幅に多
くなければならないと考えられる。そうでないと、捜査機関が作成した供述録
取書であり、しかも、検察官が取捨選択した上で法廷に提出したのであるから
信用性ありと扱ってしまっている現状の刑事裁判の欠陥が、裁判員制度を導入
してもそのまま残ってしまう恐れが大きいからである。
 供述録取書の証明力評価は、裁判官と同じく在朝法曹である検察官による主
張・立証は信用できるなど、根拠のない基準に依存すべきではなく、行動諸科
学の研究成果により判明している証明力評価ルールに従うべきであろう。それ
故、現在の時点で判明している証明力評価ルールのうち主要なものを、幾つか
示しておくこととする。

三 供述証拠の証明力評価ルールについて
 a) 供述証拠は非供述証拠よりも証明力が小さい。
 犯罪を直接に証明する証拠は直接証拠と、間接に証明する証拠は間接証拠や
情況証拠と呼ばれている。直接証拠は、被疑者・被告人の自白や被害者・目撃
者の供述など、供述証拠であることが多い。これに対して、間接証拠には、非
供述証拠と供述証拠とがある。例えば、犯行現場に遺留されていた凶器から採
取した指紋は、直接証拠ではなく、非供述証拠である間接証拠である。何故な
ら、その指紋が被疑者の指紋と一致しても、指紋の一致からは被疑者がその凶
器に触れたことまでしか証明できないからである。そして、この限度では、直
接証拠と間接証拠の区分や対比に意味がある。
 直接証拠という用語は、間接証拠という用語よりも重要に思えてしまう、い
わゆる説得的定義の一つである。しかし、供述証拠は知覚・記憶・表現・録取
という経過を経て証拠収集されており、その過程のそれぞれについて誤りや変
容がありうる、不確実な証拠にすぎない。反対尋問や反対質問により証人や被
告人の供述内容の誤りが是正されたと扱うのは、いわゆる伝聞法則などの建前
にすぎないのである。これに対して、前述した指紋の一致は、被疑者が凶器に
触れたことを確実に示しており、それを言い逃れはできない確実な証拠である
。それ故、犯罪捜査規範四条〜六条の規定に従い、非供述証拠である間接証拠
の収集に努めることが、真犯人を逃さないための、犯罪捜査の王道なのである。
 捜査機関と裁判所が、非供述証拠よりも供述証拠の証明力が大きいと判断す
ると、冤罪・誤判を生じることとなる。例えば草加事件では、いずれもAB型の
精液・唾液・毛髪が、犯行現場に遺留されていた。他方、取調べにより自白し
た元少年達の血液型は、B型とO型であった。それにもかかわらず、少年審判
の抗告審および民事裁判の控訴審である東京高等裁判所は、元少年達が犯人で
あると事実認定したのである。
 この事実認定が依拠したのは、S検察官が手書きで提出した報告書である。
AB型の精液および毛髪については、別の機会に付着したという論理が形式上は
成り立ちうる。 その論理が不可能な乳房の唾液についてS検察官は、A型で
ある被害者の汗と元少年達の唾液が混合してAB型を呈したという報告書を作成
して裁判所に提出した。その後、被害者が非分泌型であることを誰かから指摘
されたのであろうか、A型である被害者の体垢と元少年達の唾液が混合してAB
型を呈したという報告書を提出した。法医学的には非常識で荒唐無稽であるS
検察官の報告書に反論すべく、民事裁判の上告審で被告がいわゆる「垢実験」
を実施した結果、この報告書の荒唐無稽さが証明されたのである(5)。
 客観的証拠である非供述証拠よりも供述証拠である自白を重視してしまい、
事実認定において非供述証拠を排除するための荒唐無稽な論理を創作する検察
官、その主張・立証にのせられてそのままに有罪認定をする裁判官という、市
民生活の安全にとっては危険極まりない刑事裁判が行われているのが、わが国
の現状である。客観的証拠である非供述証拠を先ず重視すべきであるという、
市民にとっては常識でしかない内容をわざわざ記さざるをえない程に、わが国
の警察・検察官・裁判官は、病魔に侵されているようである。
 証明力の大きい客観的証拠を収集する手間を省略しつつ、被害者や被疑者の
供述録取書に依存しているわが国の犯罪捜査と刑事裁判に照らし、非供述証拠
よりは証明力の小さい供述証拠について、証明力評価のルールを検討しておく
こととする。
b) 供述録取書は供述書ではなく、その証明力は供述書よりも小さい。
 供述録取書が供述書でないことは、認知心理学研究者の知見に頼るまでもな
く自明な事実である。しかし、この点に関して、裁判官や検察官の認識が欠如
しているように思われる事案が少なくない。供述書は本人が知覚し記憶した内
容を、本人自身が記述したものである。それにもかかわらず供述書においては
、記憶して記述した内容が、それより前に行われた他の知覚者との情報交換や
取調官からの情報提供により、変容してしまっている可能性がある。また、表
現力など記述方法の稚拙さにより、記載間違いや記載洩れがあるなど、記憶し
た内容が必要十分に記述されていない可能性がある。それ故、供述書の証明力
評価については、これらの限界に留意することが必要不可欠であり、供述書の
証明力は決して大きくないのである。
 供述録取書は、本人の供述を承けつつ取調官が自分の言葉で書き取ったもの
である。それ故、表現力など記述方法の稚拙さはないであろう。しかし、密室
で行われているわが国の取調べにおいては、参考人に対してであれ被疑者に対
してであれ、情報を提供して記憶内容を変容させつつ供述を求め、しかも、ど
の供述を書き取るかを取調官が取捨選択して作成したのが、供述録取書である
。したがって、供述録取書の証明力は、供述書の証明力よりも更に小さいので
ある。
 c) 公判廷の証言の証明力は、供述録取書の証明力と同じであるかまたは大き
い。
 参考人の供述録取書の証拠能力について被告人・弁護人側の同意が得られず
に、参考人が法廷に喚問されて、証人として証言することがある。法廷での証
言に先立って検察官は、参考人を呼んでの証人テスト、すなわち、供述録取書
の記載内容を確認させてその通りに証言させるための打合せを行うことが、ほ
とんどであろう。それ故、不同意とされた供述録取書の内容通りの証言が公判
廷で得られたとしても、その証言の証明力は、捜査過程で作成された供述録取
書の証明力と同じでしかない。したがってこの場合に、供述録取書の内容が伝
わっていない裁判官が、公判廷での証言内容なのだから(供述録取書よりも)
証明力が大きいと判断するのは誤りである。
 参考人の供述録取書を不同意として証人尋問が行われた場合、反対尋問が功
を奏して、供述録取書とは異なる証言を得られることがある。また、証言内容
の誤りを反対尋問で指摘されて「打合せの際にそう証言せよと言われた」と、
証人が証言することすらある。すると検察官は、刑事訴訟法三二一条一項二号
後段書面として、すなわち、「前の供述と相反するか若しくは実質的に異なっ
た供述をした」として、検察官が作成した供述録取書を証拠申請する。その結
果裁判官は、食い違ったり相矛盾したりしている供述録取書の内容と公判廷に
おける証言内容とに直面することになる。この場合には、供述録取書の証明力
が小さかったのだと、反対尋問が功を奏したことにより既に判明している。す
なわち、この限度では、公判廷における証言の証明力の方が、供述録取書の証
明力よりも大きい。しかし、公判廷における証言にも、知覚・記憶・表現の変
容や誤りはありうるし、記憶の薄れや喪失がありうる。それ故、公判廷におけ
る証言のみに依存して、無罪方向であれ有罪方向であれ、確信の心証を形成す
ることは誤りである。ただし、「疑わしきは被告人の利益に」である実質的挙
証責任に従い無罪判決に至ることには、何ら問題はない。
 捜査過程で作成された被告人の自白調書は、同法三二二条一項により証拠能
力が認められて証拠採用される。それ故、捜査段階で作成された供述録取書(
とりわけ自白調書)と被告人質問の内容との食い違いについて、全く同じ問題
を生じることがあり、これもこのルールの適用場面の一つである。
 要するに、捜査過程で自白調書が作成されていたにも拘わらずいわゆる罪状
認否において否認に転じて、被告人質問への供述内容が自白調書と矛盾すると
か、捜査過程で作成された参考人の供述録取書の内容と食い違う証言が法廷で
行われたとかの場合、捜査過程で作成された供述録取書の証明力の方が公判廷
での供述の証明力より大きいと判断するのは誤りなのである。
 公判廷において証人が、「細部についてはもう覚えておらず、捜査過程で作
成された供述録取書の内容の方が正しい」と証言することがある。これは、公
判廷における証言内容よりも供述録取書の内容の方が証明力が大きいはずだと
述べているだけであるから、この証言により供述録取書の証明力自体は、全く
大きくなっていないのである。
 d) 参考人の供述録取書の数の多さは、その供述内容の証明力を高めない。
  犯行状況を被告人が再現して見せたという(間接)事実を見たという参考人
の供述録取書が大量に作成されて、公判廷に提出された事案がある。しかし、
録音・録画がなされていない状況で作成された供述録取書なのであるから、見
たはずだ等々という取調官の思い込みに迎合して作成された供述録取書が、少
なくないようである。むしろ問題は、それぞれの供述録取書における参考人の
供述内容として、「だから被疑者は犯人である」との推測による記述がなされ
ていることである。それらを全て証拠申請した検察官の意図はおそらく、推測
による記述に過ぎなくても大量に集めて示せば、多くの人の前で犯行状況を再
現したが故に被告人が犯人であると、裁判官にも思い込ませたいというもので
あったのであろう。
 犯行状況の再現は新聞報道の内容などから十分可能であるから、犯行状況の
再現を見たという大量の供述録取書があるか否かは、被告人と犯人の同一性と
は無関係である。もしも裁判官までが論理的な思考力に欠けていると、(論理
的な思考力に欠けているが故の)検察官の意図に、まんまとのせられてしまう
こととなる。
 e) 録取された供述内容の変遷は、取調官による取調べ意図の変遷を示してい
る。
 公判廷に提出された多数の参考人の供述録取書を、録取日を基準に時系列で
並べてみると、ある日以降突然一斉に、例えば名張毒ブドウ酒事件のように、
関連事項の目撃時刻が後へズレている事案がある。
 それぞれ独立に事情聴取されていた多数の参考人が、被告人を有罪とする方
向でその供述内容をある日一斉に変えたという事態の原因は、取調官によるい
わゆる「情報操作」以外にはありえない。すなわち、供述録取書の内容は、そ
の被取調べ者の署名・押印(指印)があり供述内容の真実性が担保されている
かのような外観を備えているものの、取調官の意図が色濃く反映しているので
ある。
 被害者の供述録取書の内容が変遷している事案も多い。著名な痴漢冤罪事件
において、当日作成された供述録取書(員面調書)の内容では、被告人と犯人
との同一性の証明が不十分であると検察官が考えたのであろうか、「より軽度
な痴漢行為はその前から受けており、その犯人は被告人に間違いない」という
内容が、検察官による供述録取書(検面調書)では付け加えられていた。そこ
で、検面調書の内容を電車の運行状況など客観的証拠に照らして丁寧に点検し
てみると、途中で回避行動が十分可能なのに回避行動をしていないなど、事後
に創作して付加した供述内容には無理が目立つ。しかし裁判所は、このような
無理を見逃してしまい、検面調書通りに事実認定をしているのである。
 検面調書の付加部分について、検察官による創作ではなく、被害者が納得し
同意したから録取したのだという反論が予想される。しかしこれは、取調室に
おいては、被害者(目撃者)よりも取調官の方が「勢力の上位者」である(6)
ことに無知な反論にすぎない。
 被告人の自白調書の内容が、犯行の場所や方法など主要部分について変遷し
ていることが冤罪・誤判の徴表の一つであり、変遷している自白の幾つかまた
は全てが虚偽であることは、刑事弁護に熱心な弁護士の間では既に、比較的良
く知られているルールである。虚偽自白には、1)自発型虚偽自白、2)強制ー追
従型虚偽自白、3)強制ー内面化型虚偽自白という三タイプがあるという(7) 。
冤罪・誤判事件であることが確定した草加事件(8) において、犯行場所につい
ての少年達の供述録取書の内容が一斉に変わって行ったのは、第二のタイプで
ある「強制ー追従型虚偽自白」の典型例の一つであろう(9) 。
 変遷前の証拠を検察官が開示しないことにより、供述の変遷があった事実自
体を隠そうとする事案がある。検察官によるこのような対応に対抗するには、
開示された証拠を日付順に整理して空白部分の捜査過程を推測することが必要
不可欠である。○月○日前後に例えば被害者の供述録取書が作成されている筈
と特定しての開示請求に対して、不存在という虚偽回答までする検察官は多く
ないであろう。なお、あえて虚偽回答をする検察官については、そのような証
拠があるに違いない根拠を示して、証拠開示命令を裁判所に申請すべきであり
、裁判所は訴訟指揮権に基づき証拠開示命令を出すべきである。
 f) 事案の真相に迫りうる鍵の一つは、供述録取書には記されなかった内容で
ある。
 ルールb)の説明に記したように、供述録取書の内容は、取調べによりえられ
た被疑者・被害者・参考人などの供述内容を、(被疑者が犯人であるとの)思
い込みに基づいて取調官が取捨選択した上で、取調官の言葉で記した内容にす
ぎない。それ故、とりわけ否認事件において、事案の真相に迫るには、供述し
たのに録取してもらえなかった供述内容を解明することが必要である。
 例えば、公訴棄却で終了し刑事補償を受けた調布駅南口事件の目撃者である
タクシー運転手は、逮捕された被疑者Kをマジックミラー越しに見せられて、
目撃した犯人と別人であると述べたにもかかわらず、この点は供述録取書に録
取してもらえなかった。
 現在も抗争中の西武新宿線第二事件では、被疑者のコートが電車のドアに挟
まれていたこと、それを手で抜こうと車内で身体を動かしていたこと、隣にい
た目撃者である女性が成り行きを心配して駅事務室に来てくれたこと、駅員が
その女性の氏名・連絡先を尋ねることもなく駅事務室のドアを閉めてしまった
ことなどが、被疑者の供述録取書には全く録取されていない。
 被疑者の場合、弁護人が毎日接見をしてメモを作成しておけば、取調官が故
意に録取しなかった事実を、後に公判廷で証明不可能ではない。すなわち、メ
モを証拠物として証拠申請し、接見した弁護人をその成立過程について証人と
して申請し尋問する方法がありうる。この方法は、逆転無罪とされた西武新宿
線第一事件の控訴審において採られた方法である。なお、メモについて、公証
人役場で確定日付をとっておくことが望ましいものの、確定日付なしでも、こ
の方法をとりうるであろう。
 目撃者など参考人(証人)の場合、供述内容は全て録取しておりそのような
供述はなかったという検察官の主張と、証人の法廷証言とのいずれを信用でき
るかという問題に還元してしまいそうにも思われる。しかし、検察官により開
示された証拠を日付順に並べて内容を詳細に検討してみると、供述録取書への
録取はしないものの、そのような供述を潰すための捜査活動が行われていたと
、判明することが稀ではない。
 調布駅南口事件は少年審判として始まったために、刑事裁判では証拠能力な
しと扱われる捜査報告書などまでが家庭裁判所に送致されていたので、この点
の解明に大いに役立った。振り返って考えれば、職権主義の下で行われていた
一件証拠主義からの決別、および、いわゆるベストエビデンス論により肯定さ
れている、刑事裁判において検察官が証拠を取捨選択している現状は、見直さ
れるべきであろう。すなわち、当事者主義であるからこそ、全面証拠開示が実
現されるべきである。
 参考人や被疑者の取調べについては、その過程をすべて録音・録画しておき
、要求に応じて開示することにすれば、「供述したのに供述録取書に記されな
かった内容」の有無は直ちに判明してしまい、ここに記した内容のほとんどは
不要となるであろう。
 g) 署名・押印(指印)によっては、供述録取書の証明力は高まらない。
 供述録取書の最後には、参考人や被疑者の署名・押印(指印)がある。これ
は、取調官により録取された書面であるにもかかわらず、参考人や被疑者自身
が自ら記した書面と扱うための、法的なテクニックである。これを逆から言え
ば、供述者による署名・押印(指印)の無い供述録取書の証明力は、取調官の
書いた作文に過ぎないので、当然に低いことになる。
 供述者による署名・押印(指印)があっても、供述録取書の証明力が高まる
ものではない。署名と押印(指印)は、供述録取書の内容の確認が行われ、そ
の内容通りで誤りはないと、参考人や被疑者が認めた場合にのみ行われる建前
である。しかし、取調べに慣れていない参考人や被疑者は、録取された内容に
異議を述べにくいであろうし、長時間にわたる取調べから解放されたい気持ち
が優先して、取調官から指示されるままに 署名と押印(指印)をしてしまう
であろう。なお、参考人が指印を拒絶したところ、手を掴まれ朱肉を指に付け
られて、無理矢理に指印させられたという体験談を聞いたこともある。
 参考人を取調べる目的が、当該犯罪に関する情報を参考人から収集すること
であるならば、参考人の立場の方が優位であり、その供述内容ができるだけ正
確に録取されるべきである。しかし、参考人の有する情報は部分的であるのに
対して、取調官の有する情報は、その時点までの捜査活動でえられた、それな
りに全体的・総合的なものである。その結果取調官は参考人の供述内容に対し
て、取調官が抱いているその構想と合致しないとクレームを付けており、参考
人はそれに従わざるをえないために、取調官の立場の方が優位となってしまっ
ていて、その構想と反する供述内容の録取はされていないのが現状である。
 被疑者取調の目的は、否認している被疑者の弁明・弁解を尋ねて、その裏付
けを丁寧に確認し、冤罪の発生を防止すること、および、真犯人の供述からの
み解明可能な犯行の細部について、被疑者に尋ねることである。前者を軽視し
、強引に自白に追い込んで署名・押印(指印)させることは、犯罪捜査の基本
であり刑事訴訟法の目的でもある実体的真実の解明を、かえって困難にさせて
しまうのである。
 h) 「秘密の暴露」により証明力が高まるのは、供述内容のどの部分か。
 捜査機関にとり未知であり、かつ、真犯人しか知り得ない事項に関する供述
を被疑者からえた場合を、秘密の暴露があったと言う。そして、秘密の暴露が
あったことが、被疑者の供述内容の証明力(信用性)を高めるとされている。
 一般論としては、この法理に異論は無い。しかし、秘密の暴露があった項目
は被告人と真犯人との同一性を本当に担保する項目なのか、および、捜査機関
は本当に事前にそれを知らなかったのか(10)が、問題なのである。
 草加事件の民事控訴審は、車上荒らしの際に元少年達がコンドームを窃取し
たこと、および、事件を報道する番組を元少年達の一人が録画していたことを
、捜査機関が予め認識しておらず元少年達の供述により初めて明らかになった
事項であるから、秘密の暴露にあたるとしている。
 しかし、たとえコンドームの窃取が秘密の暴露にあたるとしても、それによ
り元少年達の供述内容の真実性が担保されるのは、コンドームの窃取行為に関
する供述内容のみであり、殺人行為に関する供述内容の真実性、すなわち、元
少年達と殺人犯人との同一性は、何ら担保されていない。おまけに、検察官の
主張する使用場所からはコンドームが見つかっていない上に、殺人の被害者は
処女膜現存である。しかも、車内からコンドームを盗まれたという被害者供述
は、車上荒らしの犯人がコンドームも盗んだと述べているという捜査機関の指
示に迎合した供述である可能性すらない訳ではない。したがって、コンドーム
の窃取についてすら、秘密の暴露にあたらないのかも知れないのである。
 たとえ事件報道のビデオ録画が秘密の暴露にあたるとしても、それにより元
少年の供述内容の真実性が担保されるのは、ビデオ録画をしたという供述内容
のみである。コンドームの窃取とは異なり、この事実は元少年の自宅からの録
画されたビデオテープの発見により、裏付けられている。しかし、事件報道の
ビデオ録画は、殺人事件に関する元少年の関心の高さを示すものでしかなく、
殺人行為に関する供述内容の真実性、すなわち、元少年達と殺人犯人との同一
性は、何ら担保されていない。元少年と同じ中学校の女子生徒の死体が残土置
き場から発見され、しかも、殺人事件の当夜に車内から見かけているのである
から、元少年の関心が高くて何の不思議もない。また、事件報道のビデオ録画
をした人は他にもいたであろうし、捜査機関も事件報道のビデオ録画をしてい
たのかも知れないのである。

四 おわりに
 供述証拠についての証明力評価ルールは、右記八点のみに尽きるものではな
い。また、右記の内容には、私が刑事法学研究者でしかないが故の、誤解があ
るかも知れない。それにもかかわらずあえて本稿を活字にするのは、法と心理
学会に所属する認知心理学研究者との間に、供述証拠の証明力評価ルールに関
する対話を成立させて、わが国における冤罪・誤判の防止のために、その成果
を法曹三者や刑事法学研究者にも広めたいと願うからである。
 私の周辺には、既に受刑し終わった者、現在受刑中の者、上告中の者、控訴
中の者、第一審で審理中の者など、多様な痴漢冤罪被害者が多数いて、その数
は現在も増え続けている。そこで、痴漢冤罪事件に効果的な弁護方法のノウハ
ウを求めて、有志の弁護士達と判例研究を続けているものの、展望は未だ見え
て来ていない。とりわけ問題なのは、痴漢犯罪の被害がなかったと思われる事
案の弁護方法である。
 自称被害者は、痴漢冤罪被害者を犯人に仕立てるべく、服装や持ち物などを
予め詳細に観察した上で痴漢被害を訴えており、痴漢被害を受けたことについ
て、および、被疑者が犯人であることについて、詳細な供述録取書が作成され
ている。そして、痴漢冤罪事件において裁判官は、供述録取書に記された供述
内容や公判廷における自称被害者の証言内容をそのままに信じ込み、被告人・
弁護人が指摘した自称被害者の供述の矛盾や虚偽性を受け容れず、否認を続け
ているのは反省の色がないと、前科・前歴のない被告人に実刑判決を下してい
るのである。
 供述録取書を含む供述証拠の証明力評価ルールを解明して、捜査機関や裁判
所などにそれを普及させることは、痴漢冤罪事件の発生を防止してサラリーマ
ンとその家族が日常的な市民生活の安全を取り戻すために、焦眉の急である。
そして、解明された証明力評価ルールは、件数的には稀かも知れない重大事件
の冤罪誤判の救済にも、そのまま役立つであろうと推測されるのである。

(1) ロフタス=ケッチャム著厳島行雄訳『目撃証言』(2000年)岩波書店、渡部
保夫監修=一瀬敬一郎=厳島行雄=仲真紀子=浜田寿美男編著『目撃証言の研
究ー法と心理学の架け橋をもとめて』(2001年)北大路書房、厳島行雄=仲真紀
子=原聰共著『目撃証言の心理学』(2003年)北大路書房など。
(2) 浜田寿美男著『自白の心理学』(1992年)三一書房、ギスリー・グッドジョ
ンソン著庭山英雄=渡部保夫=浜田寿美男=村岡啓一=高野隆共訳『取調べ・
自白・証言の心理学』(1994年)酒井書店、浜田寿美男著『自白の心理学』(200
1年)岩波新書、同著『<うそ>を見抜く心理学』(2002年)日本放送出版協会、
大橋靖史=森直久=高木光太郎=松島恵介共著『心理学者、裁判と出会う』(2
002年)北大路出版、ミルン=ブル著原聰編訳『取調べの心理学ー事実聴取のた
めの捜査面接法』(2003年)北大路出版など。
(3) 否認事件について主として論じる本稿においては、簡易公判手続や略式手
続の現状やその問題点については、さておくものとする。
(4) 過去の冤罪事例では、極刑が予測される重大事案であるにもかかわらず、
取調官による密室における自白追及の圧力に負けて、自白調書に署名・指印し
ていることがある。まして、短期懲役刑かその執行猶予か罰金刑かで済むいわ
ゆる迷惑防止条例違反の場合、身柄拘束の長期化による失職を避けるなど、た
とえ身に覚えがなくとも経済的な損得勘定で署名・指印している被疑者が、多
数含まれているに違いない。そのような自白調書を信頼して有罪判決を下す裁
判官は、上訴などによる表面化はしていないものの、冤罪・誤判を生み出して
いるのである。
(5) 現在は弁護士としてマスコミで活躍しているS検察官に対して、民事事件
の確定後に元少年達とその保護者達が謝罪を求める手紙を出したところ、「弁
護士を通して連絡せよ」との旨の、そっけない返信があった。返信が無いより
は良いものの、冤罪・誤判を生み出したことを、検察官の職務として当然であ
ったが故に謝罪の必要なしと本人が考えているらしいこと、および、冤罪・誤
判を生み出した本人をテレビ会社が、相反する趣旨の番組にレギュラー出演さ
せていることは疑問である。また、S検察官の下で、死体検案時に肛門を開い
たにもかかわらず、肛門性交を行ったと元少年達に自白させて、「誤導」であ
ったと後に裁判所から指摘されたT検察官も、草加事件における冤罪・誤判の
発生に、積極的に関与した一人である。
(6) 前出・厳島=仲=原共著(2003年)43頁参照。
(7) 前出・ミルン=ブル著(2003年)11頁参照。
(8) 草加事件は、改正された少年法二七条の二の2項に遡及効がないために、
刑事事件の再審にあたる保護処分の取消しを申立てられないだけであり、冤罪
・誤審判事件であることは、AB型三物証など物的証拠に照らして、自明である。
(9) なお、前出・浜田著(1992年)が摘示した「犯行筋書の舞台に上がる」事態
は、第三のタイプに該当すると思われる。
(10) 上田誠吉=後藤昌次郎共著『誤まった裁判ー八つの刑事事件』(1960年)
岩波新書25頁以下に収録されている「幸浦事件」は、秘密の暴露について、こ
の点の判断を誤った典型的な事件である。
STOP!痴漢えん罪!

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