供述証拠の証明力評価を考える


                 小田中古稀祝賀論文集

供述証拠の証明力評価を考える
                     立教大学教授 荒木伸怡
 1.はじめに
 2.被害者の供述録取書ー被害内容と犯人性
 3.被害者の供述録取書の変遷ー可視化の必要性
 4.客観的証拠との一致について
 5.捜索差押の結果と犯罪事実の有無
 6.おわりに

1 はじめに
 犯罪行為の内容について、および、被告人の犯人性について、自称被害者の
供述しか証拠がないのに、何故わが国では、被告人が犯人であると認定されて
、しかも、否認を続けていて反省していないからと、実刑を科されなければな
らないのか。痴漢冤罪事件の弁護活動をしていると、現在の刑事裁判における
事実認定の理不尽さに腹の立つ事案が少なくない。
 殺人事件や強盗致死事件などの冤罪・誤判事件のように、誤って死刑判決や
無期懲役判決を言い渡される訳ではなく、せいぜい数年間の刑務所暮しを強い
られるだけではある。しかし、被告人やその家族にとり、その生活基盤を根本
から覆されるという点では、重大事案の冤罪・誤判事件と痴漢の冤罪・誤判事
件とに、差異は無い。しかも、痴漢の冤罪・誤判事件の誤判原因をさぐると、
重大事案の冤罪・誤判との共通項に行きあたる。すなわち、被害者の供述証拠
や被告人の供述証拠の証明力評価について、事実認定の役割を担っている裁判
所の判断が恣意的なことである。
 痴漢の冤罪・誤判事件には、重大事案の冤罪・誤判事件にはない特色が2つ
ある。その第一は、犯罪行為そのもの、すなわち、痴漢被害自体がない事案が
かなり含まれていることである。その第二は、例えば微物の採取など、収集し
ょうとすれば容易に収集可能な客観的証拠を捜査機関が収集していない、手抜
き捜査が行われていることである。
 供述証拠の証明力評価についての裁判官の判断が恣意的であることと相まっ
て、これら2つの特色は、痴漢冤罪・誤判事件の発生率を、他の罪種の事案よ
りも多くしているようである。換言すれば、重大事案の冤罪・誤判事件に刑事
法研究者がこれまで着目していたためにあまり表立っていなかった刑事訴訟法
の運用上の問題点が、痴漢冤罪・誤判事件に着目すると、表立って来るのであ
る。

2 被害者の供述録取書ー被害内容と犯人性
 痴漢冤罪事件であると被告人が訴えている事案の多くにおいて、被害者が受
けたという痴漢被害の内容、および、被害者が述べる被告人の犯人性の根拠は
、当初はかなりあいまいであることが少なくなく、何通か作成される被害者の
供述録取書の内容が、これらの点について順次明確化されつつ記されている。
 先ず、痴漢行為の内容について述べる。当該痴漢被害が本当にあったか否か
について、被害者が後に病院で治療を要したほどの被害を受けた場合には、医
師による治療行為が行われたことを確認できれば、痴漢被害が本当にあったと
考えて、ほぼ間違いないであろう。
 下着の上からか、または、下着の中に手を入れられて、性器や臀部を触られ
たという被害を受けたと被害者が主張している場合に、そのような痴漢被害が
本当にあったか否かを、被害者の供述のみで判断する必要は無いし、被害者の
供述のみで判断することは危険である。何故なら、痴漢被害者の中には、本当
の被害者と自称被害者とが混在しており、自称被害者の含まれている比率が、
他の犯罪よりも高いからである。
 狂言強盗や狂言誘拐などを見抜く捜査力を有している日本の警察・検察が、
こと痴漢事件においては、被害者による痴漢被害申告を疑おうとすらしないば
かりか、有罪を獲得しやすい方向に、痴漢被害の内容について被害者の供述録
取書の内容を変遷させてしまっている。また、被疑者が否認を続ける限り、被
疑者勾留・被告人勾留を長期化させようとしている。そして、裁判所もまた、
自称被害者の供述録取書や法廷証言の内容に依存した検察官の立証を安易に信
用して、検察官の要望に応じてしまっているのが現状である。
 このような現状が、全く身に覚えの無い冤罪事件であるにもかかわらず、現
場で現金を渡しての示談、被疑者勾留中の示談などを、失職したくない被疑者
に強いることになっている。すなわち、自称被害者にとり、車内で付近にいた
男性から痴漢被害を受けたと主張することが、援助交際よりも安全かつ簡便に
お金を稼ぐ手段となってしまっているのである。
 自称被害者が、現場での示談すなわちゆすり行為のみで目的を達成した場合
には、加害者であると指摘した男性に対する刑法二四九条の恐喝罪に、その事
案が刑事手続に載ってしまった場合には、加害者をその男性とした刑法一七二
条の虚偽告訴罪に該当する。換言すれば、いわゆる被害者保護に目を奪われて
しまい、自称被害者の供述のみから痴漢被害があったと警察・検察・裁判所が
認定している現状は、これらの犯罪によりお金を得ようとしていたり、友人達
に自慢しようとしていたりしている犯罪者を、警察・検察・裁判所が協力して
支援する結果ともなっているのが現状なのである。
 痴漢被害を受けたと述べる被害者の中では、自称被害者よりも真の被害者の
比率が恐らく高いであろう。もちろん、痴漢行為は卑劣な犯罪であり、真の被
害者に泣き寝入り強いるべきではない。しかし、痴漢冤罪被害者を生み出すこ
とが、痴漢被害者の保護になる訳ではない。
 たとえ真の被害者であっても、真犯人でない男性を犯人であると信じ込んで
私人逮捕をすることにより、当該男性と、女性をも含むその家族の生活を、根
底から崩すことまでが許さる訳ではない。裁判所による事実認定に誤りがあり
得ることに由来するこの異同に無関心なままに、(自称)被害者の供述録取書
の内容を頭から信じてしまっているように読める論文が、自由と正義を守るべ
き弁護士からも公刊されている(1)ことは、誠に遺憾である。
 自称被害者の述べる痴漢被害の内容には、供述録取書を何度作成されても揺
らぎが無いという特色、および、同一の加害者からこれまでに何度も痴漢被害
を受けたと述べているという特色を有するものがある。その理由は、この男性
を加害者に仕立て、このような痴漢被害を受けたことにしようと決めてから、
痴漢被害を受けたと計画的に述べ始めていることであろうか。その結果、例え
ば、自称被害者が登校時刻に遅刻した日と、過去に同一加害者から痴漢被害を
受けたと述べている日が、一致したりしているのである。しかし、これらを含
むさまざまな疑問点を弁護人が指摘しても、裁判所はそれにきちんと向き合お
うとしない。かえって、否認を続けていて示談も行わず反省していないと、痴
漢冤罪被害者に実刑を科しているのが現状である。換言すれば、このような自
称被害者に陥れられた痴漢冤罪被害者を救済するために有効な直接的弁護方法
を未だ創出しえていないのが、弁護人側から見た現状である。
 なお、その場での思いつきにすぎない痴漢被害の内容については、それ故に
生じているその曖昧さに捜査機関が気付いて、被疑者の身柄を拘束まではして
おらず、弁護士の眼に触れていないものも多いであろう。例えば、2004年の一
時期、痴漢えん罪被害者救済ネットワーク(2) 宛に、「微物を採取され、供述
録取書を作成されて、また連絡するからと釈放された。しかし、未だ連絡が来
ないので、どうすべきか教えて欲しい」という相談が相次いだことがある。ま
た、被疑者勾留されていた痴漢冤罪事案の捜査弁護で私も、身に覚えが無いな
ら否認を貫けと被疑者を励ますことにより、不起訴処分を得た経験がある。
 被疑者・被告人の供述証拠と、(自称)被害者の供述証拠を対比して検討す
るだけで、痴漢被害の有無および被告人の犯人性を誤り無く認定することは、
本来は至難の業である筈である。それにもかかわらず裁判官は、痴漢冤罪被害
者である被告人に対して、いとも易々と有罪判決を下してしまっている。その
背景には、(自称)被害者の供述録取書や法廷供述に対する信頼と、痴漢冤罪
被害者である被告人の法廷供述に対する不信があるのであろう。とりわけ、捜
査過程でいわゆる自白調書が作成されている場合には、犯行を否認する被告人
の法廷供述に対する不信が強まるのであろう。
 しかし、裁判官が神ではなく人間である以上、対立しているいずれの供述証
拠が信用できるかを、供述証拠の対比のみから判断可能である筈はない。すな
わち、裁判官は、検察官の主張・立証内容は正しい、(自称)被害者の供述内
容は正しいという予断を抱いており、その予断に基づいて、被告人に有罪判決
を下しているとしか思われない。その際に用いられる常套的文言は、被害者供
述は、1)具体的、2)詳細、3)自然、4)合理的、5)主観的感想(迫真性がある。
臨場感がある。反対尋問にも耐えた。)、6)主観的確信(被害者は、間違いを
していないし、嘘をついていない。)という六要件を充たしているので、信用
性があり、被害者供述通りの犯罪事実と犯人性を認定できるというものである
(3)。
 これらの六要件の中には、1)〜4)のように客観的な要件であるかの如くに見
えるものも含まれている。しかし、いずれの要件も、判事補に任官して以降は
満員電車への乗車経験の無い裁判官が、勝手な思い込みにより、そのように判
断しているにすぎない。多忙な故か検証を嫌がる裁判官のために、車内の状況
の実写ビデオを弁護人が作成しても裁判官は、それを証拠採用してくれないか
、たとえ証拠採用してもその内容を無視するかであることが少なくない。換言
すれば、客観性を有する事実には基づかず、主観にのみ基づいて事実認定をし
ている裁判官が、少なくないのである。
 しかし、裁判所は捜査機関に対して、極めて容易に収集可能な客観的証拠を
収集させるべきである。すなわち、そのような証拠すら収集していない事案で
は、無実であると主張している痴漢冤罪被害者に対して、無罪の判決を下すべ
きである。それにより捜査機関は、容易に収集可能な客観的証拠だけはせめて
収集するようになる筈である。そして、その客観的証拠とは、(自称)被害者
の下着の繊維や体液であり、逮捕時に被疑者の手からいわゆる微物を採取して
おきさえすれば良いのであるから、捜査機関にとり極めて容易に収集可能な証
拠なのである。
 (自称)被害者の下着に触れた者の手には、その下着の繊維片がほぼ確実に
付着する。したがって、逮捕直後に収集した微物中に同一の繊維片が含まれて
いない場合には、自称被害者による痴漢被害の虚偽申告であるか、または、被
疑者・被告人を真犯人と誤って逮捕した事案である可能性が大きい。換言すれ
ば、被告人の犯人性について、合理的な疑いを容れない程度の心証を、裁判所
は抱いてはならない筈である。
 被疑者の身柄拘束は、(自称)被害者の下着の繊維片と被疑者から採取した
繊維片とが一致するとの嘱託鑑定結果が出された場合にのみ、合理的根拠があ
る。すなわち、一致しないとの嘱託鑑定結果が出された場合には、(自称)被
害者による被害申告、および、犯人の特定には、極めて重大な疑問が生じるの
である。そして、一致するとの嘱託鑑定結果が出された場合について、その嘱
託鑑定結果の正確性などが争われるのが、本来の刑事手続な筈である。
 この意味で、基本中の基本である微物採取とその嘱託鑑定を行っていない事
案は、痴漢行為の有無、および、被告人の犯人性について、著しい手抜きを捜
査機関が行っている事案である。裁判所は、極めて容易に収集できるそのよう
な証拠の収集を捜査機関に求めうるにもかかわらず、それを求めることなく、
捜査機関が作成した供述録取書や被害者の公判廷供述にのみに基づいて事実認
定を行っている。すなわち、冤罪・誤判の発生可能性を小さくするための無罪
推定の基本原理を無視してしまい、その果たすべき実体的真実の解明という役
割を検察官の主張・立証通りに事実認定することと誤解している裁判官が、少
なくないのが現状なのである。
 換言すれば、(自称)被害者の供述録取書の記載内容を重視して、それに基
づく事実認定を行っている事案において、事実認定の役割を担当している裁判
官は、かなり高い確率で誤判を生み出しているのである。

3 被害者の供述録取書の変遷ー可視化の必要性
 前述のように、痴漢被害そのものが存在しない事案において、自称被害者の
供述録取書の内容に、ほとんど変遷が見られないこともある。したがって、そ
の信用性を争うには、供述録取書の内容ないし公判供述と客観的事実との不整
合性を指摘することになる。ところが、裁判官は、客観的証拠よりも供述録取
書を重視しており、しかも、自称被害者の供述録取書には変遷が無いことが少
なくないために、このような指摘内容を裁判官が無視してしまい、痴漢冤罪に
よる実刑という事態を生じてしまっているのである。
 これに対して、被害者が痴漢被害を本当に受けており、誤って被告人を犯人
と認識した事案では、被告人の犯人性についての供述や痴漢被害の内容につい
ての供述に、変遷が見られることが多い。この変遷を生じた理由について、痴
漢被害を受けた当時は混乱しており、その後に冷静に過去を振り返るとこうで
あったと説明することが、不可能ではない。しかし、被疑者についてはもちろ
ん、参考人の取調べ過程にも可視性が低い現状の下では、警察官や検察官が、
被疑者を有罪としやすい方向へと、被害者に示唆したり誘導したりした結果と
しての、供述録取内容の変遷と考えることが合理的であろう。
 人間の記憶の内容は、さまざまな理由により変遷するものである。仮に、痴
漢行為をしている犯人の手を掴んだところ、引き抜かれてしまったとしよう。
せめて袖口とか見えなかったかと捜査機関に尋ねられて、見えていたような気
になり、見えたと答えてしまう。更に、袖口の色はと尋ねられて、下車後にホ
ームで捕まえたとき以来見ていた被疑者の服装から、ああこの色だったとその
袖口の色を述べてしまう。このようにして、痴漢行為をしている犯人の手を掴
んだものの引き拭かれてしまった事案において、その袖口は見えたのであり、
この色だったという記憶が生成されてしまうこともあるのである。
 裁判員制度の導入に伴い、証人の供述録取書からではなく、法廷での証言内
容から心証形成を行なわざるをえなくなると予測されている。そして、直接主
義の観点から、この変化を歓迎している刑事法研究者が少なくないように思わ
れる。しかし、証人が法廷で行う証言の内容は、それまでの捜査過程において
、および、証言前の検察官との打合せにおいて、変遷した後のものでしかない
のであるから、その証明力は決して大きくないのである。
 無実の者が冤罪を晴らすには、最初の被害届け以降の記憶の変遷過程を明ら
かにできることが、必要不可欠である。しかし、たとえ供述録取書が全て開示
される運用に変わったとしても、参考人の取調べについては、被害者の記憶の
変遷過程を記録に残さぬよう、メモを取るにとどめて、そもそも供述録取書を
作成しないという運用がなされることとなる恐れが大きい。したがって、参考
人の取調べについても、供述録取書を作成すると否とに関わらず全てを録音・
録画することにより、可視性を高めることが必要不可欠なのである。
 たとえ録音・録画により被害者の供述内容の変遷について可視性が高まった
としても、被告人・弁護側にとっては、予めその分析を行っておくための期間
が公判開始前に必要不可欠である。すなわち、第一回公判前のいわゆる公判前
整理手続において、被疑者や参考人の取調べテープをその場で提供されるに留
まるとすれば、誠実な弁護人であれば、それを詳しく点検してからでないと同
意・不同意の見込みを伝えられないことは勿論、争点の整理や証拠調べの予定
にまでは、とても同意はできない。すなわち、被疑者ばかりでなく、参考人の
ものをも含む供述録取書の事前全面開示と、それらの録音・録画テープの事前
全面開示があって初めて、公判前整理手続の前提となる必要条件が充たされる
のである。したがって、検察官が事前全面開示にもしも協力的でないと、起訴
から第一回公判までの期間がたとえ長期化してしまうとしても、弁護人として
はいわゆる全面証拠開示を要求し続けるしかないであろう。
 供述録取書の作成について可視性が極めて低い現状の下で、立会い検察官が
隠そうとした被害者供述の変遷を弁護人がようやく明らかにしても(4) 、被害
者供述は概ね一貫しているとして、その指摘を軽視する裁判例が少なくない。
しかし、被疑者・被告人が犯人であるという指摘が概ね一貫していなければ、
そもそも公訴提起は不可能であり、この点を一貫させるべく検察官による被害
者の供述録取書が作成され、同内容の公判廷供述が行われているのであるから
、事実認定は、「概ね一致」にではなく「細部の変遷」にこそ着目して、行わ
れなければならないのである。他方、被疑者・被告人の供述内容については、
些細な変遷であってもそれを重視し、被告人の供述は信用できないとしている
裁判例が少なくない。
 被害者供述については、最終供述までにかなり変遷があっても信用性があり
、被疑者・被告人の供述については、些細な変遷があっても信用性が無いと扱
っている事実認定の現状は、被害者の供述は信用できるという、予断に基づく
事実認定でしかないのである。

4 客観的証拠との一致について
 被疑者の供述録取書(自白)の証明力評価について、直観的主観的手法と分
析的主観的手法とが対比されており、草加事件の民事上告審判決は、後者を採
るべきことを明示的に確認した(5) 。それにもかかわらずこの点について、直
観的主観的手法による事実認定も容認される旨の意見が、現在も有力に主張さ
れている(6) 。両者のいずれに軍配を上げるべきかと問われれば、草加事件の
最高裁判例がある以上、当然に前者であろう。しかし、両者の意見対立には、
いわゆる捜査段階での供述録取書(自白)の証明力評価に関する意見対立でし
かないという限界がある。すなわち、被害者供述・参考人供述等をも含む供述
証拠の証明力評価ルールの問題(7) として捉えない限り、捜査段階でいわゆる
自白調書を作成されてしまった痴漢冤罪事件や、捜査段階で否認を貫いている
にも関わらず生じている痴漢冤罪事件の、問題点やその解決策は見えてこない
のである。
 痴漢冤罪事件ではなく、自動車を損傷したとされる器物損壊冤罪事件である
ものの、自称被害者とその目撃証人の(会社の幹部とその上司)の供述がおお
むね一致しており、しかもその供述内容は多数の客観的証拠により裏付けられ
て信用性が大きいとして、一審で有罪とされ控訴した事案がある。本件の被告
人は、当該犯行時刻には現場に着けないとアリバイを主張して、正面から無実
であると争っていた。
 有罪判決が客観的証拠として示している証拠を詳しく点検すると、 110番通
報の時刻、警察による現場検証の記録など、自称被害者の申告に基づいて作成
された記録でしかない。したがって、自称被害者が被害を申告し、警察が現場
検証を行ったという事実は認定できるものの、その被害が申告された加害行為
の際に生じたこと、および、その加害者が被告人であることについては、自称
被害者と目撃者の供述以外に、それを裏付ける客観的な証拠が無い事案なので
ある。むしろ、損傷の鑑定結果によれば、自称被害者と目撃者の述べる加害態
様とは異なっていると判明している。
 それにもかかわらず有罪判決は、自称被害者と目撃者の供述内容が概ね一致
していることを、その信用性を高める要素であると認定している。しかし、解
雇理由を創出すべく被告人により自動車を損傷されたと述べることに利益のあ
る、自称被害者と目撃者との供述内容が概ね一致していることは、被告人を犯
人とすべく両人の共謀が行われたことを示してもいる。それ故、彼らの供述内
容が客観的に確定し得る事実と一致しているか、共謀内容の不十分さ故に細部
における不一致や変遷を生じていないかなどが、事実認定の要点であるべきで
ある。しかも、有罪判決は被告人のアリバイ主張を、単なる伝聞供述に基づい
て排斥してしまっている。すなわち、前述した自称被害者の供述に基づいて作
成されたにすぎない証拠書類等を、争点の事実認定に必要な独立の客観的な証
拠と誤解して、有罪認定をしているのである。
 事実認定は、犯罪の痕跡である独立の客観的証拠を重視して行わなければな
らない。自称被害者や目撃者の供述内容がそれと矛盾していれば、その供述証
拠の証明力は、小さいか皆無である。また、供述内容が変遷している場合につ
いて、その時期と理由を丁寧に確認しないままに、最終的な供述内容の証明力
を認めては、事実誤認を生じる恐れが大きい。それにもかかわらず、供述証拠
の証明力評価ルールについて、自己研鑽を怠っている裁判官が少なくないと推
測される。

5 捜索差押の結果と犯罪事実の有無
 痴漢冤罪事件で逮捕・勾留されても否認を貫いていると、自宅や職場での捜
索差押が行われることが多い。差し押さえられるものは、アダルト雑誌やアダ
ルトビデオなどである。また、インターネットの普及に伴い、パソコンが差し
押さえられることも少なくない。
 捜査機関は、日頃からそのようなものを見ていたのだから、痴漢行為を行う
動機があると考えているのであろう。しかし、逆に、そのようなものにより性
的欲求を解消していたから、痴漢行為は行っていないとも考えられる。何故な
ら、もしも捜査機関の考えが正しいとすれば、その種の情報がこれほどまでに
溢れているわが国であるから、痴漢行為がもっともっと多発する筈だからであ
る。したがって、自宅や職場からそのようなものが見つかったか否かと、被疑
者が痴漢犯人であるか否かとの関連性は、極めて低いのである(8) 。
 したがって、裁判所は、このような考えを判決文中に直接書くことまではし
ないものである。しかし、供述証拠の証明力評価については、このような考え
に囚われてしまっているようである。
 痴漢被害の内容および被告人の犯人性について、自称被害者の供述内容と、
身に覚えが無いという被告人の供述とが、対立している事案がある。自称被害
者は供述録取書において、被告人から何回も痴漢行為をされたと述べている。
しかし、毎回の痴漢行為の態様、および、途中駅での一時下車の状況について
、検察官作成の供述録取書の内容は、ワープロのコピー機能を使ったのであろ
う同一のものとなっている。しかもその内容は、被告人の前にいた自称被害者
を追い越して下車したという、実写ビデオに照らしてありえないものとなって
いる。さらに、満員電車なので下車時の下車位置を確保すべく乗車しているの
に、自称被害者が乗り換えてくる途中駅で、被告人は反対側のドアからわざわ
ざ降りていて、しかも乗車位置を変えたという供述が、自称被害者により行わ
れており、その供述内容に基づく実況見分までもが行われている。
 自称被害者の供述内容と、全く身に覚えが無いという被告人の供述とを対比
して判断せざるをえなかった本件の場合、自称被害者と被告人とのいずれの供
述内容が信用できるかを判断する前に、満員電車において、問題の各駅でいず
れのドアが開くのか、その際の乗客の動きはどうかなどを、まず確認すべきで
あった。そのような確認に基づく着実な判断を行っていれば、自称被害者の乗
換駅で、被告人がホームに降りて行列していたという自称被害者の供述内容が
荒唐無稽であることに、当然に気付いた筈である。
 ところが、第一審は、被告人の職場から押収された証拠物に幻惑されてしま
った。それらの証拠物を被告人が何故保管していたのかについて、冷静に判断
すれば説得力のある説明が被告人からなされている。しかし、第一審の有罪判
決および控訴審の控訴棄却判決共に、押収された証拠物の多さに圧倒されてか
、犯行を一貫して否認している被告人の供述よりも、さまざまな矛盾のある自
称被害者の供述を信用できるとして、被告人に実刑を科したのである。
 なお、控訴審判決は、押収された証拠物を逐一列挙しており、このような事
実認定方法を採ってしまったことが、判決文から明白である(9) 。
 供述証拠と供述証拠とを対置して、いずれの証明力が大であるかを判断する
という手法によるのでは、裁判官が神ではなく人間である以上、誤判を多発さ
せることになる。それ故、供述証拠からは独立である客観的証拠を重視すべき
であり、その証明力の範囲内での細部の認定に供述証拠が役立つことがあるの
である。

6 おわりに
 弁護士登録をして以降、刑事法研究者として個別事件に関与していたとき以
上に、現行刑事訴訟法とその運用の理不尽さが、眼に付くようになった。他方
、刑事法研究者として必要不可欠な論理の緻密性などは、減退して来ているよ
うである。しかし、本稿では、冤罪・誤判の防止のために、現在の時点で提示
・提言しておきたいことを、自由に述べることとした。
 私が痴漢冤罪事件に関わり始めた頃、地下鉄丸ノ内線の霞が関駅であったろ
うか、小田中先生に偶然に出会い、頑張れと激励されてしまった。しかし、痴
漢冤罪事件の弁護は、その中に入り込んでみるととても大変である。刑事訴訟
法とその運用の暗部が、集中的に現れている分野であると、判明してきたので
ある。逆から言えば、痴漢冤罪事件について私が研究を進めることが、いわゆ
る基礎的研究となり、重大事件の冤罪・誤判の救済にも、やがて繋がると思わ
れるのである。私としては、入り込み、はまり込んでしまった以上、当分の間
ここから抜け出せないであろうと覚悟している。

(1) 例えば、段林和江「性被害と被害者代理人から見る問題点ー痴漢被害を中
心に」季刊刑事弁護三五号(二〇〇三年)一〇三頁。
(2) http://www.rikkyo.ne.jp/univ/araki/chikanenzai/ 参照。
(3) 佐藤善博「痴漢冤罪事件・無罪と有罪の間ー裁判官の直感」、秋山賢三他
編『痴漢冤罪の弁護』(二〇〇四年)現代人文社三八頁、四九頁参照。
(4) 例えば、前出『痴漢冤罪の弁護』一五二頁、安田隆彦「西武新宿線第二事
件」一五九頁参照。
(5) これらの手法について、守屋克彦「草加事件の事実認定についてー裁判所
による手法の異なり」法学セミナー五四七号(二〇〇〇年)四二頁参照。なお
、この点について、木谷明著『刑事裁判の心』法律文化社(二〇〇四年)も、
同旨である。また、木谷明「『合理的疑い』の範囲などをめぐって」判例タイ
ムズ一一五一号一八頁をも参照されたい。
(6) 例えば、石井一正「ブック・レビュー」判例タイムズ一一四四号四二頁。
(7) 例えば、荒木伸怡「供述証拠の証明力評価ルールに関する一考察」立教法
学六五号(二〇〇四年)五八頁参照。
(8) なお、いわゆる盗撮についてであれば、他の機会に盗撮した写真が多数見
つかった場合に、今回もたまたまではなく盗撮目的であったと、推定できるで
あろう。
(9) 本件は、前出『痴漢冤罪の弁護』所収の一八事件である。

               (二〇〇四年大晦日脱稿)
STOP!痴漢えん罪!

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