サイバーアジア(56)

インパク

 「IT」(情報通信技術)ということばは日本では「バブル崩壊」に続いてすっかり流行語になったが、アジアでは1991年にシンガポールのIT2000があり、1996年にマレーシア計画で一章が裂かれるなど、90年代初頭からおなじみのことばだった。
 実に39回もITを連呼した2000年7月のIT憲章(グローバルな情報社会に関する沖縄憲章)<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/it/index.html>冒頭には「ITは21世紀を形作る最強の力の一つである」と記されている。その後首相官邸にIT戦略本部<http://www.kantei.go.jp/jp/it/index.html>が設けられ、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指したe-Japan戦略が2000年1月に、その具体策であるe-Japan重点計画が逐次発表されている。
 こうした状況の下、総務省主催で新千年紀記念行事と銘打たれ、2001年中に行われた「インターネット博覧会」(インパク) <http://www.inpaku.go.jp/gate/declaration/index.html>が年末で終了した。これはホームページによるバーチャル博覧会で、参加パビリオンの総数は507、ファイルアクセス数で見ると開始直後の1月が9600万件、終了時12月が3400万件、年間総数が5億3300万件という。
 終了時のインパク宣言は非常に抽象的で、 インパクを笑え<http://member.nifty.ne.jp/tatsushi/inpaku/>のような辛口サイトが内容を伝えているのは皮肉である。同宣言ではインパク活動を続けることを提唱しているものの、インパクホームページ群へのリンクはすでに絶たれている。 人類博物館<http://www.jinrui.net/top.html>サイバーライブラリー<http://www.chemical-metal.co.jp/inpaku/> The Museum of Museums<http://museum.kankeiren.or.jp/>など、まだ見ることのできる好ページや、 戦国博<http://www.sengoku-expo.net/>のようにリニューアルして再開を予定しているページもあり、大阪万博ばりに万博公園とは言わないが、残されたのが参加パビリオンインデックスだけとはさみしい限りだ。

(初出:『アジアクラブマンスリー』アジアクラブ、2002.2)