PROFILE
1974年神奈川県生まれ
1993年神奈川県立横浜翠嵐高校卒
1999年東京大学法学部一類卒
2004年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了
2004年より立教大学法学部講師→助教授→准教授
立教法学会 『法学周辺』33号 新しいスタッフの紹介 校正前原稿
租税法研究のきっかけとなった心象風景
浅妻章如(租税法)
租税法研究者に対して一般の人が思い浮かべる疑問というのは大方次の二つくらいと思われます。「何で租税法研究者になったの?」「租税法の研究って面白いの?」 以下、この二点について述べます。なお、租税法教育の内容については、ホームページ(http://www.rikkyo.ne.jp/~asatsuma/)を参照してください。
租税法研究者を目指すまで
そもそも、法学部に入ったこと自体あまり麗しい動機ではありませんでした。高校二年生から三年生に進学する際に歴史クラス(主に文系)か地理クラス(主に理系)かの選択をしますが、当時好きだった科目は数学や物理などの理系科目。だったら素直に理系クラスに進めばよいのでしょうが、いまひとつ理系進学後の将来像が描けず、他方将来の仕事としては、漠然としたレベルでしかありませんが検察が面白そうだな、と考えていました。弱きを助け強きを挫く、という言葉がありますが、挫く方に惹かれたわけです。入試勉強のしやすさを選ぶかどうか、相当の間悩みました。散々悩んだ挙句結論が出せず、締め切り直前に自分でくじを作って文系クラスを選択した、というのが法学部志望の理由です。全くお恥ずかしい限り。(なお、本当に理系が得意であったかというと、入試に向けて国語、特に現代文読解に最も力を注いだ結果、最終的には国語が得意科目となっておりました。また、その時に現代文を懸命に勉強したことが後の法学の勉強において大変力になっていると感じています。既に入試が過去のものとなっている読み手の方にはもはや関係のない話でしょうが、現代文読解の勉強が入試以外の局面でも活きてくるということが受験生を含めて広く認識されるようになると良いなと考えています)
そんな不純な動機でしたから、一般教養しかなかった大学一年次には、一般教養で理系科目の方を多く選択し、法学の方にはあまり興味が持てないでいました。幸い二年次から専門の法学の講義が始まると「法学って面白いな」と感ずるようになりましたが、勉強としては学部の講義を受講するだけで、大学生活の主たる部分は卓球部に染まっていきました(下手の横好きというレベルですが)。
租税法は、当初受講しない予定でしたが、友人の勧めで聴きはじめますと、そこで展開されているのは教授による漫談でした(漫談風に見せかけて実はその教授の最先端の研究成果を盛り込んだ講義内容であった、というのを知るのは一年以上経ってからです。残念ながら私は落語を教わっていないので私の講義は漫談風ではありません)。講義は面白いものでしたが、面白い講義の一つにすぎないという位置付けから飛躍して租税法研究者という途を考え始めたのは、租税法講義の終盤で話が国際課税に及んだ時でした。国際取引が重要性を増してきているということは誰にでも分かることですが、それにしては租税法規が未整備だな、という印象を受けました。ここで、脳内に或る心象風景が展開されたのです。「狭い入り口の洞穴に入ってみると、中の空間は思いのほか広く、しかも宝の山だった」、というものです。「狭い入り口」というのは、租税法という講義が一講座しかないことを指します。民法や行政法などは第○部など複数回用意されていますが、普通の大学では租税法の講義は一回だけでしょう。民法などに比べれば、どうしたって応用科目の入り口は狭いものとならざるを得ず、興味ある人だけ受講してください、という形でひっそりと存在しています。しかし、入り口が狭いから中で展開されている議論も少ないか、貧しいかというと、そうではないように感じた、というのが「中の空間は思いのほか広」いという表現です。そして、議論の素材が豊富にあるにもかかわらず、まだまだ議論が未発達で論ずる余地は無数に転がっている、とりわけ国際課税なんてほとんど理論が整っていないのではないか、勉強したら色々な発見がありそうだな、というのが「宝の山」です。
多くの大学生がそうであるように、私も研究者を目指して法学を勉強してきたわけではありませんし、まして一学期しか受講してなくてまだ得体の知れない租税法というものに自分の人生を懸けることについては、当然躊躇もありました。しかし、この心象風景と教授の人柄に惹かれたことが決め手となり、大学院進学を決意しました。人生において、つくづく人との出会いは大きいな、と思います。私の場合、幸いにも同じくらいの世代の研究仲間に恵まれましたので、尚更です。
法学部選択がくじ引きの結果、租税法を受講したのも友人の勧めから、と、何とも主体性の乏しい、或いは偶然に左右された生き方であるな、と思います。しかし、多くの人にとって自分の人生を決めるのは偶然や出会いの積み重ねでありましょう(まだ人生を語れる程生きていませんが)。偶然や出会いを積んで何か閃くことがあったとき、それまで勉強してきたことが試験以外にも思いのほか役に立つな、というのが現在の素直な思いです。
租税法研究の苦楽について
学生時代抱いた租税法についての心象風景は、少なくとも私にとっては全くもって正しいものでした。租税法学の主たる対象は所得税ですが、所得税が主要な税となったのは二十世紀からですから、学問自体は若く、ローマ法以来の伝統ある分野と比べたら話になりません。未熟さゆえ未開拓の領域が至る所に広がっています。そして、学問自体が若くても、租税に関する問題は学者の検討を待たずに次から次へと出現してきます。従って議論の材料には事欠きません。濡れ手で粟という言葉がありますが、論点だけなら掴み取り状態です(どのように構成しなおすか、という点では他の分野と同様に苦労するわけですが)。
また、多くの分野と広く接している学際性も租税法の魅力の一つです。租税法は一応法学の端くれの筈ですが、法学の中で最も経済学とお付き合いが深い分野の一つといえるでしょう。それでいて、行政法、会社法、民法等も用いなければ法的に維持されうる結論は導けませんから、経済学を援用するけれども経済学だけでは扱いきれない、という分野でもあります(経済学者と議論する時は法的な制約を強調し、法律学者と議論する時は経済学の理論を振りかざすという嫌らしさもありますが)。
租税法は応用法学の代表例でもありますから、様々な学問の知識を色々組み合わせるという面白さ(色々考えて租税回避を考えるという面白さ、そうした試みを課税当局の立場で潰そうとする面白さ)があります。しかし、応用的なことばかりやらなければならないというわけでもなく、租税をきっかけとして、国家とは何か、公平とは何か、といった深い問題に入っていくこともできるでしょう。餅は餅屋、本職の人間に敵わないでしょうが、租税を勉強したからこそ他の分野の人間では気づきにくいところに注目する、という効果もあるようです。租税法には、応用的で表層的な議論もでき、逆に哲学的な議論にも入っていけるという幅の広さがあります。
研究者としてではなく学生として租税法を勉強することの意義は何でしょうか。下世話ですが租税法は金になります(では何故研究者なんてやっているのだという突っ込みを受けそうですが、何故でしょう?)。租税法が必修となっているアメリカでは(その難解さゆえ人気科目にはなっていない、とも伝え聞いていますが)、租税法に通暁した一流の弁護士が荒稼ぎしているわけです。私は必ずしも国粋主義者ではありませんが、日本でも優秀な学生が租税法を修得し、アメリカの課税当局を相手に租税回避を仕組む、或いはアメリカの弁護士の租税回避を日本の課税当局が理論で潰す、という水準まで高まってほしいと考えています。
租税法研究には苦楽の苦もありますが、暗くなるのでここで述べるのはやめておきましょう。
『法学周辺』36号 海外研究エッセイ 校正前原稿
在外研究記@オランダ
浅妻章如
2006年10月から一年弱の研究休暇(サバティカル)を頂いて、オランダ・アムステルダム市郊外のIBFD(International Bureau of Fiscal Documentation)という機関でお世話になっていました。
法学徒が留学または在外研究するというとアメリカやドイツを選ぶ例が多いので、「なぜオランダ?」と質問されることも多くありました。実は、国際租税法専攻者にとって、オランダは一種聖地みたいなものなのです。国際租税法実務家の集まりであるIFA(International Fiscal Association: 国際租税協会)の本部がオランダにありますし、また、オランダ政府が企業向けに様々な租税負担軽減措置を提供しているので、多くの企業や富裕層がオランダに法人を設立して租税負担を回避しようとしているのです。一般の日本人がオランダについて抱くイメージというと、環境配慮とかワーク・シェアリングとか自由主義的気風(麻薬など)とか多数の画家(ゴッホなど)とかチューリップなどが挙げられるかもしれませんが、我々租税法律家がオランダという単語を聞くとまず租税回避を思い浮かべるのです(もっとも、オランダの個人に係る税率は決して低くないので、オランダ人自身は自分達の国で租税回避が活発に行なわれているという意識を持っていないそうで、このことには少し驚きましたが)。もちろん、日本の企業や富裕層がオランダの法人を利用して租税負担の軽減を図る例も珍しくありません(参照として、オウブンシャホールディング事件・最判平成18年1月24日判時1923号20頁〔法人税の回避の失敗例〕や、武富士贈与税事件・東京地判平成19年5月23日平成17年(行ウ)396号〔贈与税の回避の成功例・未確定〕などが挙げられるでしょう)。私の他にもオランダに留学または在外研究をしていた先達が幾人かいらっしゃいます。
オランダを選んだ消極的な理由としては、上記のように言ってもそれでも実際にはアメリカに行く人が多く、特に私の兄弟弟子の殆どがアメリカに行っておられたので、自分くらいはアメリカではなくヨーロッパに行くのもよいかも、というちょっとしたバランス論ないしは天邪鬼心が働いたということがあります。アメリカを訪れる研究者が多い理由は、何と言ってもアメリカにおける理論的研究の水準の高さにあります。率直に言って、日本やヨーロッパと比べてアメリカは段階が一つか二つ違っている、という印象です。
他方で、ヨーロッパでは実務的な議論が多くなされています。理論研究ならアメリカ、実務研究ならヨーロッパ、ということができます。実務よりも理論研究の方に興味が向いていた私は、正直、アメリカにするかヨーロッパにするかかなり迷いましたが、最後は、国際租税法について勉強するならばやはりヨーロッパの空気に触れるのがよいかなということでオランダにしました。
在外研究先としてオランダを選びましたというと、しばしば、「ああ、ライデン大学ですか」と言われたものでした(なお、オランダ人の発音だと「レイデン」と聞こえます。このあたりは本紙別稿で)。租税法分野に限らずライデン大学は有名ですが、ヨーロッパの若手国際租税法専攻者の留学先としては、Kees Van Raad(ケース・ファン・ラート)教授のライデン大学とMichael Lang(ミヒャエル・ランク)教授のウィーン大学が二大拠点といえるかと思います。
そして最後、「IBFDって何?」という質問になるのですが、「IBFDは大学ではなく出版社です」というと、国際租税法畑でない人にはますます「???」という顔をされます。IBFDは、国際租税法実務家の集まりであるIFAの出版機関として位置付けられます。そして、国際租税法に関する書籍や膨大なデータ・ベースを提供しています。
IBFDで研究してみたいなと思ったきっかけは2002年に遡ります。当時院生だった私は、博士課程レベルの学生が集まって自分の研究テーマを発表しあう一種の勉強会に参加する機会を得ました(当たり前ですが、私以外の院生はみなヨーロッパの人でした。アジアくんだりから物好きな輩が来たものだなと受け止められたのではないでしょうか)。日本の助手・院生は割と大風呂敷を広げた博士論文を志向するものですが(もちろん実際の執筆となれば論文の研究テーマ自体を絞るように指導されますが、それが広がりを持つ課題であることを示そうとする傾向があると思われます。あれ、私だけでしょうか)、それと比べてヨーロッパではかなり狭く手堅い論文を目指す(或いはそうするようにという指導教授の締め付けがきつい)ものなのだな、という印象を受けました。そういえば、その勉強会では、アンケートでちょっと苦い思いもしました。アンケートの中で自分の論文の進捗状況について記す欄があり、或るミュンヘンの学生(その人とはその数ヶ月前に知り合う機会がありました)が50%と書いていたのを見て、「彼がそうなら自分は10%程度だな」と妙な日本人的謙遜を示してしまったのです。そうしましたら、参加者の面前で講師の方に「アサツマくん、君の10%という数字は参加者中最低だ。そんなことであと1年半のうちに論文を出せるのかね」という趣旨のことを言われ、「謙遜」という言葉が思い浮かばず、ちょっと弁明に苦労しました。
その勉強会はそれで貴重な経験でしたが、その時に、大学教授がサバティカルでIBFDに籍をおいて研究する例があるということを知り、そこで幾人かの教授と話をする機会もありました。その時に、将来在外研究をする機会があったら、IBFDもよいかもしれないと思い、そしてそれが2006年につながったという次第です(しかし、あいにく私がIBFDでお世話になった時は私だけでした。ちょっとついていなかったようです)。
さて、在外研究先としてIBFDを選び、研究計画書等を提出して相手方から受け入れの返事をいただきますと、次はオランダでの生活の準備です。この時、結婚の準備もあって尚更ばたばたしていました(在外研究前に結婚というのは良くあるパターンの一つのようです。某M先生など)。一番苦労したのは、住居選びでした。最初は、検索単語の設定がまずかったのか、「一週間900ユーロ」のようなものがずらずらと並び、「幾らアムステルダムの物価が高いといっても、これはないだろう」と面食らったものです(それらはアパートというよりも休暇用の施設だったようです)。色々検索単語を変えてみて、漸く一月1000ユーロ前後のアパートの情報が幾つかヒットするようになりました。この時、場所の把握のためにgoogle mapも大活躍です。在外研究の前に住居選びのためだけに現地を訪れる必要のある方もいらっしゃるようですが、私の場合は(少々難儀はしましたが)幸い下見をすることなくインターネットで渡蘭前の準備をすることができました。文明の利器万歳です。
IBFDはアムステルダム市内南方の郊外に位置しているのですが、色々探した結果、最終的にはアムステルダム南東のWeesp(ヴェーシュプ)市内の一室を借りることにしました。Weesp駅はアムステルダム中央駅から電車で15分程度、スキポール空港駅から25分程度、となかなか便利なところにあるからです。Weesp市は(Wikipediaによれば)人口2万人に満たない小さな市で、役所なんかもこじんまりとして気軽に質問などをすることができましたし、良い選択だったなと思います。が、日本人は殆ど見かけません。私自身は日中IBFDに行っているので特に困ることはないのですが、妻にとって話し相手がいなかったので悪いことをしたなと反省です。アムステルダム市の南にあるAmstelveen(アムステルフェーン)に日本人が集まっているということはオランダに来てから初めて知りました。もしオランダ留学を考える方がいらっしゃるのでしたら、Amstelveenの方が何かと便利でしょう。
言葉については別稿に譲りますが、私はオランダ語は話せません。IBFDの職員の半分位がオランダ人で残りが外国人と考えてよいでしょう。オランダ人同士の会話はオランダ語でなされますが、基本的には英語です。面白いと思ったのは、旧ソ連圏出身の人同士の間では(母語がロシア語であるとは限らないのですが)ロシア語で会話する、といったこともあったことです(他、ドイツ語やフランス語など)。もちろん英語が公用語なのですが、親しい者同士の間では他の言語を使うこともあるというのは、母語か英語かという選択肢しかない私からすると新鮮でした。
なお、IBFDのアジア・太平洋部門はマレーシアのクアラルンプールに移ったので、私がIBFDでお世話になり始めた頃に何人かのアジア人の方とはさよならをしなければならなかったのは残念でした。が、アムステルダムでアジア人が0になったわけではなく、日本からも国税から二年交代で人が派遣されています。
オランダ人はヨーロッパの中では勤勉な方ですが、やはり日本と比べると、休みが充実しているな、とも感じました。IBFDでは土日に仕事できませんし、平日も基本的に17時〜18時退社、遅くとも19時半までには退出しなければなりません。不思議なのは、日本人より労働時間が短くても、人々の生活が貧しいわけではないことです。日本人は勤勉だということで有名ですが、終電で帰る人も珍しくないというのはやっぱり社会としてはおかしい社会なのでしょうし、労働者の勤勉さが社会全体の豊かさにきちんと結びついていないというおかしさがどこかにあるのでしょう。社会の中に潜むそのおかしさをこれから取り除いていかないといけないな、とも感じます。
さて、土日は研究ができませんでしたので、観光等をするしかありません。元々私は旅行嫌いなので、恐らく自分だけでしたら旅行はあまりしなかったでしょうが、「○○へ行こう」と言ってくれる妻の存在に大いに救われました(写真はユトレヒト郊外のデ・ハール城にて)。
そうそう、オランダというと、殆どの日本人から「食事まずいよねえ、ご愁傷様」と言われたものですが、私はこれに断固抗議します。確かに美味しいものを食べたければベルギーなどの方が良いことには異を挟めませんが、オランダのレストランで「これはまずい」という経験をしたのは六年前の一回だけです。さすがに日本のレストランほどのコスト・パフォーマンスまでは期待できませんが、欧米の中では(確かに最高ランクは付けられませんけれども)平均以上といって良いのではないかというのが私の実感です。
そして特筆すべきはコーヒーの美味しさです。オランダ人に「チューリップとかの花がきれいだね」といってもあまり反応がありませんが(それは、喩えてみれば、日本人が外国人から「寿司だいすき」と言われて、ありきたりだなと感ずるのと似ているのではないかと推測されます)、オランダに来て良かったことの一つとして「君の国のコーヒーは美味い」というとかなりオランダ人の食い付きが良かったように思います。
もう一点、オランダで特に楽しめたのがコンセルト・ヘボウでの音楽鑑賞でした。私は元々クラオタではないので音楽的素養は無いに等しいのですが、妻に誘われてだいぶ楽しむことができました。この一年で、少々ヘッドフォンに凝り始めてしまったのですが、オーディオ・オタクになってしまわないかが現在の心配です。
在外研究記なのに在外研究について書いていませんね。こんなところで租税法の話を書いてもつまらないでしょうから、この辺で失礼させてください。
法学周辺36号に上の原稿を書いている時、書き漏らしたことがあるので、次の点を加えさせていただきます。
クラシック音楽が好きな方がオランダに行く機会がありましたら、レコード店を覗くだけでなく、Kruidvatという薬局を覗いてみることもお勧めします。オランダのBrilliant Classics(一部の日本人は「鰤」と呼んでいるようです)は、他社から音源を買い取って安価でCDを発売しているのですが、Kruidvatと提携しているようでして、各地のKruidvatに行くと必ずBrilliant ClassicsのCDが置いてあります。例えばCD40枚組ボックスが26.99ユーロ(計算するとCD一枚あたり100円程度)で売られている、ということがあります。高いものでも一枚あたり300円か400円程度です。日本でも通販経由でBrilliantのCDを買ったことがある人がいるかと思いますが、現地で買えば更に安価ですので、とにかくお勧めです。
『法学周辺』40号寄稿。学内でPDFダウンロード可。
特集 私のこだわりの裁判例・政治的事件
「横浜市の勝馬投票券発売税(馬券税)に関する国地方係争処理委員会の勧告:平成13年7月24日判時1765号26頁」
「私のこだわりの裁判例」というタイトルですが、ここで扱うのは厳密には裁判例ではありません。が、お許し下さい。
研究者を志すと、人と意見が対立することが当然生じえます。自分を育ててくれた師匠と意見が対立することも時にはあります。私が師匠・中里実教授と意見を対立させたのはこれまで2件ありますが、表題のものはその内の最初のものです。(後のものは、グラクソ事件・最判平成21年10月29日民集63巻8号1881頁といって、シンガポールに子会社を有する日本法人に対しシンガポール子会社に生じた所得に関連して租税特別措置法66条の6によるいわゆるタックス・ヘイヴン対策税制により課税をすることは、日本・シンガポール租税条約に違反しない、とされたものです。興味がある人はAkiyuki Asatsuma, “Supreme Court Judgement: Anti-Tax Haven (CFC) Legislation does not Infringe Japan-Singapore Tax Treaty”, Bulletin for International Taxation, Vol. 64, No. 10, pp. 517-525 (2010)を御覧下さい。一審判決に関してはジュリスト1363号に日本語で評釈を書いたのですが、最高裁に関しては疲れたので日本語で書く予定がありません。ごめんなさい。)
横浜市の勝馬投票券発売税(略称:馬券税)とは、日本中央競馬会(JRA)に対して横浜市が独自の課税をしようとするものです。私はギャンブル嫌いなので馬券を買ったことがありませんが、当たり馬券の配当は概ね75%です。100円賭けると、期待値では75円戻ってくるということです。逆にいうと25円は戻ってこないことになります。25円はJRAの胴元としての儲けということになりますが、そこから、騎手への賞金とか、従業員への賃金とかが支払われ、更に、第1国庫納付金として「勝馬投票券の発売額」の約10%、つまり100円賭けた場合の10円相当分が、国に納められます。国に納められたお金は、主に畜産振興のための費用に充てられます。要するに、JRAとは、賭け好きの人から畜産振興事業へとお金を運ぶ導管であるということです。最近は学生でも馬券を買うことが許されるようになったそうですが、皆さんの中で馬券を買った人は、日本の畜産振興に約10%の寄附をしているということです。公徳心あふれる素晴らしい行いです。でも私は馬券を買っていません。
では、横浜市はなぜJRAに課税しようと考えたのでしょうか。
国として、畜産を振興しよう、そのためにどっかから資金を調達しよう、という政策を考えることは、まあいいのですが、横浜市からすると、横浜市民のうちの博打好き(桜木町で馬券を買うのは横浜市民限定ではありませんが大方横浜市民でしょう)のお金が畜産の盛んな地方に吸い取られて行ってしまう、という被害者意識を持つことになります。人口の多い都市部からお金が巻き上げられて地方に配られている、という被害者意識です。しかも、JRAは(固定資産税は納めていましたが)横浜市に市民税を納めていません(税金を納めない法人というと、宗教法人なんかも頭に思い浮かびますね)。そこで、横浜市としては、とられっぱなしではたまらん、だから少し横浜市にもお金を寄越せという話です。先程JRAは導管だと書きましたが、その導管に少し穴を開けてちょっとは横浜市に戻してくれよ、ということです。
ところで、土日に桜木町(或いは日ノ出町)に行ったことのある人いますでしょうか。競馬好きの人というのは一定の傾向を持つことが多く、率直にいうと馬券売り場近くはあまり近寄りたくない雰囲気を醸し出します。JRAが悪いと直ちに言えるわけではありませんが、JRAのお客さんが横浜市に多少の迷惑をかけてしまう(横浜市に行政費用の出費を強いてしまう)、ということです。先程、JRAは横浜市に市民税を納めていないと書きましたが、迷惑料(環境整備費交付金)としてそれなりの額を支払ってきていました。が、それまでの額ではちと足りない、迷惑料をもう少し多く払ってくれよと横浜市がJRAに要求したところ、なかなかその交渉がまとまらず、それではということで横浜市が新たに条例を作って課税をしようとした、というのが、この事案のもう一つの背景です。
かように横浜市側の動機はかなり不純です。第一に、国にとられっぱなしではたまらんから少し横取りさせろ(これは当時の高秀秀信横浜市長がそう言っています。月刊自治研498号16頁参照)、第二に、迷惑料の交渉がうまくいかないから新税で補おう、という腹積もりです。
この横浜市の馬券税条例案については、動機の不純さだけでなく、様々な点で多くの学者の批判の対象となりました。横浜市の費用は横浜市民の負担で賄うべきというのが地方自治の理想像であるところ、横浜市民に増税の負担をお願いすれば選挙で勝てなくなりますから、なかなか政治家は増税を口に出しにくいという事情があります。しかし、JRAという法人相手なら選挙に影響しない、という発想が政治家には出てきます。そういうところを狙い撃ちで課税するというのはけしからん、というのが当時の学者の主な批判の対象であります。
また、ちょいと面倒な法技術的な話ですが、地方公共団体が新税として法定外普通税を制定しようとする場合、地方税法671条3号にいうところの「国の経済施策に照らして適当でないこと」に当たらないものである必要があるところ、この要件を満たさないのではないかという問題があります。JRAは、先述の通り、国の畜産振興のための資金調達マシーンであります。それに対して横浜市が横取り的な課税をするとなると、畜産振興という「国の経済施策」を阻害してしまうことになりかねません。もしも、横浜市のこうした課税が許されるとすると、横浜市だけではなく馬券売り場のある市町村がこぞって同様の馬券税を導入する可能性がありますから、畜産振興のための資金調達がうまく行かなくなる恐れがあります。
そんなこんなで、大御所クラスの租税法学者の多くは、横浜市の馬券税に批判的でした(金子宏「「勝馬投票券発売税」に関する鑑定意見要旨及び補足意見」税法学547号29頁、碓井光明「法定外税をめぐる諸問題(上下)」自治研究77巻1号17頁、2号3頁、中里実「これからの法定外税のあり方」課税自主権活用委員会『課税自主権の活用のあり方について』55頁(自治総合センター))。
私も、師匠・中里実教授の紹介で、総務省から馬券税関連の資料をいただき、馬券税について評釈を書くことになりました(自治研究79巻1号131頁参照)。しかし、総務省の期待に反し(総務省は、JRAを所管する農水省とは一応異なるわけですが、当然横浜市を批判する評釈を期待していたのだと推測されます)、私は考えていくうちに、横浜市の馬券税は動機こそ不純だけど法的理論としては批判しにくいのではないか、という思いを抱くようになりました(私が横浜翠嵐高校出身だから横浜市に同情した、ということはないつもりです)。
狙い撃ち課税というのは、普通はけしからん話ですが、しかし、或る要件で課税しようと思ったところたまたまその要件に当てはまる者は一人だけであったという場合に、狙い撃ち課税だからけしからんという話にはなりません。例えば、或る県で原発を運営する者は事実上一人(東京電力だったり九州電力だったり)であることがありますが、原発に対する特別な課税をすることは狙い撃ち課税だからけしからんという話に直結するでしょうか。特殊な業態に応じた特殊な課税というのは、或る程度仕方ないところがあるのではないかな、という考慮です。狙い撃ち課税の別の問題として、迷惑料について横浜市とJRAとの間の交渉がうまくいかなかったから横浜市が課税という手段に訴えるのはけしからん、という批判もありうるところですが、JRAとしてはイザとなれば農水省系列の政治家に陳情して横浜市の新税を禁止する国の法律を制定してもらうように動くことも事実上できそうですから、横浜市が課税条例案を背景とした一方的な圧力でJRAを弱い者いじめをしている、という構図を描くことには、無理があると感じています。
また、国の経済施策を妨げるという議論についても、横浜市としては【自分のシマで商売しているからにはそれなりの対価を支払え】と要求したくなってくるものでしょう。畜産振興資金の横取りという動機は不純でありますが、横浜市が他の事業者に対して課税する場合と比べて不当に多くの納税をJRAに要求するということでもない限り、動機の不純さが課税の違法性を基礎付ける訳ではないのではないか、という考慮です。
なお、表題の勧告では、総務大臣が横浜市の馬券税について不同意とするべきかどうかについて、はっきりした結論は出しませんでした。その後、横浜市長が高秀秀信から中田宏に代わり、横浜市は馬券税構想を引っ込めるに至りました(要するに馬券税構想は高秀氏の暴走だったのでしょうね)。しかし、地方公共団体がどこまで課税権を有するか、お国にどれだけ楯突くことができるか(JRAそのものは国の機関ではないですが)、という点で興味深い論点を提供してくれた事案でありました。
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