追悼

   草地賢一さんの想い出


 元PHD協会総主事で、阪神淡路大震災地元NGO救援連絡会議代表を務められた草地賢一さんが2000年1月2日に58歳で亡くなられました。草地さんは関西NGO界の重鎮でもあり、最後は姫路工業大学教授として国際ボランティア学会の立ち上げにも尽力されました。

 私とは1972年に中央青少年団体連絡協議会が主催するアジア青少年指導者セミナーに一緒に参加して以来のおつきあいです。当時、大学の2年目でアジアのことなどよくわからず、会議といっても何一つ発言できなかった私を叱ったり励ましたりしてくれたのが草地さんでした。「これからはアジアが大切なんや、この会議でそのことに気づかなあかん。」

 草地さんはこのとき神戸YMCAの主事でしたが、すぐにチェンマイYMCAに赴きました。チェンマイではボラキット氏がアジアのYMCAにさきがけて農村開発に着手しているところでした。ところが草地さんはチェンマイYMCAとはあわなかったようで、すぐに帰ってきてしまいます。

 その後横浜YMCAに勤められました。10年近くおられたでしょうか。1980年代のはじめにPHD協会に総主事として迎えられ、古巣の神戸に帰りました。これからが草地さんの本領発揮です。

 私は日本国際交流センターに勤めていて、アジア各地のNGOと膝を交えて仕事をしていましたし、また開発教育協議会の立ち上げにも参加しました。日本の国際協力NGOの勃興期です。草地さんがPHD協会に入られたのはまさに時宜をえていました。

 1986年に岡山大学に赴任した私は、草地さんと会う機会が増えました。PHD協会では毎年研修生を西日本各地に派遣して、研修がてら現地報告をしていたからです。岡山YMCAの米良さんと3人で2度ほど話しました。草地さんは岡山にもゆかりがあり、朝日高校では江田五月氏が同級生で、大の親友です。

 PHDの仕事が忙しいのに、関西のNGO界のためにさまざな活動をしています。関西NGO協議会に関わり、副議長として事実上協議会のリーダーシップをとりました。草地さんはYMCA時代から東京への対抗心が非常に強くて、反東京、反中央、反権力の姿勢を強くもっていました。特に、NGO活動推進協議会(JANIC)とのライバル意識には大きなものがありました。JANICには国際交流センター時代の上司である伊藤道雄さんが事務局長としてがんばっていますので、私にとってはつらいところもありました。

 草地さんは私にとってはBIG BROTHERでやや煙たいところがあります。というより大学生時代に叱られたので正直怖かったのです。1994年に『南北問題と開発教育』を書き上げたとき、大阪の子どもの権利センターで浜田さんらにお祝いの会を開いてもらったことがあります。驚いたことに草地さんは多忙のなかわざわざ駆けつけてくれたのです。じっと遠くで見守っていてくれたのだな、とこのときわかりました。

 最後にゆっくりお話ししたのは5年程前の小田原での「開発教育担い手会議」だったと思います。草地さんもPHD協会も開発教育ということばはあまり使いませんが、PHDの活動そのものが開発教育だと考えておられました。

 そして皆さんの記憶に新しい阪神淡路大震災での活躍です。阪神・淡路大震災地元NGO救援連絡会議代表として、より被災者の側に立ったボランティア活動を推進しました。本ホームページの「ももすけエッセー集・吉備吉備人−阪神大震災陣中見舞い記」にも書きましたが、地震から一月後にPHD協会や地元NGO会議を回りました。直接お会いすることはできませんでしたが、電話で「何や今頃、遅いやないか。ままええ、帰るまで待っておれ」と言われて、結局会えませんでした。このとき、救援活動は何もできなくても「早く」行くことが大切なのだと知りました。何もしてもらわなくても「来てくれた」というだけで、安心もし心強くも思うものだと。

 その後なぜかすれ違いばかりで結局、直接お目にかかる機会はありませんでした。お電話で一昨年、国際ボランティア学会の立ち上げにときに協力を依頼されたのが最後の会話です。白昼堂々自宅から電話をしているというので、「どうしてですか」と聞いたところ、「暇なんや、今年から大学に勤めたもんだからやることがない。」

 大学勤めでじっくり静養されているものとばかり思っていました。ところが、この12月にはトルコの震災救援第4次隊に参加し、しかも帰ってくるなりパプア・ニューギニアに行ってきたというではありませんか。やはりじっとしている人ではないのですね。

 年末27日までお元気でボランティア関係のことで打合せをしていたようです。急に発熱し気分が悪いと自宅に帰られて、その後いったんは熱が下がったようです。しかし、31日にまた発熱して近くの病院に入院し、ついに1月2日帰らぬ人となりました。長年の疲れがたまっていたのでしょう。

 草地さんは敬謙なクリスチャンであり、その風貌からは想像しにくいのですが牧師でもありました。きっと天国で私たちを見守り、日本のそして世界のNGO界を見つめていてくれるでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

                              2000年1月4日

                                田中 治彦

 


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