メコンの夕陽 p1 


メコンの夕陽

タイ・ラオス−スタディツアー2001

2001年8月25日〜9月3日

 

立教大学田中治彦研究室 


 2001年の夏のスタディ・ツアーの目的地はタイとラオスです。ラオスは前から一度行きたかった所です。というのはタイの人たちがよくラオスのことを「怠け者」などと悪口を言っていたからです。悪口を言われるような場所はきっと良い所に違いないと思っていました。この2月にJANICのセミナーでPBSP(ラオスの子どもに絵本を送る会)のチャンタソンさんと友だちになりました。PBSPの小川さんらのお世話になって、さっそく夏にラオスに行くことに決めました。

 バンコクではYMCAにプログラムをアレンジしてもらいました。クロントイ・スラムでプラティープさんに久しぶりにお会いできて嬉しかったです。「スラムの天使」も今は国会議員となり忙しく活躍しています。FFC(子ども財団)も10数年ぶりでした。ちょっと残念だったのは、バンコクYMCAが経済危機のあおりでホテルなどの財産を手放していたこと。どこもYMCAは大変のようです。でも国際担当のパニダさんはじめ皆さん元気で、これからやり直すと言っていました。

 ドン・ムアン空港で初めてラオスに行くのでわくわくしていました。空港のはずれにある飛行機を見て「まさかあんなプロペラ機じゃないよね」などと冗談を言っていたのですが、バスがどんどんその飛行機に近づいていくので、皆笑い出してしまいました。離陸のときにシートベルトがポロッとはずれてしまったのも恐かったです。でも乗り心地は快適で何も心配ありませんでした。

 ラオスの旅は想像以上に楽しかったです。今回は日本を紹介すべく「ジャパーニーズ・ボックス」を作っていきました。日本を紹介するのに何がいいか皆で話し合って、20品目程度を風呂敷で包みました。歌や踊りや折り紙も用意していきました。ラオスの子どもたちと楽しく交流できてよかったです。

 例によってホームステイが何よりも楽しかったです。ラオス式のお酒の飲み方や、おごり−おごられ方にとまどいましたが、それも旅の楽しさです。

 今回は参加者皆でホームページを作ることにしました。写真とともにどうぞご覧ください。

(田中治彦) 


もくじ

[タイ]  デュアン・プラティープ財団(クロントイ・スラム)[p1]

      子ども財団(FFC)

      ラチャビニット小学校(バンコク)

[ラオス] PBSP(ラオスの子どもに絵本を送る会)

      スワンモーン小学校(ビエンチャン)

      ナートーン村でのホームステイ[p2]

      村はずれの池

      ナートーン小学校

      私のラオ−ラオス式お酒の飲み方

      ホワイホン職業訓練センター

[日程]

[感想文と写真集] [p3]

            [p4]


  デュアン・プラティープ財団

 

――デュアンとは、タイ語で「光」という意味で、"どんな困難があっても希望をもって発育していく"という願いが込められているという――

 1952年、タイ最大のスラムであるクロントイ地区に、プラティープ・ウンソンタム・秦さんは誕生した。彼女は、1968年16歳のときに、「教育こそが生活を大きく変える原動力になりうる」と確信し、スラムの子どもたちのために『1日1バーツ学校』を自宅で開校。以降、子どもたちを通してスラムの抱える社会問題に対しても改善を求めて活動していき、1978年にはアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞の社会福祉部門を受賞。賞金で得た2万ドルを投じ、『デュアン・プラティープ財団』を設立し、スラムに住む人々が直面する問題、貧困に起因する問題解決に対して取り組むようになった。

 スラムは、1960年代からの工業化政策により安価な労働力を求めていたバンコク経済に、おもに東北タイから都市での仕事を求めてやってきた農民が、住宅問題が追いつかない状態で急増したことで発生したといわれている。人口の密集しているスラムでは、非常に多くの問題を抱えており、財団ではその問題解決のために青少年、保護者、地域社会の教育と開発を目指して様々な事業を展開している。スラムの問題とはおもに次のようなものである。

 ◇法的問題

 違法に住みついたことで住民登録が不安定で出生届も出せなかったり、住民権があったとしても土地の所有権はないという問題。

 ◇環境・居住問題

 ベニヤなどで作られた簡素な住宅が多く、道幅も狭いため火事も多発。また周辺には化学工場などがあり危険な環境であったり、上下水道も生活廃水で汚染されている。

 ◇立ち退き問題

 港に近い地域であるために、港の拡張計画などではまず立ち退きを迫られる立場にあるという問題。

 ◇社会的問題

 麻薬中毒や犯罪の多さという治安の悪さの問題が、子どもたちへの連鎖を生み出している問題。

 ◇教育的問題

 教育の必要性に対する親の不理解によって子どもが教育を受けられないという問題。

 ◇経済的問題

 日雇いの仕事が多く、仕事もあまり無い状況から、犯罪の一因ともなっている重要な問題。

 ◇健康問題   

 誤った知識による薬の服用や、10代の妊娠・堕胎の問題、それらの影響で多いといわれる難聴児などの障害児の問題。 そしてエイズ・麻薬中毒の急増の問題。

 そして現在、財団ではこれらスラムの問題に対して、大きく5つの分野(教育/健康/社会福祉/人材育成/人命・財産の防止対策)で、22のプロジェクト活動を行っている。その中で印象的だったのは、クロントイ消防隊の話である。

 クロントイ消防隊は、クロントイ地区内で多発する火災事故の予防のために住民が組織している消防隊である。住民自身が火災予防・消火活動を行う利点は、まず土地勘があるということだろう。特にスラムは狭い路地が多く、一刻を争う状況での消火活動がスムーズに行われるためには、住民の協力が不可欠である。寄贈された消防車と毎週土曜の訓練によって、それまでは逃げるだけであった住民が消火活動をするようになったという。そしてそれは若者のボランティアが行っているとのことで、住民意識の形成がなされているのは明らかだろう。

 そのほか、22のプロジェクトの中には、幼稚園や教育里親制度、難聴児のための教育や、給食プログラム、エイズ・プロジェクト、高齢者・障害者プロジェクト、青少年の更生施設である生き直しの学校プロジェクトなど、さまざまな活動がある。

 これらの活動を支える基本的な考え方として、繰り返し強調されていたのは、『住民が自ら直面する問題に気づきそれを乗り越えていくためには、どのような援助ができるか』ということであった。「何かしてあげる」のではなく、主人公である住民・子どもたちを、「その気にさせる」にはどうしたら良いのか。住民単位でさまざまな組織を運営していけるようにするにはどのような援助が必要か。

――今後も財団は常に考えて続けていくだろう、との言葉が印象的であった。

(A.S.)      

プラティープさんとともに プラティープさんと一緒に


  子ども財団 Foundation For Children         

 

 8月27日、タイのトンブリにある、何らかの事情で家庭から子供を預かる施設を訪問した。そこでいろいろな話を聞くことができた。

 今、タイでは教育が欠けているという問題がある。このことはタイの経済(家庭・国全体の状態)や子どもの問題に関わってくる。この経済的な問題によって、子どもが家を離れなければならないなど、一番影響を受けるのは子どもになるわけである。

 この施設は22年前の1979年、フランスのNGOによって始められた。当初は栄養不良の子供を中心に預かっていたが、今では、割合順に紹介すると児童虐待、家庭内暴力が大半を占めている状況にある。親からのレイプで3歳半で来た子、早い子はなんと生後24日。両親が共働きでその間に預けていたおばあちゃんからの虐待が原因だった。なんとも聞いているだけで残酷である。他、離婚による連れ子の虐待、麻薬絡み。麻薬についてはタイで一番大きい問題である。6歳で売り始めたり、家族の麻薬使用による子どもへの虐待など。そして最後に栄養不良、生涯によるハンディキャップを持った子や児童売春、児童労働をしている子となっている。子どもへの対応は状況によって考えている。親にレイプされた子は落ち着かず、敏感で、時には他の子にレイプの行動をまねるなどの行動が出るという。この改善には少なくとも2年かかる。虐待について子どもから話を聞くとき、何度も言って傷つかないように一回言えばいいようになり、心理療法の専門家によるストーリーテリングなどで処置をしている。

 この施設ではバンコク以外の地域にもミルクを郵送するなどし、時には緊急援助活動をしたり、母親に栄養について教育をしたり、受け入れのための広報活動をしたりしている。子どもの生活は子どもの自立を促すために上の子が下のこの面倒を見、掃除などの役割も決めている。職員はそれを見ている形である。しかし、職員は交代でケアしていくしかないため、子どもにとっては独占できる親がいないことは寂しいことなのである。たまに親が訪問してきて、子どもを返して欲しいと言いにくるケースがある。その時は返しても平気かどうか、仲介先のところと話し、親の診断をして厳密な審査を通して判断される。笑顔で迎えに来ても帰ったらまた虐待という場合があるからだ。こんなケースがあった。兵士の父がいきなり来て、子どもを返せと言った。突然のことで断ったら怒って、銃を向けたという。この施設は開放してあるため誰でも入れるのである。危険も大きいが、誰にでも触れられる場所であって、刑務所にはしたくないという施設の方針がある。

 現在、政府からの援助は全くなくタイ人による口コミ援助から成り立っている。他、18のNGOが協力して運動している。

                   (E.M)      


    ラチャビニット小学校

 

8月28日、我々はバンコクYMCAの案内で、ラチャビニット小学校を訪問した。

ラチヤビニット小学校は、ラーマ9世の擁護の元、1964年、設立された公立小学校である。今なお、奨学金をはじめとして、国王の支援は続いている。校名の「Rachawinit」は、ラーマ9世が名付け、その意味はタイ語で、「若い世代を教育し、よい道徳的規範を教え込む場所」という意味である。

 児童数は、1年生から6年生まで約3000人である。教員は、常勤と非常勤合わせると、約160人で、教室は77室ある。1クラスあたりの人数は、37〜40人で、難聴児クラスでは、7〜10人ほどである。ちなみに、毎年480人の募集に対して、約1400人もの志望者がおり、くじ引きと身上調査などから入学者を選抜している。

 週5日制で、全学年とも1コマ50〜60分の1日6時間授業である。カリキュラムは、国語、算数、社会、英語、音楽、体育、水泳、タイ舞踊、タイ料理(栄養学)、陶芸、情報(コンピューター)、ボーイスカウトなどから成り立っている。中でも特筆すべきは、情報教育の充実度である。情報の授業は、1年生から6年生まで、学年に応じて週に1〜2回行われている。一番大きなPC教室では、約100台のPCが並んでいたが、他にも、1クラスが入るくらいのPC教室が3つほど、図書館にも5台ほどPCが配置されていた。

 日本の総合学習に近い形のプログラムもあった。授業の名称は定かでないが、子どもたちが家から何か品物を持ちより、学校外に出向き、市場のようなものを開く。そこで地域の人々と交流し、物々交換をするというような内容である。何年生から始めるのかは、聞き漏らしたが、応対してくれた副校長によると、ほぼ毎日実施しているそうである。

 クラブ活動も、活発に行われているようであった。約20あるクラブの中では、日本語クラブ、中国語クラブもあり、それぞれネイティヴ・スピーカーが教えている。

 これまでバンコクでは、私立公立を問わず、いくつかの小学校を訪問してきたが、トップレベルの私立学校よりも教具・施設の充実がしており、都会の真中にありながら広い敷地であることなど、イメージとしては、日本の国立大学付属小学校に近い。ただし、全校児童3000人、副校長4人、非常勤を含めた教員160人、PCの台数など、スケールは、ラチャビニット小学校の方が日本より数段上である。

 我々は、前述の通りジャパニーズボックスなるものを用意していったが、反応はどうであったか。バンコクでも中心地に位置し、日本語クラブがあるこの学校では、反応は今ひとつであった。つまり、「これは分からないだろう」と苦労して考え、持っていたて品々が、いとも簡単に答えられてしまったのである。紙風船は20秒。ハエたたきや孫の手は5秒。カップラーメンにいたっては、0.5秒でやすやすと答えられてしまった。

 そして、極めつけは、自由帳。田中先生が得意げにドラえもんの絵入りの自由帳をかざし、「ニー アライ クラップ?(これはなに?)」と尋ねた。するとすぐに、ある子どもが、「Jiyu-chou!」と一言。田中先生がっくり…。我々も、びっくりして、思わず顔を見合わせてしまった。あとで聞いた話だが、通訳の人によると彼の父が、日本人であるとのことであった。

 このように東南アジアの中心バンコクでは、子どもたちも都会的な雰囲気で、情報が多く手に入るようであった。しかし、日本から持参した折り紙で、紙飛行機の紹介を行った時には、みな目を輝かせて、楽しそうに飛ばしていた。

  (S.Y)      

  

 


  ラオスの子どもに絵本を送る会(ASPB)          

 

 ASPBとは Association for Sending Picture Books to Lao Children の略で、日本名は「ラオスの子どもに絵本を送る会」というNGOである。1982年に現代表、チャンタソン・インタヴォンさんが設立し、現在東京とラオスの首都ヴィエンチャンに事務所がある。活動の柱はその名のとおり、ふだん本に親しむ機会の無いラオスの子どもたちに絵本を送り、彼らに絵本と読書を広めることだ。(ラオスでは教育の整備がまだ不充分で、子どもの本も少なく、本屋や図書館がほとんど存在しない。)

 具体的にはラオス語による本の出版をはじめ、学校図書室の開設の支援や、図書箱、図書袋という、中に本がたくさん入れられるものに本を詰めて小中学校に届けたり、日本の絵本をラオス語に翻訳してラオスに送るボランティア(絵本2000冊運動)の推進など、活動は多岐にわたる。また、「本を生かすソフトが必要」として、教員対象の研修セミナーや絵本作家を養成するセミナーを開催するなど、人材育成への取り組みにも力を入れている。そして、子どもたちの課外活動の施設である「子ども文化センター」を運営している。

 

ビェンチャン事務所への訪問

 8月29日、私たちは、旅行中のホテルでラオス語の翻訳を貼りつけた日本の絵本(前述した「絵本2000冊運動」に協力させていただいたのである)を持ってASPBのラオス事務所を訪れた。こじんまりした、日本の児童館を思い出させる小さな建物である。中に入ると、さすがに絵本がたくさん本棚に並んでいた。子どもたちがたくさん遊びに来ていて、竹細工のようなものをテーブルで作っていたり、床で本を読んでいたりしていた。ボランティアのお兄さんが「ぐりとぐら」の絵本を子どもたちに読み聞かせしている風景も見られた。

  しばらくして、私たちは子どもたちを相手に出し物を始めた。ジャパニーズ・ボックス(次項参照)の紹介、歌。中でも「アブラハムと7人」の子の歌は大人気で、アンコールにも答えみんなで最高潮に盛り上がった。私たちの出し物のあと、子どもたちも歌やおどりを見せてくれた。おもしろかったのは畑の歌で、雨が降ったり虫が飛ぶさまをおどりで表現しながら歌っていた様子がメロディーといっしょに鮮明に記憶に残っている。

 次に、紙芝居屋のおっちゃんみたいな人(実は先生)が出てきて「おおきなかぶ」の読み聞かせをしてくれた。その読み方が素晴らしい。言葉は分からないのだけど、緩急をつけ動作も交えて読むので思わず見入ってしまった。おじいさんはおばあさんをよんできました・・・その場面に来ると子どもがうれしそうに壇上に上がりおっちゃんをひっぱる。次第につながる子どもがどんどん増えて、(北島さんと若松さんも加わっていた)増えて・・・1.2.3.抜けたあ〜!湧き上がる笑い声と拍手。なんて、あたたかい場だろうか。子どもたちの眼がキラキラしている。

 そのあとみんなでゲームをした。音楽に合わせておどり、音楽が止まったらその場で静止。動いたら負け。私はいっしょに踊っていた男の子2人と最後まで残り、ひたすら踊っていた。2人とも踊りが好きでひょうきんな子で、おもしろい動きでみんなを笑わせた。私も心の底から笑顔になった。

 

 田中先生から絵本の贈呈。わーっと子どもたちが寄っていく。めいめいに気に入った絵本を手に取ったそばから、彼らは読み始める。本が好きなんだなあ。と、私は今さらながら、でも心から思った。あの場面をわたしはずっと忘れないだろう。

 お別れのときがやってきた。事務所の入り口まであふれんばかりに集まってきて、ほんとうに素敵な笑顔で私たちを見送ってくれた子どもたち。車に乗っても、車が走り出しても、見えなくなるまでずっとずっとずっと、手をふってくれた。あのキラキラした笑顔を守るために、私たち大人ができることはなんだろう。いまそれを考えている。

 

                         (S.O.)


    スワンモーン小学校     

 

 ラオスの首都ビェンチャン郊外にあるスワンモーン小学校を訪問した。学校までは舗装されていない悪路を行かねばならなかった。とても暑い日であった。校舎は平屋建てで手前には中学校、奥には小学校が隣接していた。私達一行は教室ではなくて入り口のすぐそばにあった図書館に招待されたのであった。図書館にある本は日本の小学校にあるのとはある点で異なっていた。それは辞書や勉強の本は少なく、読むための本が圧倒的に多いという点である。もとは日本語でかかれた絵本や物語が多くあった。英語で書かれていたものもあった。これらの絵本はASPBの協力によるもので、翻訳される本は限られてしまう。私達が行った日は夏休み中だったが、本がある家はあまりないらしいので、ここに本を読みに来る子は大勢いるということだった。また、この日は近所の大人たちも覗きやってきていた。

 

ジャパニーズ・ボックスの紹介

 私達はハエたたきや孫の手というような日本独自と思われるもので、一見何に使うかわからなそうなものを持っていった。だが、この2つは意外と簡単にわかってしまったどうやら似たようなものがこちらにもあるようだった。やはり子どもはどこでも同じらしく、ぴかちゅうとドラえもんが描かれたノートにはかなり興味を持っていた。また、ここでは大津さんがゴキブリの役に初めて挑戦した。さすがにゴキブリほいほいはこちらにはないので、そのもの自体は何をする道具かは分からなかったが、どうやら虫であるということはわかっていたようだった。名演だった。

 

 日本のおもちゃである、紙風船の使い方はすぐにわかったようだ。吹くと先端についている紙がぴゅっと飛び出るおもちゃは驚いていた。また、先端に風船がついていて、吹きおわると風船がブ〜ッという音を立ててしぼんでいくおもちゃも楽しんでもらえた。みんなその奇妙な音に笑っていた。おもちゃの力は世界共通だー!と思った瞬間である。日本のおもちゃの横綱と言えばやはり折り紙と言えるだろう。折り紙はみんなで折ってみた。今回は飛行機。やっぱり折ったことがないので私達にとっては簡単な飛行機でも、ゆっくりと、そして各テーブルに一人ずつ教え役の人がいないと折れなかった。子ども達は夢中で、出来上がった飛行機を飛ばして喜んでいた。時間があったら,もっといろいろな折り方を教えてあげたかったと思った。

 

 食べ物では今回はかりんとうとカップラーメンを紹介した。かりんとうの方は見てくれが悪かったので不安げだったが、食べたら「あまーい」と言っていた。喜んでもらえてよかった。こんぺいとうもできたら紹介したかった。カップラーメンは似たようなものがこちらにもあるらしかった。お守りはすぐにはわからなかったが、似たようなものはあるらしかった。その他にジャパニーズ風呂敷に入っていたものは日本の雑誌(東京ウォーカー)、こんぺいとう、日本地図、団扇、etc…がある。

 

歌編(かえるの歌の輪唱、春、アブラハムには7人の子)

 かえるの歌は始めに私達が歌い、その後歌詞を教えながら子ども達と一緒に歌った。即席で教えたが鳴き声のところはよくわかっていた。かえるの鳴き声の、"クワックワッ"という部分はラオス流で"オッ(プッ)オッ(プッ)"というように歌った。春はソプラノとアルトにわかれて歌った。一番好評だったのはアブラハムで合計2回ほどやった。一回目の始めはあまり盛り上がらなかったけれど、途中から子ども達はのってきて、今回のツアーの中ではここの小学校が一番盛り上がったと思う。2回目もみんな汗だくだくになって踊った。(ムエタイ風)子ども達は踊るだけではなく、教えたわけでもないのに、なぜか一緒に歌ってくれていた。右手、左手は完璧に歌えていたと思う。子どもってすごいパワーだと思った。高学年の子は恥ずかしがっていたようだったが、他の子はとても喜んでいた。私達もとても楽しかった。子どもに戻った気分になれた。この頃になると外には中学生も集まって来ていた。

 

子どもたちの番

 ラオスのダンスを女の子が数人踊ってくれた。みんな上手だった。その中でも一番上手な子に「どうしてそんなに上手いのか」ときいたところ、(各家庭の母親が教えたのだと思っていたが)「先生が教えてくれた」という。ラオスでは勉強以外にもこんな伝統的な踊りまで先生が教えてくれるのか、と驚いた。その他に、先生が中心になって振り付けがメインの歌を見せてくれた。それは午前中にASPBで見たものと同じものだった。また、アブラハムのように徐々に体の一部分を動かす歌と踊りもあった。雨を題材にした歌(振り付け有り)もあった。これは歌詞がちょっとしたストーリーになっていた。たしか日本にも雨の音を同じようなやり方(足を叩いたり、床を叩いたり)で表現する歌があったと思う。日本とラオスの生活や文化は少し似ていると思った。特にラオダンスを見せてもらった時にかかる曲の中には、沖縄の音楽とよく似ていると思う。

 

それから

 一通りの予定が終わった後、子ども達と遊んだ。先生に質問している人もいれば、子どもに楽器を教えている人、輪になってゲームを教えている人、ラオス語を教わる人がいた。また壁に竹?らしきもので編まれていたうちわが飾ってあった。学校で作って売っているものだった。

 私たちが帰るとき、ちょうど家に帰ろうとする子達が大勢トゥクトゥクに乗って後ろからついてきた。私達はバスの中からずっと手を振り、彼女達もまたずっと振り返してくれた。とても視覚的印象に残っている。

 

                         (Y.W.)


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