研究室紹介 ・ 一緒にタイランド

(『立教』175号、2000年12月、6-9頁より)

         

  立教大学  田中治彦


 私の研究室は6号館の入口付近にあり、しかも2001年中は二人一部屋ですので「研究室」と呼べるようなゆったりした空間を持ち合わせていません。いきおい私の話しは学外の出来事、それも海外の話しになります。私は毎年、学生たちを連れてタイにスタディ・ツアーに行っています。今年の春と夏にもチェンマイ近郊の農村や学校に行きました。その様子をお話ししながら、私の研究テーマや講義内容を紹介しましょう。

 

スタディ・ツアー

 

 なぜスタディ・ツアーを行うかというと、第一に私自身が旅が好きでタイが好きだからです。タイとのつきあいは学生時代以来30年にもなります。何が好きかと聞かれても困るのですが、特にタイの農村ののんびりした「まったり」した感じが大好きです。最初に学生たちとスタディ・ツアーを組んだのは前任校の岡山大学時代ですので今から四年前です。卒業旅行にタイに行こうと提案したところ3人の学生が是非行きたいと言ったところから実現しました。ただせっかくタイに行くのなら普通の観光旅行にはしたくない。そこでタイの人々と交流しながらもタイという国が抱えている課題を知れるようなスタディ・ツアーにすることにしたのです。

 私の専門は社会教育と開発教育です。開発教育というのは開発途上国が抱える諸問題を理解して、日本に住む私たちができることを考える教育活動です。そこで、まずバンコクに行き、都市の問題を知るために子どもの問題に関わっているNGOである「児童権利擁護センター」を訪問しました。このNGOではタイの児童労働や児童売春の実態を聞き、NGOが行っている救援活動を紹介してもらいました。その後スラムを訪れたのですが、このスラムは川にかかる道路の下のわずかな隙間に暮らしているもので、学生たちも驚いていました。児童権利擁護センターではこの地区で保育所を開設して子どもの健康のケアと教育活動を展開していました。

 バンコクの次にチェンマイを訪れます。チェンマイはタイ第2の都市です。バンコクが東京とするとチェンマイは京都のような都市で、静かで豊かな文化を保っています。タイ族はもともと中国の雲南地方から何百年もかけて南下してきたので、北部には古くて豊かな文化が残っているのです。チェンマイでは農村にホームステイしました。チェンマイから車で2時間ほど南南西に行ったところにあるバンホーンという村です。私はこの村が大好きでチェンマイに行く度に訪れています。 

 岡山大学時代に行ったスタディ・ツアーが原型となり、立教に来てからも3回企画しました。私の専門が教育ですし、学生たちも教員志望が多いので、行く度に学校を訪問しています。学校に教育と、タイの子どもたちのために日本の歌を歌ってください、とリクエストされます。最初の頃は「かえるの歌」や「今日の日はさようなら」などをアドリブで歌っていました。この春に10人程でカレン族という北タイの少数民族の学校に行ったときは、学生たちが自主的にプログラムを考えてくれて、歌だけでなく折り紙の指導をしました。教育学科の4年生が中心だったので子どもたちに対する教えかたもじょうずなので、私も感心して見ていました。そこでこれからツアーを組む際には、何か日本を紹介するような教材を用意して本格的に授業をしようかと考えています。

  カレン族の学校で

 

開発教育と新しいカリキュラム

 

 ツアーの話しばかりでもいけませんから、私の研究テーマについて少しお話ししましょう。開発教育という分野は日本では1980年頃に始まりました。欧米ではすでに1970年頃から国際協力NGOを中心に、開発途上国の問題を自国の国民に知らせる教育活動として推進されていました。当時アジアで唯一の先進工業国である日本でもこうした教育を行うべきと考えたユニセフやYMCAが日本での開発教育の旗降り役でした。

 その頃はベトナム戦争後のカンボジア内戦などで大量の難民が出ていました。これに対して日本からほとんど始めて民間団体が救援活動に当ったのです。これらの日本のNGOも自身の活動を知ってもらうために開発教育に関心を示しました。1982年には開発教育協議会も結成されて開発教育の普及を試みましたが、当時の学校教育ではまだ関心が低くあまり浸透しませんでした。

 1989年に日本のODA(政府開発援助)が世界一の額になり、同じ年に学習指導要領が改訂されて学校現場で国際理解が強調されるようになってようやく風向きが変わってきました。開発教育協議会にも教材の照会や講師の派遣依頼が飛躍的に増加するようになりました。そして2002年からの指導要領には「総合的な学習の時間」が設定されて、国際理解や環境教育がその中に例示されました。これからは教科書に縛られることなく学校ごとに自由に国際理解のカリキュラムが展開できることになります。

 そこで私たちは開発教育のテーマである、貧困、識字、貿易、国際協力、多文化共生などを題材としたカリキュラムの開発を行っています。私が担当している「国際教育」の授業や演習ではこうして開発されたカリキュラムをもとに展開しています。また、演習では新しいカリキュラムを自分たちで作ることを考えています。

 タイの小学校で日本を紹介する授業をしたいと述べましたが、これもその一環です。開発教育の教材に「バングラデシュ・ボックス」とか「タイ・ボックス」といって、その国の衣装、食材、子どもの一日の生活を移した写真、遊具など十点程度をひとつの箱に収めた教材があります。この「日本ボックス」版を作れば、タイの学校でも喜ばれるでしょう。また、日本ボックスを作る過程で、日本とは何か、自分たちは何をしているのか、ということを学生たちが考える上でも貴重な体験になるでしょう。

 

日本の子ども・若者論

 

 私にはもうひとつの研究テーマがあります。それはタイや外国の子どもたちの状況を「鏡」として、日本の子どもたちや若者の状況や教育について考えることです。タイの農村で生活していると、日本が急速な経済成長の結果「得たもの」「失ったもの」がよく見えてきます。得たものの最大のものは当然のことながら経済的な豊かさであり、学生のような定収入のない者まで気軽に外国に出かけられます。タイの農村の人々は一生かかっても日本へは来られないかもしれません。

 その一方で失ったものも大きいのです。最大のものは「人々のつながり」でしょう。タイの農家にいると、実にいろいろな人が出入りしていきます。親戚なのか近所の人なのかわかりません。そして子どもたちは村の人々の暖かい目に守られながらすくすく育っていきます。一人っ子、二人っ子で近所に知り合いや親戚もなく、テレビやオーディオやファミコンに囲まれながら寂しく育っていく日本の若者とは対照的です。このことが近年問題になっている不登校、いじめ、引きこもり、少年犯罪の直接間接の原因となっていることは明かです。

 タイの農村の子どもたちも、日本の都会の子どもたちもそれぞれ問題を抱えています。どうしたら共によりよい方向で育っていけるような環境がつくれるのか、そんなことを考えながら学生たちと一緒にしばらくは、日本とタイを往復しようと思います。


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