[資料集]

難民問題学習をめぐる報道

 

2002年10月7日

田中治彦

 


〔解説〕 難民学習の報道について (2002.8.26.)

 

〔資料集〕

A 難民学習の報道に関する開発教育協議会の見解

1.読売新聞・難民問題学習の報道について (2002.10.1.開発教育協議会の意見表明)

2.読売新聞盛岡支局に宛てた手紙 (2002.8.25)

 

B 当事者の見解 

1.2002学校フォーラム実行委員会が讀賣新聞社盛岡支局にあてた「誤報の訂正と謝罪を求める」声明(2002.8.28)

2.岩手県教職員組合岩手支部が報道機関に宛てた声明(2002.8.29)

3.読売の記事の誤りの箇所 

 

C 報道された記事 

1.小学校の難民体験授業で「ワイロ指導」(読売新聞,2002年8月14日夕刊)の記事(リンク) 

2.わいろ渡して入国審査パス 学校フォーラムで児童が疑似体験−−滝沢村 /岩手(毎日新聞,2002年8月15日)

 

D 参考資料(リンク)

1. 読売新聞大阪本社『国際協力ひろば』のホームページ

2.「難民ゲーム」が掲載されている『新しい開発教育の進め方U 難民』のホームページ(関西セミナーハウス・開発教育研究会)

3.開発教育協会(旧開発教育協議会)のホームページ

4.国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のホームページ 


 

〔解説〕 難民学習の報道について

 

  「小学校の難民体験授業で「ワイロ指導」」という不思議な見出しの記事が読売新聞に載っていると最初に知らせてくれたのは、立教の院生のMさんでした。それは開発教育メーリングリストへの投稿でした。その記事は参考資料として引用してありますが、例えばこのような状況であなたはどのような判断をしますか。

あなたは子ども3人を含む5人家族です。戦火が村に近づいたために、命からがら逃げ出し、ようやく国境を流れる川まで来ました。しかしあなたはパスポートをもっていないので、橋をわたって入国審査を受けることができません。手許には家を出るときにかろうじてもちだした「現金」と「宝石」があります。戦火は30キロ先まで迫っています。

1.「現金」か「宝石」を入国管理官に差し出して国外へ脱出を図る。

2.ここでの入国はあきらめて、別の地点から川を泳いで脱出することを考える。

3.出国はあきらめて、国内の別のルートを逃げる。

4.その他の方法を考える。

 あなたはどれを選びますか? 「1」でしょうか、「2」でしょうか、それとも別の方法を思いつきますか。

 それでは正解は・・・・?

 正解はありません。国外に脱出したからといって保護されるとは限りません。国内に残ったから死ぬかどうかもわかりませんし、場合によっては村に帰れるかもしれません。この「難民ゲーム」は個別の状況のなかで、家族(グループ)が一緒に考えてひとつひとつ選択していきます。避難する難民の状況をリアルに自分の問題としてい理解することを目的として作られています。

 この「2」の入国審査官に金品を差し出す行為は「わいろ」でしょうか。難民たちが命をかけた選択を「不法行為」と言えるのでしょうか。そもそも難民はパスポートをもっていませんからすべて「不法入国」です。この記事の論法でいうならば、日本の学校では難民問題それ自体を教えられないということになります。そもそも「難民」の存在それ自体が国際的におそるべき「不法行為」ではないでしょうか。難民条約などを持出すまでもなく、常識の範囲でわかることです。だからこのプログラムの参加者からは何ら問題は指摘されなかったのです。

 小学校4年生をこのゲームに参加させたことを問題にしているコメントもあります。しかし、このプログラムは「親子同伴」なのです。親子で話し合ってきめているのです。先生が一方的にある特定の結論にもちこんだり、「わいろを指導」したりしたものではないのです。

 この記事を書き配信した方々には、難民問題の基本的な知識に欠け、難民が置かれている状況への想像力と参加型学習という新しい手法に対する理解が欠如していたとしか言いようがありません。

 私は最初はメーリングリストで第三者的にコメントしていたのですが、事態が明らかになるにつれ、これはほっておけない問題だと感じました。なぜなら読売の記事は全国版に掲載されていて影響が大きいこと、そして何よりも自分の大学の学生が掲示板に「こんな実践はこまる」という趣旨の書き込みをしていたことです。その後毎日新聞の岩手版にも同じ趣旨の記事が掲載されていることがわかりました。

 さっそく開発教育協議会の知人に相談しましたが、新聞社に手紙を出してはどうだろうか、ということになりました。そこで、この教材の製作者である丸山さんと協力者である野中さんにお願いして記事を書いていただきました。

 それらをまとめて手紙にしたのがA2の文章です。これは2002年8月25日付けで読売新聞盛岡支局、読売新聞東京本社、そして文面は一部違いますが毎日新聞盛岡支局にもお送りしました。しかし、手紙だけでは不十分と感じています。すでに流れてしまった記事はそのまま訂正もなく「事実」として人々の記憶に残ります。「難民問題」と「難民ゲーム」に対する漠然とした悪印象は残るかもしれません。何よりも地元の岩手での今後の実践が心配である。難民問題やホットな社会問題を扱うことをおそれるようになるのではないだろうか、これが一番気がかりです。

(なお、「難民ゲーム」と通称していますが、実際は「逃げる」と題するシミュレーションで『新しい開発教育のすすめかたU 難民』(古今書院)にある参加型の教材のひとつです。)

   (田中治彦)


A−1.読売新聞・難民問題学習の報道について

     (2002.10.1.開発教育協議会の意見表明)

 

 さる8月14日の読売新聞全国紙の夕刊紙上に「岩手の小学校/難民体験で”わいろ指導”」と題する記事が掲載されました(岩手版には翌日掲載)また、毎日新聞岩手版にも「わいろ渡して入国審査パス」との記事が掲載されました。

 これらの記事は2月10日におこなわれた「2002学校フォーラム」(同実行委員会主催)という催しで行なわれた「難民シミュレーション」において「わいろ指導」が行なわれたという内容です。ここで行なわれた「難民シミュレーション」は、関西の開発教育研究会が作成した『新しい開発教育のすすめかたU難民』(古今書院、2000年)の中にある「逃げる」と題する教材でした。この教材には「わいろ指導」を行うような場面が存在しないことから、会員の間から記事に対する強い疑問の声が上がりました。

 この難民シミュレーションは7月21日に読売新聞大阪本社、読売テレビ、国際協力事業団大阪国際センターなどの主催で行なわれた「国際協力ひろば−高校生は考える」においても使用されていて、主催者側からも高い評価を得ていました。この教材の使用については、開発教育研究会のメンバーが岩手の実行委員会および読売新聞大阪本社の双方から事前にアドバイスを求められています。

 学校フォーラムを主催した先生方からは、この記事は「誤報」であるとして以下の点が指摘されました。@参加者は、小学校の「総合的な学習の時間」の授業の一環ではなく、学校外の催しに自由意志で参加したもの、Aシミュレーションのグループには大人が含まれ、つねに相談しながら難民の現実を疑似体験した、B「わいろ指導」をした事実はない、Cそもそも保護の対象である難民が、命と引き換えに差し出すものは、不正な「わいろ」と全く異なるものである。

 開発教育の教材がマスコミでこのような扱いを受けるのは初めてのことであり、開発教育協議会としてはこの事態を重くみて、常任役員会で協議しました。そして、事実を確認し正確な報道を促すために読売新聞盛岡支社宛に代表理事名で手紙を出しました。その内容は、「当事者の間で見解が相違しているので、事実を確認の上、再度正確で公正な報道を行うこと」および「難民問題およびその学習について新聞社として認識を高めること」の2点です。この手紙には、教材製作者の一人である丸山まり子さん(開発教育研究会)と、協力者である野中聖子さん(国連難民高等弁務官事務所=UNHCR)の文書も添えられました。

 その後、報道された学校の校長およびこの催しに参加した保護者からも読売新聞盛岡支局宛に抗議文が出されました。読売新聞盛岡支社と学校フォーラム主催者との間では協議が始まっていますが、読売新聞側は記事の訂正と謝罪には応じていません(9月27日現在)。

 開発教育協議会としては、今回の問題について次のような見解を表明し、読売新聞社がこの問題に対して誠実かつ公正に対処することを求めるものです。

1.報道された内容につき、当事者の見解が食い違っており、訂正の要求が出されている。事実を再度確認の上、事実に誤りがあれば迅速に訂正し、公正で正確な報道につとめること。

2.この催しで使用されたいわゆる「難民ゲーム」は、関西の開発教育研究会のメンバーが、UNHCRや多くの報道人の協力のもとに作成したものである。難民ゲーム自体は、グループに分かれて難民が避難する状況をシミュレートするものであり、「わいろを指導」するといった場面はこの教材には出てこない。

3.小学校4年生に対して不適切とのコメントがあるが、この催しは親子同伴の参加である。大人と子どもが一緒のグループを組んで、それぞれの状況で話し合いながら判断をしていくので、小学生にも十分理解できるものである。また、この点について参加者からは何ら批判が出されなかった。

4.命からがら逃げてきた難民がさしだす金品はいわゆる不正な「わいろ」とは性質が違うものである。本来、難民は保護されるべき存在だからである。

5.今回の報道によって、日本においては難民問題への理解が薄く、かつ難民に関する学習において検討すべき課題が多いことを実感した。マスコミの皆さんには難民とその人権についての理解を一層お願いしたい。

 最後に、このような報道が行なわれる背景は上記のように、マスコミ関係者の間ですら難民問題や参加型学習に対する理解が十分でないことがあります。開発教育協議会としては、今後難民NGOやUNHCRと協力しながら難民問題学習の普及、発展に一層努めていきたいと考えています。

                     2002年10月1日

                     開発教育協議会代表理事  田中治彦


A−2 読売新聞盛岡支局に宛た手紙(2002.8.25.)

 

拝啓、

 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 私は立教大学文学部で国際教育などを担当している田中治彦と申します。私は過去20年ほど難民問題を含めて途上国が抱える諸問題を理解するための開発教育を推進し、現在は開発教育協議会の代表理事をしております。

 さて、貴紙が8月15日付けで報道した「小学校の難民体験授業で『ワイロ指導』」と題する記事の内容につきいくつかの疑問と意見がありお手紙させていただきました。

 まず、この記事の報道の時期と意図についてです。貴紙の報道によれば本プログラムは今年の2月に実施されています。しかも親子同伴の学校外でのプログラムで、毎日新聞の報道では「保護者からの抗議はなかったという」とあります。その場で参加している大人たちから特に問題が指摘されなかった催しをなぜ、半年たったこの時期に取り上げる必要があったのでしょうか。

 主催者からの投稿を掲載しているホームページでは、今回の記事の事実関係について次のような指摘があります。

・「総合的な学習の時間」の授業の一環として参加したものでなく、自由意志で参加したもの

・グループには大人が含まれ、つねに相談しながら難民の現実を疑似体験した

・「わいろ指導」などしていない

・そもそも保護の対象である難民が、命と引き換えに差し出すものは、「わいろ」と全く異なるもの

(教育らくがき http://www.na.rim.or.jp/~rin/edu/rakugaki/)

 私は第三者であり、どちらが正しいのか確認するすべがありません。しかし、一般の読者は新聞の記事自体を信ずるものと思われます。実際はどうであったのかについての確認し公正な報道をしていただくようお願い申し上げます。

 今回このような手紙を差し上げている大きな理由は、この催しで使用された「難民ゲーム」が、関西地区の会員をメンバーとしている「開発教育研究会」が国連難民高等弁務官事務所のスタッフの協力のもとに長年かけて作成された教材であるからです。製作者の一人である丸山まり子さんと、協力者のUNHCRスタッフである野中聖子さんからのご意見については別途同封いたしました。

 私たちは、今回の報道により難民問題への学習活動にブレーキがかかるのではないかと非常に危惧しております。難民問題の深刻さについては野中さんの手紙にあるとおりです。日本ではなじみの薄いこの問題を、どうしたら自分の問題として捉え理解することができるか、その点に配慮しながらこの難民教材は作成されております。この教材(新しい開発教育のすすめ方U 難民)には緒方貞子さんも推薦文を寄せておられます。

 また、この難民ゲームは去る7月21日に読売新聞大阪本社、読売テレビ、国際協力事業団大阪国際センターなどの主催で行なわれた「国際協力ひろば−高校生は考える」においても使用されており、主催者側からも高い評価を得ております。同じ新聞社であり、同じ教材でありながらなぜこのように評価が異なるのでしょうか。

 今年度から導入された総合学習については、公式な指導書や教科書がないなかで、現場の創意工夫によって、自ら考えて行動する子どもたちを目指して実践が始まっています。その過程でさまざまな試行錯誤があり、ときには失敗例もあることと思います。総合学習についてはそのような試行錯誤も含めて長く温かい目で見ていただきたいと存じます。今回の事例ではありませんが、小さなつまづきを取り上げることにより、教育現場を萎縮させて「事なかれ」の教育が続くならば、日本の教育からは自ら考え創造的な思考をする子どもたちはいつまでたっても生れてきません。

 どうぞ以上のような点についてご配慮いただき、世界の難民問題について日本の人々の理解がより促進されるような学習活動につき、今後ともご理解ご協力いただきますようにお願い申し上げます。

                                  敬具

                                 田中治彦

2002年8月25日


難民体験授業の報道について

 

                 開発教育研究会 丸山まり子

 

 難民問題を学ぶイベントでの難民疑似体験のゲームについて、「小学校の難民体験授業で『ワイロ指導』」との報道がなされました。この活動は京都の開発教育研究会が作成した教材集「新しい開発教育のすすめ方U 難民」の中で紹介しているものです。

 私たちはこの地球に5000万人を超える難民・避難民といわれる人たちと暮らしています。難民の問題は様々な対立を解決できない現代を反映しています。子どもたちが、自分が生きている社会がどうなっているのか、これからどんな社会を描いていくのかを考える平和学習のテーマとして、私たちは「難民」を選びました。テレビ画面に映し出された難民の姿はスイッチを切ると消え、子どもたちはいつもの生活にもどります。遠いところでかけ離れた生活をしている難民の人々に関心を寄せることはありません。そこで、子どもたちが難民問題に関心を寄せ、共感的に理解するように疑似体験ゲームを作りました。

逃げなければならない!何を持ち出す?大好きなもの、思い出の品々、ペットと別れなくてはならないかもしれません。ゆたかに想像する力は子どもの才能です。関心を持って学ぶことで、遠い存在だった難民の子どもたちの体験や気持ち対する共感が生まれます。

 教材を作る際、難民になって日本に来た人・支援している人や研究者の話、欧米の教材や難民関係の文献、新聞記事、テレビ番組、子どもたちの反応など、広く情報を集めました。難民となった人たちは生きるために壮絶なたたかいを強いられていることを再認識しました。金品を差し出すこともあります。こどもとおとながグループで相談し、生きるために金品を差し出した行動を「ワイロ」というのでしょうか。参考にした新聞などメディアの報道は志の高いジャーナリストたちの日々の努力によってわたしたちのもとへ届けられた貴重な資料でした。今回の記事はわたしたちのメディアへの信頼を大きく裏切るものです。また、教員が教室で難民問題をはじめとする社会の出来事について学ぶことにブレーキをかけることになりかねません。

 報道も教育も公正な社会の実現をめざす営みです。アフガニスタンで失われていく多くの命に悲しみ、憤り、取り組んだ教員の平和への願いと行動に思いを馳せ、参加した子どもや保護者、関わったたくさんの人々の小さな声に耳を傾け、拾い集め、正しく報道してほしいと考えています。


難民問題への正しいご理解を

 

         UNHCR日本・韓国地域事務所広報室  野中聖子

 

 「川を渡って逃げるとき、泳げない子どもがたくさん溺れて死にました。渦巻く水の上に小さな手を突き出したまま、水に流されていった光景は、今も目に焼きついて忘れられません」。

 これは、スーダン難民の少年クオルの言葉です。彼の住んでいた村は、政府軍と反政府勢力の戦いに巻き込まれ、お母さんは殺されてしまいました。、クオルは村を捨て、同じような境遇にあった1万2000人の少年たちと約2000キロの道のりを歩き、ついにケニアの難民キャンプに逃れたのです。この時、彼はわずか7歳でした。

 戦争のない日本に暮らしていると、世界が平和ではないという現実になかなか気づくことができません。しかし、世界のあちこちで激しい紛争や対立が続き、多くの人々が命を落としたり、生き延びられればクオルのような難民となっているのです。

 現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、世界で約2000万人の難民・国内避難民を対象に援助活動を行っています。難民とは、人種や宗教、国籍、政治的意見などの違いのために迫害を受けたり、あるいは戦争のために他国に逃れた人々のことです。

 1990年代、クルド人を初めとしてルワンダ、旧ユーゴスラビア、コソボ、チェチェンなど民族や宗教、政治的な対立による紛争で大量の難民が発生しました。難民問題は世界の平和と安定を揺るがす地球的な規模の課題となってきたのです。

 UNHCRは、政府やマスメディア、NGO(非政府組織)と協力して、こうした難民の存在を日本の子どもたちにも伝える努力をしてきました。学校の授業の中でも難民問題を取り上げてもらうため、先生方と教材作りをしたこともあります。しかし、残念ながら日本の子どもたちが難民問題に触れる機会はまだまだ少ないというのが実情です。

 なぜクオルのような難民が生まれるのか、どうやって命からがら逃げのびて、どのような苦しみを背負っているのか。また難民問題の解決に向けて、恵まれた平和の中にいる私たちに何ができるのか。そのような厳しい現実を世界の子どもたちと共に、日本の子どもたちにも自分自身に引き寄せて考えてほしいと願っています。

 難民問題はこの地球上に生きる人々すべてにかかわる問題です。そのことをより深く理解するためにも、学校教育の場で子どもたちが難民問題に触れる機会が不可欠なのです。


 

 

B−1 2002学校フォーラム実行委員会が讀賣新聞社盛岡支局にあてた「誤報の訂正と謝罪を求める」声明

 

讀賣新聞社盛岡支局長殿

8月15日讀賣新聞岩手県版における誤報の訂正と謝罪を求める

私たちは、8月15日に貴社により報道された記事の以下の部分について、事実に反しており、しかも報道の結果、主催者としての名誉を傷つけられたことから、新聞紙上にて訂正及び謝罪することを求める。

1. タイトルにある「滝沢二小・総合学習」「難民授業で"ワイロ指導"」なる事実はない。

2. イベントの中においても「ワイロ指導」なるものはない。

訂正欄で謝罪の記事を載せる期限を2002年9月4日までとし、それまでになされない場合には、しかるべき手段に訴えるものである。

以上。

2002年8月28日

2002学校フォーラム実行委員会


B−2 岩手県教職員組合岩手支部が報道機関に宛てた声明

 

報道機関各位様

8月15日讀賣新聞「誤報」記事の事実関係について

 

 日頃より、社会の発展に資するため公正な報道を行っておられます、関係各位の皆様方に敬意を表します。

去る8月15日付けで、讀賣新聞岩手県版紙上に掲載された記事の件で、「事実と異なる報道がなされ、多大な迷惑を被っている」ことから、報道機関各社のみなさまに、岩手県教職員組合岩手支部としての見解を表明させていただきます。

2002学校フォーラムは、実施された当時<2月10日(土)に開催>朝日新聞、盛岡タイムスの2社、テレビ局2社によって報道され、特にも参加した子どもたちの発表には、多くの賞賛の声が寄せられたものであります。フォーラムに参加した方々からも「有意義な会だった」という好意的な感想こそあれ、見出しにあるような「批判の声」など1件もなかったと聞いております。

私たちは、主催者の設定したテーマや願いに共感し、「今日的な課題に対し積極的な教育活動を推進するべき」という気持ちで参加し協力してきましたが、会の目的やそこで行われた活動がかくも捻じ曲げられ伝えられたことに当惑と怒りを禁じえません。名前を出されている私たちだけでなく、後援した皆さんをはじめとして、当日参加した子どもたちや保護者の皆さんをもおとしめる様な報道は本当に許しがたいものです。

記事のタイトルの「T小・総合学習/難民授業で"ワイロ指導"/『違法行為を容認』批判の声」(記事では学校名は実名)というのは、読む人に「学校の授業で子どもたちに『違法行為をしてよい』と教えている」という印象しかあたえません。

しかし、私たちは学校のカリキュラムとして、総合的な学習の中で、言われているような内容を扱った学習をした事実は一切ないことを確認しています。またフォーラムは、休みの日に、希望者の参加で行われました。該当校のひとつのクラスの児童以外に、他のクラスの児童、他校の小中高校生、保護者・教職員・一般市民など多くの人たちが参加していました。そのような設定で行われていた活動を「授業」などと表現するのは明らかな誤りです。

しかも、集会のプログラムのひとつとして行ったシミュレーションそのものが「難民の人たちの立場を共感的に理解する。」ことを狙いにしていて、賄賂を正当化するようなものにはなっていませんし、指導の事実は一切ありませんでした。

また、私たち岩手県教職員組合岩手支部は、主催者ではありません。実行委員に私たちの仲間は関わっていますが、あくまで個人の資格で参加したもので、組織の意図を実行委員会の中で主張する目的をもっているものではありません。主催者の名前をあえて伏せ、記事にあるような書き方をするのは、読者に誤った印象をあたえるものです。

しかも、前述したような事実誤認の内容と合わせて読むことで、「岩手支部が、不適切な教育内容を提案し、そことひとつになった活動をしている学校も悪い」と読み取れるものになっています。これは、長年にわたって築き上げてきた、地域の教育行政、学校、保護者との信頼関係を破壊するもので、私たちにとって許しがたいものです。

主催者側は、即座に「事実誤認を認め、紙上にて謝罪する」ように申し入れております。しかし読売側は、学校の授業の中で行ったものでないと認めながらも、「タイトルは記事全体を読めばわかることで、事実に反していない」と、こちらの主張は一切受け入れませんでした。

今回讀賣が記事にしたことで、「本当であれば問題だ」とマスコミ各社がとらえ、多くの新聞社やテレビ局が校長先生や関係者に取材を行ったと聞いています。しかし、載せたのは毎日だけで、しかも学校の中で教えているようには書いていません。これは、「誤報」は流せないという各社の皆様の判断であり、皆様が「信憑性が疑われる」と讀賣記事を判断したことによるものと拝察いたします。

私たちは、今回の悪意あふれる「誤報」によって傷つけられた名誉と信頼の回復のために、讀賣新聞盛岡支局に対し、2002年9月4日を期限として「訂正と謝罪」を求める所存です。それは、私たち以上に驚き、傷つけられる立場に立ち至った、子どもたちや保護者、職員の皆様、そして多くの関係者の皆様の名誉回復のためでもあります。

 誤った報道が、どれほど多くの人を傷つけるのか、身をもって感じさせられました 。皆様におかれましては、今後とも事実・真実による、公正な報道をお願いいたしますとともに、今回の報道被害の実相に付いて、ご理解いただきたく存じます。

 

2002年8月28日

岩手県教職員組合岩手支部


B−3 読売の記事の誤りの箇所(主催者が指摘している4点)

1 タイトルにある「滝沢二小・総合学習」(1-1)、「難民授業で」(1-2)、本文「滝沢村滝沢第二小学校(藤田重治校長)が『総合的な学習の時間』の授業の一環として参加した」(1-3)はいずれも事実と異なる。とりあげられているプログラム「難民シミュレーションゲーム“逃げる”」は、プログラムの計画主体においても、参加の位置づけにおいても、滝沢第二小学校の教育課程における「総合的な学習の時間」とはまったく別のものである。

2 タイトルにある「“ワイロ指導”」(2-1)本文「『わいろ』を渡して」(2-2)「わいろとして」(2-3)、そのほか、「わいろ指導」がおこなわれたという誤った前程にもとづく校長、専門家のコメントの中でも上記以外に「わいろ」という言葉が頻繁に使われている。これらは、主催者が違法行為を容認したり勧めたりする働きかけをしたと述べるものである。このような働きかけをした事実はない。

3 タイトル「批判の声」(3-1)は、批判の声が相当程度存在したと述べるものである。しかし、本文中の杉原誠四郎、尾木直樹両名の意見以外に批判の声は記述がない。また両名の意見は「わいろ指導が行われた」という誤った情報に基づくものであり、批判にあたらない。「批判の声」があがっていたという事実は存在しない。

4 本文「県教職員組合岩手支部などが」(4-1)は、このイベントの主催者が2002年学校フォーラム実行委員会(代表 小林英信)であることをあえて伏せ、岩教組岩手支部があたかも中心的実行主体であったかのごとく述べるものであり、誤りである。


C−1 小学校の難民体験授業で「ワイロ指導」(読売新聞,2002年8月15日夕刊)=リンク


C−2 わいろ渡して入国審査パス 学校フォーラムで児童が疑似体験−滝沢村 /岩手 (毎日新聞)

 

 ◇難民ゲーム

 滝沢村立滝沢第二小学校(藤田重治校長)の児童が参加した県教職員組合岩手支部などで構成する実行委員会主催の学校フォーラムで、「難民ゲーム」と称して児童がわいろを渡して入国審査を通り抜けるという疑似体験を行っていたことが分かった。学校側は「ゲームの中身を事前に知っていたらやめさせた」と困惑している。

 難民ゲームは2月に村内の古里交流館で行われ、同校の児童や保護者ら約60人が参加した。ゲームの途中で入国審査があり、一部の児童が審査官役の大人にわいろとなる「宝石」や「現金」のカードを渡した。保護者からの抗議はなかったという。

 藤田重治校長は「話を聞いたのは1カ月後。ゲームの内容は行き過ぎ」と批判する。一方、主催者側は「参加した児童はこれまでにも難民について学習しており、わいろが正しくないことは知っていた」と説明している。

(毎日新聞)

[8月15日18時43分更新]


 

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