立教大学田中治彦研究室

 

持続可能な開発のための教育とは何か?

−予備的考察−

 

2003年4月25日

田中治彦

English 


本稿は『持続可能な開発のための学び』(別冊『開発教育』 開発教育協会、2003年4月)のために書き下ろされた論文です。冊子の内容や注文については開発教育協会のホームページをご覧ください。


 「持続可能な開発のための教育」は2002年9月のヨハネスブルグ・サミットの実施計画文書においてその重要性が確認され、同年12月の第57回国連総会において2005年からの10年間を「持続可能な開発のための教育の10年」とすることが決定された。1) この教育の定義や10年計画の内容については、2003年秋の国連総会において改めて議論し採択することになっている。

 この論文では、これまで議論されてきた「持続可能な開発」の内容と、過去に実践された開発教育、環境教育等の成果のなかから、「持続可能な開発のための教育」の内容と方法の原則を明かにしようとするものである。まず1節で持続可能な開発の概念について、過去の議論を含めて再確認したい。次に2節で、持続可能な開発の考え方の背景となっている、世界の貧困や人口問題と環境問題との相互関連性についてみておきたい。その上で3節4節で、持続可能な開発のための教育と従来の環境教育、開発教育との関係を考察する。とりわけ、環境教育、開発教育ををどのように継承、発展させることが持続可能な開発のための教育につながるのかを考えたい。最後に、持続可能な開発のための教育を実践していく上で、どのようなアプローチをとったらよいのか、その内容と方法について提案してみたい。


1.「持続可能な開発」の考え方

 

持続可能な開発(sustainable development)の概念は、1987年にブルントラント委員会より出された『我々の共通の未来』という報告書の中で明確にされた用語である。2) 報告書のなかで、持続可能な開発は「将来の世代が自らのニーズを充足する能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすような発展」と定義された。これは従来のように開発と環境を対立的に捉えるのではなく、地球の生態系が持続する範囲内で経済開発を進める考え方である。現在の世代が将来の世代のための資源を枯渇させぬこと(世代間の公正)と、南北間の資源利用の格差すなわち貧困と貧富の格差を解消することをめざしている(世代内の公正)。

 その後、1992年の国連環境開発会議(地球サミット)において、持続可能な開発の理念が公に合意されて、具体的な行動計画として「アジェンダ21」が採択された。持続可能な開発の考え方は、1990年代に行なわれた国連会議、国際会議において中心的なテーマとなり、次第に地球社会が抱えている課題の相互関連性が明らかにされた。それらの会議は、世界人権会議(ウィーン)、国連人口開発会議(カイロ)、世界社会開発会議(コペンハーゲン)、第4回世界女性会議(北京)、国連人間居住会議(イスタンブール)である。これらを通じて、人口、貧困、環境、ジェンダー、居住、人権などの課題が国境を超えた地球規模の問題であるだけでなく、それらは相互に深く関連していること、そしてその解決には国を超えた国際協力とともに参加型市民社会が不可欠であることが明らかになった。

 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議は「地球サミット」として知られ、世界の環境保護に向けて重大な意義をもつ会議となった。地球サミットのキーワードは「持続可能な開発」であり、世代間の公正と世代内の公正が議論された。世代間の公正とは、現在の世代が資源やエネルギーを使い果たしてしまい、我々の子孫には資源の枯渇した地球とゴミを残すような事態を避けようと考え方である。

 持続可能な開発の実現のためには世代間の公正と同時に、南北間の公正(世代内の公正)が求められた。例えば、工業化の度合により国家間ではエネルギーや資源の使用量に大きな格差がある。図1にあるようにインド国民一人当りのエネルギー消費量を1としたときに、日本や西欧の先進工業国はその12〜13倍のエネルギーを使用しており、アメリカ・カナダに至っては25倍以上ものエネルギーを一人当りが使用している。

 地球環境を守るためにエネルギーや資源の使用を制限していくことに関してが地球サミットで合意された。しかし、その後の地球温暖化防止のための諸会議において(COP3京都会議、COP4ブエノスアイレス会議)、その制限をエネルギー使用量の多い先進各国から行うべきという主張と、開発途上国も同時に制限を設けるべきという主張との間に深刻な対立がある。この対立はヨハネスブルグ・サミットにも持ち越され、地球環境問題の解決策をめぐる最大の争点となっている。

 地球環境を破壊する2大要因は、先進工業国側の資源・エネルギーの過剰消費とともに、開発途上国側の急激な人口増と貧困の存在がある。人口増はそれだけで野生生物の生息域を圧迫するし、貧困の存在は燃料、食料確保のための森林伐採などの環境破壊につながる。先進国の過剰開発に対して、途上国側には貧困という「過少開発」の問題があり、生活を維持するための一定の「開発」が求められる。そこで、人口と貧困の現状と環境問題との関係について見てみよう。


2.人口、貧困、環境のトリレンマ

 

 現在の地球社会が抱えている課題は、まず1999年に60億人に達し、2003年には63億人を擁するという人口問題がある。世界の人口がこの半分であった30億人に達したのは1960年のことであるから、わずか40年足らずで人類は倍増したことになる。しかも問題は60億の人口の5分の1以上に相当する10数億人はその日の暮らしにも困るくらいの「貧困」の状態にあることである。「貧乏人の子だくさん」という格言があるように、「貧困」と「人口」の問題は密接に関連している。

 さらに、この60億の人口が21世紀半ばに80億で止まるのか、100億人まで達するのか、あるいはそれ以上になるかは、地球環境にとって大きな問題である。貧困と人口問題を解決しなければ地球環境を守ることはできない。しかし,貧困と人口問題の解決のためには一定程度の「開発」すなわち貧しい人々の生活向上が不可欠である。

 人口問題を主要なテーマとしたのが、1994年にカイロで開催された人口開発会議である。その「行動計画」の第1章(前文)には次のように書かれている。3)

 「人口、開発、環境の相互関連についての認識の高まりにつれ持続可能な成長を促進し、地球規模の問題を解決することの重要性がかつてないほど高まっている。現在、未曾有の人口増加、貧困、社会経済上の不平等・不経済な消費が原因で環境状態が悪化しており、地球上の新たな脅威の一つとなっている。」

 一般に人口は産業の発展に伴い図2のように変化する。すなわち、高出生率、高死亡率の第T局面から、高出生率、低死亡率の第U局面に移動し、生活水準の高まりとともに低出産率、低死亡率の第V局面へと移行する。第Tと第V局面においては人口は停滞ないしは微増である。死ぬ人の数よりも生まれるどもの数が多い第U局面では人口は増加する。日本はわずか100年の間にこの3局面を駆け抜けてきた。江戸時代にはおよそ3000万人の停滞人口で第T局面にあったが、明治以降の近代化の中で、食料の生産性の向上、工業化による生活水準の向上、教育の普及などの要因により死亡率が急速に下がり人口増加が始まった。この増加は1960年代の高度成長期まで続き日本の人口は1億人を超えた。その後、子どもの家計負担の増大、女性の社会進出などの要因により少子化が進み、人口は微増に転じている。現在では、少子化と高齢化が深刻な問題としてとりあげられていることは周知のとおりである。

 現在、年間約8000万人の人口増のほとんどが開発途上地域で起きている。従って、今後の人口増を押さえるためにはこれらの地域全般での生活と教育レベルの向上、それに家族計画の普及が急務である。そのためには、開発途上地域における貧困問題を解決しなければならない。

 貧困の問題を正面からテーマとして取り上げたのが1995年にデンマークのコペンハーゲンで開催された世界社会開発サミットである。コペンハーゲン宣言ではその16項で、世界の問題状況を次のように指摘している。4)

 ○ 各国内の貧富の格差の拡大、先進諸国と途上国の格差の拡大。

 ○ 世界に存在する10数億人の貧困人口。

 ○ 地球環境の悪化による貧困、不均衡の悪化。

 ○ 人口増加による社会制度、自然環境の悪化。

 ○ 世界で1億2千万人いる失業者の存在。

 ○ とりわけ女性層の貧困と過度の負担。

 ○ 10人に1人いる障害者が貧困・失業・社会的孤立にさらされていること。また高齢者も同じような状況にあること。

 ○ 難民・避難民が何千万人も存在すること。

 以上のような状況認識のもとで、世界社会開発サミットでは主要議題として、@貧困の根絶、A雇用の拡大、B社会的分裂の回避(社会統合の促進)の3点が話し合われた。このサミットでは従来の経済優先型の開発が必ずしも貧困を解決せず、時には弱者を圧迫してきたという反省のもとに、会議のタイトルにもあるように人間開発および社会開発の概念が重視された。社会開発は、教育、栄養、保健医療、雇用、環境保全といった人間開発の優先の開発を行い、また住民自身が開発の計画から実施のプロセスまで参画して、住民自身が開発の受益者となる考え方である。

 世界社会開発サミットでは、人間中心の社会開発と社会正義の実現のために1996年から向こう10年間を「貧困絶滅の10年」として、貧困と失業の解消および社会的分裂回避のために地球規模で取り組むことを宣言した。そのために各国政府は公共支出のうち少なくともその20%を社会開発に向け、またODAの20%を社会セクター向けとすべきという「20:20協定」が提唱された。

 以上みてきたように、貧困、人口、環境の3つの課題は相互に原因となり結果となり絡みあっている。私たち人類はこれらの「トリレンマ(3重の板挟み状態)」を同時に解く必要に迫られているのである。従って、これらの問題に対する認識を高めるためには、人口・貧困問題を扱ってきた開発教育と、環境問題を扱ってきた環境教育とが統一的に実践される必要性があるのである。


3.「持続可能な開発のための教育」の内容

 

 持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development、以下「ESD」と略す)については、2003年の国連総会の決議のなかでその内容が明確化されることになる。その議論を深める意味でも、これまでの持続可能な開発のための教育に関連する議論を整理し、ESDのための教育の内容と方法について考えていきたい。

 ESDの根拠は「持続可能な開発」がキーワードとなった1992年の地球サミットに求めることができる。その行動計画である「アジェンダ21」では、第36章において「教育、意識啓発及び訓練の推進」が扱われる。5) その第3節で「教育は持続可能な開発を推進し、環境と開発の問題に対処する市民の能力を高めるうえで不可欠である」と述べられている。さらにその後段で、「教育はまた、持続可能な開発にそった環境および倫理上の意識、価値と態度、そして技法と行動様式を達成するために不可欠である」と記されている。アジェンダ21にはしばしば「環境および開発教育」という用語が使用され、この時点で、持続可能な開発のための教育の中身として環境教育と開発教育とが想定されていることがわかる。

アジェンダ21を受けてユネスコは1997年12月に、ギリシャのテサロニキにおいて「環境と社会に関する国際会議―持続可能性のための教育とパブリック・アウェアネス(公的な気づき)」をテーマに会議を開催した。その最終文書である「テサロニキ宣言」では、「環境教育を『環境と持続可能性のための教育』と表現してもかまわない」(第11節)と表現している。6) そして、「持続可能性という概念は、環境だけではなく、貧困、人口、健康、食糧の確保、民主主義、人権、平和をも含むものである。最終的には、持続可能性は道徳的・倫理的規範であり、そこには尊重すべき文化的多様性や伝統的知識が内在している」(第10節)と述べられている。

 テサロニキ宣言における特徴は、環境教育を「環境と持続可能性のための教育」として発展させることの確認が行なわれたこと、そして持続可能性の内実は環境と開発問題にとどまらず、民主主義、人権、平和、文化的多様性を含む幅広い概念としてとらえたことである。この背景には、先に述べた1990年代に行なわれた一連の国連・国際会議において、地球的な諸課題の相互連関性が認識されたことがある。

 同じ年にユネスコはドイツのハンブルグにおいて第5回国際成人教育会議を開催した。ここにおいて採択された宣言は「ハンブルグ成人教育宣言」と呼ばれ、人類が抱えるグローバルな課題と成人教育の役割を次のように明らかにしている。7)

 「参加者は、人権の最大限の尊重を基礎にした、人間中心の開発ならびに参加型の社会のみが、持続可能かつ公正な開発をもたらしうることを再確認する。もし人類が生き延び、未来の課題に応えようとするのであれば、生活のあらゆる領域において、人びとが情報を得て、効果的に参加できることが必要である。」 (第1節)

 ハンブルグ宣言は地球的諸課題として、貧困・南北格差の解消、地球環境問題の解決、平和で民主的な社会の達成、被差別者・弱者(女性、障害者、先住民、高齢者、等)の権利としての学習の保障を上げている。これらの解決のためには冒頭にあるように人間中心の開発と参加型社会が必要であり、そしてそのためには成人教育こそ必要不可欠であるという基本認識がある。ハンブルグ宣言は続いて次のように述べている。

 「成人教育は権利以上のものであり、21世紀への鍵である。それは積極的な市民性の帰結であると同時に社会生活への完全な参加の条件である。それは生態学的に持続可能な開発を育み、民主主義と公正、男女平等、科学的社会的経済的な開発を促進し、暴力紛争が対話と正義に基づいた平和の文化に転換された世界を創るための強力な概念である。成人学習はアイデンティティを形成し、人生に意味を与えることができる。生涯にわたる学習は、年齢、ジェンダー平等、障害、言語、文化的経済的格差といった要因を反映した学習内容への変革を迫っている。」 (第2節)

 ここで述べられていることは成人教育のみならず、青少年教育をも含めたすべての持続可能な開発のための教育(ESD)の内容として捉えることができる。すなわち、持続可能な開発のための教育とは、@生態系や環境保護を中心とした従来の環境教育、A人口、貧困、健康といった開発問題を扱う開発教育、B平和、人権、民主主義、共生といった平和教育・人権教育の内容、の3つの柱によって成り立つ教育学習活動なのである。


4.環境教育とESD

 

 それでは、持続可能な開発のための教育は従来の環境教育とどの点で共通し、どの点で違いがあるのだろうか。あるいは、従来の環境教育がESDへと発展するにはいったい何が必要なのだろうか。以下、この点について言及した新田和宏、ジョン・フィエン、石川聡子、阿部治の議論を検討しながら明らかにしてみたい。

 地球市民教育総合研究所の新田和宏は、従来の環境教育の流れとその特徴を明らかにするなかで、ESDの内容と方法を提起している(新田論文は本誌に集録されているので、詳しくはそちらを参照されたい)。8) 新田によれば、日本の環境教育は概ね、公害教育、自然保護教育、自然体験学習、持続可能性のための教育という4つの流れで進展してきた。日本の環境教育のひとつの原点である公害教育は、1960年代の激甚型産業公害という問題を目の前にして、公害問題に関する知識とその解決策を一斉授業のスタイルによって教え込むという「問題−教授型アプローチ」であった。現下の公害問題に対応した緊急対応的な教育であっために、激甚型公害問題が終息するにつれて下火になった。 環境教育のもう一つの原点である自然保護教育は、生態学の立場に立った自然観察をもとに、自然を大切にするマナーと自然を守る心構えを教える、という学習の筋道をたどった。いわば「観察−教訓型アプローチ」であるが、問題は観察と教訓の間に相当な飛躍があり、個々人がその教訓を日々の生活に「持ち帰る」ことに無理があった、と指摘する。

 そして1980年代後半から登場し現在も主流である自然体験学習は、環境への豊かな「感性」や学習者どうしの連帯を通して課題を解決していく「感性−共同体アプローチ」である。しかし、自然体験学習は学校の中で制度化されるに伴い、「自然親交型」のプログラムに収斂する傾向をみせた。自然体験そのものが自己目的化してしまい、結果的に教育内容が「脱環境問題化」してしまう傾向があった。

 従来の環境教育の特徴と限界をまとめた上で、新田は「持続可能性のための教育もしくは『環境についての総合学習』『持続可能性のための総合学習』は、環境に関する「知識」を覚えることを目的とする教育ではなく、環境やそれに関連する事項をテーマに据えて、学習者に公的な気づきを促しつつ、学習者相互の『共同性』を培い、学習者が互いに『協働(collaboration)』しながら課題を解決する力を育成するところにある」と述べている。その上で「持続可能な社会を創る環境教育は、『持続可能な社会』を具体化するための政策提言がなしえる市民の育成に携わる使命を帯びる」としたうえで、学習者や市民の政策提言の力をエンパワーメントしていくための教育的なトレーニングの普及・推進を強調し、そのための具体的なカリキュラムを提案している。

 オーストラリアの環境教育学者ジョン・フィエン(John Fien)は、その著書『環境のための教育−批判的カリキュラム理論と環境教育』のなかで、「環境」と「教育」の思想・理念の違いから、環境教育を5つの類型に分類した。9) その中の「批判的環境教育」が今日の持続可能な開発のための教育につながる理念と方法を有している。フィエンは従来の批判的環境教育についてまとめる中で、次のような5つの特徴をもっていると解説する。10)

 1 批判的環境教育は、以下の点に基づいて、環境への批判的意識を伸ばすことを強調する。

 (a) 自然システムと社会システムの相互依存関係の総和として環境をホリスティックに見ること。

(b) 現在と将来の環境問題を歴史的展望で捉えること。

(c) 次の点を検討し、環境問題の原因と影響、オルタナティブな解決策を探ること。

(i) イデオロギー・経済・科学技術の関係

(ii) 地域・地方・国家と地球規模での経済のつながり

 2 批判的環境教育は、社会の現実の問題に焦点を当て、情報の種類とタイプについて広範に研究しながら、実践的で学際的な多様な学習経験を経て、批判的思考と問題解決技能を伸ばすこと。

 3 批判的環境教育は、環境の質に対する感受性と関心をもとにして、環境倫理をのばすこと。

 4 批判的環境教育は、環境の質を改善し維持するさまざまな社会行為に加わるように促す政治リテラシーに対する理解や態度、またその技能をのばすこと。

 5 批判的環境教育は、目的に合った教授アプローチを必要とする。すなわち、それは「批判的実践」と呼ばれているものである。

 

 同書の解説論文として「これからの環境教育−人間環境の持続可能性をめざす」を書いた石川聡子は、持続可能性のための教育の基本原理として、(1)理念・基本的価値(公正・正義)、(2)手続き・過程(参加型合意形成・民主的意志決定)、(3)担い手・主体(市民・自立的存在)の3つがあるとしている。11) その上で、「簡潔にいうと、人間社会における公正さの実現のために、社会の構成員一人ひとりが、民主的な意思決定の手続きに主体的に関わることができ、他者とのつながりのなかで自らが豊かな存在になれることである。このような市民を形成し、持続可能な社会の構築へ向かう教育的役割を、持続可能性のための教育は果たすべきと考えている」とまとめている。

 石川、新田に共通するのは持続可能な開発のための教育は、公共の問題に関わり解決のために参加できる市民の育成に関わるという点である。

 日本環境教育学会や日本環境教育フォーラムで長年指導的な立場にある阿部治は別の角度から持続可能な開発のための教育をとらえている。阿部は環境教育の実践体型を「自然系」「生活系(社会系)」「地球系」に分類している(図3)。12)「自然系」は生態学を基礎にした自然保護や自然体験の学習が含まれ、「生活系(社会系)」にはゴミ、リサイクル、消費者教育、まちづくり、などが入る。そして「地球系」では地球環境問題を初めとして開発、平和、人口などの地球的課題が扱われる。

 その上で、阿部はこれらの環境教育がESDとして展開されるためには図の「総合系」が大切である、とする。総合系には環境自治体やエコミュージアムなどが例示されているが、阿部によると「つなぐ」ことがキーワードである、という。「行政施策をつなぐ、人と人をつなぐ、地域と地域をつなぐ、というようにいろいろあり」「そのつなぐための切り口は、環境でもいいし、福祉でも教育でも国際関係でも何でもいい」と述べ、学校で始まっている総合学習は、この「つなぐ」という発想が大事な広い意味での環境教育である、と語っている。また阿部は、持続可能な社会づくりに、子供たちが主体的に参加すること、子供と大人、地域と世界、時間と空間などのつながりを環境や福祉などの視点で子供たちが見つけていくプロセスを重視する。新田と石川の議論の中心は公共への参加であったが、阿部はさらに「つなぐ」という言葉で「関わり」や「パートナーシップ」をESDのキーワードとしていることがわかる。


5.開発教育とESD

 

 開発教育(development education) は、1960年代に欧米の国際協力NGOが提唱して、1970年代にユニセフなどの国連機関の会議を通して概念としてまとまりを見せた教育活動である。日本では1979年に国連大学、国連広報センターなどの主催で開かれた「開発教育シンポジウム」がきっかけとなり、1982年に関係者によって開発教育協議会(現、開発教育協会=DEAR)が結成された。13)

 当時の開発教育は、開発途上国における貧困や飢餓といった「低開発」や「欠乏」を問題として、その解決のために先進工業国の住民としてできることを考えるための教育活動であった。従って担い手も、青年海外協力隊OB・OGや国際協力NGOの関係者や、YMCAなどの国際的なつながりのある青少年団体等であった。同時に、途上国の貧困の原因が北側にもあるという認識があり、単なる「南」の問題の学習以上の広がりをもっていた。また、1980年代からの外国人労働者の大量の流入の下では多文化共生の「内なる国際化」を問題としていた。

 開発教育が大きく変貌するのは1990年代である。先に述べた、環境、人口、人権、ジェンダーなどの課題に関わる国際会議を背景として、それらの地球的課題が地球社会の「開発のあり方」に密接に関わると認識されるようになり、それらの隣接領域を含んだ幅広い内容領域が模索されることになった。

 DEARでは、開発教育を「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとしている」と説明している。その上で具体的な教育目標として以下の5項目を上げている。14)

(1) 開発を考えるうえで、人間の尊厳性と尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること。

(2) 地球社会の各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること。

(3) 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること

(4) 世界のつながりの構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと。

(5) 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと。

 先にESDは、人口、開発、環境、住居、ジェンダー、人権、平和などの多様な、しかし相互に密接に関連する地球的課題をカバーしていることを説明したが、開発教育も1990年代半ばから上記の(2)(3)(4)項に見られるように、こうした領域とそれらの関連性を教育目標としている。また、開発教育がめざす「共に生きることができる公正な地球社会づくり」は、ESDがめざす「持続可能な地球社会づくり」と深く関連している。その意味では、開発教育はそれ自体ESDである、ということも可能である。また、持続可能な開発のための教育の最終的な目的としては「共生と公正を基本とした持続可能な地球社会づくり」というように表記することでその内容が明瞭に表現される。

 しかしながら、実践の側面から見ると、現在の開発教育がESDとして展開されるためにはいくつか課題があるように思われる。その最大のものは「地域」である。すなわち、開発教育が扱ったきたテーマは地球大の広がりをもっているだけに、例えば一般の中学生や高校生から見れば「遠い世界のこと」であったり「関係ないこと」であったりする。彼らがこれらの問題を「自分のこと」としてとらえなければ学習活動の効果は持続していかない。開発教育は、もともと「遠い南の国々」のことを問題にしてきただけに、その内容よりも手法に力を入れてきた。参加型学習による世界と地域をつなぐさまざまな教材やカリキュラムが1990年代後半に開発され、今でも改善され創作されている。15) しかしながら、新田が自然体験学習を批判しているように、開発教育の教材やワークショップも、それ自体が自己目的化し、学習の体験が日常の生活や態度変容につながっていかない危険性を常に有している。

 この点を克服する試案のひとつが本誌所収の山西論文「開発教育の地域展開に向けて−地域のもつ意味を考える」である。16) 山西はこの中で「地域」を次の4つの視点で捉える。

(1) 「生きる」−人間が生きることを保証する場としての地域

(2) 「参加する」−共同性の再生への参加を可能にする場としての地域

(3) 「創る」−文化創造・文化選択の拠点としての地域

(4) 「対抗する」−グローバリゼーションへの対抗軸としての地域

 山西は「これからの開発教育の地域展開は、その質において、「きれい」ではなく「リアル」で、また「頭」だけではなく「心と体の全体」が躍動し、そしてそれに応じて文化や社会が「スロー」に「やさしく」そして「力強く」動いていくような学びを生み出していくことが求められよう」とイメージ的に総括している。山西の言う地域展開は、まさに開発教育がESDとして質的に転換していくための大切な示唆である。


6.持続可能な開発のための教育のアプローチ

 

 先に持続可能な開発のための教育は、環境教育、開発教育、人権・平和教育の3つの柱からなる、と説明した。しかし、これは単にESDが扱う分野の広がりを示したにすぎない。ESDを実際に学校や地域で実践していくためには、そのための学習のアプローチが必要である。環境、開発、人権・平和といった項目がESDの横軸であるとすると、実践のための原則や方法としての「縦軸」は何であろうか。

 環境教育や開発教育とESDとの関係を論じた先の2節のなかから、キーワードをひろってみよう。それらは「参加」「政策提言」「意志決定」「エンパワー」「地域」「共同性」「協働」「つなぐ」「関わる」などである。私は、ESDの縦軸=学習のアプローチとして、「参加」から「まちづくり」に至る学習の筋道を想定してみたい。この点で、ロジャー・ハートが論ずる「子どもの参画論」が参考になる。ハートはユニセフとの共同プロジェクトにおいて、子どもの参画を環境問題において実効的に実現している事例を世界中に求めて、その原理および方法論をまとめて出版した。この本は『子どもの参画』と題して1997年に出版されて以来、世界各地で注目を浴びている。17)

 ハートの議論には3つの特徴がある。第一は、子どもの参加のレベルを「参画のはしご」として8段階にまとめたことである。このモデルは、望ましい子どもの参加のレベルをわかりやすく表現していて、度々関係者によって引用されている。第二は、子どもの参画と環境教育、まちづくりとを結びつけたことである。発達段階によっても異なるが、子どもが普段生活している空間は家や学校を中心として周囲半径1キロ程度であり、この生活空間での課題を探してその解決策を探ることは、それ自体環境教育でありまちづくりにつながる。ハートは、地域を生活領分としている子どもこそが、大人に劣らず、地球環境問題解決のための担い手となりうると期待しているのである。第三に、その具体的な学習方法論としてアクション・リサーチを提案していることである。これは子どもが地域を回って、具体的な課題を特定し、その課題について探求し、課題解決のための計画を立てて実行に移す、という方法論である(アクション・リサーチについては拙稿「アクション・リサーチのすすめ−地域学習から世界へ」 を参照のこと)。18) 具体的な地域課題を解決していくことで子どもは大人との信頼関係を作り、無力感ではなく効力感を得て、社会問題解決の担い手として成長していく。まさに、子どもの参画からまちづくりへの学習の道筋をつけた方法論ということができる。

 環境問題解決の担い手として子どもたちに過大な期待をかけることは慎まなければならないし、また総合学習が始まったとはいえ日本の学校教育の現場でアクション・リサーチのような手法がすぐに広がると期待することもむずかしい。しかしながら、例え時間がかかろうともESDを推進していくためには、子どもにとっても大人にとっても「参画」と「まちづくり」の視点は欠かせないものである。19) まちづくりについて言えば、それは環境教育の観点からは自然とひとにやさしい循環型の地域社会づくりが目指されようし、また開発教育の観点からは国籍・民族、性別、年齢、障害のあるなしに関わらず「共に生きる」ことができる社会づくりが求められよう。また、地域でのライフスタイルが「南」の国の人々の生活を脅かすことのないような想像力と配慮が求められよう。そして、こうした「まちづくり」には子ども、障がい者、女性、高齢者といった相対的に弱い立場の人々の「参加」が不可欠であり、政策形成に参加するための力量形成(エンパワー)の機会が提供されねばならない。以上をまとめて、持続可能な開発のための教育の領域とアプローチを図示しておこう。

 

       図4 「持続可能な開発のための教育」のイメージ


おわりに

 本稿では、持続可能な開発の概念と地球サミット以降の持続可能な開発のための教育(ESD)の考え方の変遷を跡づけ、従来の環境教育・開発教育との関連のなかでESDの内容を明らかにしようとした。ESDの内実については、まだ明らかにすべき課題は多いが、本稿のまとめとして次の3点を指摘しておきたい。

1.持続可能な開発のための教育は、環境教育、開発教育、人権・平和教育の3つの柱から成り立つ。

2.持続可能な開発のための教育は、「共生と公正を基本とした循環型の社会づくり」を目的とした教育学習活動である。

3.持続可能な開発のための教育の目標は、「公正」「共生」「循環性」を実現する社会づくりに「参加」することができるような能力や態度を養うことである。

 本稿ではESDを環境教育と開発教育の観点から明らかにしたが、人権・平和教育や、ジェンダー平等、さらには人間開発や人間の安全保障など「人」を中心に据えた学習活動との関連性については課題として残された。20) この関連性が明かにされればESDの理念はより豊かになるばかりでなく、人権、平和、ジェンダーなどの関係者とのネットワーク作りが進むであろう。

 また、ESDの学習アプローチとして「参加からまちづくりへ」という筋道を提起したが、ESDにはこの他にも多様な学習アプローチがありうる。例えば、最初から地域や国家を超えて、難民救援や貧困の解消といったグローバルな課題に関与するための学習、という手法もESDの学習としては当然ありうるだろうし、「グローバルから地域へ」というアプローチもあるだろう。それら多様な学習アプローチを実践の蓄積をもとに整理することも今後の課題である。


1) 「持続可能な開発に関する首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)実施計画」(2002年9月)の第117項に「持続可能な開発を推進するために教育を利用することを支持する」とあり、緊急な行動として(d)項に「国連総会が2005年から始まる持続可能な開発のための教育の10年計画を採択することを勧告する」と述べられた。これを受けて同年12月に決議された国連総会の文書については資料編を参照のこと。なお、本稿では「持続可能な開発のための教育」「持続可能性のための教育」「持続可能な社会のための教育」「持続可能な未来のための教育」はすべて同義として扱う。

2) World Commission on Environment and Develoment, Our Common Future, Oxford University Press, 1987.(邦訳『地球の未来を守るために−環境と開発に関する世界委員会』福武書店)

3) Action Plan, Intergovernmental Conference on Population and Development, Cairo, 5-13 September 1994.

4) Copenhagen Declaration on Social Development, World Summit for Social Development, Copenhagen, 6-12 March 1995.

5) Agenda 21 Chapter 36 Promoting Education, Public Awareness and Training, United Nations Conference on Environment and Development, Rio de Janerio, 3-14 June 1992.

6) Final Report, International Conference on Environment and Society: Education and Public Awareness for Sustainability, Thessaloniki, Greeece, 8-12 December 1997.

7) The Hamburg Declaration on Adult Learning, UNESCO Fifth International Conference on Adult Education, Hamburg, 14-18 July 1997.

8) 新田和宏『持続可能な社会を創る環境教育―持続可能な社会のための総合学習―』地球市民教育総合研究所、2002年。新田和宏「環境教育が直面する最大の課題―グローバリゼーションと持続不可能な社会―」、日本環境教育学会『環境教育』第22号、2002年、15-25頁。

9) John Fien, Education for the Environment: Critical Curriculum Thorising and Environmental Education, Deakin University, 1993. (ジョン・フィエン著、石川聡子(他)訳『環境のための教育−批判的カリキュラム理論と環境教育』東信堂、2001年)

10) 同上書、29頁。

11) 石川聡子「これからの環境教育−人間環境の持続可能性をめざす」同上書、200頁。

12) 阿部治「『持続可能な未来を』拓こう」『季刊エルコレーダー』第12号、2002年10月、1-4頁。

13) 開発教育の日本における発展については、田中治彦「開発教育−これまでの20年とこれからの課題」『開発教育』第47号、2003年2月、3-7頁。

14) 田中治彦「開発教育(歴史・定義)」『開発教育キーワード51』開発教育協議会、2002年、68-69頁。

15) 例えば、『わくわく開発教育−参加型学習へのヒント』(1999)、『いきいき開発教育−総合学習に向けたカリキュラムと教材』(2000)、『つながれ開発教育−学校と地域のパートナーシップ事例集』(2001)、『Talk for Peace! もっと話そう−平和を築くために私たちができること』(2001)、いずれも開発教育協会刊。

16) 山西優二「開発教育の地域展開に向けて−地域のもつ意味を考える」、初出は『開発教育』第47号、2003年2月、32-39頁。

17) Roger A Hart, Children's Participation: The Theory and Practice of Involving Young Citizens in Community Development and Environmental Care, UNICEF, New York, 1997. (ロジャー・ハート著、田中治彦(他)監修、IPA日本支部訳『子どもの参画−コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社、2000年)

18) 田中治彦「アクション・リサーチのすすめ−地域学習から世界へ」、初出は『開発教育』第46号、2002年8月、31-34頁。

19) 本来ESDのために編集されたのではないにもかかわらず、現在のところESDの実践にもっとも近い著書は、子どもの参画情報センター編『子ども・若者の参画−R・ハートの問題提起に応えて』(萌文社、2002年)である。15人の著者が子どもの参画とまちづくりについて論じている。

20) 以下の論文において、1990年代の国際会議で取り上げられた地球的課題を整理し、それを解決するためのキーワードとして「ジェンダー」「エンパワメント」「NGO・NPO」について解説している。本稿の元となった論文である。田中治彦「地球的課題と生涯学習−1990年代の国際会議の行動計画にみる」『立教大学教育学科研究年報』42号、1999年、147〜156頁(『開発教育』第40号、1999年8月、に再録)。


出典:『持続可能な開発のための学び』(別冊『開発教育』 )開発教育協会, 2003年4月,

12-21頁。

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